Submarine Dog

最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

このブログは2002年から続いているものです。
書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

今日数年ぶりにこのサイトに自分でスマホからアクセスしてみて、「こんな風に見えていたのか!」と驚いた。
拍手ボタンとか、更新があったらLINEから通知とか、そんな機能付いてたのね。

ちなみにこのサイト、初期の頃はこのライブドアのブログは使っていなくて、コメントは掲示板をレンタルして使っていたので、その頃のコメントは失ってしまっている。初期のアクセスの多かった頃のテキストにコメントがないのはそれが理由。

掲示板でも話を展開していたから取っておきたかったんだけど、サービス終了でどうしようもなかったからなあ。テキストそのものは移管できたので2回ほど別レンタルに移籍している。

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さてさて。

『抱いてHOLD ON ME!』




を見ていたら『Memory 青春の光』も見たくなって。



この動画のコメント欄見ていたらなんだか泣けてきた。

当時はあまり評価されなかったこの曲が20年以上の時を経て評価されているのを見て。

今見ても思うよ、彼女たちが成長してさらに実力をつけてこの歌を歌ったらどうなったんだろうって。

もし『LOVEマシーン』で完全なアイドル路線にシフトしなかったら、増員しないで解散の道を選んで、ときたま集まるグループになっていたら、そんなことを考えるけど、今の世界こそが収まるところに収まった形でもあると思うので・・・

まあでも思い出すんだよね、この曲が完成してはしゃぎまくって新年会で仲間芸人に自慢しまくったつんく氏のエピソードとか、安倍さん(なっち)がずっとこの曲を好きで『LOVEマシーン』以降の世界線になってもこの時のコンサートが好きと言っていたことや、そんなことをね。

自分も「アイドル的な」という括りで言えば、この曲より好きな曲はないな。
楽曲そのものの完成度(何しろこの曲だけ向こうのバックミュージシャン使ってニューヨークでトラックダウンしたりしている)、メンバーの思い入れ、そして最後の生バンドライブ、いろんな感情が重なってこの曲への思いを作っている。

あれから20年経っても1999年に発売された
モーニング娘。『セカンドモーニング』
タンポポ『TANPOPO 1』
太陽とシスコムーン『Taiyo & Ciscomoon 1』
の3作品は色褪せない名盤だね。
この年のつんく氏は本当に凄かった・・・


今回は思いっきり主観で楽曲の思い出話でした。また。

前回から続いて。


第一は福田さんの帰りを待っていたからなんだろうな。
いつか『Memory青春の光』の頃の8人で歌う日を。
ずっとそれを夢見ていたから。

他にも待っていた方もいたし、一応初期8人に特化して書いてる点では界隈の中ではそれなりに自負もあったので閉めるわけにはいかないなという思いもあった。

それは現状にも近いものがあるかもしれない。
おそらくこのブログを閉じると失われる情報はかなりあると思っている。
断片的に拾っていけるかもしれないけど、まとめてあるのはほとんどない。
そしてそれらを今さら繋げていく作業はもう出来ない。
当時徹底的に得られる情報拾ってまとめ上げたが、それはもう無理な話だと思う。

ま、失われたところで大したことないよと言われればそうなのだが、歴史修正主義宜しくあの頃の歴史を今に都合の良い様に使われるのは許せないので資料として残しておきたい。いわば当時のままの「一次資料」なので。

表向きはこの「福田さん待ち」と「資料残し」の2点が続けた理由だろう。


じゃあ裏向きはといえば・・・

たぶん自分の中で「いけだや」という人格が息抜きになっていったのだと思う。
自分はオタバレしないで一般生活を送っていたので、思ったことを書ける「いけだや」という存在が自分の中で楽だった。
例えば先に挙げた資料整理的なことは興味ない人にはまったく理解されないこと。しかし「いけだや」としてはそれを必要とする人に出会える。

無であるものが無でなくなる喜び。心の内はそういうことなんだろうなと。


それから、長年書き続けたことで、だいたいの性格・思考・嗜好を前提として理解してもらえている「いけだや」を消す勇気が自分にはなかったな。
名前を変えて、また一からというのは面倒でもあった。

それがこのブログと「いけだや」を続けた裏の理由だと思う。

まあ、まさかさ、『ASAYAN』のシャ乱Qロックボーカリストオーディション(モーニング娘。オリジナルメンバー5人を輩出したオーディションね)の最終予選の寺合宿の近所にあったお団子屋さんの名前で20年も続けるとは思わなかったけどね 笑

最初は本当に書き捨てのつもりでこの名前使ったから、まさかこんな付き合いになるとはね。

近年だとライブ行く時でもこの名前を使っているので、もう今さら変えられないだろうな。もはや屋号みたいなもの。
何かお店でもやりますか 笑

このサイトを開いてから20年。
更新もめっきりしなくなりました。
なんとか細々と生きております、いけだやです。

コメントも久しぶりにカキコがあって、ちょっと書く気が盛り上がりました。
過去の様にシリーズものとはいかないと思いますが、せっかくですから何でもいいから今月は書いておこうかと思います。

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改めて自己紹介っぽいもの。

このサイトはモーニング娘。のテキストサイトの生き残り。
界隈の端っこで細々とやっていて、回りがどんどんいなくなり結果として残ってしまった、そんな場所。

始めた頃のモーニング娘。テキストサイトの界隈は、サブカルに強く、あちこちから猛者が集い、清濁併せ持ち、時には大きなうねりを、時には荒れたり、今となって振り返ってみればとても面白い世界だったと思う。

テキスト界隈+巨大掲示板+大手サイト+ASAYAN掲示板+個人ファンサイト
この5つに多くの人が集まり、モーニング娘。以外の話も夜な夜な繰り広げられていた。2002年前後の話*1

自分も巨大掲示板の方から流れて他で書いたり、とある物語を数本書いたり、そんな中でのこのサイトの開設だった。

当時は「ブログ」という言葉もなかった。
ただ単に「日記」とかテキストとか、そんなんだったんじゃないかな。

そもそもがSNSという概念もなくて、ブログという提供ツールもなくて、自分でサイトを組み上げて、今よりも投稿のハードルが格段に高かった。そこを超えてもやりたい人たちが集まっていたのだから、そりゃ面白いはずだよなと。

当時からウチは懐古厨扱いだった(笑)
『LOVEマシーン』以降の黄金期ブームに乗らず、それ以前の『Memory青春の光』を始めとしたコーラス重視の音楽を求めていたので、そりゃ煙たく感じる人も多かったと思う。

まあでもはっきりと音楽的な好みは出していたので、所謂アイドル本位というよりは楽曲本位の方たちとの交流は楽しかったな。
楽曲の見方はこの頃に培われたといってもいいくらい。編曲に注目して見るようになったのは間違いなくこの頃の影響。

数年経った頃にはどこかで「楽曲派」というレッテルを貼られることにもなった(笑)
今では「楽曲派」がどういう扱いになっているのか分からないが、当時はマイナスなイメージも強かった。

そりゃモーニング娘。を全肯定で応援している人たちにとってみれば、気に入らない楽曲だと「ああだこうだ」言っているのはイチャモンつけているようにしか感じないだろうなと。

えぇ、当時の方々スミマセン。
あの頃はけっこう好き放題言わせていただきました(笑)

安倍なつみさんが卒業する2004年くらいが自分の更新意欲的にもアクセス数的にもピークだったのかな。
安倍さん卒業前後くらいはカウンターが1万/日くらい動いててちょっと怖かったことを覚えている。いやいやウチは端っこですからって。これで有名どころだったらどれくらい動いてたのよ。

マザーシップと言われた安倍さんが抜けて、彼女をなんとなく物語の中心として見ていた*2自分も少し燃え尽きたのかな。
好きだったサイトの方もどんどん更新休止されてね、最初の頃の楽しさというのは正直失いつつあったと思う。

でも自分は辞めなかったんだよな、なんでだか分からないけど。



それを考えつつ、長くなったのでこのまま次回へ続ける・・・

マジで取って出し更新なので(笑)


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*1 2001年くらいから2005年くらいが盛り上がりの中心ですかね?
*2 福田さんが抜けた後のね。

9月18日。

渋谷の宇田川町にあるライブハウス・Starloungeへ犬塚ヒカリさんを見に行く。

ここはライブハウスが複数入ったビルで、過去にはPEACE$TONEや大谷雅恵さんもやったMilkywayが入っているビルと言えばこのブログでは分かりやすいだろうか。

犬塚さんは普段はギター弾き語りのスタイルで、それが2015年、高校1年の頃からだから、かれこれ7年以上やってきたことになる。

立ち弾きから、座りのスタイルに変更したのが4年ほど前。
楽曲はそれまでのフォークや歌謡的な要素が抜け、R&Bやヒップホップ色の強いものになった。

最初はリズム的な部分でどうなるかと心配していたが、数年続けた結果、劇的に進化、歌い回し、フェイクの入れ方、緩急の付け方、堂に入った感じになってきたと思う。

このまましばらくはこの感じで続くんだろうなと思っていたところ・・・



さて、その前に、自分は基本的にギター弾き語りとピアノ弾き語りだったらギター弾き語りの方が好き。

遥か以前は意識していなかったのだが、年を経るにつれ、自分の傾向が分かってきた。

もちろん上手くて惹きこむ方もたくさんいらっしゃるのだが、ピアノ弾き語りだと伴奏感が強くて全体として「のっぺり」感を感じてしまうことが多かった。ギターの方が強弱やメリハリを感じやすい。もちろんこれは人それぞれの好みの部分ではあると思うけれども。

バンドを見る場合でも本当にたまたまキーボードが入っていない編成が多くて、ちょっと自分の中で最近ピアノ・キーボードへの意識が薄くなっていたと思う。



前置きが長くなったが、この日の犬塚さんは、初めてギターを持たずステージへ。
ピアノサポートでtatsuyaさんという方が入って、完全に歌唱のみのスタイル。

正直に言うと、ピアノのサポートと聞いて上記のイメージがあったのと、けっこうな雨予報が出ていたので、行くの迷ってた。どうしよっかなーって。

でも、たまたま前日もライブを見に行ってて、お目当てだった方が2年数ヵ月ぶりのステージで、そこでやはりライブは一期一会、見られる時に見なければ後悔するなと思い、犬塚さんのライブに行くことを決めた。

で、行って大正解。行かなくて状況知らなかったらとても後悔していたと思う。迷っていたことゴメンナサイ。

1曲目『愛を形容』2曲目『PATAPURIKE』はジャジーな要素強く、会場の雰囲気と犬塚さんの黒のドレスと相まってとても大人な空間。ここはジャズバーかと、そんなことを考える(そんな行ったことないんだけども 笑)

3曲目『初夏と神様』は、CD収録に近い形でオルタナ感を再現。
ギターでは再現しきれなかった部分がピアノアレンジだとバッチリ決まるんだなぁと、聴いていてうれしくなった。
個人的にオルタナ好きなので、「あぁ〜」と沁み込んできた。


4曲目『チャプター』。初披露時からずっと好きな曲。
今日ピアノサポートで見てて、ここで景色が一気に広がったんだよね。
歌詞の意味合い的にもそうだけど、犬塚さんが歌っていくステージの景色が広がったとでもいうか。

彼女の声は楽器の音に負けない力強さを持っているので、以前からバンド編成を熱望していたんだけど、この『チャプター』をやっているのを見て、ドラムが入った音とか、ベースが入った音とか、想像が脳内にどんどん再現されてきて。

このピアノサポートの意味というか、一つの完成形が見えてきた感じがした。それくらい気持ち的に「ぱぁっ」と開けた感じだったんだな。


最後の『overlap』もギター弾き語りとはまったく趣きが違って。
犬塚さんも盛り上がったのかフェイクも気持ちよく入り、『overlap』ではこのアレンジが一番好きかも。


と、まあここに長文を書くくらい今日は気持ち入ったし、とても書くことの多いライブだったのだ。

(書かないライブが気持ち入ってないって意味ではなく、やっぱり書ける要素が多いってのは長年の付き合いの蓄積でもあるんで・・・ 初めて見て「すごい」「ヤバい」「カワイイ」の感想じゃ仕方ないでしょとでもいうか 笑)

改めて思うのは、犬塚さんの声の強さ。どの楽器にも負けず映える声。
それからアレンジマニア(そこまでではないけど)としては、アレンジによってこれだけ変わるということを再認識できたこと。
イントロや間奏の取り方一つでこれだけ可能性広がるんだということを見せつけられたね。

いや、ホント良かった。良いライブだった。
ピアノアレンジ、調べ直しますね・・・


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140字に慣れてしまったせいか、長文しっくりこない。
まあ、もう長文でもブログという時代でもないだろうからいいのだけど、このまま筆力衰えていくのもヤダなーと少し思う。語彙力とかも落ちていくしね。

もし昔ながらの方、あるいはたまたまここを見た方、何か面白いネタあったら教えてくださいね。

2年ぶりの更新。
たぶん誰も見てないだろうから(まあいまだにカウンターは回ってるんだけども)、さらっと書く。

今日はカントリー娘。柳原尋美さんの23回目の命日。

ここ数年思うことだが、随分と遠くへ来たものだ。
こんな風に23年も経って書き続けることがいいことなのか、それともそっとしておくべきことなのか、悩んだ時期もあったが、もうそれすらも超えた遠くにきたように思う。

尋美さんが旅立つまでの数か月暮らした北海道中札内のフェーリエンドルフも、最近のキャンプブームに合わせ今では「グランピングリゾート」として営業している。
いつか行ってみたいものだな、彼女たちが青春を過ごしたコテージへ。

あそこの建物はバブル期の十勝地方の観光開発の関係でドイツ風に建てられていた。
もう30年ほど経つので、そろそろ建て替えとかもあるかもしれないな・・・

そういえば中札内に行ったのももう21年前になる。
富良野で『ふるさと』のロケ地を巡ったりもしてね。
懐かしいなあ。いろんなことが思い出の中。

時代は流れている。
でも自分は覚えていようと思う。
それがこのブログが動いていた20年前ですら「懐古厨」と言われていたこのサイトの運命なのかもしれない。

でも好きなもの、好きなことをずっと好きでいられるってのは幸せなことだと思う。


かつてモーニング娘。を追いかけた時期があった。

追いかけたといっても当時は浦和レッズのサポーターとして全国を駆け回っていた時期とも重なり、テレビ等のメディアから得る情報の方が圧倒的に多かった活動ではあったが。

彼女たちに出会ったのは1997年。

その前からテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(リニューアル前の「コムロギャルソン」も含む)を好きで見ていたのだが、97年に始まった新たなオーディションにモーニング娘。になる前の彼女たちがいた。

オーディションは女性のロックボーカリストを求めるというものだった。
(※オーディションからデビューについては当サイト『いつか来た道』でも参考にしてください)


そのオーディションに早い段階から出ていた福田明日香はとても異質な存在だった。

当時12歳、その年齢は他の参加者と比べて群を抜いて低かった。
そしてその年齢に似合わぬ抜群の歌唱力と、回りに合わせないちょっとぶっきら棒な物言い。
それらが彼女をとても大人に見せていた。

その異質さにオーディションのプロデューサーだったシャ乱Qの面々やそのマネージャーである和田薫氏、番組MCたちも面白がって喰いついていたように思う。

オーディションは進み、福田も最終選考まで残る。
しかしロックボーカリストの栄冠は勝ち取れず、他の夢破れた参加者とグループを結成することになった。

モーニング娘。の始まりである。


今でこそ「モーニング娘。=アイドル」という認識は自他共に揺るぎないものだが、当時は中途半端なものであり、そこの線引きは明確なものではなかった。

人気の出方、メディア出演での扱われ方、それらはアイドル的なものだったと言ってもいい。
ただし彼女たち自身はと言えば、元々のオーディションがロックボーカリストを求めるものであったので、アイドル活動にも戸惑いがあったし、グループ活動にも疑問を抱いている部分があった。

アイドルを目指していたわけではないのにアイドルとして活動していく、その矛盾への悩みが特にオリジナルメンバーの5人は強かったと思う。そしてその矛盾への葛藤、時折見せる本音というか営業スマイルの中にある陰に自分はとても惹かれた。安倍や飯田ら長年活動したメンバーはその思いをラジオ等で漏らすことも多々あったしね。

実際1999年の半ば頃、活動が停滞を迎え今後の雲行きが怪しくなった頃にはラジオで「私たちはアーティストです」と宣言する場面もあった。(その直後の『LOVEマシーン』の大ヒットによってその思いとは裏腹な方向に加速していくのだが)

その変革の年の1999年。
4月にグループ結成わずか1年半で脱退していたのが福田だった。

辞める直前のシングルには自身の卒業ソング『Never Forget』も入り、表題曲『Memory青春の光』は8人のコーラスワークを生かしハーモニーが抜群に綺麗な、グループのメンバーたちも大好きな今に語り継がれる名曲であった(個人的な感想よ)。そしてその頃には「タンポポ」という派生ユニット(石黒・飯田・矢口)もコーラスワークを重視した楽曲のリリースを続けていた。

そして福田の卒業公演は生バンドを入れて行われていた。
福田が辞めてからのライブは生バンドを止めてオケだけになった(その後何年にも渡って)。

その生音を惜しむ声は多かった。
メンバー自身も(特に安倍)「あの頃のライブは楽しかった」というような内容の発言をしている。

抜群の歌唱力を誇りメインボーカルの一翼を担った福田の脱退と共に失われた生演奏のライブ。
そしてその後、特に『LOVEマシーン』以降の楽曲の変化。複雑なコーラスワークはなくなり、ユニゾンやパートぶつ切りの曲が多くなった。

それらの変化、、、その変化前の象徴が福田の存在であったのかもしれない。

本人は否定するだろうし異論もあるだろう。

ただ、自分だけではなく同じような感覚を持った人たちはそれなりにいた。
当時の巨大掲示板での交流、テキストサイトでの記事、自分の所にコメントを書き込んでくれていた方たち(サイト移転に伴い多くの部分が失われてしまったが)・・・あの『Memory青春の光』前を大切にしていた方が多くいたのは幻ではなかったと思いたい。



福田明日香がヘアヌード写真集の発売を発表した。

今さらヌードで動揺や興奮する年齢では自分もなくなった。
正直そこはどうでもいい。

2年前に書いた記事で、彼女とその所属グループに対する気持ちの整理はつけている。
だからどうでもいい。欲しいとも思わない。





だが、どうでもいいが、どうでもよくないのかもしれない。
そんな風に思えることもある。

彼女がモーニング娘。だった頃の思い出。
そしてPEACE$TONEとして活動していた頃の思い出。

PEACE$TONEのリーダー・TERRAさんの前バンドTHETAに彼女の歌声が入っていたことに歓喜した日もあった。



そして復帰してからのライブの思い出。
そこであった交流。遥か以前からの付き合いもあれば、「福田さんのファンなんです」と若い子(それこそASAYANオーディションの頃に生まれたくらいの)が彼女の歌声を聴きに来たこともあった。

メンバーたちにも顔を覚えてもらっていたし、長年通う中でそれなりに会話もしたと思う。

2年前に離れてしまったけど、今でもその日々を大切に思っているのは確かだ。

そこに今後ヘアヌードという話題はずっと付きまとうだろう。

「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたモーニング娘。」
「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたPEACE$TONE」

ヘアヌードそのものはどうでもいいけど、自分の思い出はその度に少し傷つく。
もしかしたら彼女に携わった(特にPEACE$TONE時代の)方たちもそうかもしれない。

それは彼女自身には責任のないことだ。
それは自分の思い出であり、それらに彼女が何ら負うところはなくていい。

ただ彼女がやりたいことをやっただけ。
それだけのことだと思う。
ただモヤっとした感情をこちらが持つだけの話だ(批判や非難ですらないです)。



どうしても一つだけ残念に思うのは、
あれだけの才能とあれだけの環境があり、彼女の声を必要としてくれる仲間がいて、自身も音楽に対する思いを吐露しておきながら、なぜ音楽と真剣に向き合わなかったのだろうかということ。私には歌しかないっていうのが離婚した理由じゃなかったっけ? だから戻って来たときは「いよいよ」って期待が大きく膨らんでいた。

・・・しかし現実にはほとんどが中途半端に終わってしまった虚しさ。

これも彼女には「私の勝手でしょ」と笑われそうだが、本当に彼女の歌声が好きだった自分には今の状況がとても虚しい。

もうさ、、、「やっぱり歌がやりたいんです」と言っても、次は惑わされない自信があるけど。



でも福田さん、20年間、いろんな思い出もありがとう。

このサイトはあなたの存在があったからであり、時として思わぬ交流を生んでくれたりもしました。
今まで感謝しております。




そう。20年前に夢見た世界は実現しなかった。
はっきりと書けば、成長し実力をつけた彼女たち8人(1999年の)が揃ってもう一度生音で『Memory青春の光』を歌って欲しかった。

でもそう思い続けた日々も楽しかった。
このサイトがあったおかげでいろんな楽曲を知ろうという気持ちを長年維持出来た。
年をとってもライブハウスに通える原動力にもなった。


ハッピーエンドだけがすべてじゃない。
いろんな歩みがあって、道が分かれていって、、、それが人生。


これにて彼女の「今後」を書くことはもうないと思います。

さようなら。今までありがとうございました。






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あ、このサイト辞めるわけじゃないからね。
たくさん書いてきたこと、ブログの運営が続いている限り残しておきます。
あと「今後」であって過去のことはこれまで通り書くかもしれません。
過去まで変えてしまってはそれこそ歴史修正主義になってしまいますからね 笑

平成女性アイドル史(メジャーシーン)をざっと振り返ってみる。

平成一桁前半はアイドル冬の時代。フジテレビの番組との連動のアイドルグループやその出身アーティスト、ヤングジャパン系(アップフロントの源流)のWINKや森高千里さんらのアーティスト性の強いガールポップに勢いがあった時代。

その後CDが爆発的に売れる時代に入った頃に沖縄アクターズスクール出身のグループがたくさん出てくる(安室さんやMAX、SPEED、知念里奈さん等多数)。ただこの頃のアイドルは所謂ガールポップとの棲み分けは曖昧で、その境界を論じると不毛になりそうなのでやめておく(笑) 小室プロデュース、伊秩プロデュースとプロデューサーの名前が大きくなったのもこの時代。

その曖昧な棲み分けの中で開催されていたのがテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』。ロックボーカリストを選出する中で生まれたのがモーニング娘。で、小室オーディションからは鈴木亜美さんが見出された。

当初はモーニング娘。もアーティスト指向を強く残していたが平成11年の『LOVEマシーン』のヒットで多人数アイドルグループとしての存在を確立。同年の鈴木亜美さんのブレイクもあって昭和とは違う「アイドル」のイメージが出来上がっていったように思う。同年には宇多田ヒカルさんと浜崎あゆみさんも大ブレイクをしており、アーティストとの棲み分けもはっきりしたのではないだろうか。

エイベックスも平成11年にはDreamを生み出すオーディションを開催し(倖田來未さんらも輩出)、3人組をアーティスト色の強い形で送り出したが、数年後には増員し8人組でアイドル性の強い活動に移行している。

その後数年はモーニング娘。(とハロプロ)の時代。音楽業界で最もCDが売れた時代(平成10年前後)もあって、勢いのまま続々と派生ユニット、グループをデビューさせた。ソロでは松浦亜弥もブレイクを果たす。傍らではZONEやBOYSTYLE、Folder5といったグループも活躍したが数年で活動休止をしている。

BOYSTYLEと共にアミューズでアイドル活動していたPerfumeがアーティスト性の強い方向でブレイクしたのはモーニング娘。の反動だろうか? Perfumeはアクターズスクール広島出身で基礎力もあり、アミューズ所属のアイドルたちの中では一番若かったのが却ってモーニング娘。全盛期と被らずに良かったのかもしれない。

平成20年に前後してAKB48が台頭すると共に「アイドル戦国時代」と言われる時代になっていく。
AKB48は立ち上げにモーニング娘。初期に関わったスタッフたちが多数参加。立ち上げ当初は苦戦したが平成20年にレコード会社を移籍後良曲(『大声ダイヤモンド』『言い訳Maybe』等)に立て続けに恵まれ大ブレイクに至った。

ブレイク後のCDの売り方(所謂握手会商法)には賛否両論あるが、一つ「功」を挙げるなら売り上げを見込めるアイドル業界にCD不況に喘ぐ多数の音楽関係者(プロデューサーやアーティスト等含め)が入ったことによって楽曲のクオリティが底上げされたことだろうか。

ただアイドル戦国時代とは言いつつもメジャーシーンではAKBグループが席捲。アイドリング!!!やぱすぽ☆、SUPER☆GiRLSといったグループが活躍するもののAKBの牙城は崩せなかった。

平成20年半ばを過ぎた頃に放送されていたテレビ朝日『アイドルお宝くじ』という番組では多数のアイドルグループが毎週歌って競っていたがその番組も平成29年に終了、多くのグループもその後解散や活動休止した。「アイドル戦国時代」とは何だったのか、そこはまた別に掘り下げる必要があるだろう。

AKBグループからブレイク期のメンバーたちが多数卒業後に台頭したのが同系列の乃木坂46や欅坂46。これもきっかけは当時の楽曲の良さであったと思っているので、やはりCDであろうとストリーミングであろうと楽曲は大事だと痛感させられる。乃木坂46もブレイク期のメンバーたちは卒業しつつあるので今後難しい運営を迫られるのかもしれないが、比較的世代交代は上手くいっているように見える。

平成最後に現れたのがLittle Glee Monster。彼女たちはアイドルとは違うと思うがメンバーの多くはアクターズスクールの出身。そんな彼女たちがブレイクしつつあるのを見て、アクターズスクール系とオーディション系のブレイクは交互に来るのか?などと考えている。

もちろんブレイクしたから凄いとか売れないからダメと言ってるわけではなく、あくまでも全体としての流れを個人的に振り返っているだけなのでお気を悪くなさらずに。むしろ埋もれてしまっている楽曲を知りたい派なので(笑)、まあまだまだ勉強しなければと。

ガールポップ史やガールズバンド史なんかも振り返ってみたいが、さすがに30年一括りでは無理かなと。どちらも初期は昭和に掛かる。

そういう意味では「昭和的なアイドル」と明確に区別できる(冬の時代で分断されているとも言える)平成アイドル史というのは論じやすいのかもしれない。



P.S. 個人的にはアーティストとアイドルの境界を論じるのは無意味かなと思っています。その辺は御本人たちの気持ちの在り方の問題もあるし。ただ現実は「アーティスト」と「アイドル」、それぞれのイメージは個人個人で固まっているのかなと思います。

「アイドル」という括りの無い国だと総じて「アーティスト」として評価されますが、個人的にはそれもどうなかと思っているので、けっきょくは曖昧なままでいくのが楽しく優しいのではないかなと。

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