Submarine Dog

最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

このブログは2002年から続いているものです。
書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

昨日Leolaさんの富士・朝霧高原のふもとっぱらのキャンプ動画で歌っていた『上を向いて歩こう』で思い出したことが一つ。

ちょっと昔のオタク話をしよう。



デビューする前のモーニング娘。、CD5万枚の手売りの試練を課された曲『愛の種』。
この曲のプロモーションビデオが撮影されたのが26年前の1997年10月で、撮影場所は明かされていないが静岡県の朝霧高原と判明している。

PVに富士山は映っていない。天気のせいだったのかもしれないが、わざと映さなかったような気もしている。メンバーだけが知っている富士山の姿と、まだデビューすらしていない海とも山ともつかぬメンバーたちを見る視聴者。

富士山を見て、「好きな空」を目指すのはメンバーたちだけが心に秘めればいいことだったのではないかと感傷的に思っている。

このPVの撮影時、服は各自の私服。
メイクさんもおらず、年少メンバーたち3人の化粧を中澤・石黒の年長コンビが手伝って挙げたという逸話が残っている。

本当に何もないゼロからのスタート。
アイドルを目指していたわけでもなかったし、大所帯グループをやるつもりもなかった。

ただただロックボーカリストオーディションという名の元に集まり、そして落選した5人。

ここが出発点。
今でこそ大所帯のアイドルグループ集団「ハロプロ」の中のモーニング娘。だが、かつての熱狂の時代の幕開け。
日本中を熱狂させた一つの物語の始まり。

それを思い出して、あの時に立ち上げに関わった夏先生、笠木先生も偲び盃を傾ける。

あの時代が帰ってくることはない。
だからこそ大切に思い続けていこうと思う。生きている限り。


このサイトの21周年も鑑み一文を投稿する。

そうだ思い出した。
スマホからだとヘッダーに書いてあるこの文章が読めないことを思い出して、記事の方で一回載せておこうと思ってたんだ。

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最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
いけだや
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書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

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モーニング娘。テキストサイトから始まっている(厳密に言えばもっと前から文章書いているのだが)このサイト、読み返せばいろいろとアウトな部分もあるのだろうけど、今さら引っくり返して自分で探して直せないのでそのままにしてあります。

いまだに過去記事にそこそこアクセスはあるので、読んだ人からクレーム来たらその時考えます(苦笑


さやプロの真里さんが活動23年にして「推し活」の「終活」されるとのことで年内いっぱいでのサイト閉鎖を発表しました。自分のところも先を考えていかなきゃいけない時期に来ているのかもしれませんね。

自分のところはもう何年も関係ないことを書いているブログなので一概には言えないのですが、自分の持ってる資料的な部分はどこかに引き継いで欲しいなあとは思っています。
『いつか来た道』とかどれだけ資料引っくり返してまとめたことかと 笑
そのおかげで記憶が薄れないという恩恵には預かっているのですがね。

それから、何年か前に年表作成プロジェクトを立ち上げたのだけど、やっぱり時間が取れないし、あとサイトの維持という根本的な部分で見通しが立たず中途半端なままになっています。これはもうどうにもならない感じかな。

そういうことで、ただ閉じずにダラダラと続けている感はありますが、自分のところはもうちょっとこのままかな…

今のところツイッターが常用ツール的な感じなので、何かありましたらフォロー、連絡よろしくお願いします。

まあもう今さら記事書いてという話もないと思うけども 笑

最近ちょこっと目にして…
やっぱりあの界隈はお客と演者の信頼関係が徐々に崩れていってしまうんだなあ…と思うことがあった件。(何かについてはあえて書かない)

7年くらい前に小金井の事件に合わせて書いたことがあったけども、けっきょくあの頃から何も変わっていない。
そりゃまあ変えようとしていないし、そういう環境を作り出している人たち(主催・演者・お客双方)に自覚がないのだから変わるわけがない。

関係が崩れてお互いの立場で批判し合っている光景を繰り返し見るが、3方向すべてお互い様だと自分は思っているので、もはや呆れとか滑稽に感じることさえある。

媚びたり媚びられたり、音楽性抜きにしてそこから始まってる関係が長続きするわけないでしょと。お客と演者の関係だけじゃなく、箱やマネとの関係とか、長年ずっと歪みきってるなと思う。


最初から毅然としてそうした関係を作らないで、長年続けている人たちもいっぱいいるわけで。逆にそうした関係からの方が全然長続きして、良い意味で仲良くなったりすることだってある。

始めからその歪んだ世界を主戦場にしておいて、思い通りにならなくなったら文句を言うのはもはや後出しじゃんけんに近い。自分で選んだ道でしょと。だからその界隈でやらない人たちがいっぱいいるのでしょと。



先日ちょっと話す機会があって、演者さんのことはもちろんリスペクトするけど、単に人としては対等というかフラットだと自分は思っている。

一生懸命なアクトに対して、一生懸命働いてライブ見に行って応援する。それでライブという空間が成り立つのであって、そこは双方向の関係だと思う。

妙にへりくだったお客、逆に偉そうなお客、あるいはお客に媚びる演者、客を見下してる態度の演者…
そういった信頼関係が崩れている、崩れかかっている現場には足は遠のいていくかな。
あるいは関係者だけに向けてライブしてる人もいたりして、それはホントお客に失礼だと思う。

そういう意味ではメジャーシーンはお互い関わらないからフラットではあるのかもしれない。大きなコンサート、終わればすぐ帰るものね。



昔はライブハウスの人間関係が煩わしくて、終わっても即帰ってた。
その場限りって人間関係がすごく苦手な性質なので。
だったら最初からなくていいじゃんと。上辺だけの会話に何の意味があるの?と。

意識変わったのは、とあるバンドの対バン相手のユニットがとてもフレンドリーだった時から。
逆に自分の行ってたバンドの対応がホントにクソ(失礼)だと気付かされたので。

Pは客を金づるとしか思ってないし、曲の事聞いてもはぐらかした返事しかないし、ライブ終われば物販そっちのけでタバコふかしてるメンバーもいる。長年見てきた今となってもここよりクソだなと思った経験はほとんどない。

ま、中には物販立ってるのに、話しかけてもスマホ見ながら「ながら対応」されたこともある(顔見知りならともかく初見でね)。
すごいイイ歌うたってるのに客つかないの当たり前だよなあと思う。


以前のフレンドリーな対バンのユニットは曲聴いたことやCDを手に取ったことに感謝しきりで、宣伝もしっかりしてたし、これは当たり前のことなのかもしれないけど、元のバンドの対応が酷すぎたのでちょっと絆されてしまったな。

その後その人たちのライブにはけっこう足を運んだ。もう解散されてしまったが、いい思い出しか残っていない。あ、ここは名前出してもいいか、Lxentaという男女二人組ユニット。楽しいライブしてた。

要は人としてどうなのかって部分で、お互いに必要以上に持ち上げたりへりくだったりするべきではないと思うし、
「お客様は神様です」みたいな態度はいかんと思うし、逆にクリエイトすることを鼻にかけてお客を下に見るのもいかんと思うし、それで最初のところに戻って「フラット」であるべきだと思うのよ。


ラーメン屋さんも、野菜等を作る農家さんも、音楽を作るミュージシャンも、同じように皆尊敬する。
ラーメン屋さん同士、農家さん同士で「関係者」って言って特別扱いしないよね。消費者を下に見ないよね。
逆にお客も必要以上に持ち上げないよね。美味しければ繰り返し通うし、リピートして買い続ける。
それらの関係と音楽における関係、何が違うのだろうか?
音楽とは、いや音楽だからこそそういう身近にあるべき関係でいいんじゃないのかなと。

そういう意識が変わらないし、たぶん何も考えないで続けてるから何年経ってもあの界隈はイイ雰囲気になっていかないのだと思う。

ま、「あの界隈」と濁しているけど、分かる人にはすぐ分かるあの界隈よ 笑
自分も近いところにはいるけど、極力近寄らないようにしている場所。

別に暗い話ではない。

母が亡くなって5年。

心の痛みもなくなって、ようやく写真やら日記やら思い出の詰まった遺品を見ても平静を保てるようになった。

もちろん思い出せば悲しいし、いろんなことが蘇るが、淡々と日常は過ぎている。

それこそ最初の2年くらいは日常の買い物から何からすべてが悲しかった。

2008年か09年に母が帯状疱疹で倒れてから生活変わって、そこから10年いろんな病気になりつつ一緒に過ごしたので(世話をしたという書き方はなんかイヤ)、そりゃね、すぐ悲しみは癒えませんわ。

でも5年経つとね、毎日は思い出さなくなるし、日々の生活に追われて徐々に忘れていく。

忘れていくことが前は怖かったし、なんとなく罪悪感を感じることではあったのだが、今はそうした思いもなくなった。

なんとか心は壊れなかったし、ある意味コロナ禍での人との距離の開き方がちょうどいい感じにいろんなことを忘れさせてくれたのかもしれない。


旅立ちの日
http://submarinedog.livedoor.biz/archives/52691279.html


5年前、病院から帰ってきて、よく書いたなと思う。

まあでも記しておいて良かった。
思い出すまいとしていた時期が長かったから、大まかな流れも本当に忘れてしまうところだった。

一文でも記しておけば旅行したことや病気の進行状況とかの思い出の引き出しが開いてくれる。

楽しいことも悲しいことも思い出として蘇るようになったことに5年の歳月を感じた母の日。

母の日と命日が近くて、毎年この悲しみが掘り起こされるのかと思っていたが、今は逆に近くて良かったなと思う。
この先も忘れないで毎年迎えられるから。



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また何か違う話題で近々に投稿したいと思います。
お題あれば受け付けます(たぶんないけど 笑
娘。さんのことでも、アイドル界隈のことでも、インディーズ方面でも、ロックでも、プロデュースや編曲方面のことでも、知らないことをお題としてくれたら勉強も出来るのでそれもまた楽し。

やっぱりさ、経験と蓄積でしか語れなくなってきているので、新しいものに触れて吸収するって作業も必要だとも感じるわけさ…

犬塚ヒカリさんのラジオ『YUGURE radio』(https://anchor.fm/yugureradio)で自分が紹介した曲のリンクを貼っておきました。
どなたかが聴いてくれて、気に入った曲でもあったりしたら嬉しいなあ。

もっと細かくやったらめちゃマニアックにいけるけど、節度を保ち(笑)このくらいで。
BUGY CRAXONEどなたか行きませう。


米米CLUB『浪漫飛行』(1990)



SING LIKE TALKING『Spirit Of Love』(1995)

(映像は後年のもの)


柿原朱美『I Was Seventeen』(1992)



モーニング娘。『Memory 青春の光』(1999)



BUGY CRAXONE『罪のしずく』(1999)



1980年代
PRINCESS PRINCESS『SHE』


REBECCA『Super Girl』
https://youtu.be/qJzAmQpjBcY


2000年代
wyolica『さあいこう』(2000年)


拝郷メイコ『トマトスープ』(2002年)



2010年代
玲里『JOY』(2011年)



Drop's『さらば青春』(2014年)



BUGY CRAXONE『ふぁいとSONG』(2018年)

ちょっと調べ物をしていて、辿っている途中でたまたま松田樹利亜さんのwikiを見る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%A8%B9%E5%88%A9%E4%BA%9C

そしたら
「1997年レコード会社をエイベックス系のcutting edgeへ移籍し、本人選曲のベストアルバム『1494 〜Julia's Best Selection〜』を発表。その後もシングルやアルバムを発表するが、所属プロダクションとの確執やレコード会社移籍問題(移籍予定先だったzetimaにおいて名義変更を強要されたことから、移籍まで至らず、ベストアルバムがジュリア(松田樹利亜)名義で発売されたのみ)」
の記述を見かける。

これなんでしょうね?
該当するアルバムは1999年11月10日発売の『SINGLES』というアルバム。
ジャケットは「JULIA MAZDA」名義になっているので、どうも名義変更というのがよく分からないなあ。

それとwikiの記述だけを見ると芸能事務所と音楽レーベルとしての事務所が区別なくごちゃごちゃになってる感じで整合性がとれない。

しかも<レコード会社が>「移籍にまで至らない」のに、至らない先で発売してるのが訳が分からず…

これって松田さんがレコード会社をエイベックス系のcutting edgeからアップフロント系のzetimaへ移籍して、その先、芸能事務所もアップフロントに移籍しようとしていたら名義変更を強要されたから<芸能事務所移籍は>実現しなかったってことなんですかね?

で、そちらがダメになったから音楽レーベルとしてのzetimaも辞めたと。

想像するとこんな感じになるんですが、どうなんでしょうね?
もう20年以上前だけど、どなたか知っていたら教えてくださいまし。



話としてややこしいのはアップフロントってのは音楽レーベルを展開する事務所でもあること(この点はエイベックスも同じ)。

前回書いた90年代後半に入って森高さんが活動を少し抑えたという話。

デビュー時からワーナー・パイオニア系レーベルに所属していた森高さん。
1993年からはワーナーとアップフロントの合弁会社であるワン・アップ・ミュージックに所属していた。
1995年にワーナー資本が撤退。ワンアップはアップフロントの完全子会社に。
1998年にワンアップとアップフロント系のY.J.サウンズが合併してzetimaが設立。

Y.J.サウンズってのは名前を見ればわかる通りかつて堀内孝雄氏やばんばひろふみ氏らが所属していたヤングジャパンという芸能事務所が源流。

この95年のワーナーの資本撤退というのが90年代後半の森高さんのプロモーション活動が落ち着いてしまった原因のような気はする(想像ね)。

谷村有美さん(ヤングジャパン系)が1998年に活動休止していて、99年には森高さんも活動休止。

で最初に戻って松田さんの99年の移籍話。
当時のガールポップの流れで言うと、なんとなく意図が見え隠れしてくるような…

時系列的にちょっとずれるので関係ないとは思うが松浦亜弥さん(2000年からアップフロント所属)の名前と漢字が被るのもけっこう気になったり。

この辺もう少し整理すれば1999年の話の続きを書けるかもしれないな。

あれの続きを読みたいという声をもらうこともあるけど、情報が断片的過ぎて話繋がっていかないんよね。

また考えます(笑)

ここには何回も書いてきたけど、楽曲を聴くときに編曲に注目して聴くようになったのは20年前のテキストサイトをやっていた頃の隣人さんたちの影響。

具体的に言えば、モーニング娘。とハロプロ(当時はハロプロという言葉はそこまで浸透していなかったが)の作詞作曲はつんく氏が一手に担っているが、編曲者は違うので編曲者によっての違いを見出そうというのがそもそもの始まりだったりする。

まあ音楽好きな人たちが集まった中で、つんく氏の話だけじゃつまらないからちょっと違う方向から掘ってみようか、そんなことだと思う。



初期のモーニング娘。の編曲に関わっていたのは森高千里さんのバンドメンバーの面々。

森高さんは芸能事務所・アップフロントエージェンシー(1999年当時・現アップフロントワークス)所属、90年代前半に音楽シーンを席捲したが90年代後半に入ると活動としては少し落ち着いていた。

モーニング娘。は1997年のテレビ東京『ASAYAN』のロックボーカリストオーディションを経て結成、アップフロントに所属することになる。

こうした経緯から森高さんの制作チームがモーニング娘。の制作に回ったと考えるのが構図としては分かりやすい。

つんく氏がまだ楽曲量産体制を整える前の話でDTMに不慣れだったことも理由の一つだろう。結果、当時のモーニング娘。楽曲には森高バンドの面々の生音が入ることとなった。

モーニング娘。とハロプロ初期の楽曲に多く携わった前嶋康明氏、高橋諭一氏、河野伸氏は皆森高制作チームの一員だ。
このメンバーに小西貴雄氏、鈴木俊介氏を加えると最初期の頃の楽曲はほぼほぼカバーできる。(何曲か例外はあるけれど))



前嶋康明氏
オルケスタ・デ・ラ・ルスのオリジナルメンバー。
森高千里バンドのキーボーディストでバンマスを務めていた。

主な編曲
モーニング娘。『サマーナイトタウン』『抱いてHOLD ON ME!』『Memory 青春の光』『Good Morning』『さみしい日』『おねがいネイル』『NIGHT OF TOKYO CITY』
山下智久『抱いてセニョリータ』
つりビット『バニラな空』『踊ろよ、フィッシュ』

初期のモーニング娘。ヒット曲を手がけた前嶋さん(2nd、3rd、4th)。イントロの名手で明るい曲でもどこか切ないようなポイントがあると思う。編曲の領域がどこまでか分からないが、コーラスの入れ方は前嶋さん担当曲だと本当に綺麗。

『NIGHT OF TOKYO CITY』(動画はOBのドリームモーニング娘。)


『さみしい日』(1999.4.18)

この時のキーボード弾いてるのは前嶋さんなのかな?(もう記憶定かならず)



高橋諭一氏
村下孝蔵氏のバックコーラスに始まり、森高千里バンドのギタリスト。アップフロントのライブのギタリストと言ったらこの方。森高さんの活動再開後はバンマスに。

どちらかといえばオーソドックスで目立たない編曲を手がける高橋さん。これはもちろん誉め言葉であって、ベーシックな部分を担えるのが高橋さん編曲だと思う。


主な編曲
モーニング娘。『A MEMORY OF SUMMER '98』『どうにかして土曜日』『ウソつきあんた』『せんこう花火』『シャボン玉』
カントリー娘。多数
より子。『ほんとはね。』(より子。との共編曲)
ソニン『ジグソーパズル』

『せんこう花火』




河野伸氏
キーボーディスト、森高千里バンドのメンバー。
その後、中島美嘉バンドのバンマスを長く務める。
アンジェラ・アキ、Crystal Kay、RIP SLYME、m-flo、坂本真綾らジャンルに関わらず数々のアーティストの編曲を担当。

R&Bに始まり、流れるようなピアノアレンジとストリングスアレンジが特徴。テレビドラマのBGM作曲者としても引っ張りだこに。


主な編曲
モーニング娘。『真夏の光線』『乙女の心理学』
モーニング娘。20th『タネはツバサ』
タンポポ『Motto』
黄色5『黄色いお空でBOOM BOOM BOOM』
太陽とシスコムーン『宇宙でLaTaTa』
ZYX『行くZYX! FLY HIGH』
テレビドラマサウンドトラック『世界の中心で、愛をさけぶ』『おっさんずラブ』(作・編曲)


タンポポ『Motto』



中島美嘉 - 雪の華 / THE FIRST TAKE

ピアノを弾いているのが河野さん


朔と亜紀 (ドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」サウンドトラック)




鈴木俊介氏
ギタリスト。初期からずっと現在もなおハロプロ楽曲の編曲に携わる。

アレンジはロック、ジャズ、ファンク寄り。なんと言ってもカッコいいギターフレーズが耳に残る。ベースラインを効かせた曲も多く、自分が編曲を気にするようになったのはこの方の存在が大きい。

主な編曲
モーニング娘。『好きで×5』『ダディドゥデドダディ!』『21世紀』『インスピレーション!』『でっかい宇宙に愛がある』『浪漫 〜MY DEAR BOY〜』
『泡沫サタデーナイト!』
モーニング娘。おとめ組『愛の園 〜Touch My Heart!〜』
安倍なつみ『トウモロコシと空と風』
タンポポ『わかってないじゃない』
COLOR『Stay with me』
樋井明日香『たったひとりの君』


モーニング娘。『ダディドゥデドダディ!』



モーニング娘。『インスピレーション!』



タンポポ『わかってないじゃない』(石黒ソロ)





小西貴雄氏。
キーボーディスト。
中西圭三氏との作曲活動を経てアレンジャーとして活躍。

小西さんは明るい曲、ロック寄りの曲、バラード、おちゃらけた曲、なんでもこなす万能アレンジャー。
『ふるさと』と『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』と『ロマンスの神様』と『Woman』がまさか同じ編曲者だとは思わないよな…


主な編曲
モーニング娘。『Never Forget』『ふるさと』『忘れらんない』『愛車 ローンで』『Say Yeah! -もっとミラクルナイト-』『愛あらばIT'S ALL RIGHT』
タンポポ『ラストキッス』『愛の唄』『たんぽぽ (Single Version)』『ONE STEP』『聖なる鐘がひびく夜』
太陽とシスコムーン『月と太陽』
中澤裕子『悔し涙 ぽろり』
プッチモニ『BABY! 恋にKNOCK OUT!』
ミニモニ。『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』『ミニモニ。テレフォン! リンリンリン』
松浦亜弥『100回のKISS』
Berryz工房『21時までのシンデレラ』
EE JUMP『おっととっと夏だぜ!』
中西圭三『Woman』(遠山淳と共編曲)
広瀬香美『ロマンスの神様』
ブラックビスケッツ『Timing』


タンポポ『ONE STEP』




この初期のアレンジャーたちの体制に変革をもたらしたのが1999年夏のダンス☆マンの登場だ。
『LOVEマシーン』『恋のダンスサイト』『八ッピーサマーウェディング』『恋愛レボリューション21』『ザ☆ピ〜ス!』と立て続けにヒット曲の編曲を担当。
基本はファンクミュージックながらもお祭りソング的な色は強くなり、結果として初期アレンジャーたちは徐々に離れ、モーニング娘。の音楽性も初期とはまったく違う路線に変わっていった。

モーニング娘。『LOVEマシーン』


モーニング娘。『DANCEするのだ!』(ダンス☆マン編曲)

この曲もベースラインかっこいいよね。


2000年代に入り、つんく氏の楽曲量産体制が整ったこと、ヒット曲の連発により初期投資の回収が終わったこと、『ASAYAN』の番組制作体制が変わり関係性が薄くなったこと、そしてこの初期編曲者たちが離れたこと(ダンス☆マンも離れるんだけどね)、色んな事が重なっていって2002年夏のハロマゲドンに繋がっていくのだと思うが、またそれは別の話…

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