Submarine Dog

カテゴリ: 散歩道

*2の更新に
「ASAYANに多くの女の子が“夢”を求めた」
とコメントをいただいて、ASAYANが果たしていた意味を改めて考えさせられた。

スポンサーに影響されたり過度な演出はあったものの、たしかにあそこには“夢”があった。オーディションを受けにきた多くの女の子たちは芸能界に憧れ、いつか安室奈美恵やSPEEDのようになることを本気で夢見ていた。

そして夢を求める女の子たちを含む視聴者は、努力と悪戦苦闘、わずかなチャンスを見事に掴んで夢をかなえた子に感動し、夢破れた数多くのチャレンジャーに共感し共に悲しんでいた。

そうした多くの人たちの夢や思いを背負ってモーニング娘。や鈴木亜美はASAYANから誕生していった。

いつか人の心に届くような歌手になりたい、
新しい人生を切り開きたい、
華やかな芸能界という世界で生きてみたい、

数多くの願いはあれど、そこには活力と希望あふれる共通した“夢”があったんだと思う。
そしてその中心にモーニング娘。はいた…

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シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが告知されたのは1997年4月のこと。

最初はシャ乱Qがプロデュースすることは伏せられ、シャ乱Qのチーフマネージャーだった和田さんが夏頃にデビューする女性ボーカリストを求めていると告知した。





スタジオにシャ乱Qが登場した時に、はたけが責任者、しゅうが衣装担当ということが判明。実質的にはシャ乱Qのメンバーは番組のことをよく分かっていない感じで、和田さんが取ってきた仕事の内の一つという感じだったように思う。

4月13日には福岡オーディションが始まり、5月3日には東京オーディションに福田明日香が参加している。

小学生の頃はちょっとつらい時代もあったりした明日香が、心機一転して中学ではブラスバンド部に入りドラムを叩いて学校生活が楽しくなりはじめた時だった。この時に書いた履歴書、これに載せる写真を撮るためにした化粧が明日香が自分で初めてしたメイクだった。鏡の中の自分を見て「あぁ、これで矢は放たれた」と明日香は思ったそうだ。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションには事前の書類審査がなくて、東京オーディションの会場には5000人の女性が詰めかけていた。明日香の言によるとテレビ東京に向かう電車の中はそれらしい人でいっぱいだったらしい。会場では和田さんが来場者を食い入るように物色していた。

明日香のところにはその日の夜のうちにASAYANのスタッフから電話がかかってきて、一次審査の合格と初めての歌審査が5月5日に行われるということが知らされる。明日香は家のカラオケで練習を積み、時には父親に英語の発音をアドバイスされたりしながら、その日を迎えることになった。

ここからが明日香の伝説の始まりで、2次審査の相川七瀬『BREAK OUT』、スタジオ審査で歌った安室奈美恵『Body Feels EXIT』、工藤静香『激情』で鮮烈な印象を残していくことになる。あいにくYoutubeに映像がないみたいなので載せないが、特に『激情』は機会があったらぜひとも聴いていただきたいなと思う。ただそのおかげで明日香には『BREAK OUT』の時から「ホントに12歳なの?」疑惑が付きまとうことになったが(笑 オーディション担当のスタッフからも相当しつこく聞かれたらしい。

このオーディション当時の明日香の心境は『もうひとりの明日香』に載っているが、この時のオーディションに対する捉え方、取り組み方にものすごく明日香独特の感性が出ていて面白い。後になっちが『ALBUM1998-2003』で触れているスカートコンプレックスのことや、自分をアイドルとして見ることへの疑問が率直な気持ちで書かれている。

…そして東京予選で明日香は「つんく一推し」の評価を得て、河村理沙・兜森雅代と共に最終予選へとコマを進めることになる。


<つづく>

前回に引き続きモーニング娘。前史のことを。

1996年4月の時点でのモーニング娘。のオリジナルメンバー5人の年齢は以下の通り(シャ乱Qロックボーカリストオーディションは97年)。

中澤裕子(22) OL
石黒彩(17)  高校3年生
飯田圭織(14) 中学3年生
安倍なつみ(14)中学3年生
福田明日香(11)小学6年生

姐さんは大阪でOLとして働き始めて5回目の春。
上阪後の寮生活を経て一人暮らしにも慣れ、徐々に敷かれたレールが見えてきてしまい違う世界への冒険を夢見る日々。

彩っぺは高校1年の時にベースを買ってもらって以来バンド活動まっしぐら。しかもビジュアル系。札幌市内のライブハウスで歌っていたこともある。5月にASAYANの札幌オーディションに参加して予選を突破、東京のスタジオ審査にまで進んだものの落選。落選後、自分の写るASAYAの放送を見てダイエットを決意する。このオーディションって佐々木祐子が勝ち進んだやつだっけ?

カオリは7月のASAYAN札幌予選に『Body Feels EXIT』を歌って参加。「小室さんの彼女にしてください」の迷言を残すも本戦出場ならず。95年にはSONYのアルカリ乾電池のパッケージのモデルを務めたりもしたので、芸能界への志向は元々かなり強かったんだと思う。

なっちは中1の時にラジオから流れてきた『小さな頃』を聴いて立ち直ってからは歌手を夢見る少女となる。オーディションに参加するのは高校生になってからと親から言われ、そのときを待ち望む日々。この年のASAYANに参加しなかったのは結果論で考えればものすごく幸運だったと言えるかも。

明日香は家のカラオケで歌いこむ毎日と、あとはモダンバレエを習ったりする日々。この年に劇団に所属するものの目立った活動はせずに翌年のASAYANオーディションを迎える。家出経験があったり友達の家で裏○○○を見たり、なかなかやんちゃな小学生時代の真っただ中。

ちなみにハロプロキッズ最年少・萩原舞はこの年の2月生まれ。SKE48最年少にしてセンターに立つ松井珠理奈はまだ生まれていない。そりゃ世代の格差があるわけだ(笑

矢口は最近よくテレビ番組で披露している「自分がかわいいと思う写真」の中学2年生の頃。96年4月期のドラマ『みにくいアヒルの子』のオーディションに小学生役で受けるも落選。このドラマの岸谷五朗演じる主人公が自らのことを「おいら」と呼んでいたことから、後に矢口も自分のことを「おいら」と呼ぶようになる。

平家さんは高校2年。中華料理店でアルバイト中。ロックボーカリストオーディションの前にもASAYANで数回オーディションを受けていたというから、おそらくは96年のいずれかの大阪か名古屋の予選に参加しているはず。中1の紗耶香も96年当時からASAYANオーディションを受けていたが書類選考の段階であえなく落選。

高校1年生だった圭ちゃんはたぶんこの頃はコンビニで週5日のバイト中。メッシュ、カラコン、ルーズソックスのコギャル全盛時代。その後モーニング娘。加入までにヨーカ堂→CASA→マクドナルドとバイトを渡り歩いたらしく、けっこういまどきな感じのする高校生だったのかな。

その他、モーニング娘。以外のメンバーでは、りんねは広島の高校で、ソニンは神戸の中学でそれぞれ寮生活しており、親元を離れた厳しい環境で学生生活をしている。
公に芸能活動していたのは稲葉さんが大阪パフォーマンスドールとして活動していたくらい。


シャ乱Qロックボーカリストオーディションが始まる前の、つまりはハロープロジェクトの歴史が始まる前の1996年とはこんな時代だった。

当然今に繋がるモーニング娘。やハロプロがあるなんて誰もが思うはずもなく、つんくがプロデューサーとして名前を売るとも思ってなかった時代。こうして振り返ってみると、ASAYANそのものが求心力を持って時代と共に歩んでいたんだなと思う。「夢のオーディションバラエティ」とは言い得て妙だったんだなぁと…

来春にハロープロジェクトから年長メンバーが卒業するということで、自分自身でも区切りをつけるために何かやろうかなと思ったのですが、これがなかなか難しい。年表は作成途中、考察系のものも完結していない、小説は需要があるんだかないんだか分からない(笑、そんな状態なので何か新しい企画をと思っても、完結させる自信がなくて(汗

そこで何か気負わずに済むことやろうと思い、ぼちぼちとハロプロの歴史でも振り返っていこうかなあと思っています。考察でも懐古でもなくて、単に回顧してみようかなと。どこで終わりってことも決めないし、長文を書く気もないので気軽に付き合っていただければと思います。

こういう機会がないと忘れてしまっていることもいっぱいある気がしますね。youtubeからもちょうどいい映像があれば引用しようと思います。


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まずは初日ってことで娘。前史から。
やっぱりASAYAN抜きには語れないでしょ。



最初にどばーっとASAYAN映像が出てくるのだけど、これが面白いこと面白いこと。

圭ちゃんのマックでのバイト姿や
明日香ファンの男子モデルの泉君
ファッションデザイナーのごあきうえ
カオリのロボットダンスまでちょっとだけ写っている。

しかもこれを見ていて太シスメンバーのゴスペル修行が信田さんだったことも確認できた。メンフィス行ってやってたんだなぁ。

後半部分の「中澤号泣」シーン、思いっきり「社長の意向」ってナレーションが入ってます(笑 まあでもこの時に姐さんが演歌を拒否していたらまったく違うグループ史になったと思う。本能寺の変くらいハロプロにとってはターニングポイントの出来事なり。

ここで姐さんが演歌やらなかったらこの年のモーニング娘。の解散の流れはもっと強くなっていたんじゃないかなー、なんて考えも(笑


さて、このASAYAN。
これがいつ始まったかというと前身の『浅草橋ヤング洋品店』を『ASAYAN』にリニューアルしたのが1995年10月のこと。前半部を従来通りの浅草橋ヤング洋品店のコーナー、後半部にオーディションコーナー「コムロギャルソン」を新設して始まった。

「コムロギャルソン」の司会はナインティナインと永作博美が務め、川平慈英がナレーションを担当。公開録画という形で、毎回スタジオには女子高生を中心に多くの女性を観客として入れていた。たしか最初の頃は川平慈英もスタジオにいてナレーションしてたと思う。

最初に行ったオーディションが今話題のdosを輩出したオーディションで、このオーディションから他には松澤由美が大成した。その後は天方直実を輩出した久保こーじのオーディションがあって…ってあたりまでは覚えているが、池脇千鶴を輩出した三井のリハウスCMオーディションや、ラモスが監修し柏レイソルや大宮アルディージャで活躍した岡山一成を生んだJリーガーオーディション等の順番はまったく覚えてない。

というのも、1996年4月にはASAYANが「夢のオーディションバラエティ」としてオーディション企画だけの1時間番組となり、複数のオーディションが並行して行われるようになったのだ。

その後、L☆ISや亜波根綾乃がメジャーデビューし、コムロオーディションの落選者たちを集めたデビュー予備軍・AISが結成された。その中から華原朋美の再来との呼び声も高かった佐々木祐子や、後にshelaとして活動する大泉めぐみ、岡村のことが大好きだった石井ゆきらがデビュー。AISの中ではたぐっつぁんと北海道の岡田幸絵さんが好きだったなー。

97年前半、AISの中でデビュー出来なかった片桐華子と田口理恵、大櫛江里加の3人でSay a Little Prayerを結成。デビューする条件として1店舗で10日間で1万枚売ることを課される。これを彼女たちは2日間で達成してしまうのだが、これが後にモーニング娘。デビューに向けての手売り企画にも用いられることになる。つまり97年の前半にASAYANで活躍していたSay a Little Prayerの企画がなければ、娘。の企画も生まれなかったということ。

また97末〜98年の前半にはエイベックスのMAX松浦主催の乱発オーディションを開催。中村友理(YURIMARI) やmoveの益田祐里を輩出。このオーディションは最後の方はグダグダになってた記憶がある。

ちなみにSay a Little Prayerの大櫛さんは休業後大学に行って、後に芸能界復帰。スフィアリーグの南葛で活躍したこともある。現在は和田さんの盟友であり篠原ともえを育てた榊マネージャの下でタレント活動中。大櫛さんはASAYANの会場に観覧に来ていたところをオーディションにスカウトされたって面でも異色だった。当時の歌唱力は道重さんも真っ青って感じだったけど、彼女は急速に上手くなっていった記憶があるなあ。あのときボイトレやってた先生は誰だったかな…?

…で、Say a Little Prayerの活動が盛り上がっている頃に、シャ乱Qのチーフマネージャーをしていた和田さんがASAYANの中でオーディションの告知をかけることになるのだった…と。

ざっと記憶をたどっていくとこんなところかな。
L☆ISの胡桃沢ひろこや菅原晶子、CM企画の樋口明日香なんて面々もいたなあ、なんて思い出しながら、以下の動画でも(笑

亜波根綾乃『プリズム』


Say a Little Prayer『a day』


今見ても亜波根さんは逸材だったと思うなー。
セイアは今でも3人の交流が続いているみたいで、それがうれしかったり…

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