Submarine Dog

カテゴリ: 雑記

そうだ思い出した。
スマホからだとヘッダーに書いてあるこの文章が読めないことを思い出して、記事の方で一回載せておこうと思ってたんだ。

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最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
いけだや
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

このブログは2002年から続いているものです。
書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

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モーニング娘。テキストサイトから始まっている(厳密に言えばもっと前から文章書いているのだが)このサイト、読み返せばいろいろとアウトな部分もあるのだろうけど、今さら引っくり返して自分で探して直せないのでそのままにしてあります。

いまだに過去記事にそこそこアクセスはあるので、読んだ人からクレーム来たらその時考えます(苦笑


さやプロの真里さんが活動23年にして「推し活」の「終活」されるとのことで年内いっぱいでのサイト閉鎖を発表しました。自分のところも先を考えていかなきゃいけない時期に来ているのかもしれませんね。

自分のところはもう何年も関係ないことを書いているブログなので一概には言えないのですが、自分の持ってる資料的な部分はどこかに引き継いで欲しいなあとは思っています。
『いつか来た道』とかどれだけ資料引っくり返してまとめたことかと 笑
そのおかげで記憶が薄れないという恩恵には預かっているのですがね。

それから、何年か前に年表作成プロジェクトを立ち上げたのだけど、やっぱり時間が取れないし、あとサイトの維持という根本的な部分で見通しが立たず中途半端なままになっています。これはもうどうにもならない感じかな。

そういうことで、ただ閉じずにダラダラと続けている感はありますが、自分のところはもうちょっとこのままかな…

今のところツイッターが常用ツール的な感じなので、何かありましたらフォロー、連絡よろしくお願いします。

まあもう今さら記事書いてという話もないと思うけども 笑

別に暗い話ではない。

母が亡くなって5年。

心の痛みもなくなって、ようやく写真やら日記やら思い出の詰まった遺品を見ても平静を保てるようになった。

もちろん思い出せば悲しいし、いろんなことが蘇るが、淡々と日常は過ぎている。

それこそ最初の2年くらいは日常の買い物から何からすべてが悲しかった。

2008年か09年に母が帯状疱疹で倒れてから生活変わって、そこから10年いろんな病気になりつつ一緒に過ごしたので(世話をしたという書き方はなんかイヤ)、そりゃね、すぐ悲しみは癒えませんわ。

でも5年経つとね、毎日は思い出さなくなるし、日々の生活に追われて徐々に忘れていく。

忘れていくことが前は怖かったし、なんとなく罪悪感を感じることではあったのだが、今はそうした思いもなくなった。

なんとか心は壊れなかったし、ある意味コロナ禍での人との距離の開き方がちょうどいい感じにいろんなことを忘れさせてくれたのかもしれない。


旅立ちの日
http://submarinedog.livedoor.biz/archives/52691279.html


5年前、病院から帰ってきて、よく書いたなと思う。

まあでも記しておいて良かった。
思い出すまいとしていた時期が長かったから、大まかな流れも本当に忘れてしまうところだった。

一文でも記しておけば旅行したことや病気の進行状況とかの思い出の引き出しが開いてくれる。

楽しいことも悲しいことも思い出として蘇るようになったことに5年の歳月を感じた母の日。

母の日と命日が近くて、毎年この悲しみが掘り起こされるのかと思っていたが、今は逆に近くて良かったなと思う。
この先も忘れないで毎年迎えられるから。



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また何か違う話題で近々に投稿したいと思います。
お題あれば受け付けます(たぶんないけど 笑
娘。さんのことでも、アイドル界隈のことでも、インディーズ方面でも、ロックでも、プロデュースや編曲方面のことでも、知らないことをお題としてくれたら勉強も出来るのでそれもまた楽し。

やっぱりさ、経験と蓄積でしか語れなくなってきているので、新しいものに触れて吸収するって作業も必要だとも感じるわけさ…

さて、このサイトはモーニング娘。テキストサイトの生き残りと言っても、もうほぼモーニング娘。のことは語らない 笑
ライブを見に行ったのもチケットを譲ってもらった8年くらい前だろうか。
その前もその8年くらい前だから(さいたまスーパーアリーナだったかな?)、、まあ2004年くらいから時が止まってる自分は浦島太郎状態極まりない。

もう現在のメンバー構成もハロプロのグループ構成もさっぱり分からない。
ツイッターでそっち関係のフォローさんもいるので情報はたまに入ってくるが、あだ名呼びされるとまったく誰のことか分からない感じになっている。

そもそもがライブの生バンドの音(弾き語り等も含む)が好きで現場に足を運んでいるようなものなので、収録音源のライブはあまり好きではないんだよね。

もちろんこれは収録音源のライブを否定しているのではなく、好みの問題。
オケ使ったライブを見て「イイ!」と感じることもあるし、生バンドでも「ん?」と思うことなんてしょっちゅうある。


そういえば昔「生演奏」について書いたことがあったなと思い出す。

『生演奏は正義か?』2014年12月10日
http://submarinedog.livedoor.biz/archives/52561685.html

これはテレビ番組での生演奏と口パクについて取り上げた話だけど、今読み返してみたらけっこう良いこと書いていたなと思ったので、読んでいただけたらうれしい。


アイドル現場にはほぼ足を運ばないが、楽曲や歌声の評価はまた別。
良い楽曲があれば素直に嬉しいし、時たま素晴らしいボーカルに出会うこともあって、それはこの上ない喜び。
売れてる売れてないとか、売れそうとか、そういうのは自分の心の内での評価とまったく関係ないし、アイドルやシンガーソングライターといった肩書きも、自分はまったく気にしていない。

そういう意味では本当に楽曲派で、女性ボーカリスト好きのただの変態です 笑

それと、今自分が通っているような小さいライブハウスで言えば、アーティストさんと良い関係が築ければなと思うけど(語弊がある言い方かも)、大きい会場で交流がまったくなくても自分は気にならない。

要は自分の好きな楽曲や声を見つけて、自分の好きな音楽聴いてたら幸せでしょ、と。

年を重ねてもその辺は自分から探し求めて吸収していきたいもの。
思い出でしか曲を聴かなくなったら、それは自分にとっては心の老化だと思うので…


あぁ、本当にただの雑記 笑

今日数年ぶりにこのサイトに自分でスマホからアクセスしてみて、「こんな風に見えていたのか!」と驚いた。
拍手ボタンとか、更新があったらLINEから通知とか、そんな機能付いてたのね。

ちなみにこのサイト、初期の頃はこのライブドアのブログは使っていなくて、コメントは掲示板をレンタルして使っていたので、その頃のコメントは失ってしまっている。初期のアクセスの多かった頃のテキストにコメントがないのはそれが理由。

掲示板でも話を展開していたから取っておきたかったんだけど、サービス終了でどうしようもなかったからなあ。テキストそのものは移管できたので2回ほど別レンタルに移籍している。

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さてさて。

『抱いてHOLD ON ME!』




を見ていたら『Memory 青春の光』も見たくなって。



この動画のコメント欄見ていたらなんだか泣けてきた。

当時はあまり評価されなかったこの曲が20年以上の時を経て評価されているのを見て。

今見ても思うよ、彼女たちが成長してさらに実力をつけてこの歌を歌ったらどうなったんだろうって。

もし『LOVEマシーン』で完全なアイドル路線にシフトしなかったら、増員しないで解散の道を選んで、ときたま集まるグループになっていたら、そんなことを考えるけど、今の世界こそが収まるところに収まった形でもあると思うので・・・

まあでも思い出すんだよね、この曲が完成してはしゃぎまくって新年会で仲間芸人に自慢しまくったつんく氏のエピソードとか、安倍さん(なっち)がずっとこの曲を好きで『LOVEマシーン』以降の世界線になってもこの時のコンサートが好きと言っていたことや、そんなことをね。

自分も「アイドル的な」という括りで言えば、この曲より好きな曲はないな。
楽曲そのものの完成度(何しろこの曲だけ向こうのバックミュージシャン使ってニューヨークでトラックダウンしたりしている)、メンバーの思い入れ、そして最後の生バンドライブ、いろんな感情が重なってこの曲への思いを作っている。

あれから20年経っても1999年に発売された
モーニング娘。『セカンドモーニング』
タンポポ『TANPOPO 1』
太陽とシスコムーン『Taiyo & Ciscomoon 1』
の3作品は色褪せない名盤だね。
この年のつんく氏は本当に凄かった・・・


今回は思いっきり主観で楽曲の思い出話でした。また。

前回から続いて。


第一は福田さんの帰りを待っていたからなんだろうな。
いつか『Memory青春の光』の頃の8人で歌う日を。
ずっとそれを夢見ていたから。

他にも待っていた方もいたし、一応初期8人に特化して書いてる点では界隈の中ではそれなりに自負もあったので閉めるわけにはいかないなという思いもあった。

それは現状にも近いものがあるかもしれない。
おそらくこのブログを閉じると失われる情報はかなりあると思っている。
断片的に拾っていけるかもしれないけど、まとめてあるのはほとんどない。
そしてそれらを今さら繋げていく作業はもう出来ない。
当時徹底的に得られる情報拾ってまとめ上げたが、それはもう無理な話だと思う。

ま、失われたところで大したことないよと言われればそうなのだが、歴史修正主義宜しくあの頃の歴史を今に都合の良い様に使われるのは許せないので資料として残しておきたい。いわば当時のままの「一次資料」なので。

表向きはこの「福田さん待ち」と「資料残し」の2点が続けた理由だろう。


じゃあ裏向きはといえば・・・

たぶん自分の中で「いけだや」という人格が息抜きになっていったのだと思う。
自分はオタバレしないで一般生活を送っていたので、思ったことを書ける「いけだや」という存在が自分の中で楽だった。
例えば先に挙げた資料整理的なことは興味ない人にはまったく理解されないこと。しかし「いけだや」としてはそれを必要とする人に出会える。

無であるものが無でなくなる喜び。心の内はそういうことなんだろうなと。


それから、長年書き続けたことで、だいたいの性格・思考・嗜好を前提として理解してもらえている「いけだや」を消す勇気が自分にはなかったな。
名前を変えて、また一からというのは面倒でもあった。

それがこのブログと「いけだや」を続けた裏の理由だと思う。

まあ、まさかさ、『ASAYAN』のシャ乱Qロックボーカリストオーディション(モーニング娘。オリジナルメンバー5人を輩出したオーディションね)の最終予選の寺合宿の近所にあったお団子屋さんの名前で20年も続けるとは思わなかったけどね 笑

最初は本当に書き捨てのつもりでこの名前使ったから、まさかこんな付き合いになるとはね。

近年だとライブ行く時でもこの名前を使っているので、もう今さら変えられないだろうな。もはや屋号みたいなもの。
何かお店でもやりますか 笑

このサイトを開いてから20年。
更新もめっきりしなくなりました。
なんとか細々と生きております、いけだやです。

コメントも久しぶりにカキコがあって、ちょっと書く気が盛り上がりました。
過去の様にシリーズものとはいかないと思いますが、せっかくですから何でもいいから今月は書いておこうかと思います。

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改めて自己紹介っぽいもの。

このサイトはモーニング娘。のテキストサイトの生き残り。
界隈の端っこで細々とやっていて、回りがどんどんいなくなり結果として残ってしまった、そんな場所。

始めた頃のモーニング娘。テキストサイトの界隈は、サブカルに強く、あちこちから猛者が集い、清濁併せ持ち、時には大きなうねりを、時には荒れたり、今となって振り返ってみればとても面白い世界だったと思う。

テキスト界隈+巨大掲示板+大手サイト+ASAYAN掲示板+個人ファンサイト
この5つに多くの人が集まり、モーニング娘。以外の話も夜な夜な繰り広げられていた。2002年前後の話*1

自分も巨大掲示板の方から流れて他で書いたり、とある物語を数本書いたり、そんな中でのこのサイトの開設だった。

当時は「ブログ」という言葉もなかった。
ただ単に「日記」とかテキストとか、そんなんだったんじゃないかな。

そもそもがSNSという概念もなくて、ブログという提供ツールもなくて、自分でサイトを組み上げて、今よりも投稿のハードルが格段に高かった。そこを超えてもやりたい人たちが集まっていたのだから、そりゃ面白いはずだよなと。

当時からウチは懐古厨扱いだった(笑)
『LOVEマシーン』以降の黄金期ブームに乗らず、それ以前の『Memory青春の光』を始めとしたコーラス重視の音楽を求めていたので、そりゃ煙たく感じる人も多かったと思う。

まあでもはっきりと音楽的な好みは出していたので、所謂アイドル本位というよりは楽曲本位の方たちとの交流は楽しかったな。
楽曲の見方はこの頃に培われたといってもいいくらい。編曲に注目して見るようになったのは間違いなくこの頃の影響。

数年経った頃にはどこかで「楽曲派」というレッテルを貼られることにもなった(笑)
今では「楽曲派」がどういう扱いになっているのか分からないが、当時はマイナスなイメージも強かった。

そりゃモーニング娘。を全肯定で応援している人たちにとってみれば、気に入らない楽曲だと「ああだこうだ」言っているのはイチャモンつけているようにしか感じないだろうなと。

えぇ、当時の方々スミマセン。
あの頃はけっこう好き放題言わせていただきました(笑)

安倍なつみさんが卒業する2004年くらいが自分の更新意欲的にもアクセス数的にもピークだったのかな。
安倍さん卒業前後くらいはカウンターが1万/日くらい動いててちょっと怖かったことを覚えている。いやいやウチは端っこですからって。これで有名どころだったらどれくらい動いてたのよ。

マザーシップと言われた安倍さんが抜けて、彼女をなんとなく物語の中心として見ていた*2自分も少し燃え尽きたのかな。
好きだったサイトの方もどんどん更新休止されてね、最初の頃の楽しさというのは正直失いつつあったと思う。

でも自分は辞めなかったんだよな、なんでだか分からないけど。



それを考えつつ、長くなったのでこのまま次回へ続ける・・・

マジで取って出し更新なので(笑)


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*1 2001年くらいから2005年くらいが盛り上がりの中心ですかね?
*2 福田さんが抜けた後のね。

日常は普通に過ぎていく。
気持ち的にも復活しているように思う。

が、時としてどうしようもなく悲しくなる。
毎日のように通った散歩道を通り過ぎる時、好きだったお菓子を見かけた時、そんなちょっとしたことで人はいろんなことを思い出してしまうのだなと実感している。


さて、それはさておき・・・

こちらには書いていなかったので。
先月は柳原尋美さんのお墓参りにも行ってきた。

19年の歳月が過ぎ、あの頃一緒に活動していたモーニング娘。のメンバーたちは今年は20周年を祝っている。

別の時間の流れ、時に「もしも」はないと分かっているが、もし彼女がいたらどうなっていたのだろうと思った。

ノスタルジーでも原理主義でもない、あったかもしれない現在を想像して彼女を想う。そんな19年目だった。

来年は20年。りんねや小林さん、ご両親とそのご家族、太田監督や三本木さん達当時の関係者、自分には測り知れない思いがあるだろうが、彼女と共にある人たちの思いを少しでも感じられればいいなと思う。

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