Submarine Dog

カテゴリ: ASAYAN

早めに今年2回目の更新(笑)

ここの更新は昔から文体を統一しないようにしているので、あんまり気にしないでください。「統一しないように」っていうよりも更新間隔があき過ぎて統一「できない」って方が本当かもしれませんが。


今回はASAYAN関係のことを少し。
つい先日ロンドンブーツの敦さんがASAYAN出身者と結婚したことでなんだかここのアクセス数も上がっていたみたいです。
ちなみにViVi専属モデルオーディションはASAYANの制作がワイズビジョンに移った後のオーディションなのでほとんど見ていません。そういえば同時期に放送していた『スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦』もワイズビジョンの制作でした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『ASAYAN』はテレビ東京で1995年10月から2002年3月まで放送されていた「夢のオーディションバラエティー」番組。
モーニング娘。やCHEMISTRY、EXILEのメンバーなど数多くの芸能人を輩出した。

初期の頃は番組後半部分がオーディションをやっていた「コムロギャルソン」のコーナーで、当時の小室哲哉人気もあって女子高生が観覧スタジオの大半を埋めていたことも印象的だった(観覧募集で限定していた可能性もあるが)。

司会はナインティナインの二人と永作博美さん、ナレーションに川平慈英氏。
その後永作さんが中山エミリさんと、川平さんが松尾貴史氏と交代。
初期の頃は川平さんが観覧スタジオで生ナレーションしていたこともあった。

スタッフはプロデューサーに吉本SSMの泉正隆氏、構成に都築浩氏、ディレクターにタカハタ秀太氏等。ASAYANの特徴ともいえる赤色を背景とした画面いっぱいのテロップ挿入やカット割りは全部彼らが作ったもの。2001年4月に制作サイドは入れ替えられ、その一年後に番組は終了。

収録は東京の砧にあるTMC(東京メディアシティ)で行われ、TMCは多局の番組でも多数使われていたので、そうした業界的な繋がりがASAYANの盛り上がりに一役買った側面もある。

視聴率は放送開始から順調に伸びていき、石黒彩さんが卒業を発表した1999年12月には20%を超えるにまでなっていた。



さてここからは2007年9月9日に書いた「ASAYAN大追跡。」をベースにしてちょっと情報を追ってみる。


(敬称略)
■制作陣


●泉正隆【ASAYANプロデューサー】(Submarine Dog:髪を切って
吉本SSM社長でASAYANのプロデューサー。ASAYANのモーニング娘。企画の中でメンバーたちに強いダメ出しをしていた方。番組上では一番怖かった人だったように思う。
吉本SSMはASAYAN以外でもハロプロとは多数の番組を作ってきた関係。また芸能事務所としても池脇千鶴や亜波根綾乃、小林幸恵らASAYAN出身者を抱えていた。
2011年4月に吉本SSMはよしもとクリエイティブ・エージェンシーに合併。泉氏も同社の代表取締役副社長に就任。
今年7月の岐阜新聞より。(話題づくり
ASAYANで見た頃より雰囲気が丸くなってる気がする。一時期はよしもとの反主流派の首領なんて話も見かけたが、今やすっかり主流!?


●タカハタ秀太【ASAYANディレクター】
初期のモーニング娘。ファンからは絶大な支持を得ていた。その理由はなんといっても2001年4月にNHK-BSで放送された中澤裕子の卒業特番によるところが大きいだろう。
本家ASAYANから締め出されたタカハタ氏ら旧ASAYAN制作陣はASAYANで培ったノウハウを存分に活かしてNHKで番組を制作。メンバーの心情・個性・歩みを分かった番組構成にファンは涙した。『LOVEマシーン』のPVのディレクターでもある。
その後はショートムービーやSMAP関連の映像を手がけ、アイドル方面ではAKB48の渡り廊下走り隊のアルバムの特典映像を作ったり、柏木由紀のドラマ『ミエリーノ柏木』で脚本・監督をしている。


●都築浩【ASAYAN構成・放送作家】
タカハタ秀太と同じくASAYAN信者にとっては神のような存在。現在でも引く手数多の放送作家。


●和田薫【シャ乱Qマネージャー→モーニング娘。マネージャー】
ASAYANでシャ乱Qロックボーカリストオーディションを企画・主導した一人。映像にもよく登場し、独特の引き笑いと特徴的なしゃべり方でモーニング娘。ファンにも人気があった。フジテレビの制作陣と強いパイプを持っており、テレビ出演のマネジメントにおいて大きな強みとなった。
2000年『恋のダンスサイト』発売後にモーニング娘。のマネージャーから外され、その後EE JUMPや福田明日香から紹介された高野頼子・THETAをマネジメント。現在は音楽関連の仕事からは手を引いた模様。安めぐみや優木まおみといったタレントを売れっ子に育てたものの結婚が相次ぎ、現在は次の展開を模索している段階か。


●夏まゆみ【ダンスレッスン担当】
シャ乱Qロックボーカリストオーディションで最終候補者のダンスレッスン、振り付けを担当。その後モーニング娘。企画においても同役を担当。
メンバーに対する厳しい指導、容赦ないダメ出しが番組名物となっていた。この企画が人気を博した理由の一つに夏先生のメンバーを追いこむ厳しい指導方法があったことは間違いない。
ただし本人はとても涙もろい人で、後年の「衣装担当の人などがメンバーと仲良くなっていくのがうらやましかった」(ニュアンス)といった発言からも分かるように、憎まれ役を買っていた面もある。しかし当時のメンバーとは絶大な信頼関係で結ばれ、お互い涙して再会することも多々あった。
2002年いわゆるハロマゲドンの後にハロプロ関係の仕事から離れ、その後AKB48の立ち上げに参加。メンバー選出や劇場作成、100曲近くの振り付けに携わる。1期生2期生と3期生の一部が加入してきたところまでダンス育成を担当しAKB関係の仕事からは離脱。2011年からドリームモニーニング娘。のコレオグラファーとして活躍。
アイドル関係以外の仕事も熱い情熱で多数こなしている。


●笠木新一【ボイストレーニング担当】
シャ乱Qロックボーカリストオーディションで最終候補者のボイストレーニングを担当。ダンスの夏先生と並ぶ鬼コーチぶりを発揮し恐怖のレッスンを最終候補者たちに行った。
2010年のモーニング娘。1期メンバーイベントの『M。-1ペンタゴン・トライアングル』のイベント特典映像の撮影で中澤・飯田・安倍と再会。鋭い目つきは変わらないものの優しい顔をメンバーたちに見せていた。現在もアンミュージックスクールにてボイストレーナーとして健在。


●きくち伸【フジテレビ音楽番組プロデューサー】
TMCによく出入りしていたフジテレビの音楽番組を担当するプロデューサー。ASAYAN放映時は『LOVE LOVEあいしてる』『MUSIC HAMMER』、フジが主催する音楽イベント等を手がけていた。
モーニング娘。のメンバーとはごく早い時期にTMCの喫茶「今昔庵」で引きあわされ、その後数多くの番組にモーニング娘。をゲストに呼んだ。モーニング娘。のマネージャー和田薫氏とはこれ以前からの盟友と呼べる仲。きくち氏の結婚式の司会も和田氏が担当した。しかも当時和田氏は事故で骨折していて松葉杖で式場に駆けつけたという。
『LOVEマシーン』のPVにフジテレビ社員にもかかわらず堂々と登場(テレ東で放映)。フジのバラエティ班(片岡飛鳥班)とも協力することが多く、『めちゃイケ』や『13人がかりのクリスマス』『新春かくし芸大会』等でモーニング娘。と関わった。
アイドル好きとしても知られ、特に音楽に軸足を寄せて活動しているアイドルは大好きである。安倍なつみにとって芸能活動の転機となった『チェインギャング』を歌える場を作ったり、復帰してきた市井紗耶香を応援したり、モーニング娘。の1期2期とは深い絆が見えた。
現在はフジテレビ編成制作局バラエティ制作センターGP。音組主宰。2013年になった今でも夏の音楽イベントには安倍なつみをはじめとして当時のメンバーを毎年ゲストに呼んでいる。




■出演者(2007年9月9日に書いたものと重複)


◇コムロギャルソン時代(1995年10月〜96年9月)

●dos taeco(西野妙子)・asami(吉田麻美)・kaba(椛島永次)
dosの3人は2007年の情報から足すものはなし。kabaちゃん以外は活動形跡なし。

●松澤由美
dosを輩出したASAYAN小室オーディションに参加。評価は高かったが落選。その後、アニメソングを歌う歌手としてメジャーデビュー、コンスタントにCDをリリースし現在に至る。2009年に結婚、その後二児の母に。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ『YUMIMANIA』)

●天方直実
dosを輩出したASAYAN小室オーディションに参加。久保こーじプロデュースで1996年にデビュー。2000年にニューヨークへ渡りジャズやゴスペルを学ぶ。帰国後はシンガーソングライター、雨上がり・宮迫とのユニット「2am」としても活動。現在もライブハウス等で歌手活動中。昨年には久保こーじ氏の企画に参加。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ『na-BLOG』

●亜波根綾乃(阿波根綾乃)
ASAYAN「レコード会社争奪オーディション」で12社もの指名を獲得した沖縄の天才少女。1996年10月にデビュー。都会の生活が合わなかったとも言われ99年のアルバムリリース後、活動を休止。沖縄に帰郷。
吉本SSMのホームページに長らく名前が載っていたが上記の通り吉本SSMが吉本CAと合併、それを機に名前が削除されるかと思われたが新ホームページにも名前が載っているので2011年の段階でもなお契約はある模様(注:合併を機に他の多くの名前は削除された)。
沖縄タレントアカデミーの出身で仲間由紀恵らと共に「アカデミー三人娘」として将来を嘱望された逸材だった。

●胡桃沢ひろこ
乙女塾2期生。桜っ子クラブさくら組を経てASAYANコムロギャルソンに参加、久保こーじプロデュースのユニット「L☆IS」のリーダーとしてデビュー。解散後はTBS『王様のブランチ』などで活躍。2007年頃は野田社長のサンズエンタテインメントに所属していたが現在は不明。資格を生かした日本酒の講師などマイペースに活動中。(オフィシャルブログ



◇デビュー予備軍・AIS(1996年10月〜1997年8月)

●田口理恵
デビュー予備軍AISを経て手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。1999年11月の解散後はソロ歌手、また女優やモデルと活動の幅を拡げる。2005〜06年には「TAO」としてアーティスト活動。自身のデザインによるアクセサリーブランド「Lourdes」を立ち上げ今に至る。
2011年〜12年にはヘリンボーンという主にナレーターをマネジメントする事務所に所属しCMのナレーションを行う。現在は株式会社エムアイティギャザリング内のPRIMAVERAというセクションに籍を置いている模様(同事務所に太陽とシスコムーンの小湊さんも在籍)。(オフィシャルブログ『上げ場!?』

●大櫛江里加(大櫛エリカ)
『ASAYAN』の収録スタジオに観客として来ていたところを番組スタッフにスカウトされオーディションを受ける。デビュー予備軍AISを経て手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。
1999年11月の解散後は一時引退、短大へ通う。2002年に芸能界へ復帰、アウトドア系の仕事を中心に活躍中。芸能界女子フットサル・南葛シューターズに長期に渡って所属。2006年4月よりモーニング娘。の元マネージャー・和田氏の盟友・榊伸浩氏の事務所に移籍。現在は榊氏と共にGMAエンタープライズに所属している模様。
2010年9月に結婚、2013年1月に第1子を出産。(オフィシャルブログ

●片桐華子
デビュー予備軍AISでは学校の都合によりオーディションを断念。その後手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。解散後は主に女優として活動。2001年のM-1グランプリにも出場し準々決勝まで進出した。ハロープロジェクトの深夜番組『二人ゴト』のナレーションを担当したこともある。吉本SSMに所属していたが上記の吉本CAへの合併の際に名前が外された。
2013年3月に結婚(→大櫛エリカブログ)。芸能活動はしていないようで田口・大櫛さんのブログで時たま消息を知ることができる。

●佐々木祐子(佐々木ゆう子)
小室哲哉に華原朋美の再来と絶賛されたものの、小室プロデュースは勝ち取ることは出来ず、デビュー予備軍AISを経て97年9月にデビュー。2001年にはニューヨーク在住のシンガー・yurippeと女性2人組デュオ「Plum Planets」を結成。しかし2003年には解散、長い沈黙の後2006年にソロ活動を開始するも再び活動休止に。2010年再々始動、12年1月シングル発売。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ

●福井麻利子
2007年から変わらず。

●小林優美(ABYSS)
デビュー予備軍AISを経てABYSSとして97年5月にデビュー。その後再びASAYANのオーディションに参加。「太陽とシスコムーン」オーディションのサンフランシスコ合宿メンバー8人の内の1人。その後台湾に活動拠点を移し現在も活動中。吉本興業台北事務所所属。2009年12月結婚、2010年4月出産。(オフィシャルブログ

●大泉めぐみ(FBI)
デビュー予備軍AISを経てFBIとして97年6月にデビュー。グループ解散後、周防彰悟プロデュースでshelaとして再デビュー、スマッシュヒットを飛ばす。2004年には活動存続が危ぶまれていたが2005年再び周防彰悟プロデュースでCDリリース。同年には周防氏プロデュースの新ユニット「sunny-side up」に参加、一枚のシングルで活動休止。
2009年9月に映画『ばかもの』の主題歌と自らも出演した舞台『殺し屋シュウ〜シュート・ミー〜』の挿入歌が入ったシングルを4年ぶりにリリース。2012年にSweet Liciousのアルバムに参加。

●石井ゆき
デビュー予備軍AISを経てMC.ATプロデュースの女性2人組ユニット・LUV 2 SHYと組み97年9月にデビュー。98年1月にソロデビュー。99年10月のCD発売を最後に活動が見られなくなったが2010年2月にブログを開始。(オフィシャルブログ

●岡田幸絵
2007年から変わらず。



◇乱発オーディション>(1996年10月〜1997年4月)

●益田祐里
乱発オーディション落選後、Favorite Blueの木村貴志に見い出されm.o.v.e結成に参加。最初のうちは苦戦したがデビューから4年後の2001年にオリコントップ10入り。アニメ・頭文字(イニシャル)Dとのタイアップもあり長く音楽活動を続けている。2005年にはアメリカにも進出した。その後も順調に活動したが2013年3月にm.o.v.e解散。
2009年11月に結婚、2010年3月に女児を出産。

●中村友理
乱発オーディション合格後、友人だった伊澤真理とユニット「YURIMARI」を結成して1998年2月にサンプラザ中野とパッパラー河合による楽曲提供でデビュー。1999年解散後は女優として活動。あまり目立つ役での起用はなかったが、2007年に映画『パッチギ!』の続編『パッチギ! LOVE&PEACE』のヒロインに抜擢され、以降数々の映画やドラマに出演。2013年3月にエイベックスからアルファエージェンシーに移籍。(オフィシャルサイト

●伊澤真理
乱発オーディションに合格した友人・中村友理と「YURIMARI」を結成して1998年2月にデビュー。1999年解散後はタレントとして活動していたがアメリカに渡るために引退。帰国後結婚、一児を設けたが離婚。子供時代の荒れた素行とともに(自伝エッセイ『弱虫!』より)なかなか波乱万丈な人生をおくっている。現在再び芸能界に復帰し(松竹芸能所属)、関西方面を中心に活動している。2007年に再婚、2008年に双子を出産した。(オフィシャルブログ

●諸隈美幸
乱発オーディション落選後、シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション、小室哲哉ヴォーカリストオーディションファイナルに参加もすべて落選。ヴォーカリストオーディションファイナルで鈴木亜美に僅差で破れた後、2000年7月に小室哲哉プロデュースでようやく歌手デビュー。デビューするまでのオーディション参加の数は100を越えた。その後地元・佐賀でタレント・歌手活動した後、結婚、双子を出産。



◇シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション(1997年4月〜8月)

●河村理沙
オーディション前からグラビア等、芸能界で活動。1996年にはエスキモーのアイス「pino」のCMにも出演した。翌年のシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションには最終選考まで進出したものの落選、敗者復活の枠にも洩れた。2006年1月までは芸能事務所に所属していたが離脱、その後はライブを中心に活動中。(オフィシャルブログ『ちゃむと一緒』

●高口梓
2007年から変わらず。

●中富和美
シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションを皮切りに数々のASAYANオーディションに参加。歌唱力には定評がありいつもいいところまで進出するもデビューの座は掴めず。2007〜08年頃にはSHALPというバンドを組み下北沢近辺でライブ活動をしていたが、活動休止。2010年11月に九州に転居、現在は沖縄で生活している。(オフィシャルブログ



◇その他のオーディション

●椛田早紀
モーニング娘。第1次追加オーディション、最終選考進出者16名のうちの1人。後、2001年の敗者復活大オーディションに参加しレコード会社からのオファーを獲得。2001年8月にユニット「CLOVER」としてデビュー。2002年にはソロシングルをリリース、2004年には声優としても活動。2004年にバンド「MILK FUDGE」を結成しメジャーデビューも果たしたが2005年末に解散。2007年には「MILK FUDGE」で活動を共にしたEiriとユニット「tokage」を組み再始動。精力的に活動し今年9月にはニューアルバムを発売。(tokageオフィシャルサイト





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



補足というか雑感を少し。

前回調べた2007年からは6年が経っている。
6年前でも皆さん生活が落ち着いていた感じなので、今回調べてガラッと変わってしまったという印象は少ない。雰囲気が極端に変わったと思ったのは諸隈さんくらい(前回は画像にたどり着かなかったのかもしれない)。伊澤さんや中富さんは雰囲気が柔らかくなった印象を受けた。御本人は嫌がるかもしれないが年を重ねてとんがった部分が丸くなったというか、落ち着いた感じが出ていた。

Say a Little Prayerの3人はまだ交流があり、またAISの田口さん、佐々木さん、小林さんも繋がりがあるなど、15年以上が経つのに当時のメンバーが集まったりしている姿を見れるのはうれしい。まあ集団で動いていたのはAISだけなので、他のオーディションのメンバーと置かれた状況はちょっと違うのかもしれないが。

椛田さんは変わらないな。また6年後に調べても同じように音楽活動している気がする。容姿もほとんど変わらないで(笑) 中富さんもそうなるだろうなあと思っていたが、東京を離れたことは意外だった。

御本人にとっては迷惑なことは百も承知なのだが、AISの岡田さんがどうされているかちょっと知りたかった。当時のオーディションでは亜波根さんと田口さん、それと岡田さんが推しだったもので(笑)


制作陣については、率直にみんな年を取ったなあという感じ。そりゃ15年以上も経っているのだから当たり前か。順調に出世された方も多数いらして、今なら昔出来なかったことが出来るんじゃないのかと思いたいが、なかなかそうならないのがこの世界。やはり年を取ると冒険心はなくなっていくのかもしれない。

しかし、フジのきくちさんにはどうしても注文をつけたい。最近の音組(きくちP率いるフジの音楽番組制作集団)の作る番組はつまらない。かといって他局の音楽番組がいいわけでもないのだが、きくちさんの作る番組には10年くらい前まではメジャーに対してのマイナーな存在が必ずあったように思う。今はメジャーばかりを取り上げて、他局と変わらない番組になってしまった。

それにしょっちゅう総集編やっているし、視聴者に新しい発見をしてほしいという気概みたいなものが薄れたような気がする。悪く言えば平均点を取っていればいいという考えが見えて私は好きではない。今のフジテレビの置かれた厳しい状況を考えれば仕方ないのかなとは思うが。


ちなみに私の手元には当時のASAYANの映像がない。かろうじて1997年のロックボーカリストオーディションから始まるモーニング娘。の映像が残っているだけだ。コムロギャルソンやAIS、それにSay a Little Prayerや太陽とシスコムーンもみんな記憶の中だけにしかない。商品としてのDVD化は昔から望まれてきたがそれも権利関係の都合で難しいという(たしか橋本慎さんが、そういう話をされたような気がする)。

みんな記憶の中なのだが、今これだけ自分の記憶に残っているということに逆に驚く。それだけ自分が集中してみていたのかもしれないし、また映像の作り方がそれだけ記憶に残りやすいものだったと言えるのだろう。あのナレーションとテロップの入れ方、展開の煽り方、記憶に残すという意味では最善だったのかもしれない。

もう一度見てみたい気もするが、ちょっと怖くもあり、記憶の中だけに留めておきたい気もする。
まあ15年以上も前の話なのでね、もはやちょっとした「昔話」。
青春時代の思い出ですわ。



そうそう、ウチのサイト、以前は「福田明日香」の検索で訪れる方が多かったのだけど、今は「亜波根綾乃」が圧倒的に多かったりする。みんな好きだなあ(笑)

怒涛の3日連続更新!
でも短めに。



サエキけんぞうの次世代アイドル論

モーニング娘。『愛の種』の作詞家で、グループの立ち上げにも関わったサエキけんぞう氏が色々と語ってくれております。

3ページ目に5人時代の娘。の回想があるので、その中から一部抜粋。


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── テレビ番組から発生して、何枚売れなきゃ即解散となってましたけど。最初お仕事で携わったとき、正直、モーニング娘。ってどう思いました?

サエキ:「まぁ、ぶっちゃけその辺にいる人が集まっているだけなわけですから、特に何とも思わなかったですよ。ただ、当時はディーヴァ全盛でしたし、そういうニュアンスとはまったく違うわけなんで、異色なわけですから、これはおもしろいと思いましたね。で、動き出してみたら、実はそういう人が求められていたというね」

── この子たちを売ってあげたい!とかは思わなかったんですか?

サエキ:「売れればいいねってぐらいで、そういうことって現場はそんなに強く思わないんですよ。現場って割と淡々としているものなんです。やっぱりね、本人たちががんばらなければしょうがないというのがあるから。でも、モーニング娘。の子たちはスゴくがんばったと思います」

── がんばっている姿を見てて、だんだん感情移入したりはしなかったんですか?

サエキ:「福田明日香とかにはちょっとしましたけど、辞めちゃいましたしねぇ。まぁなっちもがんばってたし、みんながんばってましたから、もちろん応援はしますよ」
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サエキさんからは今までもいろんな話が出てきていて、今回もまた当時の状況がちょっとだけ紐解かれたというか・・・

明日香に感情移入したその理由を聞いてみたいところだが、まあ今は妄想の範囲に留めておこう(笑



うちのエントリーでサエキさんのことが書いてある回。
もんじゃ焼、食べる
もう少し別冊宝島の記事を書き起こした回もあったように思うんだけど、自分でも見つけられず・・・

そうそう、橋本さんはメロンの解散ライブ前後に大活躍されていたみたいで。

軽く情報を追っての更新。備忘録。


夏先生、サイゾーインタビュー

振付という部分においてはもちろん自分は素人なので夏先生の仕事ぶりについて論じるだけの知識を持っていない。
このインタビューで自分が気になるのは、教わる側のメンバーとの距離・人間関係、それとステージに立つ上での気持ちの持ち方への夏先生の基本的考え。

旧娘。メンバーやAKBの初期の頃から関わっているメンバーの夏先生との繋がりを思うと、ぜひともそれらメンバーに読んでほしいなと思う。
全部が正しいとは思わないけど、忘れかけていること、見失っていること、けっこうあるんじゃないかな・・・

(気になった方はインタビューの続きをどうにかして読んでね(笑 LOVEマシーンの頃の話やあの頃のなっちとのやりとりも載ってます)



AKB48初のドキュメンタリー映画、2011年1月公開決定

以前からところどころで書いていた、旧娘。ヒストリーの映像化、あるいはドラマ化への欲求・・・けっきょくは実現する日が来ることはなくて、片やAKBは1000本のテープの中から記録映画を作りだすと・・・

旧娘。サイドもいろいろと権利関係が大変なのは分かっているものの、あの電波少年ですらDVD化されたことだし、ぜひともASAYAN等も商品化してほしいな。
残っているかどうか分からないけど、ASAYAN時代の未放送VTRって相当量あるはずなんだよね。その中には10年経った今なら放送できるって部分もあると思うので、ぜひとも見てみたい。

『Never Forget』や『21世紀』のレコーディングシーン、おそらくもっと残っているはずの『ふるさと』PVのメイキングVTR、ちょっと考えただけでもいっぱいある(笑

AKBも映画一本にしないでDVD5本とか10本で作ればいいのに、1000本のテープを2時間にしてしまうのはちょっともったいないように思う。



元アイドリング!!!2号小泉瑠美、NASAエンターテインメント所属?

この記事のYU−Aという人がNASAエンターテインメントに所属しているのだが、なんといっても注目はアイドリング!!!卒業後、ナベプロからも消息を絶っていた小泉さんの名前を発見できたこと。
そしてこのNASAエンターテイメントが和田さんのハーモニープロモーションからのソニンの移籍先であること。

まだNASAエンターテインメントのサイトには小泉さんの名前がないのでなんとも言えないが(koizumi.htmlでページの準備はされている)、NO KISS時代から小泉さんの歌声はけっこう好きなのでこれは楽しみ。

このNASAってところはなにかと情報的に縁があるなあ・・・
もう書けないこともあるんだけども(笑

今日は芸能ニュース的なことをざっと。
ちょっと前の情報も含めて脳ミソにインプット。



ハーモニープロモーション所属タレント変遷

大沢あかね提携解除(6月くらいに確認済)
溝口真央提携(6月くらいに確認済)
永田杏奈提携(今回確認)

大沢さんは元からの所属事務所・テンカラットには残留。
永田さんは映画『バトル・ロワイアル』に出ていたので記憶に残っているが(柴咲コウとやりあった役ね)、ブログの写真と見比べるとまったく記憶とリンクしなかった・・・



●佐々木&田口&小林ランチ

なんのことやらと思われるかもしれないが、Say a Little Prayerのたぐっつぁんこと田口理恵、ハロ系のドラマにもちょっと出ていたこともあるABYSSこと小林優美、華原朋美の再来かと言われた佐々木ゆう子の3人が仲良く昼食会。

この3人は何の繋がりかといえば、ASAYANのデビュー予備軍「AIS」のメンバーということ。

AISの活動当時から早14年。
モーニング娘。の先輩にあたる彼女たちがまだ交流を持っているってすごいね。
しかも一緒に活動していた期間は1年あるかないかくらいだったんだから・・・

佐々木さんは今年10年ぶりに本格的な音楽活動を再開!
こういう話を聞くとうれしい。

Say a Little Prayerの活動後、ソロ歌手でも活動していたたぐっつぁんは現在は青山でまつ毛エクステのアイリストとして仕事をされているとのこと。相変わらずお美しい(笑

小林さんは去年のクリスマスイブに結婚して、もうお子さんは生まれたのかな? 今は台湾が生活・活動の拠点。


3人のランチの様子はこちらこちら

  ・田口理恵ブログ
  ・小林優美ブログ
  ・佐々木ゆう子ブログ

佐々木さんは来る9月29日にライブとのこと(詳しくはブログへ)。
こちらではASAYAN時代の話もちょっぴり聞けます。



●も一人

ナイナイの岡村さんが体調不良で休業しているのはASAYANやめちゃイケ岡女シリーズでさんざん笑わせてもらった自分としては残念なのだが、そんな岡村さんにASAYAN番組内でアプローチをかけていた(もちろん冗談半分の話で)AISのメンバーを覚えている方がいるだろうか?

たしか当時13歳か14歳。
石井ゆきという福岡の女の子。

佐々木さんの活動再開を知って検索してみたら、なんと彼女も戻ってきているではないか。

  ・石井ゆきブログ

雰囲気はかなり違うが、それもまた10数年という時間の経過ということで・・・


こうなったら岡田幸絵さんもどこかでお会いしてみたいものだ・・・

  ・ASAYANデビュー予備軍・AISメンバー一覧



●GaGaalinG解散

元アップフロント・Zetima所属のビジュアル系ゴシックバンドのGaGaalinGが解散

バンドとしては2007年くらいにZetimaを離れていたと思うが、ボーカルのMYMはその後もアップフロントに籍を置いていたはず。今はその籍もない模様・・・

犬神サーカス団もそうだったけど、けっきょくロック系の歌手・グループとは合わない会社なのかなー。
ん、シャ乱Qは? 演歌?(笑



河村さん歌手活動

アイドリング12号の河村さんではなく・・・、ロックボーカリストオーディションで明日香や兜森さんと共に東京予選を勝ち抜いた河村理沙さんがステージに立っているらしい。

たしかロックボーカリストオーディションの時は音楽学校に通ってたんだっけ?
合宿で一番怒られていた印象が残っているけど、今もまだこうして歌っていることはうれしいね。

少し運命の歯車が違っていればモーニング娘。のメンバーだったかもしれないわけだし・・・
(河村さんは当時事務所に所属していたので5人に選ばれなかったという説がある・・・)
ま、今となってはの話かな、これは。



・そういえば、1期メンバーが11月に3人でイベントをやるとか。
もうFCとは関係ないところにいるので、今さらその情報を知る。

 3年前の10周年記念パーティーみたいなもんでしょうか?
 彩っぺはブログで「また一緒に歌う機会があれば」みたいなことを書いていたし、3人プラスαがあり得るのかなあ・・・? 彩っぺだったらVTRで出演とかはあるかもしれんね。

 あ、一つ思い出した今月22日の朝8時半くらいから「福田明日香」での検索が爆発的に伸びていたのだけど何かありました?



・とまあ今回は対象年齢高めでお送りしました(笑






1999年9月9日、9人で発売する予定だった『LOVEマシーン』から10年。

去年やれば「9周年」だったな、なんてことを今さら思いつつ
月日が経つ早さを改めて感じる今日という日。

思えばこの曲を最初に聴いたとき、イヤでイヤでたまらなかった。
ナイナイの岡村が「今までで一番好き」と言ったり、ノリが良くて能天気な歌詞はハマる人にはかなりハマるんだろうなあと思ったりもしたが、個人的には「ノー」だった。

それは今まで彼女たちが歌ってきた曲調とあまりにもかけ離れていたから。
『抱いて!HOLD ON ME』『Memory 青春の光』、そしてアルバム『セカンドモーニング』に収められた曲群という1年の流れからすると、『LOVEマシーン』はかなり異質だ。

『抱いて!HOLD ON ME』から『セカンドモーニング』の1年間の活動の中で、彼女たちは曲がりなりにも「アーティストを目指す」と言いきることが出来ていたから、自分の中で次回作への期待が膨らむだけ膨らんでいた。
そこには『ふるさと』期での紆余曲折からどう立ち直っていくかという「物語」も含まれていたから。

でもこの曲は自分の期待などというちっぽけな願望を吹っ飛ばすだけの勢いがあった。奇抜な振り付けとも相まって、テレビの歌収録やPVの収録には発売前から多くの業界関係者が見学に訪れていたという。

明日香卒業後のメンバー間の不和や今後のモーニング娘。の展開に悩みを抱えていたメンバーたち(姐さんはストレスで10円ハゲが出来ていた)。そんなメンバーたちにもこの曲は勢いを取り戻させる効果を発揮した。

特にこの曲に並々ならぬ気持ちで臨んでいたのが彩っぺ。
PV撮りからテレビの歌収録、イベントまでとにかくハイテンションで『LOVEマシーン』を歌い踊っていた。
この曲の力を真っ先に感じとり「なんでもいいからとことんやってやれ!」という気持ちで突っ走り、さらに他のメンバーにもその気持ちを波及させていった彩っぺ。
…その彩っぺはこの曲の成功を機に引退を決意した。


それとこの曲を面白くしていたのが『ASAYAN』での紹介の仕方。
特にレコーディングでの密着とその「見せ方」には『ASAYAN』がそれまでに培ってきた技術が生かされており、それがさらに「4期加入」や「めちゃイケ学力テスト」の映像に発展していくこととなる。
つんくのレコーディングブースでの面白さを際立たせたのもこの曲からだったかな。

懐かしい映像をちょっと振り返ってみよう。
























実は『LOVEマシーン』はPVよりもこのASAYANの映像を見ている方が好きだったりするのだが、改めて見直してみるとこういう形のPVってのもアリなのかもしれない。ただ微笑んでいるだけのクローズアップバージョンよりも、こちらの方がより曲を「プロモーション」しているように思う。

まあ何にせよ懐かしい。それに尽きる。


それと当時のASAYANを見てみると、この頃までレコード店への挨拶回りしてたんだなあと思い出した。








店頭にポスター貼ったりサイン書いたり、店員さんたちと記念写真撮ったり、こういう活動していたのはこれが最後だったっけ? 
プライベートでレコード店に行って、自分たちのCDの売り場所を良い場所に勝手に変えてきちゃったりと、この頃は地道な活動も「青春」してたっけ(懐


最後に忘れかけていたものをいくつか。

『LOVEマシーン』レコーディングブースで、カオリの間違いに総ツッコミ(笑


ASAYANでの『LOVEマシーン』初披露


幻の『乙女の心理学』を2点 by めがねーず

これがずっと見たかった…



それからなんと言ってもラブマカップリング曲の『21世紀』


当時の歌う姿が残っている映像はASAYANのレコーディングブースのものだけだろうか? 歌われたのは99年の秋のコンサートだけで、この99年秋から翌年の紗耶香の武道館までのライブ映像というものがほとんど商品化されておらず残念極まりない。

この『21世紀』しかり、『お願いネイル』『パパに似ている彼』『トウモロコシと空と風』など、今でも見たいと思っているライブ映像がたくさんある。今さらなんとかしてくれません?UFさん!(笑

『21世紀』は2007年に行われた「愛の種」完売10周年のイベントで歌われた。
「あのツアー以来」「この歌をどうしても歌いたい」と紹介し、姐さん・なっち・圭ちゃん・矢口の4人が涙で目を潤ませながら歌っていた。



この曲があったから自分は今もここで書いていられる…
『Never Forget』や『愛の種』と並んで自分と娘。との関係にとって精神的に最も重要な曲の一つ…それが『21世紀』。



『LOVEマシーン』と共に『21世紀』からも10年。

10年前のその日を振り返るテキストをいくつか書いてきたけど、そろそろそれも終わりに近付いている。あとは彩っぺ卒業かな…

自分の心の中から楽曲含めすべてを応援していた1997〜1999年という時代はすべて10年以上前の出来事になる。
2000年以降はね、ちょっと単純に「ファンでした」とは言えない複雑な心内なのだ。


…うーん、日本の未来はどうなるんだろうなあ。
10年前は感じなかったけど、『LOVEマシーン』みたいな明るくなれる曲が今こそ求められているのかも。






平家がグランプリを獲得して、落選者たちはそれぞれの生活に帰って行った。

石黒は戻るとにすぐに合宿でダンスが出来なかったことを反省しダンスの教室を探し始める。またバンド活動で「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」(10代を対象にした誰でも参加できる音楽イベント。全国で行われる予選を勝ち抜いた本戦出場者にはメジャーデビューのチャンスがある)に向けて新たな曲作りも始めていた。さらに、オーディションの悔しさから毎日走っていたという。

室蘭に戻った安倍は落ち込む日が続いていたが、帰るとすぐに彼女の元には芸能事務所から「うちからデビューしませんか?」と電話がかかってきていた。大手の事務所だったらしいがASAYANスタッフから事務所に入ったり、新しいオーディションを受けることを受けることを安倍は止められていたという。

ASAYANにそのことを連絡し「まだ返事してないよね?」「また連絡しますから」と言われた安倍はASAYANを信じて待つことに決めた。この時にASAYANを信じた理由を「番組上としてじゃなくて、一人の人間としてちゃんとケアしてくれていた。そういう人たちがいたから…」と安倍は語っている。ASAYANのスタッフは過酷な試練を彼女たちに与え続けたけれども、優しさは忘れることなく彼女たちと接していたようだ。

中澤の元にASAYANのスタッフから電話がかかってきたのは、大阪の仲間と一緒に徳島の海に遊びに出かけちょうど海岸に着いたところだった。仲間たちがオーディションが終わった中澤を励まそうと、みんなでこの日海を渡って出かけてきたのだ。

一番になれなかったけれども、生まれて初めて一生懸命になれたことに満足してオーディションから帰った中澤。
ずいぶん会社にも迷惑かけたし、これからのこともちゃんと考えないといけないけど、その前にこの残り少ない夏を満喫しよう…そう思って出かけた海への旅行だった。

そこにかかってきた電話。
「何も聞かず、何も言わず、もう一度東京へ来てください」
そう言われた中澤は涙が止まらなくなってしまう。周りの仲間たちが心配するくらい中澤は泣いていたのだ。
「なんでまた東京?」
「もしかして、まだチャンス残ってた?」
…中澤はこのときに自分が一番になれなくて悔しかった本当の自分の気持ちに気がついた。満足していたのは自分が落ちたことを納得させるためだったと気付いたのだ。自分はまだ終わってない…そう思ったら涙が止まらなくなったのだった。

…中澤は何も分からないまま再び東京に向かう新幹線に飛び乗った。

そして石黒と安倍、飯田と福田の元にもそれぞれ電話がかかり、何が待つかも分からない東京に5人が集う。



<つづけ>



ASAYANの記憶が残っている人はお分かりだと思うけど、「散歩道」で書いていることはASAYANそのままではありません。たぶんASAYANそのままの物語は半分くらいだと思う。

その頃に彼女たちがインタビューとかで語り残したことだったり、もっとずっと後の時代になって彼女たちが思い出として語ったこと、書いたことも元になっている。

でもASAYANのモーニング娘。の企画もね、ASAYANから与えられるだけの話じゃなくて、当時からその裏にある彼女たちの葛藤や人生が見え隠れしていたから面白かったんだと思う。

時々ASAYANは所詮作られた物語なんて批判も見かけるけど、それは表面だけを見ればそうかもしれないけど、決してそうではなかったよ。そしてそれには多くの人が気付いていた。多くの人たちが自分たちには出来ない夢の世界、夢に向かって真っすぐ進む気持ちを彼女たちを通して見ていたのだと思う。同じように悩んだり挫折して生きている多くの人たちの共感があそこにはあった。

ただ、これは知らない人に理解してほしいわけではない。例えば自分が1997年のモーニング娘。から10年遡ったアイドルに興味があるかっていったら全然ないし調べようとも思わない。それは余程興味がわかなきゃ難しいことだと分かっている。だからそれについて書くことはしない。だって知識も経験もないんだもの。

年長メンバーのハロプロからの卒業でね、そういう点も住み分けができていけばいいなと思ったりするのだ。

1997年8月14日。

最終審査が終わってから10日あまり、再び11人は東京に呼び集められた。シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションの優勝者がついにこの日発表されるのだ。

予選会場に足を運んで1次審査を受けた参加者約9900人。その頂点が選ばれ4ヵ月にわたって繰り広げられたオーディションもようやく終わる。

安倍は即キープで最終審査に進んだこともあって「もしかすると」という期待を胸に上京してきていた。前日から泊まり込んでいたホテルでは飯田と同室だったが、飯田が「優勝は平家さんかなあ」と言っている横で期待の膨らみ過ぎた安倍の鼓動は高まるばかりだったという。

しかし、この時の合宿メンバーの仲間内の予想では「ロックボーカリスト」という募集で開催された以上、平家か石黒のどちらかだろうという予想に概ね落ち着いていた。安倍は岡村から「実写版綾波レイ」と言われるほどビジュアルとしてはアイドルに傾いていたし、福田は最終審査の歌審査直前のフラフラの状態を知られていたから、予想の中には入らなかった。

グランプリの栄冠は歌で抜群の力を見せ、合宿生活もダンスにも必死に取り組んだ平家みちよの頭上に輝くことになる。即戦力を求めていたはたけの要望とも合致していたし(11月のシャ乱Q武道館ライブに立たせることになっていた)、回りの参加者からもその実力を認められた栄冠となった。オーディション開始時から自分のことを「凡人」と言い続けた平家が凡人でなくなった瞬間だった。





落選を受けて後のモーニング娘。となる5人は最後の心境をこう述べている。



「ちっちゃい頃からずっと歌が好きで、何時間歌っても飽きないんですよ。だから私には歌しかないなと思って。売れなくても自分が好きな音楽をやっていけたらって思ってます」(福田)



「とりあえず、今の生活からは抜け出したいんで……。これからも人生冒険します」(中澤)



「ASAYANしかないから、オーディションって。だからASAYAN……また受けます」(安倍)



「やっと終わったって感じ……。(平家には)おめでとう、って。ホント嬉しかったし」(飯田)



「歌も頑張ってたし、ダンスも頑張ってたし、平家さんは自分より全部上だったんで、認められます」(石黒)

<コメント部『モーニング娘。5+3-1』より抜粋>

こうしてオーディションは終わり最終予選で敗れた面々もそれぞれの地元に帰って行くのだが、安倍は室蘭の自宅に帰るまで…いや帰ってからも泣き続けた。どん底まで落ち込んで泣いていた安倍のところには飛行機のスチュワーデスまでが慰めにやってきたという。機内で配るお菓子を差し出し「これ食べて元気出して」と、まるで子供をあやすようだった。この後何十回と羽田と千歳を往復することになる安倍はこのスチュワーデスの方と再会したという…

また、関西に向かう新幹線組の二人は平家が中澤に「整形した?」と最後の質問をしていた。もちろんこれは二人の中での笑い話なのだが、こちらは札幌組とはうって変わって明るい帰路となったようだった。

これでオーディションはすべて終了、誰もがそう思っていたがこの後事態は急展開を迎えることになる…



<つづけ>

*8で明日香の記述をちょっと足しました。

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