Submarine Dog

カテゴリ: ASAYAN

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで


    < 9 >                (敬称略)


最終審査が行われた翌日の8月4日。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが盛り上がっている中で、『ASAYAN』はもう一つの盛り上がりをみせていた。

第1回で書いたデビュー予備軍・AISでデビューを勝ち取れなかった田口理恵・片桐華子・大櫛江里加の3人で結成したSay a Little Prayerが、インディーズCDを1店舗10日間で1万枚売ったらレコード会社と契約できるという企画にこの日から挑んでいたのだ。

Say a Little Prayer『小さな星』


タワーレコード渋谷店で手売りを行った3人は初日に約7000枚を売り、翌5日午後8時半頃に1万枚完売を達成。10日予定のところを2日で売り切り見事メジャーデビューの夢を勝ち取った。

この記録は1店舗における1日のCD売り上げ枚数の世界記録だったが、その記録は3カ月後にあっさりと抜かれてしまうこととなる・・・


そして1997年8月14日。

最終審査が終わってから10日あまり、再び11人は東京に集められた。シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションの優勝者がついにこの日発表されるのだ。

予選会場に足を運んで1次審査を受けた参加者約9900人。4ヵ月にわたって繰り広げられたオーディションもようやく終わりを迎えようとしていた。

安倍は即キープで最終審査に進んだこともあって「もしかすると」という期待を胸に上京していた。前日から泊まり込んでいたホテルでは飯田と同室だったが、飯田が「優勝は平家さんかなあ」と言っている横で期待の膨らみ過ぎた安倍の鼓動は高まるばかりだったという。

しかしこの時の合宿メンバーの仲間内の予想では「ロックボーカリスト」という募集で開催された以上、平家か石黒のどちらかだろうという予想に概ね落ち着いていた。安倍はナインティナイン岡村から「実写版綾波レイ」と言われるほどビジュアルとしてはアイドルに寄っていたし、福田は抜群の歌唱力を誇るとはいえ最終審査の歌審査直前のフラフラの状態を知られていたことや年齢からいっても予想の中には入らなかった。

グランプリの栄冠は歌で安定した力を見せ、合宿生活にもダンスにも必死に取り組んだ平家みちよの頭上に輝くことになる。即戦力を求めていたはたけの要望とも合致していたし(11月のシャ乱Q武道館ライブに立たせることになっていた)、周囲の参加者からもその実力を認められた栄冠となった。オーディション開始時から自分のことを「凡人」と言い続けた平家が凡人でなくなった瞬間だった。



落選を受けて後のモーニング娘。となる5人は最後の心境をこう述べている。



「ちっちゃい頃からずっと歌が好きで、何時間歌っても飽きないんですよ。だから私には歌しかないなと思って。売れなくても自分が好きな音楽をやっていけたらって思ってます」(福田)



「とりあえず、今の生活からは抜け出したいんで……。これからも人生冒険します」(中澤)



「ASAYANしかないから、オーディションって。だからASAYAN……また受けます」(安倍)



「やっと終わったって感じ……。(平家には)おめでとう、って。ホント嬉しかったし」(飯田)



「歌も頑張ってたし、ダンスも頑張ってたし、平家さんは自分より全部上だったんで、認められます」(石黒)

<コメント部『モーニング娘。5+3-1』より抜粋>

こうしてオーディションは終わり最終予選で敗れたメンバーたちもそれぞれの地元に帰って行くのだが、安倍は室蘭の自宅に帰るまで…いや帰ってからも泣き続けた。

どん底まで落ち込んで泣いていた安倍のところには飛行機のスチュワーデスまでが慰めにやってきたという。機内で配るお菓子を差し入れ「これ食べて元気出して」と、まるで子供をあやすようだった。この後何十回と羽田と千歳を往復することになる安倍はこのスチュワーデスの方と再会したという。

また、関西に向かう新幹線組の二人は平家が中澤に「整形した?」と最後の質問をしていた。もちろんこれは二人の中での笑い話なのだが、こちらは札幌組とはうって変わって明るい帰路となったようだった。

これでオーディションはすべて終了、誰もがそう思っていたがこの後事態は急展開を迎えることになる。

連載から離れて最近ちょっと思うこと、あるいは中途半端に考えていること、などを記しておこうと思う。


●『ASAYAN』に思うところ

連載でずっと『ASAYAN』のことを書いているが、実はけっこう嫌悪感を抱く部分も多かったりする。

自分が好きなのは(青臭い書き方をすれば)夢に向かって一生懸命頑張っている姿であって、そこにしかない喜びや涙や葛藤が心の琴線に触れて好きなのだ。

だから、その一生懸命やっていることを馬鹿にしたような笑い方をする(それも芸の内なのかもしれないが)ナインティナインやつんく氏に対して思うことは多々ある。芸人が芸人を笑っているのではないし、笑われる方も笑ってほしくて一生懸命やっているわけではないので、それを笑うことに自分は好感を持てないでいる。ただしそれで彼らが嫌いという単純な話ではなく、一面での話。

同様に、『モーニングコーヒー』のパート割りをめぐる飯田さんの件にも見られるような強引な話の「ヤマ」作りも好きではないのだが、それは前述の葛藤等が見える場所でもあるので、これまた単純に嫌いとは言えない部分。



●石垣島

貴重な情報ではあるものの書いていないこと(書けないこと)がある。それを知ってから島の景色を見てみたいなーと思うが色々と事情があって行けずにいる。しばらくは行くのは無理だと思うので、もし行く方いらしたらお声がけください。

ただし、このサイトに「石垣島」と書いてあったらそれが何を示唆しているか分かる方と、ハンドルネームと言えどもブログなりツイッターなりで基本的な考え方やスタンスの分かる方に限ります。



●錆びつきが深刻

20年前のことを再度連載中、記憶を辿る作業がなかなか困難に 笑
さすがにね、記憶の引き出しが開きにくくなっていることを実感。
誰かに聞かれたりすると、スッと話を展開していけることもあるのに、一人で考えているとそこまで考えが至らないことが多い。

まあでもここまで覚えていたのも、なかなかたいしたものではないかと自画自賛(笑) 資料整理・事績整理しておくと、その作業によって後々の記憶に役だっているのは確実。

現在進行形のものについても、見たこと感じたことを書き残しておくことはやっぱり必要ですね。

いつか来た道


<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話



    < 8 >                (敬称略)


最終審査では11人を一つのグループとして振り付けがされ、その上でダンス審査を行った。

そのダンス披露で選ばれた曲は『リーチ』。
ダンスレッスンを担当した夏まゆみ(以下夏先生)の選曲で、曲名と手を伸ばす振り付けには「みんなが夢に手が届きますように」という願いがこめられている。

ステージ披露の前に夏先生と11人が円陣を組んで気合いを入れる。
「一番良い状態を見せるんだよ」と夏先生は11人を送り出した。

そしてダンス披露。



結果は夏先生にとって満足のいくものではなかった。
戻ってきた11人に頑張っていたことは認めた上で「練習のときの方がよかった」「これからプロとしてやっていくつもりなら本番こそがすべて」と涙ながらに怒る。11人もその夏先生の熱い思いと情熱に打たれ、また「今日で会えなくなる子がほとんどで…」との夏先生の言葉に涙していた。

この時のことを中澤は「夏先生は最上級の愛とエネルギーを与えてくれた」と後に語っている。単なるスパルタ教育ではない、そこには深い心の繋がりが生まれていた。











その後に行われた個別の歌審査。
シャ乱Q・はたけによって直前にメロディーラインの微妙な変更があり、それが11人を苦しめることになる。

「プロになるからにはこういう変更はいつでも有り得る」とはたけから説明があったが、緊張の極限状態にあったオーディション参加者にはかなり酷な要求だったようだ。歌審査で声が震えたり歌詞が飛んでしまったりと普段の実力を発揮できないメンバーが続出することになる。

福田はダンスの後の夏先生とのやり取りを引きずっていて、歌審査の直前まで泣いていた。福田自身はダンスは踊れていたと思ったらしいのだが、周りの泣いている空気にのまれ、ずっと張りつめていたものが爆発してしまったらしい。歌う間際になっても立ち上がれず、気力がまったく出てこなかった。意外なことにこのときボロボロだった福田を励ましたのは最もオーディションで目立ち強気な言動の多かった兜森だったという。兜森の励ましを受けてなんとか福田はステージに立った。

この歌審査で使われた曲が合宿で練習した課題曲であり、後の平家みちよのデビュー曲の『GET』である。平家がハロプロを去ることになった2002年のラストライブでも『GET』は最後の最後に歌われている。

この歌審査の直後にシャ乱Qと和田マネージャーによる個別面談があり、それが終わったあと一旦解散となりそれぞれ帰郷した。帰りの新幹線では緊張から解放された中澤が平家にビールを買いに行かせて、平家が戸惑ったとかそんな話も伝え残る…

平家はこのとき高校3年生の18歳。
中学1年の頃にGAOの『サヨナラ』という曲と出会い、この歌をすごく好きになったことが歌手を目指すきっかけだった。GAOのファンクラブに入り、いつか会うこともあるかもしれないと思い、必死になって『サヨナラ』の練習を積んだ。

中学2年の修学旅行のバスの中で平家はこの歌を披露する。
それまで地味に学校生活を送っていた平家だったが、この時は今まで見向きもしなかった同級生たちが平家の歌う姿に振り返った。
いよいよ平家は歌手を強く志すようになる。

平家の8歳年上の姉の中学の同級生には歌手の平井堅がいた。彼は1995年にデビューしているので、そんなことからも歌手という夢を追いかけることになったのかもしれない。

中学2年からオーディションを受けること十数回。ASAYANのオーディションも3回目。平家の夢はあと一歩のところまで近付いてきていた。


GAO『サヨナラ』




1996年5月11日、『ASAYAN』コムロギャルソンの札幌オーディションに石黒彩が参加。SUPER MONKEY'S 4『DANCING JUNK』を歌い予選を突破、東京のスタジオ審査に進む。


今から20年前の出来事。
『ASAYAN』発のモーニング娘。というグループはまだ影も形も見えず、オーディションに参加した多くの女性が「歌手」という夢を漠然と追っていた時代。石黒さんはまだ地元でベースを弾いてライブハウスに出入りしていた。

石黒さんがオーディションで歌ったSUPER MONKEY'S 4*1というグループはご存知の方も多いと思うが安室奈美恵さんが元々所属していたグループで、メンバー全員が沖縄アクターズスクール出身。安室さんは前年のスマッシュヒット連発、そして96年の立て続けのミリオンヒットによりアムラー旋風を巻き起こしていた。

『ASAYAN』は安室さんの楽曲プロデュースをしていた小室哲哉氏がオーディションの監修をし、そして安室さんのレコード会社だったavex(ひいては代表のMAX松浦氏)がスポンサーにについていたため、彼女に憧れた多くの同世代の女子たちがオーディションを受けていた。*2

その頃はアイドル氷河期と言われる時代が終わった時期であり、また音楽シーンではGIRL POPが隆盛を極めていたこともあって、「アイドルになりたい」「シンガーソングライターになりたい」という目的はあまりハッキリとはせず、「華やかな世界で歌を歌いたい」というような子が多かったのではないかと思う。

ビジュアル系・ロックテイストが好きだった石黒さんが、アイドルっぽい曲でオーディションを受けることに違和感を感じない、そんな曖昧さをすべて飲みこんでしまうだけの活気も当時の音楽業界にはあったのではないかと思う。*3

ちなみにCDが最も売れたのは1998年*4。初回盤もタイプ別もなく、一人が1枚だけCDを買うことがほとんどの時代にこれだけ売れたということは、現代のミリオンとは認知度とその拡がりにおいて大きく意味が違うことは認識した方がいいだろう。


20年前とはそんな時代。

来年に向けたさわりとして、ちょっとだけ前時代を振り返ってみた。



----------------------------
*1 グループの変遷は以下の通り
SUPER MONKEY'S<安室奈美恵・牧野アンナ・澤岻奈々子・天久美奈子・新垣寿子>
SUPER MONKEY'S 4<安室奈美恵・澤岻奈々子・天久美奈子・新垣寿子>
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S<安室奈美恵・澤岻奈々子・天久美奈子・松田律子・宮内玲奈>
牧野アンナは脱退後沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターへ転身、後にAKBグループの振り付けやダンスレッスンも担当するようになる。
新垣寿子はやはり沖縄アクターズスクールに帰還、後にスクールを立ち上げ牧野と共にAKBグループの振り付けを担当するようになる。
澤岻奈々子・天久美奈子・松田律子・宮内玲奈の4人はMAXを結成。

*2 96年の7月7日には飯田圭織が『ASAYAN』の小室オーディションの札幌予選に参加。やはり安室奈美恵の『Body Feels EXIT』を歌っている。「小室さんの彼女にして下さい」という迷言を残した。
*3 何しろ石黒さんは鼻ピアスだしね!
*4 1994〜1999年が日本でCDが爆発的に売れた時代と言われている(NHK・Eテレ『亀田音楽専門学校シーズン3』より)。

佐々木ゆう子さん、ご出産

ASAYAN・コムロギャルソンでデビュー予備軍AIS出身の佐々木ゆう子さんが第一子をご出産。
おめでとうございます。

不妊症治療や重症妊娠悪阻を乗り越えてのご出産とのことで喜びもまた大きいのではないでしょうか。

AISが活躍していたのは18年くらい前。
随分と時間が経ったんだなあ。

自分の中ではASAYANといえばモーニング娘。とこのAISの面々ですね(亜波根さんはAISとは違うけど同時期の出演だから自分の印象ではAISに入っている)。



●ゆきどん結婚式(飯田圭織ブログより)

元ハロプロ・前田有紀さんの結婚式。
こちらもおめでとうございます。

飯田さんのブログの画像を見ると、

メロンの4人に稲葉さん・平家さんという面々

もうね、「アイさが」の世界が見えてきてしまう。
この面々の繋がりも変わらんなぁ。



●めちゃイケに圭ちゃん・和田さん

和田さんの圭ちゃんマネージャー説はこれか。
ようやく謎が解けた。

「めちゃユル」というネット番組の総集編みたいなものをやっていたのだが、そこに圭ちゃんが出ていた。
「岡女」のDVDの発売を記念して、岡女の問題児だったあの子にも渡したいということで、圭ちゃんの携帯電話からあの子に電話をかけた。途中で怖くなって着信最中に切ってしまうのだが・・・

その後まさかの折り返し電話が。
そこで和田さんが「出ないで」という意味合いで土下座して岡村さんに頼んでいるシーンが映った。

おそらくこの一連の経緯で噂があったのだろう。
まあ噂もちょっと見ただけなので、イマイチ自分は分かってないが・・・

まあそれよりもこれを見る限り、圭ちゃんも和田さんも何もわだかまりがないなあということがよく分かった。やはり以前書いたように、仲の良い身内同然の子が問題起こしてすみませんって苦笑しているくらいの感じだったかな。

テレビ朝日『関ジャニの仕分け∞』下剋上カラオケサバイバルを見る。

このサイトで取り上げてきた方が何人も出ていらした。


まずプロ側の歌手として出てきた松本英子さん。
旦那さんは元アップフロントの柏出身バンドSomething ELseの今井千尋氏。ヒット曲『Squall』を歌っていた頃(1999年)のマネージャー榊氏はモーニング娘。の元マネの和田氏とフジテレビの音組主催・きくち氏の盟友。榊氏が篠原ともえさんのマネージャーもしていた関係で松本さんと篠原さんの二人でユニットを組んだこともある。
これらの関係からフジの『LOVELOVEあいしてる』やGIRL POP FACTORYにもよく出ていた。


プロ歌手に挑む挑戦者として増田有華さん。
歌唱力、運動能力、それに伴うダンススキル、それらを高いレベルで持っていたもののAKB48時代にまったく報われなかった増田さん。高校時代にはBerryz工房の清水さんや俳優の剛力さんらとダンス部で踊っていたともいう。

その力量からAKB内で憧れるメンバーも多かったようだが、逆にその完成されたスキルがアイドルとしてはファンの「応援」ということに繋がらない部分もあり陽の目を見ることは少なかった。

個人的にはこういうスキルで土台を支える人がいないとグループとして骨格が出来上がっていかないと思うので、後継者がいないまま去ってしまったことはAKBにとって大きな損失だったと思う。


同じく挑戦者として小林幸恵さん。
『ASAYAN』の「小室哲哉 最強女性ボーカリストオーディション1999」の優勝者。記憶が曖昧になってきているが、太陽とシスコムーンの次のオーディションだっけか? 展開が遅くてオーディション期間が長かったような記憶もあるのでオーディションの印象がいまいちぼやけている。ニッキー・モンローという名前だけはよく覚えているけども(笑)

『ASAYAN』プロデューサーでモーニング娘。企画にもよく出てきていた泉正隆氏の吉本SSMに所属していた。現在は北海道小樽を拠点に活動中。


同じく藤岡正明さん。
『ASAYAN』のCHEMISTRYやEXILEのボーカリストたちを輩出した「男子ボーカリストオーディション」の最終候補者(グランプリはCHEMISTRY)。現在もライブ活動や舞台で高い歌唱力を魅せるが、今回はさらなる高みを目指しての挑戦。



カラオケを使っての採点なので情感を込めたり変なクセはつけられないので平面的な歌い方になるのは仕方ないが、それでも皆さんさすがの歌唱力だった。カラオケといってももちろん練習しなければ点数は出ないし、元からの歌唱力もものをいうし、そういう意味でも上記の方々の今回の活躍はうれしかった。

早めに今年2回目の更新(笑)

ここの更新は昔から文体を統一しないようにしているので、あんまり気にしないでください。「統一しないように」っていうよりも更新間隔があき過ぎて統一「できない」って方が本当かもしれませんが。


今回はASAYAN関係のことを少し。
つい先日ロンドンブーツの敦さんがASAYAN出身者と結婚したことでなんだかここのアクセス数も上がっていたみたいです。
ちなみにViVi専属モデルオーディションはASAYANの制作がワイズビジョンに移った後のオーディションなのでほとんど見ていません。そういえば同時期に放送していた『スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦』もワイズビジョンの制作でした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『ASAYAN』はテレビ東京で1995年10月から2002年3月まで放送されていた「夢のオーディションバラエティー」番組。
モーニング娘。やCHEMISTRY、EXILEのメンバーなど数多くの芸能人を輩出した。

初期の頃は番組後半部分がオーディションをやっていた「コムロギャルソン」のコーナーで、当時の小室哲哉人気もあって女子高生が観覧スタジオの大半を埋めていたことも印象的だった(観覧募集で限定していた可能性もあるが)。

司会はナインティナインの二人と永作博美さん、ナレーションに川平慈英氏。
その後永作さんが中山エミリさんと、川平さんが松尾貴史氏と交代。
初期の頃は川平さんが観覧スタジオで生ナレーションしていたこともあった。

スタッフはプロデューサーに吉本SSMの泉正隆氏、構成に都築浩氏、ディレクターにタカハタ秀太氏等。ASAYANの特徴ともいえる赤色を背景とした画面いっぱいのテロップ挿入やカット割りは全部彼らが作ったもの。2001年4月に制作サイドは入れ替えられ、その一年後に番組は終了。

収録は東京の砧にあるTMC(東京メディアシティ)で行われ、TMCは多局の番組でも多数使われていたので、そうした業界的な繋がりがASAYANの盛り上がりに一役買った側面もある。

視聴率は放送開始から順調に伸びていき、石黒彩さんが卒業を発表した1999年12月には20%を超えるにまでなっていた。



さてここからは2007年9月9日に書いた「ASAYAN大追跡。」をベースにしてちょっと情報を追ってみる。


(敬称略)
■制作陣


●泉正隆【ASAYANプロデューサー】(Submarine Dog:髪を切って
吉本SSM社長でASAYANのプロデューサー。ASAYANのモーニング娘。企画の中でメンバーたちに強いダメ出しをしていた方。番組上では一番怖かった人だったように思う。
吉本SSMはASAYAN以外でもハロプロとは多数の番組を作ってきた関係。また芸能事務所としても池脇千鶴や亜波根綾乃、小林幸恵らASAYAN出身者を抱えていた。
2011年4月に吉本SSMはよしもとクリエイティブ・エージェンシーに合併。泉氏も同社の代表取締役副社長に就任。
今年7月の岐阜新聞より。(話題づくり
ASAYANで見た頃より雰囲気が丸くなってる気がする。一時期はよしもとの反主流派の首領なんて話も見かけたが、今やすっかり主流!?


●タカハタ秀太【ASAYANディレクター】
初期のモーニング娘。ファンからは絶大な支持を得ていた。その理由はなんといっても2001年4月にNHK-BSで放送された中澤裕子の卒業特番によるところが大きいだろう。
本家ASAYANから締め出されたタカハタ氏ら旧ASAYAN制作陣はASAYANで培ったノウハウを存分に活かしてNHKで番組を制作。メンバーの心情・個性・歩みを分かった番組構成にファンは涙した。『LOVEマシーン』のPVのディレクターでもある。
その後はショートムービーやSMAP関連の映像を手がけ、アイドル方面ではAKB48の渡り廊下走り隊のアルバムの特典映像を作ったり、柏木由紀のドラマ『ミエリーノ柏木』で脚本・監督をしている。


●都築浩【ASAYAN構成・放送作家】
タカハタ秀太と同じくASAYAN信者にとっては神のような存在。現在でも引く手数多の放送作家。


●和田薫【シャ乱Qマネージャー→モーニング娘。マネージャー】
ASAYANでシャ乱Qロックボーカリストオーディションを企画・主導した一人。映像にもよく登場し、独特の引き笑いと特徴的なしゃべり方でモーニング娘。ファンにも人気があった。フジテレビの制作陣と強いパイプを持っており、テレビ出演のマネジメントにおいて大きな強みとなった。
2000年『恋のダンスサイト』発売後にモーニング娘。のマネージャーから外され、その後EE JUMPや福田明日香から紹介された高野頼子・THETAをマネジメント。現在は音楽関連の仕事からは手を引いた模様。安めぐみや優木まおみといったタレントを売れっ子に育てたものの結婚が相次ぎ、現在は次の展開を模索している段階か。


●夏まゆみ【ダンスレッスン担当】
シャ乱Qロックボーカリストオーディションで最終候補者のダンスレッスン、振り付けを担当。その後モーニング娘。企画においても同役を担当。
メンバーに対する厳しい指導、容赦ないダメ出しが番組名物となっていた。この企画が人気を博した理由の一つに夏先生のメンバーを追いこむ厳しい指導方法があったことは間違いない。
ただし本人はとても涙もろい人で、後年の「衣装担当の人などがメンバーと仲良くなっていくのがうらやましかった」(ニュアンス)といった発言からも分かるように、憎まれ役を買っていた面もある。しかし当時のメンバーとは絶大な信頼関係で結ばれ、お互い涙して再会することも多々あった。
2002年いわゆるハロマゲドンの後にハロプロ関係の仕事から離れ、その後AKB48の立ち上げに参加。メンバー選出や劇場作成、100曲近くの振り付けに携わる。1期生2期生と3期生の一部が加入してきたところまでダンス育成を担当しAKB関係の仕事からは離脱。2011年からドリームモニーニング娘。のコレオグラファーとして活躍。
アイドル関係以外の仕事も熱い情熱で多数こなしている。


●笠木新一【ボイストレーニング担当】
シャ乱Qロックボーカリストオーディションで最終候補者のボイストレーニングを担当。ダンスの夏先生と並ぶ鬼コーチぶりを発揮し恐怖のレッスンを最終候補者たちに行った。
2010年のモーニング娘。1期メンバーイベントの『M。-1ペンタゴン・トライアングル』のイベント特典映像の撮影で中澤・飯田・安倍と再会。鋭い目つきは変わらないものの優しい顔をメンバーたちに見せていた。現在もアンミュージックスクールにてボイストレーナーとして健在。


●きくち伸【フジテレビ音楽番組プロデューサー】
TMCによく出入りしていたフジテレビの音楽番組を担当するプロデューサー。ASAYAN放映時は『LOVE LOVEあいしてる』『MUSIC HAMMER』、フジが主催する音楽イベント等を手がけていた。
モーニング娘。のメンバーとはごく早い時期にTMCの喫茶「今昔庵」で引きあわされ、その後数多くの番組にモーニング娘。をゲストに呼んだ。モーニング娘。のマネージャー和田薫氏とはこれ以前からの盟友と呼べる仲。きくち氏の結婚式の司会も和田氏が担当した。しかも当時和田氏は事故で骨折していて松葉杖で式場に駆けつけたという。
『LOVEマシーン』のPVにフジテレビ社員にもかかわらず堂々と登場(テレ東で放映)。フジのバラエティ班(片岡飛鳥班)とも協力することが多く、『めちゃイケ』や『13人がかりのクリスマス』『新春かくし芸大会』等でモーニング娘。と関わった。
アイドル好きとしても知られ、特に音楽に軸足を寄せて活動しているアイドルは大好きである。安倍なつみにとって芸能活動の転機となった『チェインギャング』を歌える場を作ったり、復帰してきた市井紗耶香を応援したり、モーニング娘。の1期2期とは深い絆が見えた。
現在はフジテレビ編成制作局バラエティ制作センターGP。音組主宰。2013年になった今でも夏の音楽イベントには安倍なつみをはじめとして当時のメンバーを毎年ゲストに呼んでいる。




■出演者(2007年9月9日に書いたものと重複)


◇コムロギャルソン時代(1995年10月〜96年9月)

●dos taeco(西野妙子)・asami(吉田麻美)・kaba(椛島永次)
dosの3人は2007年の情報から足すものはなし。kabaちゃん以外は活動形跡なし。

●松澤由美
dosを輩出したASAYAN小室オーディションに参加。評価は高かったが落選。その後、アニメソングを歌う歌手としてメジャーデビュー、コンスタントにCDをリリースし現在に至る。2009年に結婚、その後二児の母に。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ『YUMIMANIA』)

●天方直実
dosを輩出したASAYAN小室オーディションに参加。久保こーじプロデュースで1996年にデビュー。2000年にニューヨークへ渡りジャズやゴスペルを学ぶ。帰国後はシンガーソングライター、雨上がり・宮迫とのユニット「2am」としても活動。現在もライブハウス等で歌手活動中。昨年には久保こーじ氏の企画に参加。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ『na-BLOG』

●亜波根綾乃(阿波根綾乃)
ASAYAN「レコード会社争奪オーディション」で12社もの指名を獲得した沖縄の天才少女。1996年10月にデビュー。都会の生活が合わなかったとも言われ99年のアルバムリリース後、活動を休止。沖縄に帰郷。
吉本SSMのホームページに長らく名前が載っていたが上記の通り吉本SSMが吉本CAと合併、それを機に名前が削除されるかと思われたが新ホームページにも名前が載っているので2011年の段階でもなお契約はある模様(注:合併を機に他の多くの名前は削除された)。
沖縄タレントアカデミーの出身で仲間由紀恵らと共に「アカデミー三人娘」として将来を嘱望された逸材だった。

●胡桃沢ひろこ
乙女塾2期生。桜っ子クラブさくら組を経てASAYANコムロギャルソンに参加、久保こーじプロデュースのユニット「L☆IS」のリーダーとしてデビュー。解散後はTBS『王様のブランチ』などで活躍。2007年頃は野田社長のサンズエンタテインメントに所属していたが現在は不明。資格を生かした日本酒の講師などマイペースに活動中。(オフィシャルブログ



◇デビュー予備軍・AIS(1996年10月〜1997年8月)

●田口理恵
デビュー予備軍AISを経て手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。1999年11月の解散後はソロ歌手、また女優やモデルと活動の幅を拡げる。2005〜06年には「TAO」としてアーティスト活動。自身のデザインによるアクセサリーブランド「Lourdes」を立ち上げ今に至る。
2011年〜12年にはヘリンボーンという主にナレーターをマネジメントする事務所に所属しCMのナレーションを行う。現在は株式会社エムアイティギャザリング内のPRIMAVERAというセクションに籍を置いている模様(同事務所に太陽とシスコムーンの小湊さんも在籍)。(オフィシャルブログ『上げ場!?』

●大櫛江里加(大櫛エリカ)
『ASAYAN』の収録スタジオに観客として来ていたところを番組スタッフにスカウトされオーディションを受ける。デビュー予備軍AISを経て手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。
1999年11月の解散後は一時引退、短大へ通う。2002年に芸能界へ復帰、アウトドア系の仕事を中心に活躍中。芸能界女子フットサル・南葛シューターズに長期に渡って所属。2006年4月よりモーニング娘。の元マネージャー・和田氏の盟友・榊伸浩氏の事務所に移籍。現在は榊氏と共にGMAエンタープライズに所属している模様。
2010年9月に結婚、2013年1月に第1子を出産。(オフィシャルブログ

●片桐華子
デビュー予備軍AISでは学校の都合によりオーディションを断念。その後手売りで1万枚のCDを売るという試練を2日で達成し、河村隆一プロデュースの3人組ユニット「Say a Little Prayer」として97年10月デビュー。解散後は主に女優として活動。2001年のM-1グランプリにも出場し準々決勝まで進出した。ハロープロジェクトの深夜番組『二人ゴト』のナレーションを担当したこともある。吉本SSMに所属していたが上記の吉本CAへの合併の際に名前が外された。
2013年3月に結婚(→大櫛エリカブログ)。芸能活動はしていないようで田口・大櫛さんのブログで時たま消息を知ることができる。

●佐々木祐子(佐々木ゆう子)
小室哲哉に華原朋美の再来と絶賛されたものの、小室プロデュースは勝ち取ることは出来ず、デビュー予備軍AISを経て97年9月にデビュー。2001年にはニューヨーク在住のシンガー・yurippeと女性2人組デュオ「Plum Planets」を結成。しかし2003年には解散、長い沈黙の後2006年にソロ活動を開始するも再び活動休止に。2010年再々始動、12年1月シングル発売。(オフィシャルサイトオフィシャルブログ

●福井麻利子
2007年から変わらず。

●小林優美(ABYSS)
デビュー予備軍AISを経てABYSSとして97年5月にデビュー。その後再びASAYANのオーディションに参加。「太陽とシスコムーン」オーディションのサンフランシスコ合宿メンバー8人の内の1人。その後台湾に活動拠点を移し現在も活動中。吉本興業台北事務所所属。2009年12月結婚、2010年4月出産。(オフィシャルブログ

●大泉めぐみ(FBI)
デビュー予備軍AISを経てFBIとして97年6月にデビュー。グループ解散後、周防彰悟プロデュースでshelaとして再デビュー、スマッシュヒットを飛ばす。2004年には活動存続が危ぶまれていたが2005年再び周防彰悟プロデュースでCDリリース。同年には周防氏プロデュースの新ユニット「sunny-side up」に参加、一枚のシングルで活動休止。
2009年9月に映画『ばかもの』の主題歌と自らも出演した舞台『殺し屋シュウ〜シュート・ミー〜』の挿入歌が入ったシングルを4年ぶりにリリース。2012年にSweet Liciousのアルバムに参加。

●石井ゆき
デビュー予備軍AISを経てMC.ATプロデュースの女性2人組ユニット・LUV 2 SHYと組み97年9月にデビュー。98年1月にソロデビュー。99年10月のCD発売を最後に活動が見られなくなったが2010年2月にブログを開始。(オフィシャルブログ

●岡田幸絵
2007年から変わらず。



◇乱発オーディション>(1996年10月〜1997年4月)

●益田祐里
乱発オーディション落選後、Favorite Blueの木村貴志に見い出されm.o.v.e結成に参加。最初のうちは苦戦したがデビューから4年後の2001年にオリコントップ10入り。アニメ・頭文字(イニシャル)Dとのタイアップもあり長く音楽活動を続けている。2005年にはアメリカにも進出した。その後も順調に活動したが2013年3月にm.o.v.e解散。
2009年11月に結婚、2010年3月に女児を出産。

●中村友理
乱発オーディション合格後、友人だった伊澤真理とユニット「YURIMARI」を結成して1998年2月にサンプラザ中野とパッパラー河合による楽曲提供でデビュー。1999年解散後は女優として活動。あまり目立つ役での起用はなかったが、2007年に映画『パッチギ!』の続編『パッチギ! LOVE&PEACE』のヒロインに抜擢され、以降数々の映画やドラマに出演。2013年3月にエイベックスからアルファエージェンシーに移籍。(オフィシャルサイト

●伊澤真理
乱発オーディションに合格した友人・中村友理と「YURIMARI」を結成して1998年2月にデビュー。1999年解散後はタレントとして活動していたがアメリカに渡るために引退。帰国後結婚、一児を設けたが離婚。子供時代の荒れた素行とともに(自伝エッセイ『弱虫!』より)なかなか波乱万丈な人生をおくっている。現在再び芸能界に復帰し(松竹芸能所属)、関西方面を中心に活動している。2007年に再婚、2008年に双子を出産した。(オフィシャルブログ

●諸隈美幸
乱発オーディション落選後、シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション、小室哲哉ヴォーカリストオーディションファイナルに参加もすべて落選。ヴォーカリストオーディションファイナルで鈴木亜美に僅差で破れた後、2000年7月に小室哲哉プロデュースでようやく歌手デビュー。デビューするまでのオーディション参加の数は100を越えた。その後地元・佐賀でタレント・歌手活動した後、結婚、双子を出産。



◇シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション(1997年4月〜8月)

●河村理沙
オーディション前からグラビア等、芸能界で活動。1996年にはエスキモーのアイス「pino」のCMにも出演した。翌年のシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションには最終選考まで進出したものの落選、敗者復活の枠にも洩れた。2006年1月までは芸能事務所に所属していたが離脱、その後はライブを中心に活動中。(オフィシャルブログ『ちゃむと一緒』

●高口梓
2007年から変わらず。

●中富和美
シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションを皮切りに数々のASAYANオーディションに参加。歌唱力には定評がありいつもいいところまで進出するもデビューの座は掴めず。2007〜08年頃にはSHALPというバンドを組み下北沢近辺でライブ活動をしていたが、活動休止。2010年11月に九州に転居、現在は沖縄で生活している。(オフィシャルブログ



◇その他のオーディション

●椛田早紀
モーニング娘。第1次追加オーディション、最終選考進出者16名のうちの1人。後、2001年の敗者復活大オーディションに参加しレコード会社からのオファーを獲得。2001年8月にユニット「CLOVER」としてデビュー。2002年にはソロシングルをリリース、2004年には声優としても活動。2004年にバンド「MILK FUDGE」を結成しメジャーデビューも果たしたが2005年末に解散。2007年には「MILK FUDGE」で活動を共にしたEiriとユニット「tokage」を組み再始動。精力的に活動し今年9月にはニューアルバムを発売。(tokageオフィシャルサイト





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



補足というか雑感を少し。

前回調べた2007年からは6年が経っている。
6年前でも皆さん生活が落ち着いていた感じなので、今回調べてガラッと変わってしまったという印象は少ない。雰囲気が極端に変わったと思ったのは諸隈さんくらい(前回は画像にたどり着かなかったのかもしれない)。伊澤さんや中富さんは雰囲気が柔らかくなった印象を受けた。御本人は嫌がるかもしれないが年を重ねてとんがった部分が丸くなったというか、落ち着いた感じが出ていた。

Say a Little Prayerの3人はまだ交流があり、またAISの田口さん、佐々木さん、小林さんも繋がりがあるなど、15年以上が経つのに当時のメンバーが集まったりしている姿を見れるのはうれしい。まあ集団で動いていたのはAISだけなので、他のオーディションのメンバーと置かれた状況はちょっと違うのかもしれないが。

椛田さんは変わらないな。また6年後に調べても同じように音楽活動している気がする。容姿もほとんど変わらないで(笑) 中富さんもそうなるだろうなあと思っていたが、東京を離れたことは意外だった。

御本人にとっては迷惑なことは百も承知なのだが、AISの岡田さんがどうされているかちょっと知りたかった。当時のオーディションでは亜波根さんと田口さん、それと岡田さんが推しだったもので(笑)


制作陣については、率直にみんな年を取ったなあという感じ。そりゃ15年以上も経っているのだから当たり前か。順調に出世された方も多数いらして、今なら昔出来なかったことが出来るんじゃないのかと思いたいが、なかなかそうならないのがこの世界。やはり年を取ると冒険心はなくなっていくのかもしれない。

しかし、フジのきくちさんにはどうしても注文をつけたい。最近の音組(きくちP率いるフジの音楽番組制作集団)の作る番組はつまらない。かといって他局の音楽番組がいいわけでもないのだが、きくちさんの作る番組には10年くらい前まではメジャーに対してのマイナーな存在が必ずあったように思う。今はメジャーばかりを取り上げて、他局と変わらない番組になってしまった。

それにしょっちゅう総集編やっているし、視聴者に新しい発見をしてほしいという気概みたいなものが薄れたような気がする。悪く言えば平均点を取っていればいいという考えが見えて私は好きではない。今のフジテレビの置かれた厳しい状況を考えれば仕方ないのかなとは思うが。


ちなみに私の手元には当時のASAYANの映像がない。かろうじて1997年のロックボーカリストオーディションから始まるモーニング娘。の映像が残っているだけだ。コムロギャルソンやAIS、それにSay a Little Prayerや太陽とシスコムーンもみんな記憶の中だけにしかない。商品としてのDVD化は昔から望まれてきたがそれも権利関係の都合で難しいという(たしか橋本慎さんが、そういう話をされたような気がする)。

みんな記憶の中なのだが、今これだけ自分の記憶に残っているということに逆に驚く。それだけ自分が集中してみていたのかもしれないし、また映像の作り方がそれだけ記憶に残りやすいものだったと言えるのだろう。あのナレーションとテロップの入れ方、展開の煽り方、記憶に残すという意味では最善だったのかもしれない。

もう一度見てみたい気もするが、ちょっと怖くもあり、記憶の中だけに留めておきたい気もする。
まあ15年以上も前の話なのでね、もはやちょっとした「昔話」。
青春時代の思い出ですわ。



そうそう、ウチのサイト、以前は「福田明日香」の検索で訪れる方が多かったのだけど、今は「亜波根綾乃」が圧倒的に多かったりする。みんな好きだなあ(笑)

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