Submarine Dog

カテゴリ: ASAYAN

いつか来た道


<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち




    < 10 >                (敬称略)


平家がグランプリを獲得して、落選者たちはそれぞれの生活に帰って行った。

石黒は札幌に戻ると合宿でダンスが出来なかったことを反省しすぐにダンスの教室を探し始める。またバンド活動で「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」(10代を対象にした誰でも参加できる音楽イベント。全国で行われる予選を勝ち抜いた本戦出場者にはメジャーデビューのチャンスがある)に向けて新たな曲作りも始めていた。さらに、オーディションの悔しさから毎日走っていたという。

室蘭に戻った安倍は落ち込む日が続いていたが、帰るとすぐに彼女の元には芸能事務所から「うちからデビューしませんか?」と電話がかかってきていた。大手の事務所だったらしいがASAYANスタッフから事務所に入ったり、新しいオーディションを受けることを安倍は止められていたという。

ASAYANスタッフにそのことを連絡し「まだ返事してないよね?」「また連絡しますから」と言われた安倍はASAYANを信じて待つことに決めた。この時にASAYANを信じた理由を「番組上としてじゃなくて、一人の人間としてちゃんとケアしてくれていた。そういう人たちがいたから…」と安倍は語っている。ASAYANのスタッフは過酷な試練を彼女たちに与え続けたが、根本の部分での優しさは忘れることなく彼女たちと接していたようだった。

また、福岡に戻った松本弓枝は同時期に日本音楽事業者協会によって行われていたザ・ジャパン・オーディションにも並行して参加しており、その放送でも姿を見ることが出来た。同オーディションの歌手部門には島谷ひとみや八反安未果らが参加、俳優部門には後に飯田圭織の友人となる木内晶子もいた(女優の田中麗奈と3人で仲が良いので結婚式等にも顔を出していた)。

東京オーディションの河村理沙は1996年にはアイドルグループ・pinoのメンバーとしてCDデビューしていた。97年のASAYANオーディション落選後も芸能活動・歌手活動を続け2010年代になっても活動を続けている。

福岡オーディションの高口梓もその後芸能活動を続けたようで(彼女もASAYAN以前に埼玉県川口市でアイドル活動をしていた)、時として他の芸能人のブログ等に登場することもあった。


中澤の元にASAYANのスタッフから電話がかかってきたのは、大阪の仲間と一緒に徳島の海に遊びに出かけちょうど海岸に着いた時だった。仲間たちがオーディションが終わった中澤を励まそうと、みんなでこの日海を渡って出かけてきたのだ。

一番になれなかったけれども、生まれて初めて一生懸命になれたことに満足してオーディションから帰った中澤。
ずいぶん会社にも迷惑かけたし、これからのこともちゃんと考えないといけないけど、その前にこの残り少ない夏を満喫しよう…そう思って出かけた海への旅行だった。

そこにかかってきた電話。
「何も聞かず、何も言わず、もう一度東京へ来てください」
そう言われた中澤は涙が止まらなくなってしまう。周りの仲間たちが心配するくらい中澤は泣いていたのだ。
「なんでまた東京?」
「もしかして、まだチャンス残ってた?」

中澤はこのときに自分が一番になれなくて悔しかった本当の自分の気持ちに気がついた。満足していたのは自分が落ちたことを納得させるためだったと気付いたのだ。自分はまだ終わってない…そう思ったら涙が止まらなくなったのだった。

中澤は何も分からないまま再び東京に向かう新幹線に飛び乗った。

そして石黒と安倍、飯田と福田の元にもそれぞれ電話がかかり、何が待つかも分からない東京に5人が集う。

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで


    < 9 >                (敬称略)


最終審査が行われた翌日の8月4日。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが盛り上がっている中で、『ASAYAN』はもう一つの盛り上がりをみせていた。

第1回で書いたデビュー予備軍・AISでデビューを勝ち取れなかった田口理恵・片桐華子・大櫛江里加の3人で結成したSay a Little Prayerが、インディーズCDを1店舗10日間で1万枚売ったらレコード会社と契約できるという企画にこの日から挑んでいたのだ。

Say a Little Prayer『小さな星』


タワーレコード渋谷店で手売りを行った3人は初日に約7000枚を売り、翌5日午後8時半頃に1万枚完売を達成。10日予定のところを2日で売り切り見事メジャーデビューの夢を勝ち取った。

この記録は1店舗における1日のCD売り上げ枚数の世界記録だったが、その記録は3カ月後にあっさりと抜かれてしまうこととなる・・・


そして1997年8月14日。

最終審査が終わってから10日あまり、再び11人は東京に集められた。シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションの優勝者がついにこの日発表されるのだ。

予選会場に足を運んで1次審査を受けた参加者約9900人。4ヵ月にわたって繰り広げられたオーディションもようやく終わりを迎えようとしていた。

安倍は即キープで最終審査に進んだこともあって「もしかすると」という期待を胸に上京していた。前日から泊まり込んでいたホテルでは飯田と同室だったが、飯田が「優勝は平家さんかなあ」と言っている横で期待の膨らみ過ぎた安倍の鼓動は高まるばかりだったという。

しかしこの時の合宿メンバーの仲間内の予想では「ロックボーカリスト」という募集で開催された以上、平家か石黒のどちらかだろうという予想に概ね落ち着いていた。安倍はナインティナイン岡村から「実写版綾波レイ」と言われるほどビジュアルとしてはアイドルに寄っていたし、福田は抜群の歌唱力を誇るとはいえ最終審査の歌審査直前のフラフラの状態を知られていたことや年齢からいっても予想の中には入らなかった。

グランプリの栄冠は歌で安定した力を見せ、合宿生活にもダンスにも必死に取り組んだ平家みちよの頭上に輝くことになる。即戦力を求めていたはたけの要望とも合致していたし(11月のシャ乱Q武道館ライブに立たせることになっていた)、周囲の参加者からもその実力を認められた栄冠となった。オーディション開始時から自分のことを「凡人」と言い続けた平家が凡人でなくなった瞬間だった。



落選を受けて後のモーニング娘。となる5人は最後の心境をこう述べている。



「ちっちゃい頃からずっと歌が好きで、何時間歌っても飽きないんですよ。だから私には歌しかないなと思って。売れなくても自分が好きな音楽をやっていけたらって思ってます」(福田)



「とりあえず、今の生活からは抜け出したいんで……。これからも人生冒険します」(中澤)



「ASAYANしかないから、オーディションって。だからASAYAN……また受けます」(安倍)



「やっと終わったって感じ……。(平家には)おめでとう、って。ホント嬉しかったし」(飯田)



「歌も頑張ってたし、ダンスも頑張ってたし、平家さんは自分より全部上だったんで、認められます」(石黒)

<コメント部『モーニング娘。5+3-1』より抜粋>

こうしてオーディションは終わり最終予選で敗れたメンバーたちもそれぞれの地元に帰って行くのだが、安倍は室蘭の自宅に帰るまで…いや帰ってからも泣き続けた。

どん底まで落ち込んで泣いていた安倍のところには飛行機のスチュワーデスまでが慰めにやってきたという。機内で配るお菓子を差し入れ「これ食べて元気出して」と、まるで子供をあやすようだった。この後何十回と羽田と千歳を往復することになる安倍はこのスチュワーデスの方と再会したという。

また、関西に向かう新幹線組の二人は平家が中澤に「整形した?」と最後の質問をしていた。もちろんこれは二人の中での笑い話なのだが、こちらは札幌組とはうって変わって明るい帰路となったようだった。

これでオーディションはすべて終了、誰もがそう思っていたがこの後事態は急展開を迎えることになる。

連載から離れて最近ちょっと思うこと、あるいは中途半端に考えていること、などを記しておこうと思う。


●『ASAYAN』に思うところ

連載でずっと『ASAYAN』のことを書いているが、実はけっこう嫌悪感を抱く部分も多かったりする。

自分が好きなのは(青臭い書き方をすれば)夢に向かって一生懸命頑張っている姿であって、そこにしかない喜びや涙や葛藤が心の琴線に触れて好きなのだ。

だから、その一生懸命やっていることを馬鹿にしたような笑い方をする(それも芸の内なのかもしれないが)ナインティナインやつんく氏に対して思うことは多々ある。芸人が芸人を笑っているのではないし、笑われる方も笑ってほしくて一生懸命やっているわけではないので、それを笑うことに自分は好感を持てないでいる。ただしそれで彼らが嫌いという単純な話ではなく、一面での話。

同様に、『モーニングコーヒー』のパート割りをめぐる飯田さんの件にも見られるような強引な話の「ヤマ」作りも好きではないのだが、それは前述の葛藤等が見える場所でもあるので、これまた単純に嫌いとは言えない部分。



●石垣島

貴重な情報ではあるものの書いていないこと(書けないこと)がある。それを知ってから島の景色を見てみたいなーと思うが色々と事情があって行けずにいる。しばらくは行くのは無理だと思うので、もし行く方いらしたらお声がけください。

ただし、このサイトに「石垣島」と書いてあったらそれが何を示唆しているか分かる方と、ハンドルネームと言えどもブログなりツイッターなりで基本的な考え方やスタンスの分かる方に限ります。



●錆びつきが深刻

20年前のことを再度連載中、記憶を辿る作業がなかなか困難に 笑
さすがにね、記憶の引き出しが開きにくくなっていることを実感。
誰かに聞かれたりすると、スッと話を展開していけることもあるのに、一人で考えているとそこまで考えが至らないことが多い。

まあでもここまで覚えていたのも、なかなかたいしたものではないかと自画自賛(笑) 資料整理・事績整理しておくと、その作業によって後々の記憶に役だっているのは確実。

現在進行形のものについても、見たこと感じたことを書き残しておくことはやっぱり必要ですね。

いつか来た道


<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話



    < 8 >                (敬称略)


最終審査では11人を一つのグループとして振り付けがされ、その上でダンス審査を行った。

そのダンス披露で選ばれた曲は『リーチ』。
ダンスレッスンを担当した夏まゆみ(以下夏先生)の選曲で、曲名と手を伸ばす振り付けには「みんなが夢に手が届きますように」という願いがこめられている。

ステージ披露の前に夏先生と11人が円陣を組んで気合いを入れる。
「一番良い状態を見せるんだよ」と夏先生は11人を送り出した。

そしてダンス披露。



結果は夏先生にとって満足のいくものではなかった。
戻ってきた11人に頑張っていたことは認めた上で「練習のときの方がよかった」「これからプロとしてやっていくつもりなら本番こそがすべて」と涙ながらに怒る。11人もその夏先生の熱い思いと情熱に打たれ、また「今日で会えなくなる子がほとんどで…」との夏先生の言葉に涙していた。

この時のことを中澤は「夏先生は最上級の愛とエネルギーを与えてくれた」と後に語っている。単なるスパルタ教育ではない、そこには深い心の繋がりが生まれていた。











その後に行われた個別の歌審査。
シャ乱Q・はたけによって直前にメロディーラインの微妙な変更があり、それが11人を苦しめることになる。

「プロになるからにはこういう変更はいつでも有り得る」とはたけから説明があったが、緊張の極限状態にあったオーディション参加者にはかなり酷な要求だったようだ。歌審査で声が震えたり歌詞が飛んでしまったりと普段の実力を発揮できないメンバーが続出することになる。

福田はダンスの後の夏先生とのやり取りを引きずっていて、歌審査の直前まで泣いていた。福田自身はダンスは踊れていたと思ったらしいのだが、周りの泣いている空気にのまれ、ずっと張りつめていたものが爆発してしまったらしい。歌う間際になっても立ち上がれず、気力がまったく出てこなかった。意外なことにこのときボロボロだった福田を励ましたのは最もオーディションで目立ち強気な言動の多かった兜森だったという。兜森の励ましを受けてなんとか福田はステージに立った。

この歌審査で使われた曲が合宿で練習した課題曲であり、後の平家みちよのデビュー曲の『GET』である。平家がハロプロを去ることになった2002年のラストライブでも『GET』は最後の最後に歌われている。

この歌審査の直後にシャ乱Qと和田マネージャーによる個別面談があり、それが終わったあと一旦解散となりそれぞれ帰郷した。帰りの新幹線では緊張から解放された中澤が平家にビールを買いに行かせて、平家が戸惑ったとかそんな話も伝え残る…

平家はこのとき高校3年生の18歳。
中学1年の頃にGAOの『サヨナラ』という曲と出会い、この歌をすごく好きになったことが歌手を目指すきっかけだった。GAOのファンクラブに入り、いつか会うこともあるかもしれないと思い、必死になって『サヨナラ』の練習を積んだ。

中学2年の修学旅行のバスの中で平家はこの歌を披露する。
それまで地味に学校生活を送っていた平家だったが、この時は今まで見向きもしなかった同級生たちが平家の歌う姿に振り返った。
いよいよ平家は歌手を強く志すようになる。

平家の8歳年上の姉の中学の同級生には歌手の平井堅がいた。彼は1995年にデビューしているので、そんなことからも歌手という夢を追いかけることになったのかもしれない。

中学2年からオーディションを受けること十数回。ASAYANのオーディションも3回目。平家の夢はあと一歩のところまで近付いてきていた。


GAO『サヨナラ』




1996年5月11日、『ASAYAN』コムロギャルソンの札幌オーディションに石黒彩が参加。SUPER MONKEY'S 4『DANCING JUNK』を歌い予選を突破、東京のスタジオ審査に進む。


今から20年前の出来事。
『ASAYAN』発のモーニング娘。というグループはまだ影も形も見えず、オーディションに参加した多くの女性が「歌手」という夢を漠然と追っていた時代。石黒さんはまだ地元でベースを弾いてライブハウスに出入りしていた。

石黒さんがオーディションで歌ったSUPER MONKEY'S 4*1というグループはご存知の方も多いと思うが安室奈美恵さんが元々所属していたグループで、メンバー全員が沖縄アクターズスクール出身。安室さんは前年のスマッシュヒット連発、そして96年の立て続けのミリオンヒットによりアムラー旋風を巻き起こしていた。

『ASAYAN』は安室さんの楽曲プロデュースをしていた小室哲哉氏がオーディションの監修をし、そして安室さんのレコード会社だったavex(ひいては代表のMAX松浦氏)がスポンサーにについていたため、彼女に憧れた多くの同世代の女子たちがオーディションを受けていた。*2

その頃はアイドル氷河期と言われる時代が終わった時期であり、また音楽シーンではGIRL POPが隆盛を極めていたこともあって、「アイドルになりたい」「シンガーソングライターになりたい」という目的はあまりハッキリとはせず、「華やかな世界で歌を歌いたい」というような子が多かったのではないかと思う。

ビジュアル系・ロックテイストが好きだった石黒さんが、アイドルっぽい曲でオーディションを受けることに違和感を感じない、そんな曖昧さをすべて飲みこんでしまうだけの活気も当時の音楽業界にはあったのではないかと思う。*3

ちなみにCDが最も売れたのは1998年*4。初回盤もタイプ別もなく、一人が1枚だけCDを買うことがほとんどの時代にこれだけ売れたということは、現代のミリオンとは認知度とその拡がりにおいて大きく意味が違うことは認識した方がいいだろう。


20年前とはそんな時代。

来年に向けたさわりとして、ちょっとだけ前時代を振り返ってみた。



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*1 グループの変遷は以下の通り
SUPER MONKEY'S<安室奈美恵・牧野アンナ・澤岻奈々子・天久美奈子・新垣寿子>
SUPER MONKEY'S 4<安室奈美恵・澤岻奈々子・天久美奈子・新垣寿子>
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S<安室奈美恵・澤岻奈々子・天久美奈子・松田律子・宮内玲奈>
牧野アンナは脱退後沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターへ転身、後にAKBグループの振り付けやダンスレッスンも担当するようになる。
新垣寿子はやはり沖縄アクターズスクールに帰還、後にスクールを立ち上げ牧野と共にAKBグループの振り付けを担当するようになる。
澤岻奈々子・天久美奈子・松田律子・宮内玲奈の4人はMAXを結成。

*2 96年の7月7日には飯田圭織が『ASAYAN』の小室オーディションの札幌予選に参加。やはり安室奈美恵の『Body Feels EXIT』を歌っている。「小室さんの彼女にして下さい」という迷言を残した。
*3 何しろ石黒さんは鼻ピアスだしね!
*4 1994〜1999年が日本でCDが爆発的に売れた時代と言われている(NHK・Eテレ『亀田音楽専門学校シーズン3』より)。

佐々木ゆう子さん、ご出産

ASAYAN・コムロギャルソンでデビュー予備軍AIS出身の佐々木ゆう子さんが第一子をご出産。
おめでとうございます。

不妊症治療や重症妊娠悪阻を乗り越えてのご出産とのことで喜びもまた大きいのではないでしょうか。

AISが活躍していたのは18年くらい前。
随分と時間が経ったんだなあ。

自分の中ではASAYANといえばモーニング娘。とこのAISの面々ですね(亜波根さんはAISとは違うけど同時期の出演だから自分の印象ではAISに入っている)。



●ゆきどん結婚式(飯田圭織ブログより)

元ハロプロ・前田有紀さんの結婚式。
こちらもおめでとうございます。

飯田さんのブログの画像を見ると、

メロンの4人に稲葉さん・平家さんという面々

もうね、「アイさが」の世界が見えてきてしまう。
この面々の繋がりも変わらんなぁ。



●めちゃイケに圭ちゃん・和田さん

和田さんの圭ちゃんマネージャー説はこれか。
ようやく謎が解けた。

「めちゃユル」というネット番組の総集編みたいなものをやっていたのだが、そこに圭ちゃんが出ていた。
「岡女」のDVDの発売を記念して、岡女の問題児だったあの子にも渡したいということで、圭ちゃんの携帯電話からあの子に電話をかけた。途中で怖くなって着信最中に切ってしまうのだが・・・

その後まさかの折り返し電話が。
そこで和田さんが「出ないで」という意味合いで土下座して岡村さんに頼んでいるシーンが映った。

おそらくこの一連の経緯で噂があったのだろう。
まあ噂もちょっと見ただけなので、イマイチ自分は分かってないが・・・

まあそれよりもこれを見る限り、圭ちゃんも和田さんも何もわだかまりがないなあということがよく分かった。やはり以前書いたように、仲の良い身内同然の子が問題起こしてすみませんって苦笑しているくらいの感じだったかな。

テレビ朝日『関ジャニの仕分け∞』下剋上カラオケサバイバルを見る。

このサイトで取り上げてきた方が何人も出ていらした。


まずプロ側の歌手として出てきた松本英子さん。
旦那さんは元アップフロントの柏出身バンドSomething ELseの今井千尋氏。ヒット曲『Squall』を歌っていた頃(1999年)のマネージャー榊氏はモーニング娘。の元マネの和田氏とフジテレビの音組主催・きくち氏の盟友。榊氏が篠原ともえさんのマネージャーもしていた関係で松本さんと篠原さんの二人でユニットを組んだこともある。
これらの関係からフジの『LOVELOVEあいしてる』やGIRL POP FACTORYにもよく出ていた。


プロ歌手に挑む挑戦者として増田有華さん。
歌唱力、運動能力、それに伴うダンススキル、それらを高いレベルで持っていたもののAKB48時代にまったく報われなかった増田さん。高校時代にはBerryz工房の清水さんや俳優の剛力さんらとダンス部で踊っていたともいう。

その力量からAKB内で憧れるメンバーも多かったようだが、逆にその完成されたスキルがアイドルとしてはファンの「応援」ということに繋がらない部分もあり陽の目を見ることは少なかった。

個人的にはこういうスキルで土台を支える人がいないとグループとして骨格が出来上がっていかないと思うので、後継者がいないまま去ってしまったことはAKBにとって大きな損失だったと思う。


同じく挑戦者として小林幸恵さん。
『ASAYAN』の「小室哲哉 最強女性ボーカリストオーディション1999」の優勝者。記憶が曖昧になってきているが、太陽とシスコムーンの次のオーディションだっけか? 展開が遅くてオーディション期間が長かったような記憶もあるのでオーディションの印象がいまいちぼやけている。ニッキー・モンローという名前だけはよく覚えているけども(笑)

『ASAYAN』プロデューサーでモーニング娘。企画にもよく出てきていた泉正隆氏の吉本SSMに所属していた。現在は北海道小樽を拠点に活動中。


同じく藤岡正明さん。
『ASAYAN』のCHEMISTRYやEXILEのボーカリストたちを輩出した「男子ボーカリストオーディション」の最終候補者(グランプリはCHEMISTRY)。現在もライブ活動や舞台で高い歌唱力を魅せるが、今回はさらなる高みを目指しての挑戦。



カラオケを使っての採点なので情感を込めたり変なクセはつけられないので平面的な歌い方になるのは仕方ないが、それでも皆さんさすがの歌唱力だった。カラオケといってももちろん練習しなければ点数は出ないし、元からの歌唱力もものをいうし、そういう意味でも上記の方々の今回の活躍はうれしかった。

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