ちょっと調べ物をしていて、辿っている途中でたまたま松田樹利亜さんのwikiを見る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%A8%B9%E5%88%A9%E4%BA%9C
そしたら
「1997年レコード会社をエイベックス系のcutting edgeへ移籍し、本人選曲のベストアルバム『1494 〜Julia's Best Selection〜』を発表。その後もシングルやアルバムを発表するが、所属プロダクションとの確執やレコード会社移籍問題(移籍予定先だったzetimaにおいて名義変更を強要されたことから、移籍まで至らず、ベストアルバムがジュリア(松田樹利亜)名義で発売されたのみ)」
の記述を見かける。
これなんでしょうね?
該当するアルバムは1999年11月10日発売の『SINGLES』というアルバム。
ジャケットは「JULIA MAZDA」名義になっているので、どうも名義変更というのがよく分からないなあ。
それとwikiの記述だけを見ると芸能事務所と音楽レーベルとしての事務所が区別なくごちゃごちゃになってる感じで整合性がとれない。
しかも<レコード会社が>「移籍にまで至らない」のに、至らない先で発売してるのが訳が分からず…
これって松田さんがレコード会社をエイベックス系のcutting edgeからアップフロント系のzetimaへ移籍して、その先、芸能事務所もアップフロントに移籍しようとしていたら名義変更を強要されたから<芸能事務所移籍は>実現しなかったってことなんですかね?
で、そちらがダメになったから音楽レーベルとしてのzetimaも辞めたと。
想像するとこんな感じになるんですが、どうなんでしょうね?
もう20年以上前だけど、どなたか知っていたら教えてくださいまし。
話としてややこしいのはアップフロントってのは音楽レーベルを展開する事務所でもあること(この点はエイベックスも同じ)。
前回書いた90年代後半に入って森高さんが活動を少し抑えたという話。
デビュー時からワーナー・パイオニア系レーベルに所属していた森高さん。
1993年からはワーナーとアップフロントの合弁会社であるワン・アップ・ミュージックに所属していた。
1995年にワーナー資本が撤退。ワンアップはアップフロントの完全子会社に。
1998年にワンアップとアップフロント系のY.J.サウンズが合併してzetimaが設立。
Y.J.サウンズってのは名前を見ればわかる通りかつて堀内孝雄氏やばんばひろふみ氏らが所属していたヤングジャパンという芸能事務所が源流。
この95年のワーナーの資本撤退というのが90年代後半の森高さんのプロモーション活動が落ち着いてしまった原因のような気はする(想像ね)。
谷村有美さん(ヤングジャパン系)が1998年に活動休止していて、99年には森高さんも活動休止。
で最初に戻って松田さんの99年の移籍話。
当時のガールポップの流れで言うと、なんとなく意図が見え隠れしてくるような…
時系列的にちょっとずれるので関係ないとは思うが松浦亜弥さん(2000年からアップフロント所属)の名前と漢字が被るのもけっこう気になったり。
この辺もう少し整理すれば1999年の話の続きを書けるかもしれないな。
あれの続きを読みたいという声をもらうこともあるけど、情報が断片的過ぎて話繋がっていかないんよね。
また考えます(笑)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%A8%B9%E5%88%A9%E4%BA%9C
そしたら
「1997年レコード会社をエイベックス系のcutting edgeへ移籍し、本人選曲のベストアルバム『1494 〜Julia's Best Selection〜』を発表。その後もシングルやアルバムを発表するが、所属プロダクションとの確執やレコード会社移籍問題(移籍予定先だったzetimaにおいて名義変更を強要されたことから、移籍まで至らず、ベストアルバムがジュリア(松田樹利亜)名義で発売されたのみ)」
の記述を見かける。
これなんでしょうね?
該当するアルバムは1999年11月10日発売の『SINGLES』というアルバム。
ジャケットは「JULIA MAZDA」名義になっているので、どうも名義変更というのがよく分からないなあ。
それとwikiの記述だけを見ると芸能事務所と音楽レーベルとしての事務所が区別なくごちゃごちゃになってる感じで整合性がとれない。
しかも<レコード会社が>「移籍にまで至らない」のに、至らない先で発売してるのが訳が分からず…
これって松田さんがレコード会社をエイベックス系のcutting edgeからアップフロント系のzetimaへ移籍して、その先、芸能事務所もアップフロントに移籍しようとしていたら名義変更を強要されたから<芸能事務所移籍は>実現しなかったってことなんですかね?
で、そちらがダメになったから音楽レーベルとしてのzetimaも辞めたと。
想像するとこんな感じになるんですが、どうなんでしょうね?
もう20年以上前だけど、どなたか知っていたら教えてくださいまし。
話としてややこしいのはアップフロントってのは音楽レーベルを展開する事務所でもあること(この点はエイベックスも同じ)。
前回書いた90年代後半に入って森高さんが活動を少し抑えたという話。
デビュー時からワーナー・パイオニア系レーベルに所属していた森高さん。
1993年からはワーナーとアップフロントの合弁会社であるワン・アップ・ミュージックに所属していた。
1995年にワーナー資本が撤退。ワンアップはアップフロントの完全子会社に。
1998年にワンアップとアップフロント系のY.J.サウンズが合併してzetimaが設立。
Y.J.サウンズってのは名前を見ればわかる通りかつて堀内孝雄氏やばんばひろふみ氏らが所属していたヤングジャパンという芸能事務所が源流。
この95年のワーナーの資本撤退というのが90年代後半の森高さんのプロモーション活動が落ち着いてしまった原因のような気はする(想像ね)。
谷村有美さん(ヤングジャパン系)が1998年に活動休止していて、99年には森高さんも活動休止。
で最初に戻って松田さんの99年の移籍話。
当時のガールポップの流れで言うと、なんとなく意図が見え隠れしてくるような…
時系列的にちょっとずれるので関係ないとは思うが松浦亜弥さん(2000年からアップフロント所属)の名前と漢字が被るのもけっこう気になったり。
この辺もう少し整理すれば1999年の話の続きを書けるかもしれないな。
あれの続きを読みたいという声をもらうこともあるけど、情報が断片的過ぎて話繋がっていかないんよね。
また考えます(笑)