Submarine Dog

カテゴリ: 安倍なつみ

いつか来た道


<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選


    < 6 >                (敬称略)


安倍なつみはこの日、室蘭から3時間、父親の運転するクルマに揺られ札幌にやってきていた。

安倍はこの時高校1年生。コンビニでバイトを始めたり、友人とバンド活動の真似事をしてみたり、清新な活力真っ盛りな頃。身長が低いのが悩みで、背を伸ばしたくて毎日牛乳を飲んでいた。

そんな時にASAYANのロックボーカリストオーディション・札幌予選の開催を知った。ASAYANのオーディションは札幌で地方予選をやらないこともあったので、親と「オーディションを受けるのは高校になってから」という約束をしていた安倍にとってこのオーディションはタイミングよく巡ってきたチャンスだった。

札幌への道中、車内では父親がかつて芸能界を目指したこと、途中で挫折して室蘭に帰ってきたこと、そのことを今でも後悔しているから今度のオーディションは悔いなく頑張ってほしいことなど、今まで聞かされなかったことを安倍は父親から聞かされた。安倍にとってこの札幌行きの車内での会話はオーディション当時の大切な思い出となっていく…

札幌に着き安倍が書類審査の受付を済ますと、その整理番号は1111番。何か運命を感じたという。
安倍がオーディションの曲として選んだのはglobeの『FACE』。
この曲は東京スタジオ審査に進んだ時にも歌っている。





札幌の審査では曲の1番を歌って終わるはずなのに安倍のときは2番までオケが流され、不思議に思いながら歌詞に詰まりつつも安倍は2番も歌った。

これはおそらく安倍がオーディションを勝ち進んでいくことを想定した上でのスタッフ側の意図的なミスなのだろう。1111番という特徴的な整理番号を安倍に割り振ったことも含めて、安倍には制作サイドからかなりの期待がかかっていたことが窺がえた。もちろん安倍自身はそんなことは微塵も知る由はなく、緊張の連続でオーディションを進んでいくのだが。

ちなみに安倍の1111番だけに限らず、中澤も1661番と覚えやすい番号。
福田は1298番、平家は3098番と(当時福田は12歳)これまた何かしらの意図を感じるオーディションの整理番号だった。このオーディションに限らず後のASAYANオーディションでも意図的なオーディション番号は多々見受けられた。


安倍が歌った「globe『FACE』」という選択は当時の流行やASAYANオーディションを考えれば無難な選択だったのかもしれない。しかし実は安倍は本当は違う曲を歌うつもりでいたという。

安倍はUAの『雲がちぎれる時』という曲を本当は歌いたかった。
「流行りの曲じゃなくて個性を出したかったから」と。
しかしこの曲のオケのCDを用意することが出来ず審査で歌うことは断念した。

後にこのエピソードは2002年9月19日のラジオ『エアモニ』で明かされ(この回のラジオは福田脱退時のライブの「風船シャワー」のエピソードなど思い出話がとても多かった回))、そしてさらに時を経た2008年になって安倍が自身のライブでこの歌を披露している。安倍の音楽に対する根底にある世界観がこの曲の選択には表れていた。

そしてオーディションが終わった帰り際に安倍は和田マネに呼び止められ、すっぴんで来たのかどうか訊ねられ「今度もすっぴんで来なさい」と言われ驚いたという。


札幌から東京のスタジオ審査に進んだのはこの安倍、そして石黒・飯田を含めた8名。

安倍と飯田は初めての東京行きに大はしゃぎしながら飛行機に乗っていた。特に安倍はこの時のASAYANから送られてきた東京行きの航空チケット、機内から持ち帰ったイヤホンや「翼の王国」まで、それを今でも大事に取ってあるという・・・

今日は遠出する用がありまして、ついでに『愛の種』のロケ地に寄りました。
ガッツリ巡礼という訳ではなかったので、サラッと撮った写真はツイッターの方に上げておきました。

何度行っても思うんですが、あの辺って手軽に富士山を撮影するには絶好の場所ですな。牧草地が続くので展望が開けているのが何とも気持ちいい。


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安倍さんから繋がってまた次の話へ。

当サイトでたびたび取り上げるSKE48の佐藤実絵子さん。

安倍さんに憧れ、安倍さんの卒業式に感動していた彼女がまだアイドルとして現役で活動しているのだと思うと素直に頭が下がる。
2008年に始まったSKE48。現在わずか5名にまで減ってしまった初期メンバーの一人。
並大抵の努力では務まらないだろうし、タフな精神力がなければ続けられないはずだ。
「継続は力なり」とは彼女の座右の銘らしいが、まさにその言葉を地で行く彼女には敬意を払う。

彼女はかつてAKBに大堀さんや野呂さんがいた頃のような、グループにとってバラエティに富んだメンバー構成になくてはならない存在になっている。古くはモーニング娘。の中澤さんのように。
特にSKE48は近年中心メンバーの卒業が多いので(中心と書くと語弊があるがAKBで言えば選抜組とでもいえばいいか?)、グループとして蓄積された経験と歴史の伝承という意味でも彼女の役割は大きい。

こういうことを書くと若手の席がどうだとかその手のことをおっしゃる方が現れるが、それはまったく別の話。自分はこれまでいろんなグループを見てきた上で「オリジナル」の要素は絶対に失ってはならないと思っている。一回途切れたものを時間が経ってからやる分にはそれで構わないとは思うが。

話がそれてしまったが、佐藤さんの各TV番組やラジオ等での姿を見ると、あぁ芸能人になったのだなあとつくづく思う。トークでの突っ込み、ラジオでのMC、お約束の年齢自虐ネタ、本業である歌とダンス。6年前とは格段に進歩していることが如実にわかる。
加入前にソロで活動されていた頃は荒さや幼さも感じたけど、今こそそういう活動を見てみたい。それこそ「継続は力なり」で安倍さんのような方向に行くことだってできるのだ。

秋元康氏以外で初めてSKE48の楽曲を手掛けた彼女なので(今年春のこと)、そういった活動が増えていって欲しいと切に願う。



さて、佐藤さんのいるSKE48は昨年春のメンバーの大量卒業から正直立ち直っていないように感じる。
あの後も次世代を期待されていたメンバーが何人も抜け、また1期生2期生の多くがグループから去って行った。
空いたところにはAKB48の姉妹グループからメンバーが移籍してきているようにも見え、グループとして培ってきた芯がどんどん細くなっている気がする。

こうした事態を招いていることの理由の一つが、先の大量卒業の時の卒業コンサートがあまりにも完成していたからということがあると思う。

2012年11月の矢神久美の卒業発表に始まり、大みそかの紅白単独初出場。
紅白では須田亜香里が大回転を、藤本美月がバク宙を披露、そしてきれいなラインダンスを揃え大成功を収める。ここにグループとしての目標達成とグループとしての完成形が見えた。

そして年の明けた1月15日にはさらに8人が卒業を発表。
1月30日には卒業ソングをカップリングに収録したシングルが発売された。

SKE48『それを青春と呼ぶ日』


さらに3月には頭角を現していた秦佐和子が突然の卒業発表を行い、そのまま同月中に卒業公演を行った。

また同時期に放送されていたラジオ局を舞台にしたSKEのドラマでは、卒業をテーマにしたシナリオが組まれていた。その中にはセリフを言うのに涙が止まらないメンバーの姿があった。

そして4月13日、14日。
春コン2013「変わらないこと。ずっと仲間なこと」を迎える。

その中でメンバーたちの流した涙は数知れず、サプライズ発表、ステージ構成、セットリスト、これは解散コンサートなのではないかと思えるほどグループの歩みを確認するものになっていた。

メイキングから何から涙一色。これほど泣けるコンサート、自分は正直知らない。(泣けるシーンの長さで言ったら福田さんや安倍さんの卒業コンサート、BS中澤スペシャルを超えると思う)



これらを見ていくとふと気づく。
この流れ、1998年末から1999年にかけてのモーニング娘。とそっくりなのだ。

まあ大量卒業という部分はないが、『抱いてHOLD ON ME!』がヒットして紅白初出場を果たし、グループの形が見えてきてさあ年が明けてこれからというところで福田さんの脱退発表。

出演した各番組で涙を流し、シングルのカップリングとして収録された卒業ソング『Never Forget』で会場中の涙を誘い、メンバーが旅立っていくという構図。

そして福田さん卒業後のグループとしてのちょっとした停滞と行き詰まり感、メンバー同士の距離間の掴めなさまで。

こじつけの部分もあるかもしれないが、どうしても似ているなと思った。

モーニング娘。は1999年春のコンサートを後々まで引きずったメンバーがいた。

それは安倍さんであったり矢口さんであったりしたのだが(安倍さんは説明するまでもなく、矢口さんは2001・2年くらいに「この頃のライブが一番楽しかった」という発言がある)、一つの節目があまりにも大きくて所謂燃え尽き症候群みたくなってしまう。


同様にSKEがあのコンサートの後にメンバーの卒業が止まらなかったのはあのコンサートを節目と捉えたメンバーが多かったからじゃないのかなと少し考えている。モーニング娘。で言えば石黒さんのケースが近いだろうか?

モーニング娘。はその後、メンバー関係の再構築があり、そして新たな節目となる『ふるさと』と『LOVEマシーン』そして『21世紀』という名曲と出会い、新たな風を吹き込んだ後藤真希との出会いがあったわけだが、果たしてSKE48にも今後そうした出会いが訪れるのだろうか。

福田さんの話の後には安倍さんを。


安倍さんは8月にセルフカバーアルバム『Smile...』を発売。

その中にはモーニング娘。時代の『ふるさと』や『せんこう花火』も入っていた。

『ふるさと』2014年バージョン



オリジナルと比べればどの曲も彼女の歌の成長がはっきりと感じられ、またアレンジ等も大人なった彼女に相応しいものに変えられている。
総じて耳に心地よいしっとりとしたアルバムに仕上がっていた。休日に紅茶でも飲みながらゆったりと聞きたくなる、そんなアルバムになっていると思う。

またつい先日クラシカル・クロスオーヴァーをテーマにしたアルバムも発売された。これが今のアーティスト・安倍なつみであると、それを現したかのようなアルバムだ。
モーニング娘。を卒業後、ひたすら歌の世界に軸足を置いてきた、その成果がはっきりと出ている。
おそらく彼女自身も、制作陣もほとんどのファンの方も満足しているのではないだろうか。

安倍なつみ『光へ』


安倍なつみアルバム『光へ-Classical&Crossover-』制作ドキュメント映像


これを見ても分かるようにもはや安倍さんは別次元を生きているかのよう。
歌にアイドル時代の面影はなく、歌っている背景に大きな舞台が見えてくる。

ああ歌の世界に生きているんだな。
あの頃の思いが繋がってここに来たんだな…

彼女がひたすら研鑽を積んできた結果が見事に表れていることにただひたすら敬服した。


そうそれは間違いない。

そう喜んだものの、やっぱり自分の中にはどこか少し寂しい気持ちもあった。
彼女が幼いころに体験したふとしたきっかけで歌が人を救うような、もっとポピュラーな環境で訴えかけるようなものをいつかと思っていたのだが、ある意味もっと高みにいってしまったかのようだ(否定しているわけではない@念のため)。

現在の彼女ほど強い人もなかなかいない。
彼女の生き様が昔彼女が求めていた強さを現しているとも言えるが、『小さなころから』を聴いて救われた、あるいはブルーハーツを歌っていたような、そんな歌の世界をちょっと見てみたかった。

涙ながらに語っていた2001年、2002年前後の彼女の思い。
あれだけ多くの方が知っていた熱い思い、今は10年を超える月日が逆に邪魔をするのだろうか。
たしかに30を超えた大人の女性が20歳そこそこの女の子の心情を歌うわけにはいかないよな…
『ふるさと』にしても当時とはまったく違った心情で歌っているだろうし。

これはもう本当に私個人のわがままの部類の話。
贅沢言ってちゃバチが当たるな…


その昔、安倍さんと福田さんがモーニング娘。のセンターをやっていた頃、二人の関係が陰と陽、月と太陽に例えられていたことがあった。
その笑顔と仕草で人を魅了していた安倍さん、少し引いたところでマイペースに実力を見せつける福田さん。そして声質の絶妙な組み合わせ。
ステージを離れたところでもどこかお互いを補っているような関係に見えた。

そして今、安倍さんは華やかな世界で多くの観客を魅了し、また福田さんはマイペースに自分の歌を楽しんでいる。その関係もまた左右に分かれているというか、根っこの部分では同じものを見ているはずなのにどこまでも表現は対称的なところにあるんだなと感じ、面白いものだと思った。

どちらもそれぞれの人生。
10年以上が経った今も形あるものを残してくれている彼女たちには感謝の気持ちしかない。

でもやっぱり1998年の秋から翌年春にかけてあった一瞬の彼女たちの交差点、あんな偶然(いや今度は必然だが)がまたあったらどんなにうれしいことか。



『ふるさと』オリジナルバージョン(1999年)



改めて見返すと、やはりこのPVは屈指の名作だなと思う。
新しい安倍さんの『ふるさと』は歌の成長という点ではもう何も言うところがない。

でもPVを含めた世界観はやはりオリジナルが好きだ。
全体にあるイメージ・脚本、しっかりとしたロケ、それに伴うロケ地選定、編集。きちんと作りこんだものは何年経っても色褪せないものだな…
多くのファンがロケ地に足を運んだというのも良くわかる。

自分がロケ地を訪れた頃(2001年だったかな)はまだ「親子の木」の道路も舗装されていなかったが、今はそれも舗装され、3年前には留辺蘂神社の前にも新しい碑が建った(参考→http://bellac.web.fc2.com/Resized/rubesibe.htm)。
美馬牛の駅舎はまだ面影が残っているようだが、美瑛駅はかなり変わったとも聞く。

そんな今では見られない景色が残っているのもあのPVの魅力。

新しいPVにはそれらしいシーンはちょこちょこと入れているものの、歌っている姿と乖離してしまっていて、そこに思いを馳せることは難しい。もし今回のものにも美瑛のロケ映像が使われていたらと思うと、惜しいという気持ちが出てきてしまう。ワンシーンでもいいから入れてくれれば良かったのにな。安倍さんの当時と現在の歌の対比と、その風景の対比でより情感の出たPVに仕上がったと思うのだが。


話がずれたが、まあ安倍さんも福田さんもこの先ずっと歌っていくことは間違いなさそうなので、今後に大いに期待ということで…

安倍さんが久しぶりに出すアルバムがカバーアルバムということで。

久々の発売は朗報だし、音楽活動が動き出すのもとてもうれしいのだけど、どこか歯がゆさを感じるのは自分だけだろうか。昔の仲間がみんなで集まって久しぶりにやるのは大歓迎だけれども、これは「今」を感じないというかなんというか・・・

不安と葛藤を抱えていた17歳の頃のあの儚げな『ふるさと』と『せんこう花火』が今歌うとどうなるのかなあという楽しみはあるけれど。


あとは稲葉さんがライブとか!

https://twitter.com/piritcolor

大阪パフォーマンスドールのメンバーだった古谷文乃さんとユニット活動。
生バンドで昭和の名曲カバー中心の構成とのこと。

これは楽しみ。

福田さんの連載「葛藤日記」の11回目。

今回も引き続きお酒の付き合いで出会った方の話。
9回目、10回目といまいち取りとめのない話が続いたので疑問に思っていたらこの11回目でようやく意図するところが分かってきたような気がする。

再び表舞台に出て歌うことのきっかけや意識変革がどうもたらされたのか、それを書こうとしているんじゃないのかなと。ということは、これは今週で終わりではないな・・・

4月18日。
自分にとっては忘れられない日付なので何かを期待してしまったんだけどな・・・

4月18日ってことは、安倍さんがFACTORYのオープニングアクトで『チェインギャング』を歌ってからももう12年かぁ(歌ったのは2002年4月19日)。安倍さんのあの路線は好きだったけど、いや好きというよりもそっちに行くことを期待していたけども、うーん、叶わぬ夢で終わってしまうのかな。

福田さんの東スポ連載「葛藤日記」の2回目。

全文起こして紹介したいくらいだが、それはまあいろいろと問題あるので断念。でもそれくらい重要なことが書いてある。まだ今なら購入できるので興味ある方はぜひ。

内容としてはさして新しい話はない。しかし私たち受け取る側が「おそらくこうだろう」「こことここが繋がっているのだろう」といった状況証拠を積み重ねて想像してきた物語がこの連載によって裏付けが取れることが何よりもうれしい。

今回の内容はまずなによりもグループ内のイジメをきっぱりと否定したこと。イジメをするほど意識は低くなかったとはっきりと書いてある。

また学校のことについても触れ、クラスの友だちたちと距離が開いていったことが書いてある。

それから安倍さんとのこと。ラジオ『お願いモーニングコール』のことや、それをきっかけに一緒に過ごす時間が長くなり、仲が良かったエピソードが語られている。


ウチのサイトで数年前にイジメの件について書いたことがあった。(→「明日香といじめ・イジメ報道について」)
ちょうどこの辺のことを振り返った内容になっていて、自分としては溜飲を下げる思いだ。改めて書いておいて良かったとホッとした。

明日は脱退についてかな。それとも増員あたりから触れるかな?


まあ何よりもね、福田さんの側から安倍さんのことが語られるという、そのことに長年追い続けていた方々はなんともいえないうれしさがあるんじゃないでしょうか?
なちあすヲタの溜まり場だったあの場所が残っていれば歓喜の輪が広がっただろうになあ@遠い目。

風邪なのか花粉症なのかどうにも体調すぐれず。いまだ集中力・思考力が回復してこない。困った困った。


先ほどフジ『堂本兄弟』を見ていたら高橋みなみさんと前田敦子さんがプリンセスプリンセスの『M』を二人で歌っていた。

このサイト的に言えば『M』は福田さんがモーニング娘。を辞める時に安倍さんが彼女に向けて贈った曲。いつか二人で歌っている姿を見たかったな・・・

同じ系列の前番組である『LOVELOVEあいしてる』のスペシャル番組で歌った『守ってあげたい』が二人で歌った最後だっけか? あのときは篠原ともえさんもいたけれども。

ラジオの中で二人で『NEVER FORGET』を口ずさんだりしたこともあったが、あれから15年、永遠の夢になってしまいそうだな・・・二人で歌う姿。


月と太陽、陰と陽、そんな風に例えられた正反対のイメージの彼女たちが織りなす空間が好きだった。


と、体調のせいか感傷的になってみた(笑)




950作品レビュー!女性アイドル楽曲ディスクガイド刊行

「エスロピ」のピロスエさんが編集やってるのね。今は「ハロプロ楽曲大賞」のピロスエさんの方が通りがいいけれども。

表紙はちょっと抵抗があるが中はなかなかハードっぽいのでちょっと読んでみたい。どなたか購入された方います?

やはりピロスエさん編ってことでハロプロのくだりは気になるかな。あとカテゴリ分けにBEE-HIVEがあるのでそこも。

レビュワーに見える坂本寛さんは「娘。アンテナ」をやっていたさかもとさんか?

みなさんご健在ですなあ(笑)

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