Submarine Dog

カテゴリ: 福田明日香


かつてモーニング娘。を追いかけた時期があった。

追いかけたといっても当時は浦和レッズのサポーターとして全国を駆け回っていた時期とも重なり、テレビ等のメディアから得る情報の方が圧倒的に多かった活動ではあったが。

彼女たちに出会ったのは1997年。

その前からテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(リニューアル前の「コムロギャルソン」も含む)を好きで見ていたのだが、97年に始まった新たなオーディションにモーニング娘。になる前の彼女たちがいた。

オーディションは女性のロックボーカリストを求めるというものだった。
(※オーディションからデビューについては当サイト『いつか来た道』でも参考にしてください)


そのオーディションに早い段階から出ていた福田明日香はとても異質な存在だった。

当時12歳、その年齢は他の参加者と比べて群を抜いて低かった。
そしてその年齢に似合わぬ抜群の歌唱力と、回りに合わせないちょっとぶっきら棒な物言い。
それらが彼女をとても大人に見せていた。

その異質さにオーディションのプロデューサーだったシャ乱Qの面々やそのマネージャーである和田薫氏、番組MCたちも面白がって喰いついていたように思う。

オーディションは進み、福田も最終選考まで残る。
しかしロックボーカリストの栄冠は勝ち取れず、他の夢破れた参加者とグループを結成することになった。

モーニング娘。の始まりである。


今でこそ「モーニング娘。=アイドル」という認識は自他共に揺るぎないものだが、当時は中途半端なものであり、そこの線引きは明確なものではなかった。

人気の出方、メディア出演での扱われ方、それらはアイドル的なものだったと言ってもいい。
ただし彼女たち自身はと言えば、元々のオーディションがロックボーカリストを求めるものであったので、アイドル活動にも戸惑いがあったし、グループ活動にも疑問を抱いている部分があった。

アイドルを目指していたわけではないのにアイドルとして活動していく、その矛盾への悩みが特にオリジナルメンバーの5人は強かったと思う。そしてその矛盾への葛藤、時折見せる本音というか営業スマイルの中にある陰に自分はとても惹かれた。安倍や飯田ら長年活動したメンバーはその思いをラジオ等で漏らすことも多々あったしね。

実際1999年の半ば頃、活動が停滞を迎え今後の雲行きが怪しくなった頃にはラジオで「私たちはアーティストです」と宣言する場面もあった。(その直後の『LOVEマシーン』の大ヒットによってその思いとは裏腹な方向に加速していくのだが)

その変革の年の1999年。
4月にグループ結成わずか1年半で脱退していたのが福田だった。

辞める直前のシングルには自身の卒業ソング『Never Forget』も入り、表題曲『Memory青春の光』は8人のコーラスワークを生かしハーモニーが抜群に綺麗な、グループのメンバーたちも大好きな今に語り継がれる名曲であった(個人的な感想よ)。そしてその頃には「タンポポ」という派生ユニット(石黒・飯田・矢口)もコーラスワークを重視した楽曲のリリースを続けていた。

そして福田の卒業公演は生バンドを入れて行われていた。
福田が辞めてからのライブは生バンドを止めてオケだけになった(その後何年にも渡って)。

その生音を惜しむ声は多かった。
メンバー自身も(特に安倍)「あの頃のライブは楽しかった」というような内容の発言をしている。

抜群の歌唱力を誇りメインボーカルの一翼を担った福田の脱退と共に失われた生演奏のライブ。
そしてその後、特に『LOVEマシーン』以降の楽曲の変化。複雑なコーラスワークはなくなり、ユニゾンやパートぶつ切りの曲が多くなった。

それらの変化、、、その変化前の象徴が福田の存在であったのかもしれない。

本人は否定するだろうし異論もあるだろう。

ただ、自分だけではなく同じような感覚を持った人たちはそれなりにいた。
当時の巨大掲示板での交流、テキストサイトでの記事、自分の所にコメントを書き込んでくれていた方たち(サイト移転に伴い多くの部分が失われてしまったが)・・・あの『Memory青春の光』前を大切にしていた方が多くいたのは幻ではなかったと思いたい。



福田明日香がヘアヌード写真集の発売を発表した。

今さらヌードで動揺や興奮する年齢では自分もなくなった。
正直そこはどうでもいい。

2年前に書いた記事で、彼女とその所属グループに対する気持ちの整理はつけている。
だからどうでもいい。欲しいとも思わない。





だが、どうでもいいが、どうでもよくないのかもしれない。
そんな風に思えることもある。

彼女がモーニング娘。だった頃の思い出。
そしてPEACE$TONEとして活動していた頃の思い出。

PEACE$TONEのリーダー・TERRAさんの前バンドTHETAに彼女の歌声が入っていたことに歓喜した日もあった。



そして復帰してからのライブの思い出。
そこであった交流。遥か以前からの付き合いもあれば、「福田さんのファンなんです」と若い子(それこそASAYANオーディションの頃に生まれたくらいの)が彼女の歌声を聴きに来たこともあった。

メンバーたちにも顔を覚えてもらっていたし、長年通う中でそれなりに会話もしたと思う。

2年前に離れてしまったけど、今でもその日々を大切に思っているのは確かだ。

そこに今後ヘアヌードという話題はずっと付きまとうだろう。

「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたモーニング娘。」
「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたPEACE$TONE」

ヘアヌードそのものはどうでもいいけど、自分の思い出はその度に少し傷つく。
もしかしたら彼女に携わった(特にPEACE$TONE時代の)方たちもそうかもしれない。

それは彼女自身には責任のないことだ。
それは自分の思い出であり、それらに彼女が何ら負うところはなくていい。

ただ彼女がやりたいことをやっただけ。
それだけのことだと思う。
ただモヤっとした感情をこちらが持つだけの話だ(批判や非難ですらないです)。



どうしても一つだけ残念に思うのは、
あれだけの才能とあれだけの環境があり、彼女の声を必要としてくれる仲間がいて、自身も音楽に対する思いを吐露しておきながら、なぜ音楽と真剣に向き合わなかったのだろうかということ。私には歌しかないっていうのが離婚した理由じゃなかったっけ? だから戻って来たときは「いよいよ」って期待が大きく膨らんでいた。

・・・しかし現実にはほとんどが中途半端に終わってしまった虚しさ。

これも彼女には「私の勝手でしょ」と笑われそうだが、本当に彼女の歌声が好きだった自分には今の状況がとても虚しい。

もうさ、、、「やっぱり歌がやりたいんです」と言っても、次は惑わされない自信があるけど。



でも福田さん、20年間、いろんな思い出もありがとう。

このサイトはあなたの存在があったからであり、時として思わぬ交流を生んでくれたりもしました。
今まで感謝しております。




そう。20年前に夢見た世界は実現しなかった。
はっきりと書けば、成長し実力をつけた彼女たち8人(1999年の)が揃ってもう一度生音で『Memory青春の光』を歌って欲しかった。

でもそう思い続けた日々も楽しかった。
このサイトがあったおかげでいろんな楽曲を知ろうという気持ちを長年維持出来た。
年をとってもライブハウスに通える原動力にもなった。


ハッピーエンドだけがすべてじゃない。
いろんな歩みがあって、道が分かれていって、、、それが人生。


これにて彼女の「今後」を書くことはもうないと思います。

さようなら。今までありがとうございました。






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あ、このサイト辞めるわけじゃないからね。
たくさん書いてきたこと、ブログの運営が続いている限り残しておきます。
あと「今後」であって過去のことはこれまで通り書くかもしれません。
過去まで変えてしまってはそれこそ歴史修正主義になってしまいますからね 笑

いろいろと思うことがあって距離を取ろうと思っています。

少なくとも今の形での活動は自分は気持ちよく応援できないかなと。
どんな状態でも応援するのがファンだと言われればそうですが、そういう意味ではもうファンではないのかもしれません。

それに長年モヤっとしたものを抱えてあのグループの応援を続けてきたのは確かで、ちょっと最近臨界点を迎えてしまったのかなと。



始まった当初から自己紹介等がおざなりで、新規のお客さんに壁を閉ざしていたこと。
福田さん、サングラスして出てきたり、それで名前すら明かさないで歌ってましたよね。それはそれで構わなかったのですが、たぶん部外者には「???」だったと思います。歌さえ聞いてくれればいいというスタンスも分かりますが、あまりにも基本情報が少なすぎたと思います。

わけのわからないメンバー増員。
増員されたメンバーに非はないですが、なぜ増員する必要があったのか、その目的がまったく分かりませんでした。
グループ発足当初の説明ではTERRAさんとやまんchanがTHETA解散後も歌を続けるという二人の夢を福田さんがサポートするのがあのグループの在り方だったと思います。だからこそ福田さんの一歩引いたポジションというのも理解できました。

その状態のところに2013年〜14年くらい?だったかな、メンバーが入れ替わり立ち替わり加わって。見ている側には何の説明もないのでサポートメンバーなのか、あるいは正式なメンバーなのかさっぱり分かりません。回数行っている自分がそう思うんですから、初めての人には訳が分からなかったと思います。コーラス要員なの?ダンス要員なの?何? あまりにも説明がなさすぎました。

また、その頃にとあるライブハウスで初見のお客さんが「何人グループなの?」と質問していましたが、それに答えられないというシーンも見かけました。え?自分たちも分かってないの? それでお客さんにどうやって自分たちのことを知ってもらうの?と。はっきり言えばお客さんに失礼じゃない?と。

当初の3人体制、自分は好きだったんですがあれじゃダメだったんですかね? ステージをこなす技量、グループとしての一体感、高いところで纏まっていたと思うんですが、質を下げてまで増員した理由って何なんですかね? 福田さんという絶対的なボーカルがいるのに女性のボーカリストを増やす必要があるのでしょうか?

で、増員したメンバーを「2期生」と呼ぶというのもどうも・・・ アイドルグループじゃないですよね。バンドですよね。自分たちもお客側もその2期生を格下に見てしまう感じ、幸福なことではないなあと思ってました。お客側としてはその2期生(便宜上)に1期生と同じレベルでやってもらわなきゃ増員した必要性を感じないわけで。

また結成メンバーであるやまんchangが知らぬ間にバンドメンバーから外れてしまったり、増員されたメンバーも知らぬ間に「辞めた」ということになってるし、なんでお客さんに説明が一切ないのだろうか?と疑問というか、その秘密主義が不思議ですらありました。


それに付随して、ライブに誰が出るかアナウンスがないという問題もありました。福田さんが産休に入る前後から顕著になったのですが、福田さん目当てで、もし遠くから来ている人がいたりしたらどう思うか考えないんでしょうか? 「福田さん出ないの?」という声、当然ありますよね。

福田さんのネームバリューを当てにしておいて(集客効果を期待して)休演を発表しないのだとしたら「悪質だよね」と言われても仕方のないことだったと思っています。実際に「詐欺に近いよね」という言葉を聞いたこともありました。あるいは代役に立ったボーカルを福田さんと勘違いして見ている人もいらっしゃいました。それでグループとして良かったんでしょうか?


ライブでの疑問。
最近は彼らの地元、東京南西部でのライブばかり。それはまあいいんですが、かえしのスピーカーもないような、PAブースもない名ばかりのライブハウスでのライブが続くと、普段自分の通い慣れた場所からするとガッカリ感が強いです。この施設とこの音響とこの内容でこの値段でやるんだ?と。 まあ値段は応援料込みなのでたいした問題ではないですが「内容」がね・・・

主催ライブとなると準備不足を感じることもしばしば。進行はもちろんのこと、特にMCの行き当たりばったり感が強くて。
緊張からくる間違いとかはどうでもいいんですよ。でも準備不足なのは、それはお客も感じるものです。主催ライブでお客さんが並んでる状態で直前までリハーサルやってる(曲目とか分かってしまうガッカリ感)ことも多々。
準備不足というか、メンバー間の共通認識が弱いと言えるかもしれません。とにかく方向が定まらない。けっきょく記憶に残らない結婚式の司会的なMCと雑談という印象しかありません。
はっきり言えば、ここ2、3年くらい、彼らのライブで100%満足して帰ったことはありません。どこかしらにいつもモヤっとしたものを抱えてました。


キャス等での疑問。
「ツイキャスやります」というので見に行くと、話す内容も決まってなかったりで延々とダラダラ。「質問して」と客に丸投げ状態になるのは勘弁してほしいです。

いやいや、まずパーソナルな部分が分かってないのに質問なんて無理でしょ。聞きたいことは上に書いたような聞きにくいことばっかりなわけで、それを今まで明かさないということは、何か事情があるんだろうなと忖度して(笑)聞けないわけですよ。

またメンバーが配信中に寝たりしていて、「えっ? これって何?」としか思えませんでした。緊張感とか、数少ない客に対する対応とか(こちらも時間を割いているんですよ)、そんなものなの? 誰も注意しないのかなと。

どこかで「大学サークルのような内輪ノリ」というような批評を見かけましたが、たしかに言われればそうだったのかもしれません。お客側のおいてけぼり感が強い。やってる側は分かって当然かもしれないけど、こちらは分かっていませんよと。

それでもね、彼らの作る音楽とTERRAさんと福田さんの合わさった歌声は好きだったので(というか今でも福田さんの歌の技量・声質はとても貴重だと思っています)、それを支えにライブに通い続けたわけなんですが・・・

ここ最近のモーニング娘。との距離(これまでの遠距離は何だったのか?)、あるいは私生活の切り売り状態、とどめは4月1日の不必要(だと思う)なウソ。ちょっともう気持ち的に無理だなーと。

別にセミヌードとかなんとも思わないんですが、あのFLASHのパクリとかその文言とか、根本的に4月1日にそれをやろうと思った感覚が自分とは違うかなと。

たぶんね、福田さんって清流にいられるはずなんですよ。実家のマンションに暮らして、助けを受けて、大きい音出しても構わない環境があって…って、音楽的にはほとんどの一般人より恵まれて暮らしてるのが分かるんですよ。だからなりふり構わずにやるんだったら音楽とそのお客に対してであってほしいと思っていたんですが、それなのに自ら違う濁流に飛び込むその心境ってのが自分には分からなくて。

この辺の感覚が根本的に違うんだろうなと。なんとなくは分かっていたんですが、それを乗り越えるだけの「声」があったんですよね。だからファンを続けてこられた。

これはこちらの勝手な思い込みですが、福田さんにはある種の「孤高感」を求めていたのかもしれません。それが突然大衆迎合的になられると、それは自分の求めているところではないのかなと。

「歌さえ聞いてくれればいい」的なスタンスから一転、モーニング娘。20周年にあやかっての最近の展開、自分はちょっと違うかなと思っています。まあ福田さん自身の選ばれた道ですから、こちらがどうこう言える問題でもありませんが。

うん、でもね、好きだったのは間違いないんですよ。
『歓喜の響き』を聴いた時や、訳が分からなかったけど大人数バンド編成でジャカジャカやってたときはとても可能性を感じていたし、面白かったですね。

また揺り戻しがあったときまでって感じかな。
ここまで書いてしまったら、もう受け入れてもらえないかもしれないけど。

書くのは迷い続けました。
が、書いておかないと根本的に好きだった気持ちも失ってしまいそうで。


重ねた歳月に幸せを感じることが出来る。

と思っていましたが、たった半年でガラガラ崩れていくことの恐怖。
もう自分勝手に付き合っていくのは疲れました。

ので、真剣に向き合えるところにいきます。

ということで不愉快な話、失礼しました。



あ、1997年〜2004年くらいまでのモーニング娘。に関しては変わらず好きですし、ずっと気にしていますので変わらず書いていくと思います。
1999年のカントリー娘。のこともずっと大切ですしね。

ある意味、その頃が大事な故に今は距離を取りたい、そんな感じかもしれません。

昨日は『モーニングコーヒー』発売から20年。

モーニング娘。のオリジナルメンバー5人もハロプロのコンサートに立ったとのこと。

きっと会場も盛り上がったのだと思う。



が、ハロプロから距離を置いていて、しかも福田さんのPEACE$TONEでの活動を最初期の頃から見てきた自分にはどうしても拭えない違和感というのがあって。

最近のテレビ出演にしても(内容の問題ではない)、これがOKだったのならこれまでの秘密主義というかメンバー名すら明かさないでライブしていた時期や、どことなく距離を置いて孤高な感じを貫いていたのは何だったのかな、と少々思わないでもない。テレビの前の視聴者やこれを機に知った新規の人たちにではなく、ここまでライブに足を運んでいた人たちに何かしら発信はあってもいいんじゃないのかなと。

まあそれもこちらの勝手な欲望で身勝手な思いこみだということは分かっているが。

ただまあPEACE$TONEというグループを長年見てきた身としては、どうしてもそちらに軸足を置いて見ているので・・・例えば誰が正式メンバーか分からず何人グループかも分からない時や、福田さんがライブに出るかどうかもアナウンスがない時、そういう時期を乗り越えて今に至ると少なからず素直に現況を受け入れ難い自分はいる。

これまでのお客側の置いてけぼり感(自分だけではなく、そういう声を他からも聞いている)が今後も続くのではないかという不安感も増していて。別にね、説明責任とかじゃなく、はっきり言えば説明不足と発信力の低さと身内感の強さが7年活動した現在のPEACE$TONEの立ち位置だと思うので、福田さんのメディア露出を機に良い方向に向かうといいなと。あるいは歌ですべてを感じてというなら初期の頃の突き放した感じを貫いてもいいと思うし。

PEACE$TONE7周年記念ライブを前に正直な気持ちを、きっと煙たがられるのだろうけど、この「モヤモヤ感」これ以上堪えられそうにないので心苦しくも記した。

こんなこと書いたものの7周年記念ライブ期待してますよ。
ただ、福田さんを見に行くのではなく「PEACE$TONE7周年」というライブを見に行くのだということは意識してます。その辺よろしくお願いしたいところです。
18年離れていた「20周年」よりも自分にとってはこの「7周年」の方が身近なのですよ。

テレ東『じっくり聞いタロウ』、テレ朝『あの人が今言いたい事』の2番組に福田さんが出演。けっこうドキドキものの週末&寝不足DAYでした。

「あの人は今」的な扱いで出るのはどうかなと思っていたんですが、今後への布石ですからね、いろんな意味で一周は我慢しなきゃならんと思います。その一周で次に繋がるかどうかでしょうから・・・

話の内容的には、自分は正直物足りない感じでした。
それというのも、自分の見ている福田さんと大多数の視聴者が見ている福田さんとでは、大きく印象が違うでしょうから。テレビ的には18年ぶりということを想定して作っているので、自分にとって情報的に物足りないのは仕方ないところですね。

別にね、自慢するわけでもなんでもないんですが、ずっと情報追ってきて、某カプセルさんでの近況報告や、プライベートで一緒に撮った写真を売られた話、一部週刊誌と無責任な大衆の好き勝手な妄想イジメ話とその否定、THETAへの楽曲参加やPEACE$TONEでの活動再開、そして結婚・出産休業と今回の活動再開・・・

もちろん身近で見てきた人には遠く及びませんが、拾える範囲での情報は追ってきて長年の蓄積がありますからね。で、それらを総合していくと今回のテレビ出演で福田さんが話された内容はそこに収まるものだったのかなと思います。

あ、『もうひとりの明日香』の印税が退職金的な意味合いがあって、それが高校の費用に使われていたというのは初耳かな 笑

辞めた理由というのも当時から指摘されてきましたが、「学業専念」というのはつんく氏や岡村さんが、自分の価値観で「勉強したいんやて」と揶揄しながら話されていたことで、それこそ『もうひとりの明日香』や当時の福田さんの発言を聞いていれば、普通の生活への漠然たる渇望というのは分かっていましたよね。今回福田さんは「中二病」とおっしゃっていましたが。

そうそう、『あの人が今言いたい事』で叫んでいた「モー娘。辞めなきゃ良かった」というのもこれに付随することで。
またこのワンフレーズだけで、いろんなところで勝手に暴走しそうなので、この段階で抑止的に書いておきます。

番組内ではきちんと説明がこの発言のあとにあって、「辞めた後に辛いことが続いたから、それだったら活動続けて(事務所等に)守ってもらっていた方が良かったから、『辞めなきゃ良かった』」という話です。辞めたあとの『LOVEマシーン』ブレイクで福田さんも普通の生活が送れなかったという話で給料的な話はしていません。

もう一つの「やっぱり売れたい」という叫びについても。

これもモーニング娘。がどうこうとか、アップフロントがどうこうとかいう話ではなく。PEACE$TONEでの話です。現在の福田さんは娘。さん当時所属のアップフロントとは関係なくSTONE Projectの別マネジメントですからね!

ただ、結婚出産前の福田さんがどちらかというとPEACE$TONEでサポート役というか、TERRAさんとやまんchangの一歩後ろにいたような感じだったのに比べ、今回の活動再開後は明らかに福田さんは前面に出てきていると思います。自作の歌詞付けて歌ったり、ソロで歌う事も多くなりましたからね。

そういう意味で「売れたい」という気持ちは分かるような気がします。

で、今後PEACE$TONEが良い方向に行って「売れたい!」だと思うんですよね。

PEACE$TONEについてはここを訪れている方には説明不要かと思いますが、福田さんだけのボーカルグループではありませんからね。福田さんはボーカルの一人で、ソニンさんにも楽曲提供したことのあるTHETAのTERRAさんや、他にもメンバーがいて、サポートの方たちもたくさんいて、楽しい音楽ユニットですよ。

ということで、最後に自分の好きなPEACE$TONEの楽曲を一曲。



1stアルバムからの楽曲ですが休業前の大所帯バンド編成のときはこの曲聴くとアガりました! 福田さん歌いながらタンバリン使うの上手いんだわ 笑

ってことで、ダダッと書き上げて今回アップです。

5月20日。STONE Project主催ライブ「大人の休日倶楽部vol.3」へ。会場は自分はお初、蒲田music bar CODA。蒲田は電車やクルマで通過することはあっても、駅に降り立つのも初めて。

今日はSTONE Projectから3組、ギターインストお一人の計4組の対バンライブ。barというだけあって地下のこじんまりとした空間ながら雰囲気もなかなか良く、ステージに集中して見やすい。音響も空間に合っていて聴きやすかった。


1組目はNOVAS。

PEACE$TONEのayumiさんとSTONE Projectのエマさんが組んだ2人組ユニット。
そういえばなんとなく似ている部分があるなと思ったり。ダンスの振り付けを見てWINKやったら面白いかもなどと考える。

2曲目の『party time』。「お、これイイね」と思う。二人の声の相性的にアップテンポで押し出すのが似合うような気がした。明るい素直な曲調が良き良き。

最後のカバー曲『愛唄』は選曲理由なんかをMCに挟むと良いかも。PEACE$TONEのイメージカラーが緑だからGReeeeNではないですよね? 笑


2組目は山内美空さん。

青森出身、仙台在住のピアノ弾き語りシンガー。
自己紹介の時に青森の三内丸山遺跡のことを思い出したが、「やまうちと書いて山内(さんない)です」との説明に「あ、関係ないのか」と分かる。名前をお聴きして勝手に縄文式の住居と青空の遺跡の風景を思い浮かべていたので 笑

青森県の歌という『青い森のメッセージ』をYoutubeで聴いて掴んでいたイメージよりも、生で聴いた声は低めで良い意味で雑味のある声だった。自分が言うのもおこがましいが、歌手らしい声とでもいうか。

通しで聞いていると、もう少し高めで歌うところが欲しいかなと思う。ここいらは好みの問題ですかね。今日は初見だったので、次の機会に見た時にイメージは変わるかも。そんな期待を感じさせてくれるステージでした。


3組目にPEACE$TONE。
TERRAさんと福田さんの2人での出演。そしてピアノサポートに麻衣さん。

今日はオケを使わずに生音のみのアコースティックな構成。
2ndアルバム後編からの楽曲で物語を紡ぐ。

いつもはオケで電子的な印象の強かった『プロローグ』を生音・生声でやった時点で、「これまでと違うぞ!」と昂ぶる。PEACE$TONEのサウンドはバンドとして耳に馴染んできたので、ドラムレスでアコ編成の今日の音はとても新鮮。しかもこんなにピアノとマッチするとは。

曲順がアルバム通りのままだったか自信がなかったのだが、セットリストを見るとどうやらアルバム『Door's〜時の旅人〜』のままやったようだ。今日は二人の声がよりハッキリと聞こえてじっくり聴き入ることが出来た。改めて二人の声の相性良いんだなと納得。どちらがメインを取ってもハモにまわっても気持ちよく聴こえてくる。

後半の『いちょう並木通りのある街』『みんな旅人』はより気持ちが入っていてグッときた。福田さんもこみ上げるものがあったようで、いい歌でしたね。

今日はピアノのアレンジもまた素晴らしく。CDとはまったく違う音の世界に魅了される。あまりにも良かったので、帰り際にこのアコースティックバージョンでCD作ってとTERRAさんに言ってしまった 笑 ただの伴奏ではなく、ピアノの存在が曲に寄り添って広げている感じでしたね。

終わりの『エピローグ』も生歌・生演奏で(これも大所帯バンド時代はオケで流していたものなので)、音の世界観として連続性があって、オケよりもエピローグ感が出ていた。
「あぁ、これで終わりか」という寂寥感を感じさせ、また次の機会の『プロローグ』を聴きたくなる、そんな終わり方でした。


ラストにギターインストゥルメンタルの石川巧馬さん。

セッティングやチューニングしている段階で、これは面白そうだなと期待感高まる。
ギターインストでやるだけあって、その流れるようなギター捌きに見入ってしまう。たぶんお客さんの目線はみんな手元に集中 笑

楽曲はよく知るメジャーな曲をアレンジしたものからオリジナルまで。
その中でもオリジナルの『スリップストリーム』をよく覚えている 笑 ゆっくりよりもこの曲のような早めで疾走感ある方が好き。MCでモータースポーツの話にいくかと思ったらミニ4駆の話にいったので「そっちか!」と心の中でツッコミ。

贅沢を言うならば個人的にはもう少し音が生音っぽい方が好みかも。すごい数のエフェクターを持ち込んでいらっしゃったので、相当こだわって辿り着いた音だろうと想像できるけども。個人的好みです 笑


全体を通して見ると、「大人の休日倶楽部」というコンセプトがより明確になってきた感じ。PEACE$TONEで言えば毎回ガラッとイメージが変わって、多角的に見れるのが面白い。見ている側に意外性や新しい興味ポイントを提供してくれている。ふり幅の広さとその自由さが大人の休日倶楽部とも言えるのかなと。


4月22日は再びSTONE Projectの合同ライブへ。
「大人の休日倶楽部vol.2」at 自由が丘マルディグラ。

今年に入ってから山手線の円周の外へはライブを見に行かないと秘かに決めていたのに、早くも4月で2回か(色々とやることもたまってるし、諸々事情がありまして、ライブ本数自体絞っている最中)。

この日は
PEACE$TONEのTERRAさんにayumi&えっちゃんの3人でやった1部。
八戸出身のギター弾き語りSSW・大石啓太さん。
そしてTERRAさんとasukaさん(以下福田さん)にギターとピアノサポートを加えての2部。
の3ステージ構成。

1部は前回に引き続いて手話を取り入れた振り付けをみんなでやったり、また客席とのやりとりもアットホームな雰囲気。一昨年くらいの大人数バンド編成から一転、客席は座りで距離感の近い少人数編成でのライブが増えているが、徐々にその場の雰囲気が醸成されてきている感じ。お約束が増えすぎるのは良くないけど、やはりその場でしか味わえない空気感とでもいうか、「お、これこれ」と思えることがあるのは楽しいよねと。

1部の目玉はなんといっても『ONE』。
2年くらい前に初披露された時はこれがニューアルバムの顔になる曲だと思った盛り上がり必至のキラーチューン。
アルバムには収録されなくて、また曲自体の披露も久々だったので(たぶん一昨年の横田かよみうりランド)うれしくなる。
この曲で「タオル回しましょう!」ってなってたのはすっかり忘れてた 笑(まあ今は座りライブなのでカバンにマフラーもタオルも入れてないんですが)

2部では福田さんがビートルズの『Let It Be』に自身で歌詞を作って初お披露目。
内容は書きません。知りたきゃライブに行きましょーと 笑 今日もMCも曲説明もガンガンやってくれたんで!

今日の福田さん、花粉症の症状も出ず調子が良いそうで(ってか前回あれで調子悪かったのかい!)、「今日は歌います!」の宣言通りモリモリ歌ってくれる。ビートルズはTERRAさんの音楽的なルーツにもなっているので、PEACE$TONEのライブとしてはこの選曲はぴったりなのかな。

キーはちょっと上げてもいいかなと思ったけど、どうだったんだろ。他の曲で高いところがメチャ気持ちよく聴こえたので、自分がそう思っただけかな。うむ、いらぬ心配 笑

2部はギターとピアノのサポートが入ってボサノバ的な感じに。休日の午後、まったりとお酒飲みながら聴いているなんて、こりゃなんて素敵な空間。

ギターのサポートは久々のノザワさん。
前述の大人数編成の時には必ず入っていた愛すべきいじられキャラ。
今日はキャラ封印して、そのギターフレーズでイイ雰囲気作ってくれました。ステージの配置上ピアノの方が他のメンバーの方向を向けないので、ノザワさんが呼吸を合わせているのが好印象だったな。頼もしやー。

TERRAさんがどのステージにも積極的に絡んで、全体として話がまとまっていた印象。大石さんの登場もあって「東北・八戸」との関りと今後への展開や、メンバーとの関係性がさらによく見えてきた回だったと思う。

ただ!もう少し長く歌って!と注文を。
2時間座っていたらお尻痛くなりそうだけどね 笑

公式サイトのライブ感想は以下へアクセス!
http://ameblo.jp/peacestoneofficial/entry-12267977014.html
http://ameblo.jp/peacestoneofficial/entry-12267985632.html
http://ameblo.jp/asukafukuda-official/

<第1回>http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52656671.html
<第2回>http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52657082.html

    < 3 >                (敬称略)


『ASAYAN』にてシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが告知されたのは1997年4月初めのこと。

最初はシャ乱Qがプロデュースすることは伏せられていた。小室哲哉、MAX松浦に次ぐ第3弾のボーカリストオーディションとしてのみ告知されたのである。募集画面には「ロック魂。」と大きく映し出されていた。

告知を行ったのは後にモーニング娘。の名物マネージャーとして有名になる当時はシャ乱Qのチーフマネージャーを務めていた和田薫であった(以下「和田マネ」)。

当時のシャ乱Qは94年から96年にかけてのブレイクが一段落し次の展開を模索している最中で、97年には派生ユニット・スーパー!?テンションズを結成したり主演映画『シャ乱Qの演歌の花道』が公開されたりと、今までと違った形で仕事をしている。

これは96年に2500万円するとされる衣装が盗難にあったことも影響しているかもしれない。当時のシャ乱Qはシャネルに衣装を発注することで知られており、2500万円もの被害の影響は少なからずあったのではないかと思う(盗難保険がどうなっていたかは知る由もないが)。

また和田マネは97年にはシャ乱Q→スーパー!?テンションズ→モーニング娘。と徐々にマネージャ業務の中心をシフトしており、98年にはシャ乱Qの所属事務所であるアップフロントグループ内に自分の事務所であるハーモニープロモーションを設立した(実際には会長命令により立ち上げさせられたと言った方がいいかもしれない)。

ハーモニープロモーションはその後99年にプッチモニのマネジメントをした後、新堂敦士・EE JUMP・より子。・THETAと音楽系中心のマネジメントをしていたが、その後は徐々にグラビアやアナウンサーなどの少し大人の女性をメインとしたマネジメントにシフト。安めぐみや優木まおみ、橋本マナミや朝比奈彩といった面々をブレイクに導いている。

そのシャ乱Qの和田マネが夏頃にデビューする女性ロックボーカリストを求めているとASAYANで告知したのだ。当然和田マネが何者なのか当時は分からなかったので「誰がプロデューサーなのか」と、番組として期待を煽った面もあった。





4月27日、スタジオにシャ乱Qが登場した時に、はたけが責任者、しゅうが衣装担当ということが判明。シャ乱Qのメンバーは番組とオーディションのことをよく分かっていない感じで、和田マネが取ってきた仕事の内の一つという感じだったように思う。

4月13日には福岡オーディションが始まっているので、シャ乱Qプロデュースということは分からないままオーディションに参加していた人も多数いた。5月3日には東京オーディションに福田明日香が参加している。

この春に中学に進学した福田、部活はブラスバンド部に入りドラムを叩いて新たな学生生活が軌道に乗り始めた頃だった。このオーディションの申し込みで書いた履歴書、これに載せる写真のためにした化粧が福田が自分で初めてしたメイクだった。ロックの雰囲気で仕上げたという。鏡の中の自分を見て「あぁ、これで矢は放たれた」と福田は思ったそうだ。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションには事前の書類審査がなく、東京オーディションの会場には5000人の女性が詰めかけていた。福田によるとテレビ東京に向かう電車の中はそれらしい人でいっぱいだったらしい。会場では和田マネが来場者を食い入るように物色していた。

当時のオーディションは高校生から20歳前後の女の子が中心で、これを書いている2017年ほど低年齢化が進んでいなかった。その中で中学1年生だった福田のまわりは(彼女からすれば)大人ばかりで少々圧倒された面もあったようだ。

福田のところにはその日の夜のうちにASAYANのスタッフから電話がかかってきて、一次審査の合格と初めての歌審査が5月5日に行われるということが伝えられた。福田は家のカラオケで練習を積み、父親に英語の発音をアドバイスされたりしながら、その日を迎えることになった。





ここからが福田明日香伝説の始まりで、2次審査の相川七瀬『BREAK OUT』、スタジオ審査で歌った安室奈美恵『Body Feels EXIT』、工藤静香『激情』で鮮烈な印象を残していく。

また、本人は「緊張していただけ」と言うかもしれないが、ちょっとぶっきらぼうな話し方で愛想のない姿勢は彼女をとても大人に見せていた。『BREAK OUT』を歌った2次審査の時も「ホントに12歳なの?」とスタッフから何度も聞かれている。

このオーディション当時の福田の心境は語り下ろしの書籍『もうひとりの明日香』に載っているが、この時のオーディションに対する捉え方、取り組み方にものすごく彼女独特の感性が出ていて面白い。後に安倍なつみが『ALBUM1998-2003』で触れているスカートコンプレックスのことや、自分をアイドルとして見ることへの疑問が率直な気持ちで書かれている。

…そして東京予選で福田は「つんく一推し」の評価を得て、河村理沙・兜森雅代と共に最終予選へとコマを進めることになる。

ちなみに東京予選の2次審査に後にチェキッ娘として活動する藤岡麻美(ディーン・フジオカの妹)がいたという話もあるが、それはまだ確認できていない。

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