Submarine Dog

カテゴリ: カントリー娘。

今回のテキストは2007年10月7日に掲載したものを加筆・修正したもの。


今週いろいろと思うこともあり読み直していたら、7年前にあれだけ調べたものをもったいないと思ったので、ある程度修正して載せることにした。大筋では変えておらず、時節柄表現を柔らかいものに変えさせてもらった。

それに付随して他の文章も考え直す部分は多々あるのだが、それは追々ということで。続きを読む

『カントリー娘。』改め『カントリー・ガールズ』についての公式発表
http://www.helloproject.com/news/2183/

本当は書きたくないが、と言い訳するのも苦しいが、でも書いておかなければゼロのままになってしまうから書かざるを得ない。

現在においてその名前を使い活動しようと、メンバーがどう選ばれようと、それは特に何も感じない。それは15年前のあの頃と何も繋がっていないし、今の子たちがあの頃の思いを受け継がなくてもいいと思っているから。

名前はさしたる問題ではない。受け継ぐとかいう以前に、まず理解することだって難しいだろう、生まれる前のことを。あの頃の3人のメンバーの共同生活や、借金にあえいでいた頃のあの牧場を。風景一つ取ってもどれだけ違うというのか。

また、受け継いだ人たちは、自分たちの意思でしっかりとその人生を歩んでいる。名前とは関係なくあの頃の思い出を胸に抱いて。だから今の子たちは気にしなくていいと思う。それは交わらない別々の思い。今は新しいユニットとして新たな歩みをすればいいと思う。


ただ、この公式発表、これはどうかと思わざるを得ない。
現在に都合のいいように文章を端折っている。
結成理由といい、その過程といい、間違いではないというギリギリの部分で、肝心な部分は端折ってある。

決意をして続けていたのは誰だったのか。
泣き続け、いなくなったメンバーたちの思いを背負って、そしてご両親の思いも背負って、必死に続けたのは誰だったのか。

北海道を離れるという指令に苦悩し、自分たちの思いを守ることを選んだのは誰だったのか。その後のユニットはそうした思いと決別し東京での活動を選んだのではなかったのか。

里田さんには何の責任もないけれど、里田さんがいたからこそ北海道を離れるという決断も出来たのであって、初代3人の思いとはまったく関係なく「カントリー娘。」に対する里田さんなりの思いがあるのも分かる。でもね…


石垣島から送られてくるバースデーカード。
夏になると必ず毎年その日に訪れていている小林さん。

…そして図らずも今年偶然自分は会ってしまった。
そこで感じたこと。ちょっとした会話から感じたこと。
あそこでしか感じられない思い。

これはどうしても多くは書けないからもどかしいのだが、何年か通っていると見えてくることもあって…

さらに10月の沖縄での彼女たちの再会。
彼女たちにしか分からない、深く深くずっと思っていること。

尋美さんの思いは彼女たちに心の深いところで受け継がれている。




それから。

確かに自分は物語的な見方は好きだ。
好きだけど、それはあくまでも歴史的な事実を元にした物語であって、その事実をどう調べどう考えどう解釈するかが重要な要素。何も根拠なしに語られたものを物語として咀嚼していくことは難しい。

無理やりなリベンジだとか、知りもしないで遺志を引き継ぐとか、抽象的な物語の作成は、それが当人たちの行動で成り立っているならばともかく、広告や煽り的な文句では聞きたくない。いや、エンターテインメントとして煽り的に使って、それが煽りという形で分かるならいいが、さも当人がリベンジを望んでいるかのような遺志を引き継いでいるかのようなギミックとしては見たくない。

今日twitterの方であまりにもな発言を見かけたので、ちょっと引用しておく。

某発言者「ちゃんと柳原尋美さんの事も書いてくれててアップフロントやるじゃん
里田さんは柳原さんが果たせなかった想いを継いでカントリーの火を絶やさぬように続けて、こうしてまたリスタートすることに繋げてくれたんだから本当に感謝してもしきれないわ」


発言者は20歳くらいの男性。

知らないということは怖いなあと思う。けっきょくこういう解釈になっていってしまう。
これってけっきょく里田さんのことしか考えてない。ご自分がどれだけ尋美さんの活動を分かっているか、そこには思いが至らないらしい。
それはおそらく幼稚園か小学生低学年くらいの時のことなのだから仕方ないと思うが・・・
自分はどこをどうやっても里田さんから尋美さんの想いは感じられない。少なくとも自分はそういう発言を聞いたことがない。そう思うならなぜそういう考えに至ったかぜひ聞かせてほしい。

『太陽娘と海』のことを知っているの?
『風の娘たち』のことを知っているの?
歌手になりたいと言っていた彼女の夢を知っているの?

そして一緒に暮らしたりんねや小林さんが今も彼女のことを忘れずに強く胸に抱いて生きているということを知っているの?

また太田監督が明かしてくれた当時の思い出、映画に込められていた彼女の思い。
そしてりんねが残したその後の言葉の数々。

思い返せば牧場を感じる歌を歌いたいと言っていたりんね、そして里田さんが入ってきた途端に『sexy baby』に差し替えになってしまった(推定)あの当時の状況。(発表前に新曲は牧場を感じられる曲という発言がりんねからあった)

それを分かった上で発言者は上記のような発言になっているのだろうか?


りんねのしっぽ第75回より。(サッポロファクトリー 新曲インストアイベントの感想)
「あのスペースイベントは何回もやってるけど、最初のころはほとんど誰も振り返ってくれなったもん…。やっぱり、そのころから応援してくださってる方は特に大切にしていきたいです。そのようなファンの方がいてくれたからこそ、今のりんねも、カントリー娘。もあるんだからね。本当にありがとう。応援してくださるみなさんを大切にこれからも、もっと頑張るからね。でも、たまに元気のないときがあっても許してね。その代わり、りんねが元気なときはいっぱい元気をあげるから」


りんねのしっぽ第77回より
「やー、暖かいね。りんねもゴールデンウィークは牧場へ戻ったんだけど、桜が咲いていてビックリしたよ! ことしも牧場には毎日何千人ってお客さんが遊びに来てくれて大盛況でした。新しいスタッフといっしょに作業とかしたんだけど、陽射しも緑も牧場のすべてが去年や一昨年の5月となんにも変わってないことに気づいたの。すごく不思議だったし、ウレシかったし、安心しました。カントリー娘。になってこの3年はいろいろなことが起こったり、変わったこともあったりしたけど、りんねが牧場を好きで、歌が好きって気持ちはなんにも変わってなくて、よかったです。半農半芸って微妙に難しいところもあるんだけど(環境ボケとか)、そのぶんいいところがいっぱいなんだなって改めて感じました。牧場はいつもと変わらず夕焼け空とか緑とかとーってもキレイでしたよ。本当はもっと牧場に戻りたいんだけど、芸も頑張りたいから我慢です。今回はずーっとお天気がよくてほんとにウレシかったです。」

(両方とも2002年春ごろの連載「りんねのしっぽ」より)


尋美さんの今のお名前を見ればなんとなく思うのだが、そこには「カントリー娘。」という名前じゃなくて、もっと根本的に、歌いたいとか、一緒に出演していた子たちと同じステージに立ちたいとか、そういう10代の子が思う明るい楽しい未来が見えてくる。

自分も知っている部分はホンの一握り。だからよく調べなければと思うし、間違いを犯しながら10年以上をかけてここにたどり着いている。でも人の記憶から薄れていく中で、変えちゃいけない部分っていうものがあるわけで…

この問題、なかなか当人たちは語ることが難しいと思う。
そこにはその人たちにしか分からない思い、残された人たちへの配慮、そっとしておいてほしいという気持ちもあるだろう。

だから得られる情報というのは本当に限られている。

でもだからこそ、その限られた中で発信されてきた情報は大切にしていきたい。

くれぐれも書いておくが、今カントリー娘。をやるということに何も批判をするつもりはないし、正直何も思うことはない。

ただしそれはフェーリエンドルフで一緒に暮し、レッスンと牧場での仕事、レストランでの仕事をしながらデビューを夢見ていたあの頃とは別の話。

また、あの頃の思い出を建さんや平家さん、石黒さんあたりにも聞けたらそれはうれしいのになと思う。


自分の思いはそれだけです。
現在に対しては、メンバーにも里田さんにも、頑張っていいもの残してくださいという思いしかありません。


10月24日神楽坂 EXPLOSIONで行われたPEACE$TONEのライブに行ってきた。

忙しかったり、病気もあったりして久々の参戦。

過去と今の対比をテーマとした演出、それを福田さんが歌っているとどうしてもあの頃が蘇ってしまう。「笑えるようになった過去」として歌っていたということは、葛藤日記でも書いていたが、そういう気持ちの整理ができたということなのだろうか。
福田さんも喋って!(笑)

さて、要望としてはもうちょっと長くやってほしいということ。もう少し曲数聞きたい! あっという間過ぎる。

それからボーカルのマイク音量を今日はもうちょっと上げても良かったような気がする。

ドラムの音にボーカルが消されてしまって歌詞が聞き取りづらい部分があった。
テーマがテーマだけに今日は詞がもうちょっと聞けるとよかったんじゃないかなと。

でもやはりライブは楽しく、ちょっと斜めに構えて、表情には表さないけど声には情感たっぷり乗せて歌っている姿を見れて幸せでございました。

あとはいつも通りの現場での再会もあり、まあ長らくお世話になってますというかなんというか(笑)




再会といえば。

7月に思わぬ出会いがあったことは記した通りだが…

10月13日、前々回にも書いたように、りんねが牧場から去ってまさに12年という時。
そして一週間もすれば尋美さんの35回目の誕生日という時。

小林さんとりんねが再会を果たしているのだ…

おそらく写真は沖縄の島。

「2人でとてもとても深い話をしたんだ。
同じメンバーだった事も
今でも笑って会えることがほんとに幸せ」
          (小林さんTwitterより引用)

前回のコメント欄でちょっと触れだが、胸の締め付けられる「あぁ」という思いは、こういうことなんだなと。そしてそう感じてきたことが間違っていなかったのだと安心した。

二人にしかわからない思い。
あの頃の風景、匂い、忘れられない思い出。

共有している二人。
たった二人が今でも大切にしているということ。


こんな素敵なことないじゃない。


晴れた青空が沖縄と東京と、そして北海道で繋がっている。
3人のために、いつまでも。

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なぜかあそこに行くときはいつも晴れ。



雑草などの掃除をしていたら汗だくになってしまい一休憩。

まとめておいた雑草等を取りに戻ったら人影が。



こちらは相手の方を知っているが果たして自分はなんなのか?

「ファンでした」とは言ってみたものの、なんか考えてみるとしっくりこない。

よくよく考えてみたら福田さんや安倍さんにしても果たして自分は「ファン」と名乗るものなのだろうか?

思い出の一部というか、長い歳月が経っているからもはやその辺の落とし所がわからない。

なんと名乗ればいいのやら。
さぞかしお相手の方にはキョドって見えたであろうことは想像に難くない。



15年という歳月。
自分の記憶もかなり薄れてきている(なにしろ当時の映像等が手元にないので)。

でも今日のような偶然もあれば、またそこで思い出が一つ。
それは彼女が作ってくれた思い出になる。


そして帰り道。
素手で雑草を引っこ抜いたので、ハンドルを握る手が痛いこと痛いこと。

でもそれもまたこの先への思い出。


気持ちのいい大切な一日でございました。

コメント欄からの話題の流れで続けます。

カントリー娘。11年ぶりに新メンバーオーディション実施

最初に断わっておくが里田さんに含むところはない。

その上で里田さんの受け継いでほしいという「思い」、カントリー娘。として「やり残したこと」というのは自分には理解できないし想像もできない。

記事内にある「半農半芸」というコンセプトにしても、ほぼ里田さんの加入と同時に縮小していったものだし、それがなければりんねのその後もどうなっていたか分からない。歌の面に関しても石川さんの参加以降は他のハロプロユニットとの差異は大きく感じられず、牧歌的な面を色濃く残していたそれ以前とは大きく異なる。

りんねが2002年にハロプロを離れるまでに残した多くの言葉から受け取るカントリー娘。への「思い」と、里田さんの言う「思い」は自分はまったく方向性の違うものに感じるのだ。

りんねが石垣島から送ったバースデーカード、そして毎年欠かさず夏にある場所を訪れる小林さん、同じく夏になると訪れる当時のスタッフの方々。それらを見て感じて胸を締め付けられる思いをした自分としては、笑顔でカントリー娘。への思いと募集を語る里田さんは別の世界のことを語っているように感じた。

これは里田さんを責めるとかそういう話ではなく、まったく別次元で語られるものなのだろうという感じで・・・

また、里田さんのことは別として、タンポポやプッチモニやミニモニやココナッツ娘。が自然消滅状態になっているのに、なぜカントリー娘。を続ける必要があるのかという疑問はある。

花畑牧場の広告塔の意味や、その他事務所的な思惑があるのかもしれない。もしかしたら、その名前の存続にあの当時*1の面影を感じ、どうしても残そうという意思のある人が事務所にいるのかもしれない。それだったらうれしいが、これまでの経緯を見るとそうも思えず、もやもやした気持ちが自分には残る。

なんにせよ思い出はそっとしておいてほしいし、もし騒がすのならそこにあった「思い」をきちんと伝えていってほしいと思う。



今回はちょっと書きにくいことを話題にしてしまった。
でも、どこかで書いて自分の気持ちを整理しておかないとそれすらも風化してしまうような気がするので今回少し筆を進めた。
お気を悪くされた方がいたら申し訳ない。


次回はまたもう少しコメント欄からの話題を発展できればいいかなと。


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*1 説明するまでもないが1999年のこと
*2 りんねの件は当サイト記事夕暮れのオレンジ色の空の向こうには。でも。今から読めば再考の余地はあるが、時系列の整理や当時のメンバーの動向は掴めると思う。

探し物のついでにここの過去ログをちょっと読み直す機会があり、一つ思い当ることがあった

カントリー娘のりんねがハロプロを辞める時に「ミュージカル女優を目指す」という発表が事務所からあったと思う。
実際、その卒業後に松浦主演のミュージカルに出たりもしたのだが、すぐに表舞台からは去ってしまった。
その経緯から当時のファンはミュージカル女優の夢とは「なんだったんだろう?」、「言わされていたものだったのか?」「つじつま合わせ?」などと憶測せざるをえなかった。

でも今なら分かった気がする。
りんねの言う「ミュージカル」とは札幌のあの子供ミュージカルのことだったのではないかと。自分を含め多くの人がりんねに関する発表を直後のミュージカルと結び付けて考えていたけど、りんねにとってのミュージカルは全然違うことを言っていたんじゃないかと。

辞める直前に札幌の子供ミュージカルの卒業生の方たちと何度も会っていたのは確かだし、広島の友達(おそらく高校の同級生)に会いに行ったり、父親のいる石垣島を訪れたり、2002年の前半に彼女が思い悩んでいたことはいろいろな資料から分かっている。

分かっているからこそファンは彼女の辞めた理由をあれやこれやと考えて、また事務所の発表を鵜呑みにもで出来なかったのだが(当時はハロマゲドンの発表直後で事務所不信がピークだった)、事務所の発表通り「ミュージカル女優を目指す」という理由は間違いではなかったのかもしれない。

これは言葉のロジックで、「(りんねが)ミュージカル女優(になること)を目指す」と思っていたことが、例えば「(りんねは)ミュージカル女優を目指す(人を応援する)」だったのかもしれないし」「(プライベートで)ミュージカル女優を(やる人)を目指す」という意味だったのかもしれないし、なんにせよ本人の口からではない、短い一文の「ミュージカル女優を目指す」を実は勘違いしていたのではないかと。

勘違いというか、それは事務所もりんねもわかった上でそういう発表にしたのではないかと。事務所も嘘を発表したわけではないし、りんねにとっても嘘の話ではない。結果ファンに嘘をついているわけではない。それが「ミュージカル女優を目指す」というなんとも素っ気ない発表の裏にあった理由なのではないだろうか。

しかしなおも、りんね自身の「卒業はびっくり」という発言内容や、田中義剛氏の「りんねが『牧場をテーマにしたミュージカルをやってみたい』とやる気を見せたのでソロ展開を計画」といった発言には疑問は残る。

まあ、11年も昔のことだし今さら真相を知ったところで何があるわけでもないのだが、あの時の辞め方と去り方、いろんな意味で心に引っかかりが出来ているので、気になると扉を開けてしまうんだな・・・


ちなみに今年は2002年とカレンダーが一緒の年。
11年前の今週末にりんねは牧場で卒業イベントを行ったのです。


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昨日はあれから12年。
お花とお線香を持って伺わせていただきました。

向こうについて1時間ほど時間があったので少しぶらっとしていましたが、緑の多い場所でいつも気持ちが癒されます。

ここに来る時はいつも晴れ。
広がる青い空。

彼女の見ていた果てしなく広がる北の大地の空と今自分が見上げている青い空。
場所も時間も超えて、ふと一つの同じ空を見ているような気がしました。




自分の時間が事前に予定できれば御一緒したかった方がいらっしゃったのですが、午前中の予定が流動的でまた一人でのお参りとなりました。また一年延びてしまいますが来年こそは。

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