かつてモーニング娘。を追いかけた時期があった。

追いかけたといっても当時は浦和レッズのサポーターとして全国を駆け回っていた時期とも重なり、テレビ等のメディアから得る情報の方が圧倒的に多かった活動ではあったが。

彼女たちに出会ったのは1997年。

その前からテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(リニューアル前の「コムロギャルソン」も含む)を好きで見ていたのだが、97年に始まった新たなオーディションにモーニング娘。になる前の彼女たちがいた。

オーディションは女性のロックボーカリストを求めるというものだった。
(※オーディションからデビューについては当サイト『いつか来た道』でも参考にしてください)


そのオーディションに早い段階から出ていた福田明日香はとても異質な存在だった。

当時12歳、その年齢は他の参加者と比べて群を抜いて低かった。
そしてその年齢に似合わぬ抜群の歌唱力と、回りに合わせないちょっとぶっきら棒な物言い。
それらが彼女をとても大人に見せていた。

その異質さにオーディションのプロデューサーだったシャ乱Qの面々やそのマネージャーである和田薫氏、番組MCたちも面白がって喰いついていたように思う。

オーディションは進み、福田も最終選考まで残る。
しかしロックボーカリストの栄冠は勝ち取れず、他の夢破れた参加者とグループを結成することになった。

モーニング娘。の始まりである。


今でこそ「モーニング娘。=アイドル」という認識は自他共に揺るぎないものだが、当時は中途半端なものであり、そこの線引きは明確なものではなかった。

人気の出方、メディア出演での扱われ方、それらはアイドル的なものだったと言ってもいい。
ただし彼女たち自身はと言えば、元々のオーディションがロックボーカリストを求めるものであったので、アイドル活動にも戸惑いがあったし、グループ活動にも疑問を抱いている部分があった。

アイドルを目指していたわけではないのにアイドルとして活動していく、その矛盾への悩みが特にオリジナルメンバーの5人は強かったと思う。そしてその矛盾への葛藤、時折見せる本音というか営業スマイルの中にある陰に自分はとても惹かれた。安倍や飯田ら長年活動したメンバーはその思いをラジオ等で漏らすことも多々あったしね。

実際1999年の半ば頃、活動が停滞を迎え今後の雲行きが怪しくなった頃にはラジオで「私たちはアーティストです」と宣言する場面もあった。(その直後の『LOVEマシーン』の大ヒットによってその思いとは裏腹な方向に加速していくのだが)

その変革の年の1999年。
4月にグループ結成わずか1年半で脱退していたのが福田だった。

辞める直前のシングルには自身の卒業ソング『Never Forget』も入り、表題曲『Memory青春の光』は8人のコーラスワークを生かしハーモニーが抜群に綺麗な、グループのメンバーたちも大好きな今に語り継がれる名曲であった(個人的な感想よ)。そしてその頃には「タンポポ」という派生ユニット(石黒・飯田・矢口)もコーラスワークを重視した楽曲のリリースを続けていた。

そして福田の卒業公演は生バンドを入れて行われていた。
福田が辞めてからのライブは生バンドを止めてオケだけになった(その後何年にも渡って)。

その生音を惜しむ声は多かった。
メンバー自身も(特に安倍)「あの頃のライブは楽しかった」というような内容の発言をしている。

抜群の歌唱力を誇りメインボーカルの一翼を担った福田の脱退と共に失われた生演奏のライブ。
そしてその後、特に『LOVEマシーン』以降の楽曲の変化。複雑なコーラスワークはなくなり、ユニゾンやパートぶつ切りの曲が多くなった。

それらの変化、、、その変化前の象徴が福田の存在であったのかもしれない。

本人は否定するだろうし異論もあるだろう。

ただ、自分だけではなく同じような感覚を持った人たちはそれなりにいた。
当時の巨大掲示板での交流、テキストサイトでの記事、自分の所にコメントを書き込んでくれていた方たち(サイト移転に伴い多くの部分が失われてしまったが)・・・あの『Memory青春の光』前を大切にしていた方が多くいたのは幻ではなかったと思いたい。



福田明日香がヘアヌード写真集の発売を発表した。

今さらヌードで動揺や興奮する年齢では自分もなくなった。
正直そこはどうでもいい。

2年前に書いた記事で、彼女とその所属グループに対する気持ちの整理はつけている。
だからどうでもいい。欲しいとも思わない。





だが、どうでもいいが、どうでもよくないのかもしれない。
そんな風に思えることもある。

彼女がモーニング娘。だった頃の思い出。
そしてPEACE$TONEとして活動していた頃の思い出。

PEACE$TONEのリーダー・TERRAさんの前バンドTHETAに彼女の歌声が入っていたことに歓喜した日もあった。



そして復帰してからのライブの思い出。
そこであった交流。遥か以前からの付き合いもあれば、「福田さんのファンなんです」と若い子(それこそASAYANオーディションの頃に生まれたくらいの)が彼女の歌声を聴きに来たこともあった。

メンバーたちにも顔を覚えてもらっていたし、長年通う中でそれなりに会話もしたと思う。

2年前に離れてしまったけど、今でもその日々を大切に思っているのは確かだ。

そこに今後ヘアヌードという話題はずっと付きまとうだろう。

「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたモーニング娘。」
「あの(ヘアヌードを出した)福田明日香がいたPEACE$TONE」

ヘアヌードそのものはどうでもいいけど、自分の思い出はその度に少し傷つく。
もしかしたら彼女に携わった(特にPEACE$TONE時代の)方たちもそうかもしれない。

それは彼女自身には責任のないことだ。
それは自分の思い出であり、それらに彼女が何ら負うところはなくていい。

ただ彼女がやりたいことをやっただけ。
それだけのことだと思う。
ただモヤっとした感情をこちらが持つだけの話だ(批判や非難ですらないです)。



どうしても一つだけ残念に思うのは、
あれだけの才能とあれだけの環境があり、彼女の声を必要としてくれる仲間がいて、自身も音楽に対する思いを吐露しておきながら、なぜ音楽と真剣に向き合わなかったのだろうかということ。私には歌しかないっていうのが離婚した理由じゃなかったっけ? だから戻って来たときは「いよいよ」って期待が大きく膨らんでいた。

・・・しかし現実にはほとんどが中途半端に終わってしまった虚しさ。

これも彼女には「私の勝手でしょ」と笑われそうだが、本当に彼女の歌声が好きだった自分には今の状況がとても虚しい。

もうさ、、、「やっぱり歌がやりたいんです」と言っても、次は惑わされない自信があるけど。



でも福田さん、20年間、いろんな思い出もありがとう。

このサイトはあなたの存在があったからであり、時として思わぬ交流を生んでくれたりもしました。
今まで感謝しております。




そう。20年前に夢見た世界は実現しなかった。
はっきりと書けば、成長し実力をつけた彼女たち8人(1999年の)が揃ってもう一度生音で『Memory青春の光』を歌って欲しかった。

でもそう思い続けた日々も楽しかった。
このサイトがあったおかげでいろんな楽曲を知ろうという気持ちを長年維持出来た。
年をとってもライブハウスに通える原動力にもなった。


ハッピーエンドだけがすべてじゃない。
いろんな歩みがあって、道が分かれていって、、、それが人生。


これにて彼女の「今後」を書くことはもうないと思います。

さようなら。今までありがとうございました。






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あ、このサイト辞めるわけじゃないからね。
たくさん書いてきたこと、ブログの運営が続いている限り残しておきます。
あと「今後」であって過去のことはこれまで通り書くかもしれません。
過去まで変えてしまってはそれこそ歴史修正主義になってしまいますからね 笑