母が亡くなった。

どうかここに書くことをお許しいただきたい。

文章にすることで、いやしないと平静を保っていられそうになく、頭を使っていることでなんとか耐えていられる・・・そういうことなのかもしれない。

ここに15年以上書き続けて、一つの自分の防御機能になっているのだと思う。



母がパーキンソン病の薬を処方されるようになってから6、7年。

思えば長かった。

年々、日に日に状態が悪くなっていくのは分かっていた。

高齢からくる体力の衰えも目立ち4年前には脱水症状で救急車で運ばれた。
敗血症も併発していた。

その年の冬には胃潰瘍で入院した。

それでもなんとか回復して杖をつく生活になりながらも笑顔を見ることが出来た。

その次の夏におそらく最後の旅行になるのではないかと思い秋田と青森に連れていった。

青森のアスパムの郷土料理屋で青函連絡船を見ながら食事をした。たぶん一緒に飲んだ最後のお酒だったと思う。

その後記憶が曖昧になりながらも、青森に旅行に行ったことはずっと覚えていて本当に良い思い出になった。


2年前には足がはれ上がってきた。

静脈瘤だった。足に血が溜まり出血して止まらなくなった。

意識混濁になり輸血を繰り返してなんとか回復した。


退院してきたときには車イスが必要になった。

手術して入院すると逆に体が弱ってしまう面もあるので、手術はしなかった。

両足を圧迫して血を溜めないようにするために包帯をぐるぐる巻き。

毎日包帯を交換して、それを洗濯する日々が始まった。

それでも調子がいい時には母は車イスを押しながら自分で歩くことができた。

毎朝車イスをクルマに載せ、近所の公園や自然のきれいなところに散歩に連れて行った。



1年くらい前からそれも出来なくなってきた。

時間や日にちの概念がなくなってきた。

妄想を話すことも多くなった。


母の世話で面倒が多くなるにつれ、自分の心も荒みかけていることが分かった。

時に投げつけてしまったきつい言葉、今となっては後悔してもしきれない。



つい先日の母の日、近所に新しくオープンしたケーキ屋さんでケーキを買って食べさせた。

美味しいと言って、久々に顔をほころばせて食べた。

食べる気力と飲む気力、それが最近は特になくなっていた。だからケーキを美味しいと言ってくれたことは自分もうれしかった。

2日前、また食が細くなっていたので「食べなきゃ死んじゃうよ」と言って食事をさせた。

その時に言った

「もっと一緒にいたいよ」

という言葉が能動的な意志の表れの最後だったと思う。

どんなに迷惑かけられても、どれだけ嫌な思い出が増えても、それでも自分ももっと一緒にいたかった。



今朝母が死んだ。

気持ちの整理はつかない。つくわけがない。

でも受け入れなければならない。

母は死んだ。



生んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

大好きでした。