<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
第14回>全国キャンペーンと手売り直前の奮闘
第15回>『愛の種』大阪で手売り開始
第16回>『愛の種』手売り福岡編
第17回>『愛の種』手売り札幌編




    < 18 >                (敬称略)


モーニング娘。の5人が名古屋に入ったのは11月29日のこと。
2週間前の予定が延期されての名古屋入りだった。

この日は残念ながら雨模様。
街頭に立ってPR活動をしたが反応はあまり良くなく、名古屋での完売に自信を失っていく。時おりぱらつく小雨にメンバーたちの不安は増した。





街中での反応の薄さに彼女たちはその日の夜、ホテルの部屋に集まってお祈りをした。
札幌の手売りのときに乗ったタクシーの運転手から聞いたおまじない。11時11分に1分間願うとその願いは叶うという。「1」並びの数字は安倍にとっても縁起の良いものだった(オーディション時の番号が1111番)。

「明日お客さんが来てくれますように」、そのためには「晴れてくれますように」と真剣に願った。彼女たちも晴れやかな青空の元、素晴らしい日を迎えたかったのだろう。




そして翌日。
1997年11月30日。
彼女たちの願いは叶う。





彼女たちの目の前には澄み渡る青空が広がっていた。
前日のどんよりとした曇り空からは嘘のような高い空だった

会場はHMV名古屋生活倉庫店から変更になったナゴヤ球場(前年まで中日ドラゴンズの本拠地球場)。スタジアムの開放的な空間にはたくさんのお客さんが彼女たちの最高の瞬間を見ようと詰め掛けていた。

最後の手売りに臨むメンバーたち。
手と手を取り合って気持ちを確認した。













東京からは福田の家族も応援に駆けつけた。東京での開催はなくなることが確実視されていたので東京方面からも多くの人が来ていたのだ。青空のもとで売り上げは順調に伸びていく。

そしてその時が刻一刻と近づく。
球場にはカウントダウンの声が流れ・・・















そしてついにその瞬間。








5万枚完売達成!


メンバーたちは集まり抱き合い泣いて喜んだ。


オーディションが始まってから半年、さまざまな試練や挫折があり、寝る時間も満足に取れなくなっていった。学校や仕事、そして家族までも、生活の激変を経て、いろんなものを捨ていろんなものを吸収し、ついに彼女たちは夢をつかんだのだった。




















たくさんの人に支えられ、その気持ちに応えた彼女たち。









夏先生や和田マネとは共に闘ったという気持ちだった。

ASAYANのスタッフや家族、そして各地方の手売りを手伝ってくれた多くの人たち、そして共にオーディションを戦い敗れていった人たちの気持ち、さらにはそれを見て一喜一憂していた視聴者の応援。
いろんなもののプレッシャーや不安からも解放された瞬間だった


50,000枚完売を成し遂げ、その達成感と安堵感に最高の表情を見せるメンバーたち。

石黒彩。



安倍なつみ。



中澤裕子。



飯田圭織。



福田明日香。




彼女たちは自分たちの空をめざし、そしてついにその夢をつかんだのだ。

そして、この小さな第一歩が、その後たくさんの人たちの大きな大きな夢へとつながっていく。

彼女たち自身が多くの人の夢や希望となり、やがて日本中を巻き込んでいくことになるのだった。



それは彼女たちの勇気を振り絞った決心から始まった物語。



あの時『ASAYAN』を見ていなければ、あの時オーディションを受けなければ、そして未知の世界に飛び込んでいなければ、何も始まらなかった。

ソロのロックボーカリストを目指して集まった彼女たち。その後の活躍は記すまでもないが、国民的と呼ばれるアイドルグループになり、誰もが知っているアイドルになった。


でも彼女たちはことあるごとに言っていた。

「私たちはアイドルじゃなくてアーティスト」
だと。


それは傍から見れば「はいはい」と冷めた目で見られるような発言だったかもしれない。しかし彼女たちは自分たちが最初どういう形でどういう気持ちで始まったのかは忘れなかった。彼女たちは何年経っても歌にこだわり続けていた。


あれから20年という歳月が経つ。
彼女たちが皆グループを去ってからも10年以上の月日が流れた。
全員が母親になり、石黒の子供にいたってはすでに高校生で当時の安倍や飯田の年齢と変わらない。

この20年という月日は彼女たちをどう変えただろうか。
大人になりたくさんの経験を積んで、それぞれの人生を歩んできた。
あの頃のように毎日顔を合わすわけでもなく、今は集まって一つのものを作るということもない。

でも一つだけ分かっていることがある。

彼女たちは休んでもまたいつか絶対にどんな形であれ歌い始めるということを。
そしてそれはお互いに分かっているのことなのではないかと。


あの時の好きな空を見続けている彼女たちに、20年前、10年前と変わらずに

「ありがとう」

と伝えたい。






彼女たちの青い空はどこまでも続いている…