<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
第14回>全国キャンペーンと手売り直前の奮闘
第15回>『愛の種』大阪で手売り開始
第16回>『愛の種』手売り福岡編




    < 17 >                (敬称略)


いよいよ札幌。

いよいよと書いたのは他でもない3人のメンバーが地元とする北海道での手売りである。

地元に帰った3人は必死のPR活動をしていた。

飛び込み営業でポスターを張らせてもらったり



団地の扉を叩いて戸別訪問でPRしたり、



友達が手伝ってくれてビラ配りをしたメンバーもいた。




安倍にいたっては11月13日、なんと室蘭の市長にまで会いに行き、協力の約束まで取り付けてしまった。



父親と高校の担任教師と一緒に市長室を訪れCDをプレゼントしたのだ。市長も「出来る限りの協力を」と激励した。

また、途中からは中澤と福田も加わり街頭キャンペーンを行った。
気温3度の中、最後のPRのため街中を声を上げて練り歩いた。





札幌の手売りは11月24日。

実は先の大阪での騒動により11月16日に予定されていた名古屋での手売りは延期になり、2週間を空けての開催となっていた。会場も玉光堂PALS21店(2004年に閉店)から札幌キリンビール園に変更。街中の店舗での騒動を避けることになった。奇しくもオーディション時に縁ある中島公園はすぐそばだった。

彼女たちの心配は手売り当日に雪が降ること。「雪の休日は外に出ない」ととにかくそれを不安がっていた。

しかし当日の朝。
大阪や福岡と変わらない長い長い行列が出来ていた。しかも雪は降っていた。
雪がちらつく中で多くの人が寒空のもと、彼女たちを待っていたのだ



その喜びを飯田は「北海道バンザイ!」と表現して喜びを爆発させた。



しかし、あまりに泣いて目をこすりすぎてしまい、コンタクトで角膜を傷つけ一時的に片目が見えなくなってしまった。



今となっては永遠に語り継がれる飯田圭織の笑いと涙の思い出話。

札幌キリンビール園では14,853枚を販売。中には安倍の父親が1,000枚を購入する姿もあった。これで予定していた5会場ではなく、4つ目の会場での完売が見えてきた。

おそらく最後の会場となるのは名古屋。
彼女たちは何が何でもこの会場で売り切ろうと考え、さらに自分たちを追い込んでいくのである。