<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
<第2回>1996年のモーニング娘。たち
<第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
<第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
<第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
<第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
<第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
<第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
<第9回>優勝者決定と落選者たち
<第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
<第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
<第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
<第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
<第14回>全国キャンペーンと手売り直前の奮闘
< 15 > (敬称略)
1997年11月2日、彼女たちは大阪入りする。
翌日にはいよいよ『愛の種』の手売りが始まるのだ。
果たしてどうなるか、まったく予想もつかず眠れずに過ごす夜。
それぞれが不安の言葉を口にしていた。
それまでの自分の生活を捨てて、見ず知らずの世界に飛び込んだ彼女たち。
もしこのチャレンジが失敗に終わっても元の生活に戻れる保証もなく、何も先が見えない中で必死に目の前のことと戦っていた。
そして明けて3日。
朝の7時半。
メンバーたちはホテルから地下鉄に乗って手売りの会場である大阪心斎橋のOPAに向かっていた。
極度の不安と緊張、そして時に抱く「もしかしたら」という期待。
寝不足も相まって複雑な表情を見せる彼女たち。
しかし地下鉄のホームから地上へ出てきたそのとき、
そこには信じられない光景が広がっていた。
開始2時間前には徹夜組を含む800人もの行列がそこには出来ていたのだ。
混乱を避けるためその前を足早に通り過ぎるメンバーたち。
並んでいるたくさんの人たちを自分たちの目で確かめ、また声もかけられ、うれしい思いでいっぱいだった。
会場入りした彼女たちは準備を急ぐ。
デビュー前の彼女たちはCDの段ボールを運ぶのも、机にCDを並べるのも、出来ることはなんでもやった。当時彼女たちが置かれていた状況とはそういうものだった。
準備が進む一方、会場の外はとんでもないことになりつつあった。
大阪HMV心斎橋店の開店時間である10時にはすでに行列は500メートルにもなっていた。
そのため11時から手売り開始予定だったところを急遽繰り上げ10時半から開始。しかし行列はどんどん伸び続け、11時には御堂筋沿いに道頓堀川を越えたひとつ先の難波駅に達し、
OPAから1.5キロも離れたOCAT(大阪シティエアターミナル)まで続いていた。
メンバーたちもこれには驚きを隠せない。
こんなにも多くの人たちが自分たちを応援してくれていることが初めて実感できたのだった。落選者と言われ、数カ月間さんざんに叱られてきた彼女たちにとって、初めての経験った。
夕方には手売りの枚数は10,000枚を突破。
他の会場から(おそらく名古屋から)急ぎ3000枚を運び込み、ひたすら手売りをし行列をさばいたものの、この日は15,612枚のCDを売って終了。
しかしこれも近隣の苦情により警察も出動する事態になったためイベントを中止したもので、並んだもののCDを買えなかった人はたくさんいた。
この15,612枚という数字は、同年のSay a Little Prayerが持っていた1店舗における同一レコードの1日売上枚数世界記録を倍近く伸ばしたことになり、関係者たちの予想もはるかに超えたムーブメントが来ていることを予感させた。
またこの騒動の結果(たしか始末書を提出することになったはず)、札幌や名古屋での手売り会場は変更されることになり、それがまた新たな物語を生んでいくことになる。
<第2回>1996年のモーニング娘。たち
<第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
<第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
<第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
<第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
<第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
<第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
<第9回>優勝者決定と落選者たち
<第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
<第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
<第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
<第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
<第14回>全国キャンペーンと手売り直前の奮闘
< 15 > (敬称略)
1997年11月2日、彼女たちは大阪入りする。
翌日にはいよいよ『愛の種』の手売りが始まるのだ。
果たしてどうなるか、まったく予想もつかず眠れずに過ごす夜。
それぞれが不安の言葉を口にしていた。
それまでの自分の生活を捨てて、見ず知らずの世界に飛び込んだ彼女たち。
もしこのチャレンジが失敗に終わっても元の生活に戻れる保証もなく、何も先が見えない中で必死に目の前のことと戦っていた。
そして明けて3日。
朝の7時半。
メンバーたちはホテルから地下鉄に乗って手売りの会場である大阪心斎橋のOPAに向かっていた。
極度の不安と緊張、そして時に抱く「もしかしたら」という期待。
寝不足も相まって複雑な表情を見せる彼女たち。
しかし地下鉄のホームから地上へ出てきたそのとき、
そこには信じられない光景が広がっていた。
開始2時間前には徹夜組を含む800人もの行列がそこには出来ていたのだ。
混乱を避けるためその前を足早に通り過ぎるメンバーたち。
並んでいるたくさんの人たちを自分たちの目で確かめ、また声もかけられ、うれしい思いでいっぱいだった。
会場入りした彼女たちは準備を急ぐ。
デビュー前の彼女たちはCDの段ボールを運ぶのも、机にCDを並べるのも、出来ることはなんでもやった。当時彼女たちが置かれていた状況とはそういうものだった。
準備が進む一方、会場の外はとんでもないことになりつつあった。
大阪HMV心斎橋店の開店時間である10時にはすでに行列は500メートルにもなっていた。
そのため11時から手売り開始予定だったところを急遽繰り上げ10時半から開始。しかし行列はどんどん伸び続け、11時には御堂筋沿いに道頓堀川を越えたひとつ先の難波駅に達し、
OPAから1.5キロも離れたOCAT(大阪シティエアターミナル)まで続いていた。
メンバーたちもこれには驚きを隠せない。
こんなにも多くの人たちが自分たちを応援してくれていることが初めて実感できたのだった。落選者と言われ、数カ月間さんざんに叱られてきた彼女たちにとって、初めての経験った。
夕方には手売りの枚数は10,000枚を突破。
他の会場から(おそらく名古屋から)急ぎ3000枚を運び込み、ひたすら手売りをし行列をさばいたものの、この日は15,612枚のCDを売って終了。
しかしこれも近隣の苦情により警察も出動する事態になったためイベントを中止したもので、並んだもののCDを買えなかった人はたくさんいた。
この15,612枚という数字は、同年のSay a Little Prayerが持っていた1店舗における同一レコードの1日売上枚数世界記録を倍近く伸ばしたことになり、関係者たちの予想もはるかに超えたムーブメントが来ていることを予感させた。
またこの騒動の結果(たしか始末書を提出することになったはず)、札幌や名古屋での手売り会場は変更されることになり、それがまた新たな物語を生んでいくことになる。
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