<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
<第2回>1996年のモーニング娘。たち
<第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
<第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
<第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
<第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
<第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
<第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
<第9回>優勝者決定と落選者たち
<第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
<第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
<第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
<第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
< 14 > (敬称略)
楽曲制作と各撮影が終わると彼女たちはキャンペーンのために全国に飛んだ。
札幌・名古屋・福岡でのCDを売る会場も決まり、会場となるレコード店に土日を使って2日間で回ることになったのだった。
10月18日、テレビ北海道の朝の番組『おはようCandy』にPRのために出演。
そつなくこなしたように見えたが、しかしその基本的な姿勢を番組プロデューサーである泉正隆(第7回参照)に痛烈に批判される。
これは新人歌手のキャンペーンではなく、CDを一枚でも多く買ってもらい未来に繋げるために行っている。君らはタレントでもないし、これは仕事でやってるわけでもない。ASAYANに出ていればそれでいいのか、と。
番組の本番終了後に、こう怒られたのだ。
後年になって安倍なつみがこのVTRを見て大きくうなずくシーンがあった。泉正隆や和田マネ、夏まゆみや笠木新一らが彼女たちにかけた厳しい言葉は、当時は理不尽に思えたり反発を感じることもあったかもしれないが、やがてそれは彼女たちの大きな財産となっていくのである。
番組出演後、札幌パルス21・玉光堂に移動してポスター貼りと地元誌の取材を受けた。北海道はメンバー5人中3人の出身地でもあるので注目度も高かったようだ。
その後は15℃以上も気温差がある福岡へ、そして翌日には大阪・名古屋へと強行スケジュールは続いた。
そしてついに彼女たちの元へ完成した5万枚のCDが届く。
工場から出荷されてきた自分たちのCDを見て喜ぶメンバーたち。
彼女たちは買ってくれる人に感謝の気持ちを表すため、ポストカードに手書きのサインを入れることにした。来る日も来る日もサインをし、移動先のホテルや、時にはモノレールの中でも書き続け腱鞘炎になった。
朝まで書き続けることもあったらしく、あまりに眠かった福田は隠れるようにして寝ていたこともあったという。こんな状態なのでサインミスなどもあったようだが(重複してサインが6人分になったりとか)、逆にそれに当たった人は貴重なプレミア物を手に入れたといえるかもしれない。彼女たちにとっては若干不本意かもしれないが。
またこの間にも<ゆうせん>へ挨拶回りをし、各メンバーたちは地元に帰るとそれぞれあの手この手を使ってどうにかして『愛の種』を知ってもらうために奮闘していた。
中澤によれば、こうした活動により当初は「5人で頑張ろう」なんて思っていなかったものが、毎日一緒にいるうちに自然と「これは5人でやりとげるもの」と思うようになっていったという。
8月の下旬に再召集されて怒涛の2カ月が過ぎ、大阪での『愛の種』発売初日はもうすぐそこまで近づいてきていた。
<第2回>1996年のモーニング娘。たち
<第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
<第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
<第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
<第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
<第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
<第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
<第9回>優勝者決定と落選者たち
<第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
<第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
<第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変
<第13回>『愛の種』のレコーディングとPV撮影
< 14 > (敬称略)
楽曲制作と各撮影が終わると彼女たちはキャンペーンのために全国に飛んだ。
札幌・名古屋・福岡でのCDを売る会場も決まり、会場となるレコード店に土日を使って2日間で回ることになったのだった。
10月18日、テレビ北海道の朝の番組『おはようCandy』にPRのために出演。
そつなくこなしたように見えたが、しかしその基本的な姿勢を番組プロデューサーである泉正隆(第7回参照)に痛烈に批判される。
これは新人歌手のキャンペーンではなく、CDを一枚でも多く買ってもらい未来に繋げるために行っている。君らはタレントでもないし、これは仕事でやってるわけでもない。ASAYANに出ていればそれでいいのか、と。
番組の本番終了後に、こう怒られたのだ。
後年になって安倍なつみがこのVTRを見て大きくうなずくシーンがあった。泉正隆や和田マネ、夏まゆみや笠木新一らが彼女たちにかけた厳しい言葉は、当時は理不尽に思えたり反発を感じることもあったかもしれないが、やがてそれは彼女たちの大きな財産となっていくのである。
番組出演後、札幌パルス21・玉光堂に移動してポスター貼りと地元誌の取材を受けた。北海道はメンバー5人中3人の出身地でもあるので注目度も高かったようだ。
その後は15℃以上も気温差がある福岡へ、そして翌日には大阪・名古屋へと強行スケジュールは続いた。
そしてついに彼女たちの元へ完成した5万枚のCDが届く。
工場から出荷されてきた自分たちのCDを見て喜ぶメンバーたち。
彼女たちは買ってくれる人に感謝の気持ちを表すため、ポストカードに手書きのサインを入れることにした。来る日も来る日もサインをし、移動先のホテルや、時にはモノレールの中でも書き続け腱鞘炎になった。
朝まで書き続けることもあったらしく、あまりに眠かった福田は隠れるようにして寝ていたこともあったという。こんな状態なのでサインミスなどもあったようだが(重複してサインが6人分になったりとか)、逆にそれに当たった人は貴重なプレミア物を手に入れたといえるかもしれない。彼女たちにとっては若干不本意かもしれないが。
またこの間にも<ゆうせん>へ挨拶回りをし、各メンバーたちは地元に帰るとそれぞれあの手この手を使ってどうにかして『愛の種』を知ってもらうために奮闘していた。
中澤によれば、こうした活動により当初は「5人で頑張ろう」なんて思っていなかったものが、毎日一緒にいるうちに自然と「これは5人でやりとげるもの」と思うようになっていったという。
8月の下旬に再召集されて怒涛の2カ月が過ぎ、大阪での『愛の種』発売初日はもうすぐそこまで近づいてきていた。
コメント
コメント一覧 (4)
おじゃまっぷの話、知らないので教えてください!