<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変




    < 13 >                (敬称略)


9月23日、5万枚という条件のためのCD『愛の種』のレコーディングが始まる。

このCD制作にあたっては後にモーニング娘。のプロデューサーとなるつんくの姿はない。

ASAYANのタカハタ氏ら制作陣とそれに和田マネらが調整して各布陣を整えていった。


楽曲打ち合わせ中の和田マネとアップフロントからのレコーディングディレクター・橋本慎。


ボイストレーニングにはロックボーカリストオーディションの寺合宿で厳しい指導を行った笠木新一を再び起用。指導は変わらず厳しかったが再会を喜び笑みを見せる場面もあった。


作曲とプロデューサーには桜井鉄太郎(右端)。楽曲はキャンディーズ『春一番』のイメージでビブラートを極力使わないように徹底指導してレコーディングをした。桜井によれば当時は華原朋美が流行っていて、その華原的な歌い方のクセがどもメンバーにも出ていて、それはこの曲に合わないと判断したからだった。

桜井鉄太郎はロックボーカリストオーディションにおいてメンバー選考の粗選り段階でも関与。安倍と福田をメインにすることを提唱するなど、ユニットコンセプトへも関わっていた。つんくはこの段階では「プロデュースは未知の領域でシャ乱Q以外に曲を提供するのもまだ自分が踏み込んでいける領域ではない」と述べ、本格的に関わることに躊躇いがある状態だった。

『愛の種』にはレコーディング中に歌詞が大幅変更されたという話が残っている。またサエキけんぞう(『愛の種』作詞担当)は曲タイトルをティアーズフォーフィアーズのシングルタイトルから受けて『シーズ・オブ・ラブ』と最初につけていたが「『愛の種』でいい!」とスタッフに言われ(ASAYANスタッフか?)決定した。サエキによれば「『面白い方がいい』という精神が感じられた」とのこと。

(けっこうメジャーな曲なのでご存知の方も多いと思うが参考までに)
Tears For Fears『Sowing The Seeds Of Love』


モーニング娘。が1st・2ndシングルを経てファーストアルバムをリリースする際、桜井鉄太郎やサエキけんぞうも何曲か関わることになっていたらしいが、それは立ち消えになり、以降はつんくのみの作品でプロデュースされることになる。







中澤はレコーディングで上手くいかず、気持ちを一新するために断髪。

「髪を切って 夢をみがく
 好きな空をめざすために」

『愛の種』の歌詞そのままに行動したわけだが、長髪で撮っていたジャケット写真を撮り直すことにもなり、それで迷惑をかけることになった。

・・・とASAYAN上の映像にはなっているが、実際には中澤が髪を切ったのはASAYANのスタッフにやんわりと髪を切ることを勧められたからである。それなのにつんくに「髪を切ったからって、そんなことたいしたことじゃない」と言われて相当頭にきたらしい。

その後歌割りが発表され、中澤はたった2か所しかソロパートを与えられなかった。視聴直後、中澤は号泣。悔しさの涙だと誰もが思ったが、たった2か所でもソロパートがあって良かったという嬉し涙だった。

この頃の中澤は泣いているか怒っているかのどちらかだった。そのおかげで精神的に鍛えられ少々のことではへこたれなくなった。強くなくては生きていけない・・・中澤が座右の銘とする「弱肉強食」はこれらの過程から抱くようになっていったものだった。


10月に入ると『愛の種』のプロモーションビデオの撮影が待っていた。

富士山のふもと、静岡県朝霧高原のとある牧草地と都内各所でそれは行われた。

朝霧高原では年上のメンバーが年下メンバーの化粧を手伝ってあげたという。服装もスタイリストは用意されず、自分たちの私服を着て撮影に臨んでいた。

また夕方に撮ったというコスモス畑のシーンでは周囲の牧場からの臭いがきつく、なかなか大変だったようだ。



静岡からの帰りがけにはほうとう屋で食事(中央道経由での帰路か?)。メンバーみんながほうとうを頼む中、福田だけピザを頼んで笑いを誘った。


『愛の種』はモーニング娘。が大きくなっていく中で徐々に封印され、頻繁に歌われていたのは最初の1年くらいである。

2001年に中澤裕子が卒業する際にNHKのスペシャル番組(この番組を作ったのはタカハタ秀太ら旧ASAYANのスタッフだった)で、また10周年の記念イベントの時にもオリジナルメンバーだけで歌っている。それは歌うメンバーの涙と共に、見ている側にも涙を誘うものだった。

また各メンバーが持つラジオ番組でも、節目となる時、意味を持たせたい時にこの曲がかけられ、最初の頃を思い出す曲としてメンバー自身が望み選んでかけることがあった。

『愛の種』はこうしてメンバーたちにとって大切な曲となっていくのである。


(2017年4月には福田明日香が『愛の種』を約19年ぶりに歌い、個人的に思い溢れる瞬間だった→Youtube-STONE Project asukaの気まぐれラジオ session4で検索。8:15から)