<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察




    < 12 >                (敬称略)


1997年8月30日。

この日、シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションに落選した5人組がユニットとして初めてのスタジオ収録に臨んだ。

収録はお馴染みの東京メディアシティ(TMC)。ここで初めて5人組に対してつんくから「モーニング娘」という名前が提示された。
つんくによれば「モーニングセットのようなお得感のあるグループを」と説明があったが・・・



その名前が決まったとき、メンバーたちは好きになれず苦笑いしていた。もっとカッコいい名前が付くと想像していたらしい。

また「モーニング娘」の「。」に関しても、当時のASAYANはどんなテロップにも「。」を打つことを特徴としており、本来は「モーニング娘」のままでも良かったのだが、これもまたナインティナインの悪ふざけにより矢部浩之の一言で「モーニング娘。」が正式な名前となった。



一人だけ「漢字も『。』もついてお得だな」と言って受け入れていたがそれは少数派で、他のメンバーは最初の内はこの名前に抵抗を感じていたという。その時はまだこの名前が20年も続き、アイドル史に特別な意味を持つ名前になるとは誰も思っていなかった。

つんくの悪ふざけともとれるこの命名、アップフロントグループが6月に解散させたモーニング・グロウ・オーディション社の名がその元となっているのではないかと自分は考えている(同社については前回参照)。

これはアップフロントグループは(というよりもY会長{当時は社長・以降Y会長で統一})名前の使いまわしをたびたび行うので、直前に解散したオーディション部門の名前をメジャーデビュー前の新人に流用することは大いにありうるなと思うのだ。

例えば「花畑牧場」は同社が東京で営むレストランの名前でもあったし、「グランブルー」や「パシフィックヘブン」といった名もところどころで使っている。「モーニング娘。」と決まって以降も「カントリー娘。」や「ココナッツ娘。」と名前の流用は頻繁に見られる。飯田・石黒・矢口のユニット・タンポポという名もアップフロント所属の加藤紀子が1999年まで使っていたファンクラブの名称でもあった。

またY会長が大好きなハワイで営むコーヒー園の名も当初(モーニング娘。が出来る以前から)はモーニング・グロウ社という名前だった(その後アップフロントハワイ社に)。

Y会長の「モーニング娘。の事実上のプロデューサーは自分」という発言なども考慮すると、その意向を受けたつんくが悪ふざけを装ってASAYANで命名したのかなとも考えられる。ただこれは想像の域を出ず、仮にこれが本当だったとしても真相は明かされることはないと思うので、一つの妄想として捉えていただきたい。

ただ、後ににメンバーたちが自身の略称を世間で使われていた「モー娘。(モームス)」ではなく「モーニング」と呼んでいたことなども考えると、社内では「モーニング」というワードがメイン扱いだったのかなと思う。和田マネや夏先生も「モーニング」呼びだったように記憶している。


さて、これで名前が決まったモーニング娘。たち。

この日以降、彼女たちの生活は一変し、駆け足で走り続けることになっていく。

9月に入り、モーニング娘。の活動に専念するために石黒は服飾の短期大学を退学した。通学のことも考慮に入れ家族でこの年の4月に引っ越しをした石黒にとっては大きな覚悟と決心だった。

また北海道から通う飯田・安倍も学校は辞めざるを得ず、また東京在住とはいえ義務教育中だった福田は学業との両立という中学1年にしては重たい宿命を背負わされることになった。

当時は18歳以下の芸能タレントの深夜労働に関しての自主規律が緩く(厳しくなったのは1999年の大森玲子さんの件以降の事)、レッスンやレコーディングが夜遅くなることや朝までかかることも度々だった。

「前は帰ってきてごはん食べて、テレビを見たらすぐ寝てたんです。大晦日でも12時ぐらいにはもうバテて、除夜の鐘を聞けなかったのが(笑)、今は平気で朝の3時、4時まで仕事してますから。」(オリコン誌1998年5月18日号の安倍なつみの発言より)

このため福田は学校生活に支障を来たし、時には学校の先輩に目を付けられ、時には学校の友人たちと距離を感じるようになり、「普通の中学生」の生活は送れなくなっていった。

しかしそんな中での彼女たちの決心やひた向きさがまわりの人たちの心を動かし、やがて大きなうねりとなっていったのは多くの方が知っての通りだろう。