<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで


    < 9 >                (敬称略)


最終審査が行われた翌日の8月4日。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが盛り上がっている中で、『ASAYAN』はもう一つの盛り上がりをみせていた。

第1回で書いたデビュー予備軍・AISでデビューを勝ち取れなかった田口理恵・片桐華子・大櫛江里加の3人で結成したSay a Little Prayerが、インディーズCDを1店舗10日間で1万枚売ったらレコード会社と契約できるという企画にこの日から挑んでいたのだ。

Say a Little Prayer『小さな星』


タワーレコード渋谷店で手売りを行った3人は初日に約7000枚を売り、翌5日午後8時半頃に1万枚完売を達成。10日予定のところを2日で売り切り見事メジャーデビューの夢を勝ち取った。

この記録は1店舗における1日のCD売り上げ枚数の世界記録だったが、その記録は3カ月後にあっさりと抜かれてしまうこととなる・・・


そして1997年8月14日。

最終審査が終わってから10日あまり、再び11人は東京に集められた。シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションの優勝者がついにこの日発表されるのだ。

予選会場に足を運んで1次審査を受けた参加者約9900人。4ヵ月にわたって繰り広げられたオーディションもようやく終わりを迎えようとしていた。

安倍は即キープで最終審査に進んだこともあって「もしかすると」という期待を胸に上京していた。前日から泊まり込んでいたホテルでは飯田と同室だったが、飯田が「優勝は平家さんかなあ」と言っている横で期待の膨らみ過ぎた安倍の鼓動は高まるばかりだったという。

しかしこの時の合宿メンバーの仲間内の予想では「ロックボーカリスト」という募集で開催された以上、平家か石黒のどちらかだろうという予想に概ね落ち着いていた。安倍はナインティナイン岡村から「実写版綾波レイ」と言われるほどビジュアルとしてはアイドルに寄っていたし、福田は抜群の歌唱力を誇るとはいえ最終審査の歌審査直前のフラフラの状態を知られていたことや年齢からいっても予想の中には入らなかった。

グランプリの栄冠は歌で安定した力を見せ、合宿生活にもダンスにも必死に取り組んだ平家みちよの頭上に輝くことになる。即戦力を求めていたはたけの要望とも合致していたし(11月のシャ乱Q武道館ライブに立たせることになっていた)、周囲の参加者からもその実力を認められた栄冠となった。オーディション開始時から自分のことを「凡人」と言い続けた平家が凡人でなくなった瞬間だった。



落選を受けて後のモーニング娘。となる5人は最後の心境をこう述べている。



「ちっちゃい頃からずっと歌が好きで、何時間歌っても飽きないんですよ。だから私には歌しかないなと思って。売れなくても自分が好きな音楽をやっていけたらって思ってます」(福田)



「とりあえず、今の生活からは抜け出したいんで……。これからも人生冒険します」(中澤)



「ASAYANしかないから、オーディションって。だからASAYAN……また受けます」(安倍)



「やっと終わったって感じ……。(平家には)おめでとう、って。ホント嬉しかったし」(飯田)



「歌も頑張ってたし、ダンスも頑張ってたし、平家さんは自分より全部上だったんで、認められます」(石黒)

<コメント部『モーニング娘。5+3-1』より抜粋>

こうしてオーディションは終わり最終予選で敗れたメンバーたちもそれぞれの地元に帰って行くのだが、安倍は室蘭の自宅に帰るまで…いや帰ってからも泣き続けた。

どん底まで落ち込んで泣いていた安倍のところには飛行機のスチュワーデスまでが慰めにやってきたという。機内で配るお菓子を差し入れ「これ食べて元気出して」と、まるで子供をあやすようだった。この後何十回と羽田と千歳を往復することになる安倍はこのスチュワーデスの方と再会したという。

また、関西に向かう新幹線組の二人は平家が中澤に「整形した?」と最後の質問をしていた。もちろんこれは二人の中での笑い話なのだが、こちらは札幌組とはうって変わって明るい帰路となったようだった。

これでオーディションはすべて終了、誰もがそう思っていたがこの後事態は急展開を迎えることになる。