< 2 >                (敬称略)


1997年4月初頭に『ASAYAN』で告知された「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」は、その後のアイドル界にとって重要な歴史の転機である。

90年代前半のアイドル冬の時代、その後の小室全盛期、沖縄アクターズスクールの躍進の流れはこのオーディションをきっかけに変わったと言っても過言ではない。

芸能プロダクションや芸能スクールでレッスンを積んで、レコード会社に宣伝してもらってソロに近い形でデビューするというそれまでのメインストリームはここから変わっていったように思う。

もちろんこれ以前にもおニャン子クラブや乙女塾といった素人的な部分を売りにしたアイドルグループはあったがそれは一過性に過ぎず、また沖縄アクターズスクール勢にしても全面的にアイドルとして活動しているわけではなかった。

その後「アイドル戦国時代」と言われるグループアイドルの隆盛はこの「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」に端を発していると言ってもいいのではないだろうか。

そう、言わずもがなだが、このオーディションからモーニング娘。の歴史が始まるのである。ただし、あくまでもこのオーディションは一人のロックボーカリストを求めて始まったのだということは改めて記しておく。

後にモーニング娘。になるメンバーたちは決してアイドルになることを目標にオーディションを受けたわけではなかった。


さて、「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」を振り返る前に1996年のことをもう少し振り返っておこう。

このオーディションを受けた主要メンバーたちは1996年には何をしていたのか。
なぜ彼女たちはオーディションを受けることになったのか、その背景を探っていこうと思う。

1996年4月の時点でのモーニング娘。のオリジナルメンバー5人の年齢は以下の通り(シャ乱Qロックボーカリストオーディションは97年)。

中澤裕子(22) OL
石黒彩(17)  高校3年生
飯田圭織(14) 中学3年生
安倍なつみ(14)中学3年生
福田明日香(11)小学6年生

中澤裕子は大阪でOLとして働き始めて5回目の春。
上阪後の寮生活を経て一人暮らしにも慣れ、徐々に敷かれたレールが見えてきてしまい違う世界への冒険を夢見る日々。

石黒彩は高校1年の時にベースを買ってもらって以来バンド活動まっしぐら。しかもビジュアル系。札幌市内のライブハウスで歌っていたこともある。
5月にASAYANの札幌オーディションに参加して予選を突破、東京のスタジオ審査にまで進んだものの落選。落選後、自分が写るASAYANの放送を見てダイエットを決意する。(おそらくこのオーディションはAISの佐々木祐子が勝ち進んだときのもの)

飯田圭織は7月のASAYAN札幌予選に参加。『Body Feels EXIT』を歌う。
「小室さんの彼女にしてください」の迷言を残すも東京での本戦出場はならず。95年にはSONYのアルカリ乾電池のパッケージのモデルを務めたりもしたので、芸能界への志向は元々かなり強かったのではないかと思われる。

安倍なつみは中1の頃にイジメられた経験があったという。
その時ラジオから流れてきたJUDY AND MARYの『小さな頃』を聴いて救われてからは歌手を夢見る少女となる。オーディションに参加するのは高校生になってからと親から言われ、そのときを待ち望む日々。
96年のASAYANに参加しなかったのは結果論からすればすごく幸運だったと言えるかもしれない。私見ながら、96年に参加していたらそれなりに上位に勝ち進んでAISやSay a Little Prayerとしての活動が待っていたかもしれなかった。

福田明日香は家のカラオケで歌いこむ毎日と、モダンバレエを習ったりする日々。この年に劇団に所属する可能性はあったが、未所属のまま翌年のASAYANオーディションを迎えている。家出経験があったり友達の家で裏○○○を見たり、なかなかやんちゃな一面もあったようだ。当時の流行もあり、デビューしたばかりのKinki Kidsが好きだったこともあったとか。

平家充代は高校2年生。中華料理店でアルバイトをしていた。
ロックボーカリストオーディションの前にもASAYANのオーディションを数回受けていたというから、おそらくは96年のいずれかの大阪か名古屋の予選に参加している。

またモーニング娘。の2期メンバーである市井紗耶香も中学1年生だった96年からASAYANオーディションを受けていたが書類選考の段階であえなく落選。

矢口真里は中学2年生。
96年4月期のドラマ『みにくいアヒルの子』のオーディション(ASAYANとは関係ない)に小学生役で受けるも落選。このドラマの岸谷五朗演じる主人公が自らのことを「おいら」と呼んでいたことから、後に矢口も自分のことを「おいら」と呼ぶようになる。

高校1年生だった保田圭はおそらくこの頃はコンビニで週5日のバイトをこなしていた。
メッシュ、カラコン、ルーズソックスのコギャルファッション。
その後モーニング娘。加入までにヨーカドー→CASA→マクドナルドとバイトを渡り歩いたらしく、けっこういまどきな感じのする高校生だった。

その他、モーニング娘。以外のメンバーでは、カントリー娘。の戸田鈴音は広島の高校で、ソニンは神戸の中学でそれぞれ寮生活しており、親元を離れた厳しい環境で学生生活を送っている。

公に芸能活動していたのは稲葉貴子が大阪パフォーマンスドールとして活動していたくらいで、この時点では大部分がレッスンも受けていない素人ばかりだった。


シャ乱Qロックボーカリストオーディションが始まる前の、つまりハロープロジェクトの歴史が始まる前の1996年とはこんな時代だった。

当然今に繋がるモーニング娘。やハロプロが出来るなどと思うはずもなく、つんくがプロデューサーとして名前を轟かすとも誰も思っていなかった時代。

振り返ってみると、ASAYANそのものが求心力を持って時代と共に歩んでいたんだなと思う。「夢のオーディションバラエティ」とは言い得て妙で、そこに人が集まるべくして集まってきたとでもいうか・・・