今の大学生は「所有型」ではなく「アクセス型」が主流になりつつあるかもしれないというCD屋さんのツイートを見かける。そういう人たちはダウンロードすらしなくなりつつあるのかもしれないというものだった。

確かに言われてみればそうなのかもしれない。
CDを持つことや本を持つことに慣れ親しみがなければ、根本的に所有欲も湧いてこない。いつでも欲しいものにアクセスできれば、それで満足感は得られるだろう。

これはこれで否定しないのだが、正直自分はこれに馴染むことは出来そうにない。そうなったとしてもどこかに違和感は抱くような気がする。

そのアクセスに自由が保障されているならばいいが、いつ制限がかかるのか、あるいは知らぬ間に思想的なベクトルがかかっていないか等、不安になってくる。

ちょっと例えがずれるのかもしれないが、例えば太平洋戦争中にラジオから自由に音楽が流れてきたのか、出版される印刷物には何らかの意図が加わっていなかったか、そういうことを考えてしまう。

現在でも100%意図が介在しないかと言えばそれは違うだろうが、少なくとも選択する思考の余地はあり、また所有することによって個人的な視聴・閲覧の自由を獲得できる。

また、廃盤や絶版のものは探せば出てくるが、形として存在しないものは難しい。
数十年が経ち廃盤になっている音楽を現在聴けるのは、まさに「レコード」や「CD」という形で残っているからであって、これがネット通信上のアクセスのみだけで繋がっているとしたら、廃盤イコール消滅に近い。

もちろんこれは極論で、制作元には残るだろうしあの手この手でどこかしらに残るのは確かだろう。しかしその時代になったときに新規に聴く人たちの入手の困難さ等を考えると、安易に便利になることがいいのかじっくり考えることが必要だと思う。


まあでも一番はやっぱり気に入ったものは所有したいって思うんだが、こういう感覚すら違ってきているのだろうか。今まで通りの感覚の人たちもたくさんいるのだろうが、流れ的にはどうなんだろうなあ。