今月は運気でいうと相当なマイナスで、まあそれに伴い出費も激しいので緊縮財政に。
そのため根本的なスケジュール、外出から買い物まですべて予定が狂っている。どうにもツキがない。

29日に関してはもうそこに決まった時点で諦めモードなので、行かれる方楽しんで来てください。そして何か面白いことがあったら教えてください(笑)


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数日前に矢口さんがテレビに出演していた。
休業中に世話になったというロンドンブーツの敦氏のアシスタント役なので、そういう人と人の繋がりで出た番組なのだろう。最初のとっかかりはそれでもいいのかなと思った。

中澤さんの言葉ではないが出来ることならば早くあの世代と一緒の仕事を見てみたい。
ちょこっと矢口さんが歌うシーンがあって、あれならばまだ往年の高音ハモがイケるのではないかなと(笑) まあバラエティ方面に活路を見出すとしても、一回そちらの「本業」でピシッとしたものをやって欲しい。

番組では肉食系女子の話もしていたが、それも特に驚くことはなく・・・ 脱退時のことから色々と言われるのかもしれないが、もうそれは脱退時よりもずっと前から分かっていたことなので今更の話ではある。

飯田さんが苦笑いしていたという意見も見かけたが、それは矢口さんへというよりは自身に向けた部分もあったのではないだろうか。1998年の下ネタ連発のオールナイトニッポンや1999年後半の件や2000年のブブカ騒動とか見ていれば、どうということもない。そもそもがモーニング娘。が始まった時に恋愛禁止とかそんなルールはなかったし、すべてひっくるめて苦笑いするしかないと思う。

ASAYANの審査プロフィール用紙に彼氏の有無の項目があって、その用紙が露出されているような状況でも、彼氏の有無に対して目くじら立てているような人もほとんどいなかった。忙しすぎてどうせ別れることになるというのが当時のスタッフたちの認識ではなかったかと思う。

そんな流れで自分は見ていたので、『ピンチランナー』のメイキング映像で海岸で携帯で話している矢口さんを見て、「ああそういう電話なんだろうなあ」と秘かに思っていたことも、今となっては懐かしい。

ちなみに『ピンチランナー』は映画本編ではなくメイキングにこそドラマがあるので、あの時代を通過してない方にはぜひ見てほしい映像。映画の「モー娘。走る」というキャッチコピーの裏テーマや、あの当時のブレイク後のメンバーたちの寂寥感がよく出ている。

1999年ブレイク直前のメンバー間の不協和音とはまた違って、ブレイク後の環境変化への寂しさがあったのではないかなと。メンバーが一人二人と去り、スタッフやASAYANにも変化があり・・・という時期だったので。

話が逸れたが、まあ矢口さんは休業前とそんなに変わらずやってくれればなと。ワイプは個人的には嫌いなのでワイプモンスターはいらないのだが(笑)