今日はなっちがイジメをテーマにした番組に出ているということで…

一つ明確なものとして記事を書いておこうと思う。
福田明日香とイジメ・いじめという話について。

明日香が活躍していた当時を知る者としては馬鹿馬鹿しい話なので、この問題にはなるたけ触れないようにしてきたが、ここまで情報の信ぴょう性のない記事を元にした誹謗中傷が広まってしまうと、どこかで歯止めとなるものを書かねばならないと思うに至る。どこまで当時を歪めれば気が済むのだろうか。

今でも活躍している当時のメンバーを貶めるために、こんな嘘っぱちを広めているのだろうか? それとも何か別の目的でもあるのだろうか?

まあ、それはいい。
資料をひっくり返せば、そんないじめなんて話が根も葉もない噂でそれを否定する事実がいくらでも出てくるので。


まずこのくだらない話の元となっている週刊誌の取材。
これがいかにも胡散臭い記事だった。

今でも嘘八百を並びたてる三流週刊誌が書いたこと。
過去には明日香の復帰だの、彩っぺの離婚だの、さんざんデタラメを書いてきたのになぜイジメ話を信用する気になるのか。
言葉尻だけを捉えてそれを100倍にも広げてしまうような週刊誌の記事をなぜ広めようとするのか。
このイジメを取り上げた記事からして、巨大掲示板に書いてある悪口や妄想に過ぎない噂を拾って集めれば書けるような薄っぺらいものでしかなかった(その程度のものだったので、自分のところに現物は存在しないし、こんなに問題になるとも思っていなかった)

その程度の記事からこの噂が広まっているということをまず知ってもらった上で、現実に当時がどういう状態だったか、それを書いておく。

まず1997年の『愛の種』手売り時期から1998年の『サマーナイトタウン』直前の2期メンバー加入前まで。
1997年8月〜1998年3月の5人時代のこと。

くだらないイジメ話の元となっているのはおそらくこの時期のこと。
確かにこの時期は明日香はメンバー内で馴染めていない部分もあった。

ロケの帰りに山梨県でほうとうを食べようとすると
他のメンバーが
「ほうとう」「ほうとう」「ほうとう」「ほうとう」
と頼む中で、明日香は一人だけ「ピザ!」と頼むような子だったし、
初期の5人のメンバーたちの中では唯一東京出身で実家から通う子だったから、他のメンバーたちよりも仲良くなるのが遅かった。

他の4人は同じホテルに二人ずつで生活していているうえ、<社会人-短大生><高校生2人>の中に飛びぬけて一人だけ年少だった中学1年生の明日香が馴染むのはなかなか容易ではない。それは自分の中学1年生の頃を思い出してみれば分かると思う。
ましてや明日香はオーディション時に「周りが大人(の参加者)ばかりで怖かった」って言っているような子だ。明日香は歌を歌うときは堂々としてたけど、意外とそれ以外では小心な面があった(と思う)。

ドラマ『太陽娘と海』の撮影時(98年3月)でも、寒い中みんなが暖を取っているところで、明日香は一人だけ「今暖まっちゃうとあとで寒いから」と言ってストーブにあたらず寒い中で縮こまっていた。
良く言えば自分の意志を貫き通す、悪く言えば場の空気を読まない、そんな感じだったと思う。明日香自身も自分のことを「リアクションが淡泊」「感激するポイントが人と違う」「サービス精神がない」と評価していた。

そんな関係の中、なかなか馴染んでくれない明日香に姐さんが気を使って明日香の好きなクロワッサンを買ってきてあげたことがあった。でもその日明日香は遅刻をしたか、ミスをしたかで(記憶があやふやです)、姐さんの気遣いを「(ミスをしたから)そんなもの貰えない」と突っぱねてしまう。
そんな明日香にその時は姐さんも「もう知らん」と怒ったし、彩っぺも「(裕ちゃんの気持ちを)わかってないな」と半ば呆れた時もあった。

でも基本的にはケンタのクリスマス(1997年12月)に代表されるように5人での思い出も多く残っているし、何よりゼロから始めて5万枚完売させて涙で抱き合った5人にイジメのことを問うなどナンセンスだと思う。

人生のすべてをかけて活動に臨んでいた彼女たちに、そんな余裕があったとは思えない。また、そんな生ぬるい覚悟でやっていたとは考えられない。
それにモーニング娘。の前にASAYANで活躍していたL☆ISという女性多人数グループが1曲限りで解散となっており、モーニング娘。のメンバーたちも「解散」に対しての危機感が常にあった。メンバー間のゴタゴタで解散させられてしまったら、それこそ人生を賭けた挑戦が台無しになってしまうわけで、そんなくだらない選択をすることは当時のメンバーたちの発言を聞いていると考えられない。

また、この時期のことについて福田明日香自身が卒業直前に語り下ろした(公式な)本で触れている。


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『もうひとりの明日香』p.68〜69
「第3章の3 楽屋で浮く」

 こう、どうでもいいような話ってあるじゃないですか。オチのない話っていうか、全然知らない人が聞いてたら「で?」って言いたくなるような。そういうことを延々と話すのって、わたしはあんまりなじまないんですよ。でも、人と仲良くなったりするのは、そういうところから始まるもんじゃないですか。だから大事なことなのかもしれないんだけど、やっぱりわたしは苦手で。で、そういう場面でまた淡泊なリアクションしちゃったりするから、楽屋とかでも、浮いてたんじゃないかなぁって思いますよ。

 とくにデビューして間もないうちは、歌やトークで表現するために現場に来てるのに、楽屋なんかで盛り上がれないんですよ。余裕がないっていうのもあるし、そういうのは違うと思ってたんですよね。
 つんくさんは「グループなんだから仲が大切だ」って言うんですけど、わたしはね「音楽を一緒にやる仲なんだから、普段の会話で盛り上がらなくってもいいじゃん」って、そう考えてて。普段からあんまりベタベタしないでそれぞれが独立してるんだけど、仕事になるとメンバーが結束できるっていう、そういう関係ができるんであれば。
 でもわたしのそういう考え方は、やっぱり、こう、ひとりだけ違う空気を作っちゃったみたいで。

 あと、盛り上がらなきゃいけない状況の時に、みんなのテンションについていけなかったりするんですね。それは結局、ずっと直らなかったんですけど。それが、最初の頃はホントに自分の中で大変だったんですよ。ラジオでもバラエティでも、それにふさわしいモードがあって、はじけなくちゃいけないのに、そうできないっていう。

 本当に楽しい時じゃないと笑えないんですよ。自分を演技とかでコーティングしたり、自分をその場その場で調節するっていうのができないほうだし。
 歌も、素の自分で歌ってるっていうカンジで、今みたいに歌い方に色をつけるっていうのができなかったから。照れくさくなっちゃうんですよね。入り込めないっていうか。
 だから、今になってひとごとのように思いますよね、やってて辛かったろうなぁって。当時は、おとなの人たちからすれば「仕事、うまくやってくれないヤツだなぁ」って思われてたんだと思いますよ。

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なんのことはない、三流週刊誌は上記の発言の中から「楽屋で浮いてた」「やってて辛かった」って部分を誇張して書いているだけで、上記のような内容はわざわざ明日香の店に取材にいかなくても、『もうひとりの明日香』でたくさん触れている。また明日香となっちの二人でやっていたラジオでも、5人時代の自分は浮いていたなあという話をなっちと苦笑しながら明日香は話していた。

仮に明日香の元に三流誌の取材があったとしても、初めて会った心を許していない人物に真実を話すとは思えず(明日香は卒業後にも数々のプライバシー侵害を受けているから、そのせいで写真嫌いがさらに進んだ。つまり容易には信用しない)、何ら週刊誌の記事を信用する要素が見当たらない。

また最初に書いた山梨のほうとうの話はかなり後年になって姐さんが話してくれたもので(2007年11月)、それは「変わった子だったな」と苦笑しながらの話だった。そこにはイジメなんて要素があったら絶対感じ取れない暖かさが満ちていた。


さて、1998年4月。
2期の3人が加入してきてからのこと。

その時点でのメンバー構成を見てみよう。
普通に学校に通っていた場合の4月からの新学年も添えて。

中澤裕子(24) 京都
石黒彩(19) 北海道
飯田圭織(16)高2 北海道
安倍なつみ(16)高2 北海道
福田明日香(13)中2 東京

保田圭(17)高3 千葉
矢口真里(15)高1 神奈川
市井紗耶香(14)中3 千葉

これも一目瞭然だが、年齢も出身地も明日香と4人の他メンバーとの穴を埋めるような形で2期が入ってきている。
これが意図的だったのか、偶然だったのかは分からないが、結果的に明日香は2期メンバーを一番早く受け入れたし、仲良くなるもの早かった。

『もうひとりの明日香』の先ほどの続きにはこう書いてある。

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『もうひとりの明日香』p.69

 わたしのこういうカンジが、ちょっと変わってきたのは、メンバーが増えてから。
 8人になった時に、年の近い中学生のサヤカとかが入ってきて、気楽に話せるようになったんですね。出身も関東だから話も合うところが多くて。サヤカと圭ちゃんと真里っぺは、やっぱりスゴイ不安そうにしてましたけどね。
 でも、彼女たちが入ってきたおかげで、わたしは<モーニング娘。>っていうものに対してオープンになることができたんですよ。新しく入った3人だけじゃなくて、元からいた4人ともしゃべれるようになって。もう、そこからスゴイ楽になりましたよね。人数が多くなったっていうことは、人間関係が複雑になったようにみえるけど、実は「仲良くしなきゃ」「みんなとうまくやらなくちゃ」っていう負担が軽くなるんですよ。

 ただね、自分が多少とけ込むことができるようにはなっても、まだ自分だけ別の方向を向いているのは変わらなかったですね。

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その後は有名なフレーズを引用すれば、
『「5+3」が「4+4」になり、それがやがて「8」に』と事態は経過した。

2期メンバーと仲良くなった明日香がやがて1期と2期との接着剤となり、8人が融合して行く中で接着剤としての役割を終えた明日香が卒業していくという物語…

そこにはイジメの噂話の元となる情報も映像も話も一切残っていない。

また、この時期にイジメといえるものがあったとしたら、それは明日香の私生活にあった。モーニング娘。として活動しているためほとんど学校に行けなかった明日香。芸能界に入らなかったら、近くの公立中学校に通い、友達と塾に通い、ブラスバンド部でドラムを叩き、家ではギターの真似事をしたりする、そんな普通の東京の中学生だった。

でも芸能生活は明日香に普通の中学生としての生活を許してくれない。
『もうひとりの明日香』には学校での出来事がこう書いてある。


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『もうひとりの明日香』p.72〜73
「第3章の5 有名人」

 学校ではね、みんな普通に接してくれました。でも、コワい女の先輩に呼び出されたことはありましたよ。
 <モーニング娘。>になって一か月くらいたった頃に、美容院に行ってショートカットにしてもらったんですよ。で、色も染めようかっていうことになって、やってみたら、けっこう明るい色になっちゃって。
 でも、まぁ学校でもこのくらいの色の人もいるし、わりと似合ってんじゃんって思ってたんですよ。それで、ちょうどテストの時期だったんで、学校に行ってテスト終わって帰ろうとしてクツ箱のところでクツをはいてたら、ちょっとコワい女の先輩が二人来て「ちょっと来てくんない」って言われたんですよ。それで校舎の裏に呼び出されて、すみっこに追い詰められちゃって。
 「ちょっと、その髪、調子に乗りすぎじゃん? どういうつもりなの?」って。それで「明日までに黒くしてきてよ」って言われて。あと「アタシの悪口言ってたんだって?」って、覚えのないことまで。ビビりますよ。でも、その時はそれで帰れたんですよ。

 で、別の日にまた呼び出された時は、屋上に行く階段の踊り場。昼休みだったんですけど、その時も理由はわからないし、髪も黒くしてたんですよ。それで、また「アタシの悪口、言ってたんだって?」って「言ってないっすよ」って言ってるのに。
 授業が始まるチャイムが鳴っても、全然帰してくれなくて。その先輩たちは、わたしと同じクラスの子に「先生が、福田さんどうしたのって聞いたら、知らないって言っといて」って。でねぇ、わたしに言うんですよ。「殴るよ」って。「えぇ〜っ?」って感じですよねぇ。もうホント、怖くって。
 それで今にも殴られそうになってたところで、担任の先生がちょうど通って「オマエら、何やってんだ! 授業始まるぞ」って、危機一髪。これがなかったら、やられてましたよ。でもね、その先輩たちは先生に「あ、そうそう、福田さんに今度サインちょうだいって言っといてー」って言いながら去っていきましたけどね。もう、メッチャクチャ怖かったですよ。

 そんなことがありながらね、でも仕方ないのかなって思ってました。面白くないっていう人がいても。テレビ出てる裏ではね、こういう体験もしてるんですよ。

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この先輩たちが中学を去って明日香も中2になったところでの2期メンバーの増員。イジメどころか、精神的にはかなり楽になったはずだ。

その後『サマーナイトタウン』や映画『モーニング刑事』、ファーストライブを経るとメンバー間の関係はかなり変わっていく。

姐さんが演歌活動のため、単独行動が多くなった。
それまでべったりだったカオリとなっちに気持ちの行き違いがあり、別行動が多くなった。
タンポポの活動が始まると彩っぺ・カオリ・矢口の3人は別行動が多くなった。

あんまり話には出てこない彩っぺだが、鼻ピアスや派手な容姿とは裏腹に実は一番メンバー間の和を気にする人で、周りに気遣いする人だったと言われている。当時のメンバーの性格を知らない人は後世に作られた話に騙されちゃうんだろうけど、イジメなんて彩っぺが一番考えられない人だった。



さて、明日香がすでに脱退を決意した後の1998年秋。

モーニング娘。はなっちと明日香の2トップ体制が明確になってきて、二人での仕事も多くなってきていた。
ASAYANのアシスタントやラジオがそれだ。

ラジオではレギュラーが決まった直後に明日香がこんなことを言っていた。
「なっちとはあまり普段喋らないので、これから二人っきりのラジオ大丈夫かな」と。

しかし、ラジオやいろんな仕事で二人での行動が増えていくと急速にその関係は改まっていく。

空き時間には圭ちゃんや紗耶香と連れだって4人でカラオケに行ったり、なっち・明日香・紗耶香の3人で渋谷に遊びに行ったりもした。

また年が明けて1999年になると、なっちの家に泊まり込んで二人で朝まで語り合ったり、行ったことのなかったマンガ喫茶に二人で行ってみたり、また明日香の好きだったバンドのライブに出かけたりもした。

なっちは後年、明日香のことをこう語っている。

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『ALBUM 1998-2003』p.33
「明日香」

明日香はねぇ……いつもひとりでいたがりやさんだった。
一番年下でしょ? みんなで一緒になんかやろうとするときに、「おいでよぉ、一緒にやろうよぉ」って誘っても、「いや、ひとりで海見てくる」ってタイプの女のコ。
 少女なのに、すでに海を見ながらひとりたそがれる……っていう感性を持ってたコなの。
 12歳なのに、『ロッキンオンジャパン』とか読んでた。
 なんかね。深いの。考え方が。
“人生とは……生きるとはなんぞや?”
 そんな風な、哲学的っていうのかなぁ? なっちにはわかんないけど、そういうチャンネルを持ってるの。
 いろんな視点持ってるから、なっちの話もふんふんってオトナみたいに聞いてくれたりして。
 明日香はスカートコンプレックスだったんだけど、そういう弱い部分、ちょっとさらけ出しあえる部分もあったりして。
 でももうすでに、モーニング娘。っていうのを客観視できるコだったのね。自分の感性をとっても尊重するコだったから、進んでいく方向をキチンと判断できるコだったんだと思う。
 自分の価値観を強く持ってた。
 だから、なっちはほかのメンバーには話せないことも、話せたりしたんだと思う。卒業は、悲しかったね……うん。

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メインボーカルとしての重圧を共に分かち合っていた二人。
明日香が卒業する頃の1999年春にはなっちは明日香のことを妹のように可愛がっていた。(本当の妹の麻美ちゃんは明日香と同い年)

それはDVDとして商品化されている『Memory 青春の光 1999.4.18』を見ればすぐに分かる。
ライブ前に円陣を組んで「いきまっしょい」の気合いを入れる時に、必死になって明日香の手を取ろうとするなっち。ライブが終わって抜け殻のように放心状態で泣いているなっち。それからライブ会場から帰る間際の「今日という日をしわしわのお婆ちゃんになっても忘れません」「妹のように福ちゃんのことを愛しています」というコメント。すべて映像として残っている。(この日のことを書いたウチの記事はこちら

イジメだなんだと思っている人はこのライブDVDを見てみればいい。
これ見てまだ疑う人はよほど性根が腐っているんだと思う。
というか人生で感動することなんてあるのだろうか。

<09年9月29日追記>
また、明日香がASAYAN最後の出演の際に、それまでの話の流れを切って明日香自身の口から「メンバー間の不和で辞めるのではないから、そういうことを言うのはやめてほしい」(ニュアンス)とはっきりとコメントした映像も残っている。
1999年の明日香卒業当時も一部の週刊誌やスポーツ紙にいじめられたとか書かれたことがあり、明日香は大層ご立腹だった。

最後のステージで明日香が泣かなかったことについてもあれこれ書かれたものだが、涙をこらえて歌っている姿や、ステージ裏で泣いていた明日香の姿を知っていれば、そうした報道は馬鹿馬鹿しいものだった。<追記ここまで>



卒業後の明日香。
断片的にメンバーたちとの交流が分かっている。
メンバーの口から語られたり、明日香自身が某サイトで書き残したり、当時のマネージャーだった和田さんから情報が出てきたり、形はさまざま。

ざっと羅列しておく。イジメが原因で辞めたのだったら絶対ありえない交流。

1999年。
・『真夏の光線』でモーニング娘。がミュージックステーションに出演する前に激励の電話。
・後藤加入の横浜アリーナコンサートを観覧。後藤が馴染んでいるように見えたとコメントを残す。

2000年。
・高校合格したことをメンバーに報告。
・友人の高野頼子を和田さんに紹介。
・彩っぺの結婚式に出席。モーニング娘。のメンバーは仕事で来れなかったため、娘。メンバーでは唯一の出席。
・紗耶香卒業の武道館ライブを観に行く。
・紗耶香と二人で彩っぺの子供を見に訪れる。

2001年。
・和田さんに伴われて大阪まで観に行った姐さん卒業コンサートでメンバーたちがステージ上で頑張る姿を見て涙が止まらなくなる。「中澤裕子という女性がとても偉大だった」
・自宅近くで日テレ『モー。たいへんでした』のロケに遭遇。矢口を見かけるも顔パスで現場に「入れろ」と言うのが嫌なのでそのまま帰宅。
・紗耶香復帰ライブを観覧。ライブに出演していた姐さん、観覧していた平家さんと再会を果たしたと思われる。フジテレビ音組主催きくちプロデューサーとも再会。

2002年。
・より子。のデビューアルバムに福田明日香の名前。
・某ライブ会場で明日香がGO!GO!7188のカバーを歌っていたのが目撃される。
・モーニング娘。ミュージカル『モーニングタウン』の楽屋を明日香が訪れる。
・姐さんオールナイトニッポンにより子。がゲスト出演。明日香の話。

2003年。
大田区出身の4人組バンドTHETAを和田さんに紹介。

2004年。
和田さんと焼鳥屋で食事。その後圭ちゃんが合流。

2006年。
テレ朝『快感MAP』に明日香の姿が。
昼はボイトレの先生、夜はお店の手伝いとのこと。

2007年。
『愛の種』10周年でオリジナルメンバーたちの食事会に都合がつかず欠席。メンバーたちが明日香の(留守電に)メッセージを残す。
10周年記念ライブにいたかどうかは不明瞭。

2009年。
エルダークラブのハロプロ卒業コンサートを観覧。


また在籍当時にもなっちのところに明日香が泊まって朝まで語り明かしたとか、なっち・明日香・紗耶香の3人で渋谷に遊びに行った、漫画喫茶に初めて行った、カラオケに行った、こういった交流を伝えるいろんなエピソードが本人たちから語られている。

こう見ただけでもイジメなんてどこから出てきたの?となるようなエピソードばかり。上記の話は噂や妄想ではなく資料としてきちんと出せる話。どうしてもイジメがあったことにしたいのだったら、それなりの資料を提示して見せてほしいものだ。自分は10年以上追ってきて、そんな資料見たことないが。

これで終わるのは後味がよろしくないので、『もうひとりの明日香』から明日香の人物像が掴める話を2、3紹介しておく。


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『もうひとりの明日香』p.74
「第3章の6 下積み経験、ないですから…」

<モーニング娘。>っは「下積み」ってやってないんですよね。デビュー前に5万枚売って、それからもデビュー曲がチャートで初登場6位っていう恵まれたスタートだったんで。
 確かにオーディションは、スゴイ大変でしたけど、でもあれはデビューするための努力であって、デビューして無名の人間から下積み時代を過ごすのとは、全然違うと思うし。

 だから、下積み時代を経験してない者としては握手会を大切にしたいと思ってたんですよ。必要なことなんだって。
 握手会はね、ホント大変なんですよ。立ちっ放しで「ありがとうございます!」って連呼して。

 映画イベントツアーがあったんですけど、映画を上映して、そのあと出ていくとお客さんの反応がすぐ目の前で見られるわけですよ。それで握手会をやるんです。「来てくれてありがとね!」って声を出しながら。

 そのときは、ただお客さんにありがとう、来てくれて嬉しいっていう気持ちを伝えるだけでいっぱいなんですけど、ホテルに帰ってからふーって落ち着いてから思い起こしてみると、来てくれたファンが、しみじみ愛おしくなるんですよ。そういうときに「あぁ、わたしたちに握手会っていうのは、ホントに必要なんだな」って。

 なんていうか、デビュー前から、わたしたちのCDを買ってくれる人っていっぱいいたから、売れない辛さとかはわからないわけですよ。で、そういうことで苦労することがなかったから、そのぶん苦しい中から生まれる「がんばるぞ!」っていうのもないんですよね。

 辛い時代を過ごしてきた人たちっていうのは、きっと、そういうことがバネになったり励みになったりすると思うんですよ。でも、そういうのを知らないわたしたちは、握手会とかイベントを一生懸命やって、そこでファンの人たちとふれあうことで、ありがとうとか嬉しいとか愛しいなあとか、そういう気持ちを噛みしめることが、きっと必要なんですよ。

 そういう細かいイベントをやっていくうちにね、ファンの人同士が仲良くなって輪が広がっていくのとかもすごく嬉しいし、微笑ましいっていう気持ちになりますよね。そういう報告を、ファンレターとか雑誌の読者ページとかで、わたしはチェックしてるんですけどね。<モーニング娘。>のイベントは、たぶん来やすいんじゃないかなぁ。結構、細かい場所でやったりするし、わたしたちも手の届かない存在みたいなキャラクターじゃないし。さぞかし親しみやすいでしょうっていう。

 だから、会場にも夫婦で来てたり、ちっちゃい子がおばあちゃん連れて来たり、家族みんなで来たり。老若男女問わず、っていうのがイイですよね。

こういう気持ちをね、忘れちゃいかんなぁと思いますよ。

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『もうひとりの明日香』p.84〜85
「第3章の11 我が道を行く」

「わたしはわたし。他人は他人よ」っていうのを貫き通すのもいいかもしれないけど、ひとつにならなきゃいけないじゃないですか、グループって。で、協力して頑張ってる姿を見てもらうのも大事なことなんですよ。「あぁ<モーニング娘。>は、手をつなぎながら一生懸命やってるんだな」ていうところを。

 でも、最初わたしは「我が道を行く」だったから、メンバーもね、やりにくかったんじゃないかと思いますよ。いっつも自分の雰囲気を壊さないし。みんなと違うほう違うほうへ行こうとしてたし。

でも、途中でね、いろいろ気がついたんですよ。こう、自分に振りかかってくる仕事上の試練みたいなものを、勉強しながらクリアしていかなきゃいけないわけじゃないですか。そうすると、自分のちっちゃい世界だけで閉じこもったり判断してると成長できないんですよね。それで、自分はあまり納得いかないというか理解できなくても、ぶつかっていくことは大切だなぁ、と。

 だから、わたしがそういう考えにたどりつくまでは、全体のトーンを乱してたんだと思いますよ。シマらないっていうか。変な雰囲気になっちゃって。グループの力強さを出していかなきゃならないのに、ひとりが違う方向を向いていると、エネルギーが弱まるし。

 わたしがそういうふうにふるまってたのは、単に「みんな」と一緒っていう存在になりたくなかったんですよ。ほかの誰かとは違う自分でありたいと。

 でも<モーニング娘。>の一員として頑張っても、自分を失うことにはならないって気付いたんですよね。大丈夫だよ、と。自分に無理することになるんじゃないかとか、そういう不安もなくなって。浮いた存在になっちゃってることを、怒られたり指摘されたりっていうことはなかったんですけど、自分で迷ってたんです。

 結局は、存在の仕方がどうであっても<モーニング娘。>として活動したり作品つくる時に、力を結集できれば、それでいいんだなと思えるようになって。

 一年目は、みんな「天然」だし<モーニング娘。>って変だなとか、面白いな、っていうところで「気になる存在」になれてたところが良かったと思うんですよ。バラバラの色がいい味出してたり。でも二年目になると、タンポポとか裕ちゃんとか、個々の活動も増えたし、<モーニング娘。>としての力強さを出していかなきゃいけないじゃないですか。去年と同じじゃキツいし。年とともに成長していかなきゃいけないし。

 それに、せっかく8人いるんだから、8人じゃなきゃ出せないものを出していかなきゃダメだし。8人っていうこと自体が個性だと思うんですよ。全然うまくないんだけど、8人で踊ってるっていう、それもショーみたいでいいじゃないですか。親戚の結婚式の出し物みたいで面白いし。

 ただ、そこでねパワーというか力強さがあれば、カッコいいじゃないですか。ソレを極めたいと思ったんですよね。

この時はね、グループのなかのひとりとしてどういうふうに存在するかっていうことに、いっこ答えが出た気がしました。

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『もうひとりの明日香』p.106
「引退の話 7 メンバーたちへの気持ち」

 まだ「やめたい」っていうことを和田さんにも相談してない頃、仕事でホテルに泊まってて、同じ部屋にいた圭ちゃんに言ったことがあるんですよ。「わたし、やめようかなぁ」って。圭ちゃんは「なに言ってんの!」って言ってましたけど。

 あとサヤカにも言ったんだけど、圭ちゃんもサヤカも冗談だと思ったらしくて、あんまり深くつっこんで話したりはしなかったですね。わたしも和田さんに説得されて、引っ込めるくらいだから、自分の中の決意が固かったっていう段階じゃなかったし。でも、実際にやめるっていうことが決まって、それからはメンバーに黙ったまま、一緒に仕事を続けていくことになったんですよ。せっかく、ここまで一緒にやってきた<モーニング娘。>のメンバーに対して、悪いなっていう気持ちはありました。でも、別の思いのほうが強いんですよね、メンバーには。

 もともと<モーニング娘。>っていうのはライバルから始まってるから、だからわたしがいなくなることによって、もっと競い合ってほしいんですよ。

 <モーニング娘。>は、その緊張感で保たれてると思うから。常に、レコーディングのたびに、競い合ってきたわけじゃないですか。それってね、すごく素敵なことだと思うんですよ。コンサートにしたって、テレビにしたって、みんなの心のどこかでは「いちばん目立ちたい」っていう気持ちが燃えてるから、今の<モーニング娘。>があるわけだし。

 だから、わたしがいなくなることをね、チャンスだなって考えてほしいんですよ。<モーニング娘。>らしく。

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明日香がどういう気持ちで活動していたか、どんなことを思ってメンバーと接していたか、残された資料をちょっとでもかじれば明日香とメンバーの関係が分かると思う。

またこういう資料(活動・言動・写真等)が残っているから、あの頃の8人が好きだったと自分は今でも言える。


明日香がメンバーにいじめられて辞めたと思い込んでる人たちね、少しは当時のことを調べるってことも大事だと思うよ。

それとここまで読んでくれてこの件に関して自分の趣旨に賛同してくれる方、どんどんこの記事にリンク貼ってください。
http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52006275.html

リンク記事には「福田明日香」「いじめ」「イジメ」のキーワードを入れて、検索に引っかかるようにしてください。そのワードで検索すると上位に来るようにしたいものです。




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<追記 2015年5月>
この記事を書いたのが2009年。
これ以降も何年経っても悪意のある妄想はなくならず、上記の公開された情報すら悪意を持って受け止める人すら出てきた。ある種の抑えとして2013年に書いたものがあるので、それも流用していただければと。
http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52503182.html
ちなみにさらにその後の2014年に福田さんが公式に連載していた新聞記事にハッキリと「イジメをやるほど意識は低くなかった」と書いてあります。これを見て意識の低い方々はどう考えるのでしょうかね。
<追記ここまで>