中澤裕子がロックボーカリストオーディションの大阪予選に参加したのは1997年5月24日のこと。

テレビで九州予選の映像を見ている時に流れた大阪予選の告知に心を鷲掴みにされてオーディションへの参加を決意する。京都の福知山から上阪して6年、規則正しいOL生活に息苦しさを覚え、ちょっと前に始めた北新地での夜のバイトに精神的開放感を感じていた頃だった。

しかし23歳でオーディションを受けることに戸惑い、本当に受けていいものかどうか迷い続ける中澤。彼女はオーディション当日一つの賭けをする。

それは方向音痴である中澤が時間に余裕を持たずに出発し、オーディションの集合時間までに着けたら参加しようというものだった。住んでいるアパートからオーディション会場までは歩いて20分の距離。もし迷わずに時間通りに着けたなら「神様がオーディションを受けなさいと言っているのだ」と思うことにしたという。

そして中澤は時間通りに着く、いや自らの予想に反して着いてしまった。
会場には3000人の参加者が集っていた。

中学生や高校生に混じって並ぶこと数時間。
気持ち悪くなるほどの緊張感の中、1次審査はたったの数秒で終了。
99%受かる自信はなかったという。
しかし…中澤は1%の可能性をものにする。大阪予選ではその日のうちに会場で予選通過者が発表されるのだが、見事に中澤はその中に残っていた。

翌日に行われた2次の歌審査。
一番良い恰好でとスタッフに言われ、後につんくから「サイズが合ってない」と揶揄された黒いスーツ姿で審査に臨む。
この時と東京スタジオ審査に進んで歌ったのが『ら・ら・ら』である。東京の時はスーツの失敗を反省し慎重に衣装を選んで行った。



審査が終わった後には「東京に来た記念に」とスタッフがお台場のフジテレビに連れて行ってくれたそうだ。今から11年前、フジテレビはこの年にお台場に移転してきたばかり。お台場はドラマ『踊る大捜査線』(1997.1〜1997.3放送)でも分かるようにまだまだ空地の目立つ時代だった。

大阪に戻って数日、「説得力のあるバラードで」と要望が出され、さらに中澤のオーディションは続く。大阪予選に参加した3000人はすでにこのとき3人になっていた。会社の有給を使い上京する中澤。こっそり誰にも言わずに受けたオーディションだったが、日に日に周囲からはそういう目で見られるようになり、中澤にはそれもプレッシャーになっていた…

『めちゃくちゃに泣いてしまいたい』


この日のオーディションの後、大阪から来た3人はホテル泊まり。ホテルに入った3人は夜遅くまで語り合った。それは中澤裕子と平家充代の初めての語らい。このときは二人ともこれで会うのが最後だと思っていた。後には中澤がラジオでハロープロジェクトからの平家の卒業を話していて落涙してしまうことになる関係。その関わり合いの原点となるものだった…

中澤はその後大阪に戻り、友人や会社の人たちに応援されながら、最終予選を待つことになる。



オーディションが進むものの自信を持てずにいた中澤は、地元・大阪の友人たちと飲むたびに涙を流していたという…



<つづく>

なんかどんどんドキュメンタリータッチになってる(笑
もっと軽くやってくつもりだったのに、どうしようかな…