●土曜日に後藤ヲタさんと会ったときに、日曜のライブよりも他の都合を優先させるかどうか迷っていたので「最後になるかもしれないから行っておいたおいたほうがいいかも」と言っておいたら、本当に最後になってしまった。

ここ数カ月の後藤の不安定さと、後藤のライブスケジュールやユウキの事件発覚のタイミングから半ばそういう予想をしていたのだが、「まさか」という思いではある。起きた事件が事件だけに後藤の精神的負担はかなりきついものがあったと思う。一時的、あるいは半永久的にせよ、休むのは致し方ないだろう。休んでいる間に自分の方向性を見つけて、また新たな後藤真希像を完成させていってほしい。


しかし、記事の書くところの事務所との「方向性の違い」というのはよく分からない。オリメン・2期メンのモーニング娘旧メン勢は娘。在籍時に事務所との方向性の違いは度々口にしていたし、それが明確に不満となって表れていた時期もあったので分かりやすかったが、後藤はどうだったのだろう? アイドル的な路線がいやだったのか、それとも楽曲的に抵抗があったのか、イマイチ分からず、要は今後ハロプロで活動することの話を双方がまとめることができなかっただけのような気もする。

噂されるavexへの移籍があればそれで解決するのかって話ではないし、過去の2002年の卒業のことを思い出したりすると、どうしても本人の意思というよりは外的要因の方が強いのではないかと思えてしまう。外的要因とは今回起きた事件に限らず、これまでの芸能活動において後藤を取り巻いてきた環境を考えてということで…

仮に実質的な引退でない場合、この先の活動にはかなりの制約が加わるのではないかなというのが、直観的な予想。こういうことを書いていると紗耶香のことが思い出されてしまい、どうか同じ轍を踏まないようにしてもらいたい。辞める理由付け、突発的な発表、話の不透明性、どうもデジャヴを感じてしまって明るく考えることはできないんだな…


ところで、avexというと1999年のオーディション当時にMAX松浦から和田さんのところへ「後藤を譲ってくれないか」なんて連絡があったことを思い出す。現状あちらさんの評価がどうなっているか知る由もないが、移籍話が現実的であるかどうかは判断に苦しむ。娘。メンバーからavexへの誰かしらの移籍は数か月前から報じられていて、後藤もそうだし、1999年当時のavexオーディションを受けていた藤本も疑わしいし、それにまだ怪しげな人も数人いる。

先日、ソニンと大沢あかねのユニット・tomboyがavexからCDリリースする件に触れた。和田さんとMAX松浦のつながりはまだしぶとく残っている。そして、和田さんと後藤というと、1999年にはプッチモニがハーモニープロモーションに所属していたことからも分かるように、おそらく後藤は完全な和田さん預かりのところから出発したのではないかという関係がある。それによりユウキもEE JUMPでデビューするきっかけになったと思うのだが、仮にavexに移籍するとなると、和田さんとの関係はどうなるのかという点が気になる。「今さら」な関係ではあるが、その点は気にとめておきたい。交わらない関係であるのか、それともまったく逆で8年前のことがようやく再現されるのか…

今後についてはこれ以上書いても憶測の域は出ないので、何か発表があったら改めて。今日はひとまず、8年間の後藤のハローでの活動に対して「おつかれさまでした」ということで、一線を走り続けてきたその活動に敬意を表します。少しでも心を休めて、安らかな夜を過ごしてほしいと思います。








●さて、上の話を書いていてちょっと思い出したことがあって。

2002年4月にユウキがキャバクラ事件を起こしたことが、その年の後藤のモーニング娘。卒業に繋がったという説がある。確かにあの事件のおかげで和田さんのハーモニープロモーションは億を超す損害を出したわけで、和田さんは2000万だか4000万の借金(金額の記憶があやふや)を会長のところに申し込んだ。残りの損害を後藤のソロ活動の利益からの充当により埋めたというのがこれまた一つの説で、実際のところは分からないが、後藤家に何も責任が及ばなかったかといえば、それはさすがに虫がよすぎるように思う。同じ系列会社にいる姉(しかも会社の看板娘)が弟の出した損害に対して完全な無関係でいられるような気はしないのだ。もちろん姉に罪はまったくないにしても。

ここから先が妄想の話で。新たな仮説。
もしキャバクラ事件がなかったらあの段階での後藤の卒業はなかったのか?という仮定をして話を進めていく。(以降、折りたたみ。妄想が嫌いなら開けないでくださいまし)

最近なっちが2002年7月28日の「ハロプロ改編」を聞かされとき悔しくて泣いたという話を読んで(10年記念本かな?)、『Do it! Now』という曲が表現していた世界とPVを思い出すと、実は2001年10月にアップフロントが組織改編をしたときに計画していた卒業企画と、発表された「ハロプロ改編」とはまったく違うものだったんじゃないかと思うようになってきたのだ。

過去に何度も書いているので改めては書かないが、自分は『Do it! Now』という曲があの当時在籍していた旧メン勢4人に向けて書かれ、PVもそういう意図をもって作られたものだと思っている。昨今の後藤ではないが、あの頃は旧メン勢の思いとモーニング娘の活動方針が著しく乖離していた時期であって、その不満を心の内に抑えきれなくなってきている感じさえあった。その不満を和らげるため、将来性を与えるため、あの当時のハロプロとしてはめずらしいミディアムテンポで歌詞も子供向きではない曲が提供されたのだと思っていた。実際、なっちや矢口はこの曲を初めて聞いた時に「こんな歌が久々に歌えるんだ」ということで飛び上がって喜んだという話が残っている。

それに、なっちには『Do it! Now』のPV撮影時(7月6日)にみんなが帰ったあと一人楽屋に残って、娘。の思い出、今の娘。への思い、これからの自分の夢などをメイキング用のカメラを使って自分撮りしたという逸話が残っている。先述の「悔しくて泣いた」ということと併せて…、おそらくなっちは本気でこの時期に卒業する気でいたんだという気がしてきたのだ。もちろんそれは周囲の状況による当人の思い込みという部分も多分にあったろうが、悔しくて泣くほどになっちが卒業を意識していたということの表れでもある。また『Do it! Now』のレコーディングの際に久しぶりにつんくが立ち会っていたというのも、何か彼女に考えさすきっかけとなっていたのかもしれない。

今までの考えとして「後藤の卒業ありき」でのハロプロ改編だったのだが、この考えをまったく変えて、それをナシにして2001年のUFの組織改編時から振り返ってみると一つの可能性があることに気がついた。

ざっと年表振り返り。9月26日に載せたものから流用(一部削除)。


2001.10.  アップフロント組織改編
2001.10.06 市井紗耶香復帰
2001.10.25 つんく 志村けん&研ナオコのデュエットプロデュースを発表(翌年のミニモニに繋がる)
2001秋   カントリー娘。オーディション→里田加入(会長のカントリー改革の最初)
2001.11上旬 ワイズビジョンに東京国税局の調査
2001.11.18 娘。コンサート 沖縄 ライブ後年上メンバーたちは獅子座流星群を見る
      飯田・矢口・保田・平家は一緒の部屋で流星群を見た
      安倍・りんねが一緒か?
2001.11.20 緑山スタジオでドラマ収録中に加護が倒れる(加護、精神的限界の噂)
2001.11.23 市井 FACTORY出演
2001.11.27 タンポポ『王子様と雪の夜』で初めてオリコン1位になる
2001.12.  日テレ『AX music file モーニング狼。』突然打ち切りされる
2001.12.05 シェキドルがメジャーデビュー
2001.12.10 市井紗耶香復活コンサートwith中澤裕子 in SHIBUYA-AX
      平家みちよ・きくちP観覧、きくちPと福田2年半ぶりの再会
2001.12.16 藤本美貴の来年3月のメジャーデビューが発表される
2001.12.17 UFグループの飲食店「ベールヴティユ」が「グッディークラブ」にリニューアル
      「グッディークラブ」になった後も花畑牧場製品とカントリー娘。は関与
2002.01.  正月ハロコンに藤本・里田・石井リカが初参加
2002.01.03 中澤、飯田、稲葉 食事会
2002.01中旬 『モーニングコーヒー2002』レコーディング 旧メンたち高まる不満
      トイズファクトリーがEE JUMPの3月新譜発売を発表
2002.01.24 テレビ東京が『ASAYAN』の3月打ち切りを発表
2002.01.27 矢口 プライベート写真流出騒動
2002.01.28 安倍 ラジオで『モーニングコーヒー』を語り、涙
      EE JUMP ユウキ復帰宣言
      シェキドル解散
2002.02.01 飯田 OH-SO-RO収録で故郷からの旅立ち、メンバーとの別れのことを語る
      『モー。たいへんでした』打ち切り決定
2002.02.05 飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみで『うたばん』収録
      年下メンバーは大阪USJで『HEY!×3』収録
2002.02上旬 安倍 きくちさんからFACTORYのオファー
      ワイズビジョンの白岩久弥(タカハタグループ離脱後のASAYAN演出)が解雇される
2002.02.09-10 花畑牧場で犬ぞりレース大会 あさみ優勝
2002.02.11 市井がラジオで新ユニットデビューは4月下旬と発言
      市井にたいせーから作詞のテーマ「卒業」と「遠距離恋愛」が言い渡される
      それでも名目は娘。時代の払拭
2002.02.15 テレ東『muSix!』の枠移動が決定(4月から火曜日22時)
2002.02.17 「Hello! Project 2002〜今年もすごいぞ〜」横浜アリーナ
      ココナッツ娘。レファ脱退 きくちP観覧
2002.02.20 キリンビバレッジ『キリンきりりす〜なオレンジ』CM発表
       飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみ出演
2002.02.28 『muSix!』「Angel Hearts」の収録スタート
2002.03上旬 藤本の大々的なデビューキャンペーン
2002.03.04 EE JUMP アルバム『EE JUMPコレクション1』の5月9日発売を発表
2002.03.17 ハロプロキッズオーディションの募集開始
      モーニング娘。 TMCで『HEY!×3』の収録
2002.03.24 渋谷センター街が『4thいきまっしょい!』の宣伝一色に
      テレ東『ASAYAN』最終回
2002.03.26 矢口 自宅で大号泣 カーペンターズ『青春の輝き』『ふるさと』
      TMCで『堂本兄弟』収録 安倍 吉澤 石川 紺野
2002.03.28 安倍 『エアモニ』収録 人生を語る「自分は何を残せるのか」『21世紀』
2002.03.31 より子。 タワーレコード渋谷店でミニライブ
2002.04.04 『muSix!』収録直後に矢口倒れる バカ殿様とミニモニ。姫
2002.04.10 トイズファクトリーが5月のEE JUMPのアルバム発売中止を決定
2002.04.11 『フライデー』にEE JUMPユウキのキャバクラ写真が掲載される
2002.04.13-14 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」大阪城ホール
        14日の音源流出(メンバーたちの不満)
2002.04.18 シャッフルユニットの7月3日発売を記者発表
2002.04.19 安倍 フジ『FACTORY』収録 ブルーハーツ『チェインギャング』をカバー
2002.04.20 市井 金髪に染める
2002.04.26 OH-SO-ROバスツアー 涙のフリーペーパー
2002.04.27-28 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」さいたまスーパーアリーナ
        2日目に志村けん登場 両日ともきくちP観覧
2002.04末〜05初頃 福田 ライブでGO!GO!7188をコピー、数曲を歌う
2002.05.04 表参道FAB より子。ライブ きくちP観覧
2002.05.06 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.05.10 一部量販店で娘。の15thシングルが7月31日に発売されることが告知
2002.05.11-12 東京ビッグサイトでハロープロジェクトキッズオーディション1次審査
2002.05.15 ハロプロと高木ブーのコラボレーション企画が発表される(ハワイ企画)
2002.05中旬 飯田 ソニンと仲良くなる。和田組宣言
2002.05.27 『EE JUMPのラジオでいいじゃん』打ち切り
2002.05.30 青山劇場『モーニング・タウン』公演 初日
       劇場内でカントリー娘。チョコレート『いちご色の恋』販売
2002.06.01 フジ『めちゃイケ』エンディング曲がより子。の曲に
2002.06.02 フジ『天使の歌声〜小児病棟の奇跡〜』制作発表
       より子。自伝を松浦亜弥主演で実写化
       より子。、アルバム『Aizenaha』で7月下旬にインディーズデビューが決定
        アルバムには「Thanks to 福田明日香」
2002.06.06 高木ブーとのコラボの詳細が告知される
       娘。・ココナッツ・藤本・石井でメドレーを新録
2002.06.08  松浦 FACTORYオープニングアクト 本編出演のより子。と対談
      より子。の歌収録部分はドラマのエンディングで使われる
2002.06上旬 矢口 中澤卒業の大阪城のDVDを観て泣いた
2002.06.11 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.13 ソニン ソロシングル『カレーライスの女』の8月21日発売が決定
2002.06.15 TBS『うたばん』『深夜の星』のスタッフ付でソニンが高知〜釜山間560kmマラソンに出発
      ユウキが通っていたキャバクラ「NOW」を経営していた新宿の「メディア」社が新宿署に摘発される
2002.06.17 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.19 日テレの娘。新番組タイトル『ティンティンTOWN!』と7月5日スタートがリークされる
2002.06.22 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.06.23 『モーニング・タウン』最終日 きくちP観覧
2002.06.27 東京国税局が元ワイズビジョンの白岩久弥、ハイムーンの白岩直弥を東京地検特捜部に告発
      娘。新曲タイトルが発表 『Do It Now !』 発売日も7月24日に確定
2002.06.30 テレ東『ハロモニ』生放送特番でハロプロキッズ最終選考者15人が全員合格
2002.07.06 『Do it! Now』PV撮影
2002.07.07 お台場 studio DREAM MAKERで『Do it! Now』初披露
       「キダム」の記者発表
      平家みちよの松浦ツアー不参加が決定
      中澤新曲に続き、後藤ソロ、タンポポ・プッチのベスト盤の8月下旬リリースが告知される
2002.07.28 ハロプロコンサート後にメンバーたちにハロプロ改編を発表


4月28日の春コン最終日、さいたまスーパーアリーナでの後藤の卒業の可能性も考えたが、ミュージカル「モーニングタウン」の決定が1月の段階ですでに出ていたこと、3rd『手を握って歩きたい』が卒業曲だったとは考えにくいこと、シャッフルユニットへの参加も決まっていたこと、ハコイリ娘。の企画が入っていたことなどを考えていくと可能性は低いように思う。ユウキのキャバクラ事件によって春コンでの卒業がの延びて夏コン最終日になったのではないだろう。

まあもし後藤が4月下旬に卒業する予定だったら、その時期に再デビューした市井との合流の可能性もあるので面白いことには面白いが、それは期待しすぎというものだろう。むしろ市井が待っていたのは圭ちゃんを始めとした旧メン勢だったように思う。圭ちゃんを2002年4月に卒業させる計画があった可能性はまだ考えられるが、それだとあまりにも紗耶香が不遇すぎて考えたくなくなってしまうんだよな…

それでは、2001年秋頃に考えられていた計画はどういうものだったのだろう。

2001年10月のアップフロントの組織改編に合わせたかのように、モーニング娘。5期メンバーが本格的に合流。これはASAYAN色のないメンバーの初めての加入で、グループ結成時の経緯から排除することができなかった吉本やその他ASAYAN関係各所の影響力からの脱却を少なからず意図していたと思われる。このときに展開した特定メンバーの強引なまでのプッシュは、その後のヲタ同士のいがみ合いのきっかけを作ったと思うが、UFとしてはなんのこともない、ただ単にモーニング娘。プロモーションの主導権が自社にあることを誇示したかっただけのことなのだ。

このときに考えられていた計画は下記のようなものではないだろうか。

・モーニング娘。旧メン勢の早期脱退。旧メン勢が持つモーニング娘。のイメージを排除し、UF主導のイメージ作り。
・1999年に企図したハロープロジェクトブランド確立への再挑戦。1999年から始めて半ば頓挫しかかっていたハロプロの展開を再度試みる。
・辻・加護に替わる子供を主眼にした新たな戦略の展開。加護の子供キャラに本人も限界を感じてきており、それに代わる集金システムの構築。

基本的にこういった考えの中で、紗耶香の復帰や、カントリー娘。の半農半芸路線の放棄、藤本のデビュー、キッズオーディションが計画されていったと思われる。

先に結論を言えば、2002年9月22日に横浜アリーナで卒業を予定して計画していたのはなっちだったのだと思う(23日は確か後藤の誕生日に合わせた追加公演だったはず)。圭ちゃんの可能性もあるのかなと考えたが、横浜アリーナという会場を考えるとオリメンのどちらか、そして実際の卒業経過からいってなっちがカオリよりも先だなという結論。

それだと『そうだ!We're ALIVE 』のカップリングが13人で歌う『モーニングコーヒー』だったこと、なっちと5期メンが一緒に歌った『男友達』、旧メン勢が中心になってフォーメーションを組んだ『なんにも言わずにI LOVE YOU』にも今までとは違う一面が見えてくる。これらに『Do it! Now』を加えた曲たちから見えてくるのは、なっち卒業に向けた準備を着々と進めているということだ。

横浜アリーナと『モーニングコーヒー』はデビュー当時のイベントの思い出からオリメンとは切っても切れない関係だし、『男友達』はバトンタッチ・世代交代を意味しているし、旧メン勢や後藤が前面に出てくる『なんにも言わずにI LOVE YOU』はエンディングの盛り上がりにピッタリな曲である。4thアルバム『いきまっしょい』は2002年春コンのために用意されていたものではなく、実は卒コンのために準備されていたものだったんじゃないだろうか。そう考えるとあまりにも不可解で理不尽に思えた『モーニングコーヒー2002』も存在に納得がいってくる。オリメンの卒業に向けて13人で歌える体制を一度作っておきたかったのだと。

2002年9月のなっち卒業を決定事項として、ASAYAN発のモーニング娘。内ユニットであるタンポポとプッチモニを解体。キッズ採用によるミニモニの路線変更。藤本のなっちと入れ替わりでのモーニング娘。加入。こんなことが決まっていたのではないかと思う。

けっきょくなっち卒業ではなく後藤が卒業だったため藤本の存在が浮き、それが「ごまっとう」をやることになった理由であるのかもしれない。後藤卒業後の最初の仕事が「ごまっとう」だったのはあまりにも謎だった。

また、2002年4月19日のなっちのFACTORYのオープニングアクトが、本人の強い希望にも関わらずギリギリまでその企画にOKが出なかったというのも、ちょうどその頃がなっちの卒業でいくか、後藤の卒業でいくか、迷い始めた時期だったように思う。

田中義剛の発言からも分かるように事務所の最終決定は、時として会長の思いつきで為されていることも多く、後藤の卒業についてもユウキの事件が発覚した時に急に決断したんじゃないかという疑惑は持たざるを得ない。それまでの決定事項を覆して強引にトップダウンを行ったことが、後の7月の発表の際に改編理由がグダグダになり、反発を生み、ファン離れを招いた結果につながったのではないだろうか。そこに行くまでにスタッフたちがどうにかまとめあげた結果があの改編であったような気がする。そしてそこから生まれた矛盾によりりんねがいられなくなり、みっちゃんも辞めざるをえなくなった気がするのだ。

そんな簡単に卒業予定者を入れ替えるかといえば、それは過去に前例があって、2000年5月に武道館で姐さんが辞める予定だったところを、紗耶香にいろいろとあって紗耶香の卒業式にしてしまったという件がある(確証はないが)。だから、なっちと後藤の卒業が入れ替わったとしても不思議には自分は思わない。ましてや姐さんの卒業を延ばしたことは結果として良い方に転がったから、同じことを2002年でも狙っていたのかもしれない。ただ問題であるのは、姐さんの卒業が延びたことは当人が知っていてそれを納得できていたことだが、なっちや後藤の場合は本人たちの意志とはまったく関係ないところで動きがあったことである。なっちは卒業する気満々でいたのかもしれないし、後藤はその逆で何も考えていなかったかもしれない。

今まで和田さんやきくちさんの動きから2002年を読み取ろうと試みてきたのだが、視点を変えてみると新たな仮説を立てることが出来る。仮になっちの卒業計画が2002年にあったとして、FACTORYが意味するものは何だったのか、明日香が6月に「モーニングタウン」の楽屋に訪れていたことは何だったのか、紗耶香のモチベーションが急速に下がっていたのは何だったのか、りんねや、みっちゃんは? 改めて話を再構築してみる面白さはありそうである。

今回はこれくらいでやめておくが、これはまた資料を整理しなおしてもう少しきちんとした形にしたいと思う。というか、誰かやってくれたりしないもんだろか(笑 思ったことが勝手に文章化されていく装置とか欲しくてたまらないな。時間が足りない足りない。