第7回目。
1999年のオーディションと後藤の加入までを探っていきます。非常に今回は苦労しました。推論が多くて分かりにくい部分もありますが、この時期のことはいろんな説が飛び交っているので、これもまた一つの説として軽く流してください。

ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(1)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(2)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(3)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(4)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(5)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(6)
の続き。



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「Never Forgrt×Memory 青春の光 再考」で1998年9月でASAYANが終了するかもしれなかったと書いたが、その疑問を解決するかもしれない糸口を見つけた。

それまでASAYANのアシスタントを務めていた永作博美が降りることになり、99年1月に中山エミリが起用されるまでの3ヶ月間、中澤姐さん・なっち・明日香・矢口が交代しつつ臨時のアシスタントを担当した。
永作博美が次の番組の予定を入れてしまったため代わりにアシスタントをすることになったのだが、番組が続くにもかかわらず永作博美が次の予定を入れていたことから、ASAYANは終わる予定だったのではないかと憶測が飛ぶことになった。永作博美は『コムロギャルソン』時代(95.10〜)から長くアシスタントを務めてきており、後任を決めないで降番したのはどうにもおかしかった。

またASAYANもオーディション企画が途切れていて、タンポポのメンバー選定でお茶を濁していた時期であり、「小室哲哉オーディション1999」が始まるまでのつなぎ企画でしかなかった。

これらのことから考えるにASAYANは確かに1998年9月に終わる可能性はあったと思う。元々が「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」すら小室哲哉の休養期間の代替企画だったし、「小室哲哉オーディション1999」を行うかどうかも最初は不透明だったのだろう。

もしASAYANの存続が急遽決まったのだとしたら、その代わりに始まる番組が用意されていたはずであり、何か手がかりはないものかと探っていたら、ある一つの番組にぶちあたった。

98年10月から毎週火曜日の22時に始まったテレ東『スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦』である。制作は吉本興業が携わっていて、それも泉さんたちのSSMの流れじゃなくてS氏率いるワイズビジョンが企画の番組だ。

このワイズビジョンがSSMと対立していたのかよく分からないが、2000年頃からASAYANの制作に関与、2001年春にASAYANの主導権を握り、泉さんやタカハタさんたちSSMが撤収してしまう。

その秋にワイズビジョンに東京国税局から査察が入って、S氏が裏金問題で解雇されるのが翌02年の3月8日(ASAYANもその月で終了)。同氏は6月に脱税容疑で逮捕。(同氏はその後映画制作に携わるようになり最近では『大日本人』の制作総指揮も担当) 『スキヤキ!!ロンブー』もヤラセが発覚し01年の9月に打ち切り。なんともまあ醜聞が続いて胡散臭くはあった。

ワイズビジョンは『ダウンタウンDX』などダウンタウンが出演する数多くの番組を企画制作。一時期「なぜ娘。たちは『HEY!HEY!HEY!』に出ないの?」と言われた時期があったが、その理由としてこのワイズビジョン--ダウンタウンの関係に影響されたとも噂されていた。

ただ、実際には対立というほど仲が悪いわけではないと思う。また、ダウンタウンとも親密だった小室哲哉は同じ吉本でもSSM系よりワイズビジョンとの方が関わりが深かった。これがワイズビジョンがASAYANで主導権を取ろうとした理由だったのではないだろうか。

先の話になるが、同じテレビ東京の『MUSIX!』は2000年末にスタート。放送時間は『ASAYAN』の後の夜10時から。『ASAYAN』が終了した02年4月に火曜夜10時に枠移動。前出の通りその火曜夜10時台が『スキヤキ!!ロンブー』の枠だった。

分かりやすいように表にしてみる。

     日曜21時        日曜22時      火曜22時
98年10月 アサヤン(SSM)     演歌の花道     スキヤキロンブー(ワイズ)
00年03月 アサヤン(SSM)     演歌の花道     スキヤキロンブー(ワイズ)
00年04月 アサヤン(SSM+ワイズ) 演歌の花道     スキヤキロンブー(ワイズ)
00年10月 アサヤン(SSM+ワイズ) ピカピカ天王洲LIVE スキヤキロンブー(ワイズ)
00年12月 アサヤン(SSM+ワイズ) MUSIX!       スキヤキロンブー(ワイズ)
01年03月 アサヤン(SSM+ワイズ) MUSIX!       スキヤキロンブー(ワイズ)
01年04月 アサヤン(ワイズ)   MUSIX!       スキヤキロンブー(ワイズ)
01年09月 アサヤン(ワイズ)   MUSIX!       スキヤキロンブー(ワイズ)
01年10月 アサヤン(ワイズ)   MUSIX!       倫敦音楽館(吉本@小室)
02年04月 ハマラジャ(ワイズ)  ガイアの夜明け   MUSIX!


『スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦』は『ASAYAN』と同じくエイベックスがスポンサーについて吉本興行制作、そして小室哲哉の影響があることも共通している。モーニング娘。色が強くなり過ぎたASAYANを終了してスポンサーや吉本の色を出せる番組を作ろうとした意図があって『スキヤキ!!ロンブー』が始まったのだと思う。

あるいはモーニング娘。が98年に解散していればあっさりとASAYANにワイズビジョンが乗り込んできていたのかもしれない。ここいらへんはすべて憶測に過ぎないが、両番組がたどった経緯を見るとどうしてもそこに駆け引きがあったように見えてならない。

また、『スキヤキ!!ロンブー』はエイベックスが1999年におこなったエイベックス主催「avex dream 2000」オーディションの密着情報を伝えており、このこともASAYANとの共通点がうかがえる。もしASAYANからモーニング娘。が撤退(もしくは解散)していれば、その枠で「avex dream 2000」が放送されていた可能性は充分にあった。エイベックスのMAX松浦氏は「シャ乱Qロックボーカリスト」の直前に「乱発」企画でASAYANでオーディションをおこなっており、ASAYANスタッフや和田さんとも顔なじみの関係だ。それに加え1999年当時のエイベックスとUFは200メートルの至近距離に本拠地を置く御近所さんでもあった。


さて、ここからが本題。
「avex dream 2000」と「モーニング娘。第2回追加オーディション」はほとんど同時期に開催されていたオーディションである。

先に「avex dream 2000」の方から説明しておくと、1999年6月から1次選考を始め応募総数は12万人。8月10日に最終選考が行われ松室麻衣、長谷部優、橘佳奈の3人がグランプリ(後のdream)を受賞。準グランプリには神田來未子(倖田來未)。グランプリの権利は2000年1月1日のデビュー権で、準グランプリは各種レッスンの無料講習とエイベックスと専属契約を結べることだった。

「モーニング娘。第2回追加オーディション」は6月27日放送の『ASAYAN』で募集開始。応募総数約1万1千人。正式には8月4日に後藤真希の合格が決まって、モーニング娘。に合流した。募集開始から合流までわずか1ヶ月強、この期間の短さは2期オーディション並であって、どうも釈然としないものがあった。

この両方のオーディションに参加している人は多く、また前年からの各オーディションに参加していた「オーディション常連組」の名前もちらほら見えていた。「avex dream 2000」の最終選考進出者には合格者の他になかなか興味深い人たちが登場している。ここで数名取り上げておく。

藤本美貴…「モーニング娘。第3回追加オーディション」に参加。落選するも事務所にキープされ後にデビュー。彼女はモーニング娘。に憧れていたわけではなく、芸能界に憧れて各オーディションを受けていた。

浅見優子…「第1回平家みちよとモーニング娘。の妹分オーディション」に参加。「avex dream 2000」を経てYeLLOW Generationとしてデビュー。YeLLOW Generationは放送作家・おちまさとがプロデュース。

浜田春菜…元グラビアアイドル。ポップバンドHΛLのボーカルのHΛLNAとしてデビュー。元々グループ・HΛLの実体は浜崎あゆみの楽曲を中心としたサウンドクリエイターチーム。HΛLNA個人としては2002年に小室哲哉プロデュースでソロ曲をリリースしている。

畠山紗香…落選後ASAYANの「超歌姫」企画(2001年下半期)に参加。最終選考進出も再び敗退。

渡辺奏子…「モーニング娘。第1回追加オーディション」に参加、最終選考16人に残る。その後ゆうちょのCMで加藤あいのスタンドインを務めたり、モーニング娘。が『Mステ』に『LOVEマシーン』で出演した際のエキストラとしても収録に参加。TBS『ランク王国』や日テレ『恋のから騒ぎ』出演を経て2004年、星野奏子としてソロデビュー。

また両オーディションには元大阪パフォーマンスドール(吉本興行所属、以下OPD)のメンバーも何人か参加している。河本奈津子は「avex dream 2000」の最終選考に進出、その後2000年4月にソロデビュー。
大山恵理乃はモーニング娘。のオーディションに落選した後、「avex dream 2000」の最終選考進出者たち多数で作ったグループ・キーヤキッスに姉の大山ルミ(元OPD)と共に参加。

太シスの稲葉さんも元OPDで、太シス解散までは吉本に籍を置いたまま活動していた。ここいらへん、エイベックス--吉本--OPD、それとUFの関係が気になるところである。おぼろげながら繋がっている線が見えてきてしまって、太シスの中で稲葉さんが厚遇されてたのも何か理由があったのかと勘繰ってしまう(もちろんそれで稲葉さんをあれこれ言う気はさらさらないが)。ただ、太シス解散後、ASAYANに新ユニットオーディションをやってもらったり、新たにUFに抱えてもらったのは稲葉さんだけなので特別性は感じてしまう。


「avex dream 2000」で準グランプリをとった倖田來未だが、実は後藤と同様に平尾ミュージックスクールの出身だった。倖田來未は両オーディションに参加していて「avex dream 2000」で最終選考に残ったため娘。オーディションは辞退した。

納得し難いのはつんくが「今回のオーディションはレベルが高い」と言っていたにもかかわらず、2人予定のところを1人しか合格させなかったことである。必ずしも倖田來未を例にとって「レベルが高い」と言っているわけではないが、「avex dream 2000」で最終選考に残ったメンバーの方が圧倒的にCDデビュー率が高いのだ。それと比べるといささか娘。3期オーデは寂しい感じを受ける。

これはまず考えの一つとして、娘。オーディションが「avex dream 2000」の草狩り場になってしまったのではないかということがある。ラジオ『和田薫のオールナイトニッポンR』(1999年9月9日放送)にこんな内容のエピソードがあった。

「モーニング娘。に新メンバー後藤真希ちゃんが入りましたが、どうもあのMAX松浦が彼女を見て『彼女は良い、うちでソロやりたい』と言ってたみたいです。どうも真希ちゃんはあのMAX松浦も大のお気に入りみたいです。そこで質問です、MAX松浦に後藤真希をくれと言われたら渡しますか?それとも断固拒否しますか?

…というお葉書なんですけど、これね、面白い話あんのよ。実はね、ASAYANで後藤を発表する時、8月の22日かな? 僕たまたまね、そのときニッポン放送いたんですよ。タンポポの収録を見に来てて…あっ、ASAYANやってんなと思いながら、あの〜…ASAYAN始まった訳ですよね。

それで、まだ番組のスタッフなんかにも誰が決まるってのは言わないでモニターで、スタジオの中にあるテレビで見てたんですよ。したらね、始まったらパッて電話がかかって携帯が鳴ってプルルルルル…って。パッて見たら、MAX松浦って書いてあんですよ。

で、ASAYANやってるしな、MAX……と、とりあえずでて『もしもし〜?』『あっ、こんちわ!』ってでて『今でてる1番の子…』後藤のことなのね。『1番の子…あれ……落ちるかな?』って。まだ発表になってないから俺も『いや、受かる』ともちょっと言いにくい。まぁでも後10分、20分だなと思いながらも『うん、まぁ、あのぉ〜……松浦さんの予想通りですよ〜』って言ったら、あっ、まぁ受かるんだろうなって思って、それで、あ〜…『もしね、落ちるんだったら、うちで欲しいなって思って』って。で、プチッて切って。

それでもう1回、電話がかかってきて、今度決まってからですよ。『ソロはやらないんですか?』って。ここで書いてある通りね、この葉書の通り『ソロはやらないんですか?』って聞かれて、とりあえずまだモーニング娘。のメンバーにも会ってないのに、ソロやらないんですかって言われてもと思いながら…っていうのがね、あったりして。まっ、そういった意味では確かにこのね、MAX松浦?名プロデューサーも、えー、その彼女の何ていうのかな、えー…独特の、断トツに違うっていうことは認めているっていうことですよね、はい。」

このことから考えて両方のオーディションを受けていた有力候補者はオーディションの途中で娘。オーディションを辞退した場合も多いのではないだろうか。その餌(と言っては失礼だが)がCDデビュー権だったのではないだろうか?

キーヤキッスを始め「avex dream 2000」の最終選考進出者がエイベックスからCDデビューしたパターンは非常に多い。またグランプリを撮った長谷部優が何年か経ったときに「人生やりなおしたい」と嘆いていたのを見たことがあるが、実はこのときに彼女も「avex dream 2000」を優先させた一人だったのではないかなとも思ったりした。妄想の範囲でしかないが、浅見優子や藤本美貴など、娘。オーディションを辞退したと疑わしき人は幾人もいる。後藤はともかくとして、娘。オーデの方に人が残らなかったのは、こういう理由もあったのかなと思えた。

それとは逆に「娘。オーディション」側から人材を流していた可能性もある。後藤の採用が決まっていたから有力な候補者は「avex dream 2000」に回ってもらっていた可能性はないだろうか。上記のラジオの話を見ても分かるとおり、和田さんとエイベックスのMAX松浦氏はよく連絡を取り合い、なおかつ以前からオーディションについて意見を交わしあっていた様子がうかがえる。「この子どうですか?」「この子欲しいんですが」といったやりとりは頻繁におこなっていたのだと思う。また『LOVEマシーン』以降、プロモーションビデオの監督がエイベックス関係の人ばかりになったというのも、その密接ぶりの表れだろう。やはり何かしら作為的なものを感じてしまう「avex dream 2000」と「娘。オーディション」の関係なのであった。



さて、後藤の合格決定に対する裏というのは、1999年3月の段階で和田さんと会っていた可能性と上記のオーディション背景くらいしか材料がないので、その真相というのは分かりようもない。いろいろと加入の裏に噂があたがどれも確証できるほどの材料はない。ただ、ASAYANを細かく見ていくと理屈に合わない部分が出てくるのは確かだ。


まず初対面の日付け。ASAYANではこの日を「合格発表の翌日」とアナウンスしたのでそれだと8月5日(1〜3日が寺合宿、4日がつんくと面談後合格決定)。テロップにも「8月5日」と入っていた。

ASAYANの映像には新曲のジャケット撮影と来年のカレンダーを撮影している合間に時計がたまたま映りこみ、針は2時55分を指していた。しかし娘。たちはこの日、兵庫県稲美町で2回公演のコンサートを行っておりどうしても辻褄が合わないのだ。従って初対面の日は間違いなく8月5日ではない。

8月22日オンエアのASAYANでは「一方こちらは羽田空港。ここにモーニング娘の姿が。前日の大阪でのコンサートを終え東京へ戻ってきたんです。」とアナウンスが入ってジャケット撮影のスタジオに向かっているので、これを兵庫のコンサートだったと考えると8月6日がジャケ写の日だったということに落ち着く。ジャケット撮影の日がモーニング娘。と後藤の初対面というのは間違いないだろう。メンバーたちと後藤の初対面の反応をみれば演技ではないように見える。ただし本当にこの日は8月6日だったのだろうか? 一応可能性は探っておく。

一つ目安となるのが矢口の髪型である。矢口はこの時期『ふるさと』でのストレートからメンバーたちに「焼きそば」と揶揄されたちりちり頭にチェンジしている。7月16日の『Mステ』にはストレートで出演していて7月19日収録の『POPJAM』では「焼きそば」に変わっているので、美容院に行ったのは17日か18日。

それ以降、8月6日までに朝に羽田に戻ってくる可能性があるのは7月25日(鳥取帰り)、7月28日(秋田帰り)、8月4日(釧路帰り)の3回。8月4日は合格決定andつんくとの面談日だから除外。7月25日と28日の可能性はあるが、28日に生ラジオ『ANN.com』があるから、それ以前にコトを起こしたとは考えにくいと思う。7月中の後藤合流の目撃談もあったが、ここは素直に合流したのは8月6日だと捉える方が自然ではないだろうか。寺合宿の日取りやつんくとの面談日まで操作されていたらまったく無駄な推論だが、さすがにそこまではしないだろう。箝口令を敷くにも限度がある。



ここで第2次追加オーディションの日程をざっと振り返っておこう。
99.06.27 募集開始
99.07.24 第2次歌審査
99.07.29 第3次歌審査
99.08.01 寺合宿(3日まで)
99.08.04 歌審査後つんくと面談、その後合格発表
99.08.06 娘。たちと後藤初対面 ジャケット・カレンダー撮影

まず問題なのが、8月6日のジャケット撮影とカレンダー撮影の際に、後藤の衣装や<8人>での立ち位置の絵コンテなどすべてが用意されていたことである。もし8月4日に決まったのだとしたら、到底準備は間に合うわけがない。8月6日に後藤が着ていた7thシングルの衣装はサイズもピッタリと合っていて1日で準備されたものと考えることは不可能だ。また、翌年のカレンダーにしても<8人>ということが分かっていなければ構図を考え、立ち位置を決めることすら出来ない。

つまり後藤が合格し8人になることが決まったのは8月4日ではないということになる。つんくが8月4日にコメントしていたことは「嘘」ではないにせよ、まったくその場しのぎのコメントでしかなかった。またこの8月4日に合格決定が出るまでの間に最終候補者5名がモーニング娘。のイベント場所へと連れていかれている。

「番組スタッフに連れられて某テレビ局へとやって来ました。そこではあるイベントが行われていたんです。そう、モーニング娘。のイベントです。今は遠く離れたステージにいるモーニング娘。しかし、この後見事合格すれば同じステージに立つことになるんです」

とアナウンスが入っていたが、実はこれ『LIVE SUMMER NIGHT TOWN '99』というフジテレビ開局40周年記念の企画だった(http://www.fujitv.co.jp/BANGPARK/summer_night.html)。アップフロント所属のアーティストたちが多数参加していて、なおかつteam KIKCHY(現在の音組)の制作である。きっと和田さんがきくちさんに後藤を見せるためにこの場に連れていったのだろう。その後『LOVEマシーン』のプロモーションビデオにきくちさんが登場することになるのも何かこの頃からの和田さんときくちさんの悪巧みがあるような気がしてならない。

募集を開始したときにすでに後藤の合格は決まっていたと個人的には思う。後藤の「ASAYANは新メンバーの募集が始まった日に初めて見た」という発言や、7月18日オンエアのASAYANでつんくが歌審査すら終わっていないのに「ま、前回ん時はあの…『wow wow』『for you』『I want you』だけやったけど、今回このレベルやったら、いきなり一線張れるんじゃないですかねえ」と発言していることから、合格者を具体的に意識していると考えざるを得なかった。また、決まっていればこそ、なっちメインの『ふるさと』や『セカンドモーニング』を、それまでの「アーティスト・モーニング娘。」の集大成としてつんくは仕上げたかったのだろう。

後藤の「ASAYANは新メンバーの募集が始まった日に初めて見た」という発言は、なぜその時に限って見たのか?ということを考えてしまう。モーニング娘。にまったく興味もない、知識もない後藤がなぜかこの日に限ってASAYANを見ているのである。しかもこの日のオンエアは鈴木あみとの対決・ココナッツ娘登場・新メンバー募集、とモーニング娘。の重大発表に絞られていた回だった。これは平尾ミュージックスクールからか、あるいは和田さんから「この回のASAYANを見て募集しなさい」と言われていたからだと考えてもいいのではないだろうか。

ただし、後藤が自分が合格することを知っていたかといえば、それはなかったように思う。以前は知っていたのではないかと疑っていたが、調べていくうちにそれはないと思うようになった。おそらく言われたことは「推薦するから試しにオーディションを受けて精一杯頑張ってきなさい」「教えたことを実践してくれば合格する可能性がある」程度だったのではないだろうか。オーディションに対して予備知識も先入観もない後藤だったから、オーディションの最中は余計なことを考えることなく目の前のことだけに取り組んでいたように思う。「自分なりに頑張ってきたんで…それを認めてもらえてすごいうれしいです」と言って流した涙は嘘ではあるまい。

後藤は2次審査と3次審査の間に髪の色を茶色から金色に変更している。たぶん審査の段階で「次は金色で」ということだったと思うのだが、おそらくここが7thジャケット写真やカレンダーの内容が決まったときだろう。倖田來未の辞退もこのときだが、もしかしたらこの時点までは9人の可能性はあったのかもしれない(倖田來未が合格するということではなく、ガチンコでもう一人加えるかどうかの判断)。とにかく8人でいくことが確定したのがこのときだったと捉えていいだろう。

3次審査から先、合宿までは後藤が合流してくるための下準備ともいえるような内容だった。3次合格者5名にはそれまでの6枚のシングルとそのビデオクリップを手渡し覚えてくるように指示。合宿では「サマーナイトタウンのAメロBメロは福田の部分を徹底的に練習してもらう」と、まるでなっちの横にメインで立つことを前提としているかのような課題を出す。ダンスレッスンでは基本ステップの反復練習。7thシングルまで時間がない中、うまく合宿を利用して後藤のスキルアップをはかっていたことが分かる。このしたたかさ、手際の良さは『ふるさと』に関わらずにフリーハンドで動いていた和田さんの面目躍如といったとこだろう。スケジュールコントロールといい、ASAYANとの綿密な打ち合わせの上での進行といい、7thに賭けていた気持ちが伝わってくる。

「僕はテレビを作る側にいたことがあるので、バラエティのディレクターの方でも話せば分かり合える部分があるんです。でも多くのプロダクションの方々は、アーティストをカッコ良く撮って欲しい、こんなことは聞かないでくれ、といった感じで一方通行になっているんじゃないでしょうか。僕はうちのタレントによく言うんです、『テレビというのはテレビ局のものだからな』と。テレビ局のプロデューサーは視聴率という数字を背負ってるんです。数字が悪ければ番組が終わる。もしくは人事異動させられるわけです。毎回勝負しているんですよ。だからまずお互いに理解して、いかにうまく見せられるかということを考えるのが大事なことだと思うんです」 とは和田さんの弁。

こういった様々な事情を経て後藤はモーニング娘。に合流してきた。それまでの7人が挫折を味わい決意を新たに立ち直ろうとしていたことといい、スタッフたちが『ふるさと』失敗を受けて背水の陣を敷き大逆転を狙っていたことといい、絶好のタイミングで後藤はモーニング娘。に加入した。実力もさることながら、エースと呼ぶに相応しい存在になったのはその絶好のチャンスを掴んだ運の強さがあったからだと自分は思う。時代の流れに乗った後藤は一気にスターダムに伸し上がっていくことになる。

後藤合流後、娘。たちはついに運命の『LOVEマシーン』のレコーディングに突入することになる。このときはメンバーたちの誰もが自分たちの運命が変わっていくことになるとは思っていなかった。「次のシングルで最後にしよう」「そろそろ引き際かもしれない」、そんなことすら思い、熱い夏は過ぎていった。





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次回は8月以降のスケジュールを追っていく予定。
ただし、自分の資料集めというのは99年の前半に集中していたので、若干の不安はあります。ちょっと資料不足かなあという部分もあって…流れの構築がまだ出来てなくてぼんやりとした感じで…
また多少間隔が開くかもしれません。