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第5回目。
今回はいよいよ『ふるさと』の発売がせまる6月下旬から7月上旬のことを。


ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(1)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(2)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(3)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(4)
の続き。



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前回の更新において『ふるさと』の発売時期が7月7日から14日に延期された理由を検証した。では、最初は「間に合わなかっただけ」の延期が、なぜ鈴木あみとの対決というかたちになってしまったのだろう。

まず、7月7日から14日に延期が決定された時期。ショップに出回った資料等を発見出来なかったので正確なことは言えないが、6月11日につんくがASAYANへ向けて『ふるさと』のコメントと「9月9日に9人でシングルを出すから2名増員」ということを収録しているので(O.A.は27日)、おそらく6月上旬くらいが延期が決定した時期だろう。7月7日に7人で出す計画が狂ったので、今度は「9月9日に9人で出す」としたのだ。この時点で8人にする気だったか、本当に9人にする気だったかは分からないが、「9月9日」というのは前年に『抱いてHOLD ON ME!』を発売した日でもある。この曲によってブレイクを果たしたから、ゲンをかつぐ意味もあったのだろう。

『ふるさと』のレコーディングはつんくコメント時には終了していると思われるので、実は7月7日に出そうと思えば出せた。それは前回記述の事務所内のごたごたなどが原因で延ばさざるを得なくなるのだが、それとは別にモーニング娘。のスケジュールが混み合い過ぎてて7月7日には出せなかったという理由もある。

ただでさえ『真夏の光線』からのリリース間隔が狭いというのに、6月は『たんぽぽ』の発売があってテレビの収録を含めたプロモーション活動がけっこう入っていた。さらに、6月の下旬にはライブと写真集の撮影が入っていたので、『ふるさと』のプロモーションビデオを撮る時間すら取れないでいた。『ふるさと』までのPVはロケが基本だったし、複数日をかけてじっくり撮ることもしていたので、まとまったスケジュールを押さえなければPVが作れなかったである。実際『ふるさと』のPV撮影に北海道・美瑛に向かったのは7月の3日過ぎのことであり、もし7日発売のままだったらプロモーション活動には到底間に合わなかったことになる。繰り返すが、『ふるさと』時に言われるプロモーション活動の不足はわざとではなく、物理的に不可能だったのだ。もちろんそういうスケジュールを組んでしまったことに非難される部分はあるが。



さて、モーニング娘。と事務所を同じくするSomething ELseだが、この年の初めに日テレ『雷波少年』の企画において『ラストチャンス』でミリオンヒットをとばした後も、日テレとのタイアップは続いていた。4月にはその年の巨人戦でずっと流れ続けることになる『さよならじゃない』を発売し、7月には再び『雷波少年』の企画「雷波少年系遊園地『後ろ楽しいガーデン』」とタイアップした『あいのうた/花火が消えるまで』を発売している。

当時はテレビの企画と連動した音楽展開が非常に流行っていた。96年から00年くらいのことだったろうか。もちろん『ASAYAN』もその流れにのった番組の一つであり、日テレ『雷波少年』もそうだった。これらの番組は流行っていたからというよりも、構成作家が重複していたから似たような企画が増えていったとも考えられる。タカハタ秀太氏と共に『ASAYAN』らしさを作っていた構成作家・都築浩氏は『雷波少年』の親番組『電波少年』のタイトルを生み出すきっかけを作った人物でもあった。その都築浩氏や鮫肌文殊氏が『ASAYAN』と『電波少年』双方を手がけていた構成作家であったが、それにそーたに氏やおちまさと氏といった有名どころを加えた構成作家グループが手がけていた有名な番組がもう一つある。

90年代後半に日テレの黄金時代の一翼を担っていた『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』である。この番組は1998年からポケットビスケッツvsブラックビスケッツの対決企画を始めると視聴率が急激に上昇。毎週20%前後を記録し、時には20%後半にいくこともあった。番組内で対決を煽り視聴者の興味を惹き付けたおかげで、両グループが出すシングルCDがミリオンヒットになることもめずらしくなかった。ブラックビスケッツは「アジア進出」を標榜しており、娘。たちも行った98年12月14日の「アジアライブドリームin上海」にも参加している。またこの番組内では「モーニング息子。」というモーニング娘。をネタにしたコントも作っていて、やはり構成作家が一緒だとこうなるのだなと思う。(記憶が確かならば明日香をキャイーン天野が演じていて、そりゃないよーと思ったものだ)

1999年になってもポケビvsブラビの対決は続き、それは7月まで続く。やはりCD発売権やCD売り上げ枚数での対決だったのだが、これと同じことをしようとしたのが「モーニング娘。vs鈴木あみ」だったのではないだろうか。この対決はUF側から仕掛けたものではなく、あくまでもASAYAN側が番組の視聴率アップを目指すために仕掛けたものだったのだ。もしUFが本気でやるならばアルバムからのシングルカット曲はありえないし、タイアップも一つも取らないわけがない。

たまたまモーニング娘。と鈴木あみの発売日がかぶってしまったところに、ASAYANがのっかったというのが真相だろう。和田さんの発言によれば、鈴木あみのマネージャーとは仲が良く、それまでの発売日もよく相談しあっていた。しかし、モーニング娘。のスケジュールの都合上、今回はずらしようもなくなった。それを聞き付けたASAYANが滅多にない機会を利用してしまおうと考えたことが、対決に至る経緯だったのだと思う。もちろん対決条件はイーブンでないのを承知の上で。

しかし、「ASAYANでの対決」によるうま味を想定していた人たちは今回ばかりは甘過ぎた。『ASAYAN』スポンサーであるエイベックスが自社アーティスト以外ばかりをとりあげることに業を煮やして(推定)、人気急上昇中だった浜崎あゆみ、それにV6を同日発売にぶつけてきたのである。「業を煮やして」というよりも「自分たちも『対決』にのっかってしまおう』という意図だったのかもしれないが、『ASAYAN』が予定していた「対決」の軸は世間的には早々にぼやけてしまうことになった。

当時のASAYANファンやモーニング娘。ファンは「モーニング娘。vs鈴木あみ」という印象しか残っていないだろうが、世間の興味は「浜崎あゆみvs鈴木あみ」の方に向いてしまったのである。アイドル系女性ソロシンガーとして当時最大のライバルと言われていた二人(当時の宇多田ヒカルのライバルは倉木麻衣だった)の対決の方がメジャーになってしまったのである。莫大な宣伝費を使うエイベックスと、小室哲哉のお声掛かりで作ったTRUE KiSS DiSCの対決だ。こうなってしまうのは仕方ないことだった。またASAYANとUFには大きな誤算でもあった。

数々の気持ちのすれ違い、利用、無理、そして誤算、いろんな要素が絡み合って『ふるさと』は「負けたこと」になった。モーニング娘。のメンバーのみならず、関わる人たちすべての気持ちがあっちこっちにいってしまっていた。しかし、このどん底の時代を乗り切ったメンバーたちは強くなっていく。そして後の時代に大きな意味を持つことになるのである。



スケジュールを少し追っていこう。

セカンドアルバムのレコーディングは6月になっても続く。そんな中、『Memory青春の光』や『真夏の光線』を経て『好きで×5』や『パパに似ている彼』をレコーディングをするにいたって、矢口や圭ちゃんといった面々は徐々にハモリ役としての自分のポジションを見つけていく。ハモることにプライドを見い出し始めたのだ。なっちや紗耶香と共に暇な時間を見つけては遊びがてらハモったりすることもめずらしくなくなった。いろいろとごたごたしている中、歌に対する情熱を失わなかったことが彼女たちが仕事を続けられる理由でもあった。

その歌に対する情熱を失わなかったことが報われたこともあった。それがフジ『ハッピーバースデー!』で歌った『ら・ら・ら』であり、『LOVE LOVEあいしてる』で歌った『サボテンの花』である。『ハッピーバースデー!』は3人だった頃のEE JUMPが出演していた『笑う犬の冒険』の前番組で、フジテレビバラエティ制作センター作。『LOVE LOVEあいしてる』は言わずと知れたきくちさんの番組である。

『ら・ら・ら』は中澤姐さんの誕生日を祝うために6人で番組内で歌った(O.A.6月13日)。きちんと自分たちでコーラスワークとハモリをこなし、モーニング娘。が歌手であることを見せつけてくれた。また、『サボテンの花』ではなっちを真ん中にして圭ちゃんがサックスを紗耶香がトランペットを吹き、アーティスティックな一面をも見せてくれた(O.A.7月31日)。

6月20日の大阪ライブではちょっとしたどっきりを姐さんは仕掛けられた。姐さんの誕生日を会場で祝うために仕掛けたのだが、これのためにステージの段取りに不合理な部分ができてしまい姐さん激昂。舞台監督とけんかをしてしまうのだが、それがすべて自分のために行われたものだと分かったときには今度は号泣だった。「粋なことするよねぇ」とは姐さんの弁。ちなみに『ふるさと』はこの日のライブで初披露された。


『ふるさと』での『うたばん』出演はかなり早めで、6月22日に収録を行っている(O.A.7月15日)。この回は前回の席決めゲームが高視聴率だったことを受けて、ドッヂボールで席決めをした。この回もカオリと姐さんを徹底的にイジる演出であり、またそれにカオリがムキになって対抗することに面白さがあった。また「モーニング娘。の懺悔」というコーナーがあり、これもまたメンバー同士の対立を煽る内容だった。

なっちの「タンポポのアルバムは聴いていない」というのはこの時の発言である。『うたばん』がねじ曲げて広げてる部分があるので改めて振り返っておくが、このコーナーはあくまでも「匿名での懺悔」ということが企画の表向きの主旨であった。「悔しかったから聞いてなくてゴメンなさい」という懺悔は最初正体が分かっていなかったのである。が、なっちが司会の二人とカオリに責められた末、正直に認めたというのが話の流れである。今となっては笑い話だが、当時はこんな些細なことで揉めていた。今から考えれば「なぜ悔しかったのか」ということの方がよほど気になることである。

『うたばん』や『ASAYAN』の演出でかなりの誤解が広まってしまっているが、当時のタンポポのテレビへの露出は本体を上回るものがあった。明日香の卒業があったため話題はそっちにいってしまっていたが、新曲のリリースは本体とほぼ一緒のペースだったし、それに伴う音楽番組への出演も本体となんら遜色なかった。『うたばん』を含むTBSにおいてはデビュー曲『ラスト・キッス』の版権を日音(100%TBS子会社)が持っていることから、かなり優遇された出演の仕方をしていた。また、タンポポはオリジナルアルバムを出し、メンバー一人一人がソロ曲を与えられ(なっちのソロ曲はまだない)、サンフランシスコ行きや、単独のイベントを多数こなしていた。なっちはそういった個人に近い形で活動しているタンポポに対して「悔しかった」のである。さらに、そういうタンポポの状況を顧みないで自分だけを責めてくるカオリを快く思えなかったのである。

この「聴いていない」という懺悔が読まれたとき、実はタンポポの3人以外の全員が聴いてない節があった。彩っぺも「案外と全員聴いてなかったりするかもね」と言って矢口も同意していたが、アルバムが発売された当時のことを考えればそれは分かる。3月末頃は明日香卒業のメモ青ツアー真っ最中であり、テレビ出演も連日続き、一日3公演もあったりと、ほとんど寝る間もなかった頃である。ちゃんと聴いていないのは全員に共通することであったのだ。

司会者2人にのせられたカオリがさっそくなっちに「だって、じゃあさあ、タンポポが仕事してるときに、『がんばってね、辛いけど』ってさあ、言うけどさあ、ほんとは心から応援してくれてないってことじゃないの?」と噛みついたときに、それを「そんなこと思ってない」と弁護したのは紗耶香と姐さんであった。矢口と彩っぺもなっちが正直に認めたことで「でもこれは、懺悔として出してくれたから」とそれを執拗に責めることはなかった。

なっちとカオリの対立ばかりが浮き彫りになってしまったこの回の『うたばん』だが、実はもっとタンポポに対してきついことを言っているメンバーもいた。

「タンポポは普通の歌番組に出られるけど、私は○○だから『うたばん』にも出られない。『なんで私だけ○○なの』と、タンポポを呪って大泣きしたことがある。ごめんなさい」

もちろんこれは姐さんの懺悔である。ある意味「アルバム聴いていない」発言より酷いことを言っているのだが、これにはなぜかカオリは噛み付くことなく、彩っぺが「でもいいじゃん。裕ちゃんだってさ、演歌でしか出れない番組いっぱい出てんじゃん」と返すだけで終わっている。

この回の「懺悔」についてだが、メンバーにはおそらく「タンポポに対して」「なっちに対して」「うたばんに対して」「モーニング娘。に対して」とある程度の指定をして<懺悔用紙>に記入してもらったのだろう。それによるメンバーの対立を煽るトークは最後まで続いた。この回も好視聴率であったが、メンバーたちの心は傷付く一方であった。



6月24日。ついにメンバーたちに鈴木あみとの対決とメンバーの増員が発表される。この日のASAYAN収録において1.鈴木あみとの対決、2.ココナッツ娘のデビュー曲が『サマーナイトタウン』であること、3.メンバーを増員して9月9日に9人でシングルを出すこと、の3点が発表されたのだ。メンバーたちも会場に来た観客と一緒につんくが6月11日に収録したVTRを見て驚いていた。番組では最初からなっちと他のメンバーの対立をナインティナインの二人が煽り、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。

つんくのコメントは鈴木あみとの対決とココナッツ娘の件については言及がなく、やはりこの2点はASAYAN側が演出して、娘。たちを追い込もうとしていたのだなと分かる。つんくの『ふるさと』へのコメントはめずらしく真面目に語っており真剣さが伝わってきた。それとは逆に増員へのコメントはいつものニヤついた顔とふざけた口調に終始しており、つんくの意見ではないなということが想像できる。

増員に関しては石橋貴明やダウンタウンに言われたこともあり、周囲にもそういう予測をする人がいたから娘。たちは驚くことはなかっただろう。ただし、彼女たちはモーニング娘。は「8人」であると思っていたし、7人になっても「7人と1人」という意識は変わらなかったから、増員に抵抗はあった。ハロープロジェクトの新しいグループを含め「まだ増えるのかよ」と思ったことだろう。

後に中澤姐さんが「この時期あらゆる人たちが『そこはあたしの席だ、俺の席だ』といって乗っかってくる」というニュアンスのことを発言しているが、これは
・モーニング娘。と類似したユニットの連発
・テレビ番組におけるメンバー間の不和を煽る演出
・ASAYANが自分たちを対決の道具にして利用したこと
・その対決すら、関係ない人たちに乗っかられたこと
・自分たちの意思を無視した増員計画
こういったことが、その理由だったと考えられる。よくバー○ングだなんだとおっしゃっている方を見かけるが、娘。たちにとってはそんなことは関係なく、身の回りに起きた直接的なごたごたが「一生忘れない」(姐さん談)ことだったのだ。


娘。たちは26日の小倉競馬場オープニングフェスティバルを経て、27日には2nd写真集の撮影にむけて芸能・芸術の島バリ島へ出発した。同日には上記のASAYANの重大発表放送があり、これに合わせてちょうど日本を離れるあたりはメンバーのことを精神的にフォローをしていると言えるだろう。バリ島には7月1日まで滞在し(タンポポの3人は6月30日まで)、心がささくれていたメンバーたちにとって久しぶりの柔らかな仕事となり、心の休息ともなった。写真集の撮影テーマは「ナチュラル」。これだけでも無理をさせなかったことがうかがえる。

以下、写真集に同梱された日記から抜粋。

中澤
27日 今気持ちがとても開放的になってる。今夜はよく眠れそう。波の音が心地良い…。
28日 のんびりしてていいなあ。ゆっくり時間が流れていく。こういう感じ久しぶりだよ。夕食食べて幸せと思った。「幸せ」っていろんなところにあるんだね。そういえば今日久しぶりに笑った。それも「幸せ」だ。
29日 午前中、撮影が始まるまでの間海を眺めてた。海は好き。嬉しくなったり悲しくなったり気持ちに変化が起きる。何も考えないで好きな景色を見てるのもいいもんだよ。(中略)町で大好きなお香をたくさん買った。部屋でもずっとお香焚いてた。落ち着くんだよね。
30日 今回の仕事はゆとりをもってできたな。夜、また海を見に行った。星がねキレイだったよ。明日は東京に帰る日。もう少しだけのんびりしたいな。

矢口
バリは時間がすごくゆっくりと流れていて、自然が多くて、人がみんな温かく、笑顔の多い場所だった。そんな所バリは、つかれていた心がたくさんたくさん癒された気がした。だから、1日目にして東京に帰るのがちょっとイヤになった。帰ればまたものすごいスケジュールが待っているし、こうやってのんびりと過ごすことはめったになくなる。そんなことを考えながら次の日の朝をむかえた。(中略)夢見る少女矢口は(笑)みんなから、いつも元気で悩みがなさそうとか、なーんにも考えてないとか言われるけど、矢口だってみんなと一緒で、淋しい日もつらい日も泣きたい日も逃げ出したい日だってある。だけどこんな日は元気にしてるだけで、自分もどんどん元気になれるし、みんなも笑ってくれる。それが矢口の楽しいうれしい生き方です。
最後に…歌が大好きなメンバーとこれからも強くそして大きくなっていきたいと思っているので、いつまでも娘。達をどうぞ温かい心で見守ってやって下さい! なんかバリに来て、いっぱいいっぱいだったものが落ち着いた気がします。

安倍
JUNE 30 空は地元の空の様に一面星で感動だった。少し淋しい気持ちになった。
JULY 1 バリに行って、つくづくいろんな人がこの世の中にはいるんだなあって思って…「安倍なつみ」っていう人も1人しかいない。だからこそ伸び伸びと生きようと思った。皆もねっ。でも1人なんかじゃないから大丈夫。なっちは唄というもので自分を表現して沢山の人を元気づけたりしていきたい。そのためには、もっともーっと自分自身を磨くね。そして自然にナチュラルにいこう。

姐さんの「久しぶりに笑った」という言葉がその当時置かれていた状況を如実に表しているし、弱音をあまりはかない矢口が「いっぱいいっぱいだったものが落ち着いた」と言っているあたり、バリに来るまで相当過酷な精神状態にいたことが分かる。このバリでは少しイヤなことを忘れられ、一部メンバー達は自分たちが「歌手」であることを分かってもらうために現地の人に向かってハモってみせたり、また好きな時間に泳ぎにいったりと、自由な時間が多く精神的な休息を得ることができた。

しかし、なっちは現地の人と仲良くなって喋りまくったり、紗耶香と一緒にマッサージに行ったりしてバリ島でのゆっくりとした時間は楽しめたものの、なっちの抱える問題の根本的な解決にはならなかった。

「どんどん自分で殻に閉じこもっていったから(中略)自分の弱い部分を絶対見せたくなかったんだよね。(中略)みんなで、「ゴハン食べに行きまぁーす」とか誘われても、昔だったらわぁいわぁい!って素直に一緒につれてってもらったりしてたのに、もう……自分ひとりでプレッシャー抱えてずーっと気が張ってる状態をオフにできなくなって、みんなといるのがつらくなっちゃってた。 フッ…と戻れないから、ひとに囲まれてると疲れるの。それが、自分でよぉく、痛いほどわかってるもんだから、どんどんみんなから距離をとって、ひとりになろうとするの。ひとりでいるほうが、ラクだったから……。(中略)こんななっちがいつまで続くんだろう? いつまで持ちこたえられるんだろう?って、はてなのオンパレードなの。仕事場でもそうだけど、おうちに帰っても仕事モードがぜんぜん抜けなくって。「自分」がうすくなっていった。(中略)あのころはね、「あっ、なっちだ」とか言われたりするのがいけないことっていうか、ばれちゃいけないんだぁ……ってものすごく自意識が過剰になっちゃってたの」(『ALBUM 1998-2003』より)

バリ島では一人一部屋で宿割りが決められていたが、広すぎたこともあってメンバーたちは怖くなり望んで相部屋に移ったコもいた。矢口は紗耶香の部屋に移り、圭ちゃんはカオリの部屋に移動した。姐さんは元々一人でいたい派だし、なっちは上記のような精神状態だったから、彩っぺも含めて夜は一人で過ごしていた。圭ちゃんはカオリが先に帰った夜(30日)には一人で出かけて泳ぎまくったそうで、すっかりバリの生活に慣れてしまった様子がうかがえる。

なっちが現地の人と喋りまくっていたというのは、現地の人たちがなっちのことを知らない安心感があったからであり、気を遣わないで素の自分でいられたからだろう。また、一人で夜空を見上げ「少し淋しい気持ち」というのも当時の彼女の孤独感を現しているように感じる。まさに『ふるさと』そのまんまのなっちの心であった。しかし、ここで現地の人たちと話すなっちを見て微笑ましく思っていたメンバーがいたのも事実で(後日談)、カオリを除けばメンバー間の確執が深刻なところから徐々に和らいでいっていたのも確かであった。



7月2日。タンポポの3人は『ミュージックステーション』に生出演する。このスケジュールに合わせるためにタンポポの3人はバリ島を一日早く引き払ったのだ。実はこのタンポポの『Mステ』の出演が『ふるさと』で1回しか出演できなくなった理由であると自分は考えている。スケジュール的にきつかったから、もしモーニング娘。が2回出演するとしたらこの日と、16日しかなかったのだ。本来であれば6月いっぱいで切り上げていいはず(スケジュールから考えてもキリが良い)の『たんぽぽ』のプロモーションをなぜこの日にまでやる必要があったのか? 6月6日に札幌から始めたプロモーション活動は6月25日に鹿児島まで行って一段落つけているのである。その間に各局の音楽番組出演も一通りこなしている。

確かに『Mステ』には発売してから1ヶ月後でも出演することがあるので不思議ではないのだが、『ふるさと』の発売が7月14日にせまっている中で、この出演は微妙であり疑問が残った。タンポポの3人と同様にバリからの帰国を一日早めればモーニング娘。はMステに間に合ったのだ。バリ島でのんびりとしないで、撮影を優先すれば帰ることは可能だった。しかも鈴木あみと対決を煽ってる最中にもかかわらずタンポポの出演を優先したのである。

これは後から見れば誤算の結果だったのだろう。UFは「対決」の効果を期待していたのだ。前述のように当時は「ポケビvsブラビ」のようなテレビ番組主導の企画もののCDが発売されていて、その番組自体がプロモーションを兼ねていた。それでミリオンに達することもあったので、つまりUFはその「対決」企画に過信してしまったのだ。メンバーたちには良い休息となったバリ島行きだが、芸能活動の上でのプロモーションという点では明らかに失策だった。「解散」の可能性も意識していたから、タンポポの売り込みに躍起になっていて、それに気を取られてしまったというのもあるだろう。中途半端な、どっちつかずな<甘さ>が失敗を招いた。

バリ島で行った2nd写真集だが、これは和田さんの関わらない仕事であった。つんくとの溝のせいか分からないが、1st写真集や『もう一人の明日香』、そして後の『ナッチ』にはきちんとクレジットされている「和田薫」の名がこの写真集にはなかった。おそらくバリ島にも同行していない。和田さんは写真集の撮影を優先させたことに国内でやきもきしていた。また、和田さんの言う<負ける予感>はこんなところからも来ていたのだろう。当時UF側で事態の危うさに気付いてたのは和田さんだけだった。それに、事務所内の数々のごたごたで細かい戦略を立てている時間と人がいなかったことも、娘。たちには不幸であった。



写真集撮影から帰ってきて、いよいよモーニング娘。たちは『ふるさと』のPV撮影に入る。モーニング娘。最後のロケとなるPVである。ついに「5+3-1」の時代が終わる瞬間が近付いてきていた。「彼女たちを一度ふるさとに帰してあげたかった」というつんくの言葉通り、「モーニング娘。」は自分たちを見つめ直す場所に帰ったのである。この先何が起こっても忘れないために、彷徨っても帰ってくる場所があるように……
本当の母親と一緒に撮影を行い、美瑛の名所『親子の木』を曲の象徴的な場所として用い…美しい美瑛の景色と共に『ふるさと』はメンバーたちの思い出として深く心に残っていくのであった。

かわって7月8日。この日はASAYANで鈴木あみと同時収録の日だった。なっちは不安からなのか朝5時半に目がさめてしまったという(スタジオ入りは10時15分)。ASAYANの演出は相変わらずベクトルがかかっていて、ナイナイの二人もモーニング娘。を煽るトークにもっていくことしかしなかった。当時のモーニング娘。たちには「番組が仕掛けてくれたことに対して頑張らなきゃ」という意識は常にあったから一応は対決の舞台に乗っていたものの、実際に鈴木あみにライバル心を抱いているメンバーはカオリくらいしかいなかった。

鈴木あみの方もモーニング娘。とは仲が良かったし(親密ではないが)、現実的には浜崎あゆみとの対決が優先し、『ふるさと』も急場しのぎの発売ということが分かっていたから、モーニング娘。をライバル視することはなかった。ちなみに鈴木あみはこの時なんとか初登場オリコン1位を取ったが、翌週には逆転され浜崎あゆみは3週連続1位を取っている。

対決はASAYANの演出に過ぎないということは双方が分かった上での進行だったのである。なっちが「負けてらんない」と言ったのは一人で頑張っている鈴木あみの姿勢に対する自分の気持ちであり、鈴木あみに向けて発したものではなかった。なっちのこの時期の発言は内を向いた(メンバーたちや周囲からのプレッシャーに対して)ものであった。しかしASAYANにはそれをうまく編集されて対決を煽る構図に使われてしまう。そういった強引な対決のさせ方はきっとメンバーたちを傷つけていっただろう。しかし、序々にではあったがお互いの傷付く心を理解し、このままではまずいという気持ちが芽生え始めた時期でもあった。不和になりつつあったメンバーたちだったが、バリ島や美瑛に行って自然な時間を過ごしたこともあり、少しだけ自分を見つめ直す機会が得られていたのである。


ちなみに『ふるさと』PVの収録時期だが、正確な日にちまでは判明していない。しかしちょうどこの時期に紗耶香が髪を切っていて、それから推測していくことが出来た。20日のZepp大阪でのライブでは髪が長いことが確認出来ているので、『ふるさと』の収録はそのあと。27日バリ島の時点ですでに髪は切っているが、その間にまとまったスケジュールが取れる日はない。つまりバリ島から帰国後の3日過ぎ、家族の都合もあるから土日に合わせた7月3〜5日あたりが収録した日だったのではないだろうか。

その後、娘。たちは『HEY!HEY!HEY!』『LOVELOVEあいしてる』と、きくちさんとの仕事を立続けにこなし、運命の7月14日、『ふるさと』の発売日を迎えることになる。





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今回はここまで。
次回は『ふるさと』敗北とその後のことを少し。
上手くいけば3期オーディションについても入っていくかも。
…ちょっと厳しいかな。