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ようやく第4回目。




ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(1)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(2)
ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(3)
の続き。



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1999年4月18日に明日香が脱退し、あるメンバーは泣きあかして19日を迎え、またあるメンバーは思い出しては泣くことを繰り返し、ほんの束の間の永遠の時間を愛おしんでいた。

娘。たちは19日から短いオフをもらい、4月下旬からは『真夏の光線』のプロモーションビデオの撮影のためにグアムに向かった。明るさの中にも切なさの入り交じったこの時のメンバーたちの表情が、その時の心境を物語っている。この頃の娘。たちは2人で1部屋に泊まることが常だったので、中澤姐さんはメンバーたちとの相部屋から溢れマネージャーと泊まることになった。明日香がいなくなったことの影響がこんなところにも出ていたのである。

現地ではめずらしく丸一日のオフがあり、中澤姐さんはカオリとショッピングに出かけ、あれもこれもと片っ端から買っていく姐さんにカオリは呆れていたという。この日は事前に2人1組で行動することが決められていたみたいで、姐さんも今までカオリとこうして出かけることがなかったのでびっくりしたらしい。他の組み合わせも気になるところだが、それは分からなかった。

その日の夜は飯田・保田・矢口・市井の4人でマジックショーを見に行っている。残った3人は何をしていたのだろう。『真夏の光線』のPVの中には、「なっちは泣いた後じゃないの?」と思えるような目をしているときがあって(メモ青ツアー最終公演が終わった後の楽屋の目と一緒)、それがずっと気になっている。そのシーンの収録がこのオフの日の翌日だったのではないかと疑念を抱いているのだが、確証はなく妄想に過ぎない。

グアムのPV撮影では中澤姐さんが運転したり有名な「カオリ熱射病で昏倒」事件なども起こり、なかなかメンバーたちには印象深い思い出を残して終了した。最終日にはスタッフたちを含めた全員でプールサイドで大騒ぎ。メンバーたちも次々とプールに落とされ、飛び込まされ、カオリは不用意にプールの深くなったところに行ってしまい溺れそうになる。これを確か和田さんが飛び込んで助けたように記憶しているのだが、おかげで和田さんをプールに落とそうとしていた他のメンバーの企みは頓挫してしまった。


5月に入ると娘。たちは『真夏の光線』のプロモーション活動に入る。脱退した明日香もミュージックステーションの本番前に電話をかけてきてメンバーを励ましたりしていた。しかし、テレビやラジオ出演は順調にこなしていた(岡村骨折事件等は発生)が、モーニング娘。は明日香が抜けたことによってなっちメインの色合いが強まり、それへの反発に端を発していると思われるメンバー同士の対立が目立つようになってくる。

5月の中旬に『うたばん』の収録を行っていて、これがメンバー同士の決定的な不協和音の始まりだったのではないだろうか。メンバー同士というよりもなっちとカオリの冷戦激化といってもよい。前年の二人暮らしの際の「ゴミを捨てない」だの「皿を洗わない」だの些細なことに始まった二人のケンカは、明日香がいた頃すでに根深いものになっていたが、明日香が辞めてさらに深刻化した。

思い込みの激しいカオリだったせいかは分からないが、とかくなっちが誉められたり厚遇されると、それに反発し生の感情むきだしで突っ走っていた。明日香がいた際はメンバーからも認められていた歌の実力と独特の存在感、それに最年少にも拘わらずメインを張っていたことから、「モーニング娘。の顔」ということに対し、カオリはそんなに敵愾心を燃やさないでいられた。そのため明日香が抜けると、一人でメインを張るなっちに我慢できなくなった。「自分よりも歌が下手なのに。贔屓されてるからなのに」とカオリが思っていたかは分からないが、とにかく自分のモーニング娘。の立ち位置に不満を持っていたのは間違いない。

この日の『うたばん』の収録は後に伝説化する「席決めゲーム」が初めて実施された回だった(コトの発端は明日香最後の出演の回にあるが)。視聴者的には面白く、視聴率も良かったためこの企画はずっと続いていくことになる。しかし、カオリの見せる表情はこちらが心配になるほど尖っていて、「それは演技なの?」と疑いたくなるほどだった。席決め企画は露骨な姐さんとカオリのイジリシフトであり、しかもそれをカオリが理解していないことが視聴者的には「笑い」だった。なっちへの贔屓もそれがあるからこそ成り立った「笑い」なのだが、カオリは理解しなかった。当時のカオリはいかんせん若かったし直情的に過ぎたから、その感情を番組内で終わらす事すらできず普段のモーニング娘。へも引きずっていった。(カオリはモーニング娘。からは距離をおいて友人を作り始め、それが今現在も関係が続く女優・田中麗奈である)

中澤姐さんは一緒にいじられる立場といっても、自分のモーニング娘。内でのポジションは分かっていたし、上から「最初に喋るな」「あんまり出しゃばるな」と言われていたから、怒りの鉾先はどちらかといえば事務所に向いていた。彩っぺはすでに「いじられるコが可愛がられている」と理解していたので、カオリや姐さんの立場をうらやましく思っていた。またその「おいしさ」を理解していなかったカオリには歯がゆい思いもあっただろう。年上メンバー二人は現状は容認し難いものの、それはやむを得ないということは分かっていたと思う。それらの微妙な感情がモーニング娘。から(メンバー自身が感じる)一体感を奪ってしまう原因の一つでもあったのだが…

カオリが明日香の後を引き継いで『CDでーた』に連載を始めた「パラノイアダイアリー」には、当時の負の感情が満載で、読んでいるこちらがつらくなってくることもあった。まるで後のつだ☆まさごろ(2003〜05年頃ハーモニープロモーションに在籍したアーティスト)の日記を読むようなつらさであった。「きょうのかおりはうさぎです」とか「みみずになりたい」とかカオリワールド炸裂な世界観である。

カオリはタンポポで出演したラジオでも、「緊張している」といった彩っぺに「帰れよ」と言い放ちケンカを始めている。これは矢口にたしなめられて事無きを得たが、生放送の冒頭での出来事にスタッフには緊張が走ったという。カオリ的には「緊張してたらラジオの仕事にならないんだから帰れよ」と言いたかったのだろうが、さすがにこれは理解を超えていた。この頃カオリはマネージャーから「LOVE&PEACE」とあだ名を付けられたが、おそらくこれはマネージャーがカオリの直情的・好戦的なところを注意しようとして付けたものだろう。また、人に相談すると「自分の感情を表に出すな」と注意されることがあったともカオリは書き残している。

カオリの直情的なところは『うたばん』においては格好のいじりの種であり、それを企画の柱にできるほどであったが、当時のカオリにはそれを受け入れるだけの感情の器がなかった。圭ちゃんが主役を張るようになった頃、カオリもその「おいしさ」を理解し受け入れたが、それはまた同時にカオリのいじりが終わったことを意味する瞬間でもあった。カオリが理解していないことこそ「おいしさ」だったのだから仕方ないが、自分が理解したことによって自分の時代が終わるというのはなんとも悲しい話ではないだろうか…

ちなみにこの日の『うたばん』は目安箱企画(なっちとカオリ・姐さんがやりあった)と合わせて5月27日に放送され視聴率18%をマークしている。



さてここでCDの発売の流れを振り返っておこう。

03.31 タンポポ     『TANPOPO 1』アルバム
04.09 Something ELse  『さよならじゃない』
04.21 太陽&シスコムーン『月と太陽』
05.12 モーニング娘。  『真夏の光線』
05.19 森高千里     『まひるの星』
06.09 中澤ゆう子    『純情行進曲』
06.16 タンポポ     『たんぽぽ』
06.23 太陽&シスコムーン『ガタメキラ』
07.14 モーニング娘。  『ふるさと』
    鈴木あみ     『BE TOGETHER』(モスバーガー「夏のキャンペーン」CM曲)
    浜崎あゆみ    『Boys&Girls』(リミックス曲を大量収録、初の試み)
    V6        『太陽のあたる場所』(日テレドラマ 「新・俺たちの旅Ver.1999」主題歌・関西セルラー電話CM曲)
    Dir en grey    『予感』(日テレドラマ「女医」EDテーマ)
    ダンス☆マン   『MIRRORBALLISM 2』アルバム
07.23 カントリー娘。  『二人の北海道』
    ココナッツ娘   『ハレーションサマー/サマーナイトタウン』
07.28 モーニング娘。  『セカンドモーニング』アルバム
    平家みちよ    『scene』
    太陽&シスコムーン『宇宙でLa Ta Ta』
    Something ELse  『あいのうた/花火が消えるまで』
08.04 三佳千夏     『Unchain My Heart』


カントリー娘。の3人、柳原尋美・小林梓・戸田鈴音は4月27日の『アイさが』で、「モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」の三佳千夏(千木留美子)は5月11日の『アイさが』で合格を発表されている。また前年11月のハワイでのオーディションを経て3月にココナッツ娘が5人で結成されており、娘。と平家みちよ、それに太陽&シスコムーンを合わせ総勢21人の「Hello! Project」がここに発足した。21人のうち、Hello! Project内に現在(07年6月)では7人しか残っておらず、時代の波の激しさを感じさせられる。

5月11日の三佳千夏の合格発表と入れ替わりに、12日発売の『真夏の光線』には「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」の募集告知が同封された。いまいち内容がハッキリとしないこのオーディションは後のエッグオーディションにも通じるものがあって、つまりはアップフロントの直轄下にあると言える。余計なしがらみに影響されずにオーディションを実施できたから第3回のように「該当者なし」で終わることもできたし、第4回合格者の松浦のように惜し気もなく娘。で得た資金を投入できたりもした。

発売スケジュールの7月下旬のリリースラッシュを見れば分かるように、Hello! Projectの体制作りは急ピッチで進められている。チェキッ娘に対してすら好意を持てなかった娘。たちが、自分達に類似したユニットが身内に多数できてどう思っただろう。次から次へと「モーニング娘。」にのりかかるそれらのユニットを娘たちが好意的に受け止めたとは到底考えられない。ゼロから作り出してきた「モーニング娘。」が大人たちの勝手な都合でどんどん利用されていくのである。98年の段階ですでに「わたしたちは人形じゃない」と言ってなっち(カオリも一緒?)がホテルに立てこもったりしたこともあったが、このときのユニット乱発に対して同じように思ったことは想像に難くない。


モーニング娘。の第6弾シングルは、今までのリリース間隔からいえばありえない発売時期だった。98年を例に取れば2nd『サマーナイトタウン』の発売が5月27日だったのに対して3rd『抱いてHOLD ON ME!』は9月9日である。モーニング娘。に限らずそれなりの売り上げを持つアーティストたちは3〜4ヶ月周期でシングルを出すのが普通だったから、モーニング娘。でいえば『LOVEマシーン』の頃が本来の6thの発売時期である。

なぜ急ぐ必要があったのだろう? それが上記のHello! Projectの体制作りとの兼ね合いだったと自分は考えている。夏のHello! Projectのコンサートに間に合わせるために、太シスは立続けにシングルを発売していたし(3ヶ月連続リリース企画)、新しく入ってきた人たちもモーニング娘。との対面を済ませ矢継ぎ早にシングルをリリースしている。その流れに合わせるように、夏のハロコンに向けて『真夏の光線』ともう一曲というのが、6thが急がされた理由だったのではないだろうか。

モーニング娘。たちは5月頃からセカンドアルバムのレコーディングに入っていると思われるが、この企画段階でつんくと和田さんの間にモーニング娘。のプロデュースを巡ってわずかな溝ができていた。つんくから「和田さんが何かを言うと、みんなが反対意見を言えなくなるんです」「僕が考えている方向をつぶさないでくださいよ」とはっきりと言われ、和田さんは「このことで後身を育てる重要性に気付きつんくに感謝した」と振り返っているが、実際にはやりきれない思いもあっただろう。それまで娘。に対して衣装決めやジャケット決め、それにメディア戦略等、現場プロモーションの実権を握ってきた和田さんである。つんくにこう切り出されて面白いわけがない。一歩引いた和田さんは6thにまつわる事態の展開には危うさを感じながらも、一度痛い目にあうのもいいとさえ思い、不安定な体制のままその制作に突き進んでいってしまう。

『真夏の光線』が発売された直後に「モーニング娘。新譜 7月7日発売」という情報が流れた。7人のモーニング娘。が7月7日に出すシングルで、どこぞで聞いたような数字の用い方である。また、『ふるさと』の仮タイトルも『七夕』と付けられていた(断定できず)。もしかすると『せんこう花火』が『七夕(仮)』だった可能性はあるが、今回はそれに関する情報は得られなかったし、納得のいく妄想資料もなかったので「可能性」というかたちにしておく。

当初7月7日に発売を予定していた『ふるさと』がなぜ7月14日になったのか? 最初はそこに意図なんてなかったのだろう。ムック『GiRLPOP Hello! Project Special』においてつんくが「間に合わなかった」と言っている通り、スケジュール的な厳しさが理由だった。前述したように、この時期はハロー系のレコーディングが立て混んでいた。現在の異常ともいえるつんくの楽曲量産体制を見慣れてしまった目にはたいしたこともないように見えるが、まだこの年は量産体制が整う前の話である。新たな機材を導入してレコーディング作業の時間短縮をはかり始める第一段階であった。良曲ではあるが、『たんぽぽ』をアルバムからシングルカットしたり、『恋の始発列車』をアレンジ変更でアルバムに収録したり、ココナッツ娘で『サマーナイトタウン』を使い回したりと、「時間がなかったのかな?」と疑う要素は多々ある。

またマネジメントにおいても、急速に膨れ上がった大所帯のHello!を維持する体制はまったく確立されていなかった。98年には芸能界にいなかった素人さんたちが大量に入ってきて、しかもこの夏には全員新曲を発売し、コンサートを行うのである。『ふるさと』不振の理由によくプロモーション不足が言われるが、実際のところそこまで手が回らなかったというのが真相ではないだろうか。ましてや和田さんは鼻っから「失敗を予測」していたのだから、プロデュース的な発言は控え、本来のマネージャーの役割に徹していた。ミュージックステーションには1回しか出演しなかったにせよ、歌番組には他のシングルと同様に各局色々と出演しているから、Mステだけを取り上げてそんなに強調しなくてもいいように思う(調べていくうちに以前と自分の見解は変わりました)。和田さんは音楽番組におけるプロモーションは従来通りやっていたのだ。

マネジメントにおいてこの時期一つ打撃だったのは、5月末に森高千里が急性腸炎で緊急入院し妊娠が発覚、6月3日に江口洋介と入籍会見したことである。森高千里は5月19日に『まひるの星』を発売したばかりで、新曲プロモーション活動中での突発的な「事件」だった。以前から交際は報じられていたものの、相手は「月9」の主役クラスの俳優である。関係各所との調整、歌番組収録のキャンセルや、その後の新曲展開、ライブスケジュールの見直し、もっと根本的には森高千里のアーティスト像の再構築といった、頭を悩ます問題が山積していた。もしかしたら本当はハロー系タレントのマネジメントにヘルプに回る予定だったスタッフも、何人かは森高問題で足留めをくらってしまったかもしれない。

これらの事情によって7月7日に7人で出す予定だったシングルは一週間延期され7月14日となった。また上記のリリース予定から見れば分かる通り、翌週にはカントリー娘。とココナッツ娘、翌々週(7月最終週)には『セカンドモーニング』と平家・太シス(3ヶ月連続リリース企画中の2月目)・サムエルのシングルリリースが控えており、またモーニング娘。のツアーも7月下旬から始まることになっていたので、出すタイミングとしては7月14日しかあり得なかった。逆を言えばモーニング娘。のツアースケジュール、ハローのメンバーたちのリリースラッシュ、それらを考えると7月14日が最終ラインだったのである。和田さんが8月13日のラジオ『和田薫のANN-r』で発売日を「今更もう動かせない」と言っていたのは、こういった事情もあったのだろう。

メンバーたちがこの時期を振り返って「ごたごたしていた」というニュアンスで伝えるものの中には当然上記の事情が絡んでいた。モーニング娘。の名に乗りかかって急速にHello!が膨れ、事務所内は慌ただしく、レコーディングスケジュールはぎっちぎちで遅れ気味、和田さんはどこかよそよそしく…こういったことが、この時期にモーニング娘。に影を落としていた一つの原因だと考えられる。


話を5月からの『ふるさと』『セカンドモーニング』のレコーディングの時期に戻す。前述の通り、この頃のメンバー関係はしっくりいっていなかった。6thシングルのレコーディングに際してマネージャーから「安倍メイン他はコーラス」という主旨を聞かされた時、それに納得出来ず意見をしたメンバーもいたという(中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』より)。これは後の発言によりカオリでほぼ確定なのだが、中澤姐さんやその他のメンバーも少なからず不満はあっただろう。

ただし姐さんのこの頃の不満というのは、演歌活動に対しての疑問だったり、リーダーとしての役割への疑問だったり、モーニング娘。を取り巻く環境への不満だったりと、大人だった分カオリとは違って怒りの鉾先を一つに絞ることができず、あらゆることが上手くいかないように思えそれがストレスになっていった。マネージャーに「まとめろ」「話し合え」と言われてメンバー間で話し合いを繰り返したものの、そんな雰囲気だったから逆に関係は悪化することになる。

『純情行進曲』のキャンペーンでは太シスの稲葉さんが同行することになり、それもまた姐さんにとってはストレスだった。「好きでやっているわけでもない自分の演歌が太シスの売り出し企画にまで利用されている」と思っていたかは分からないが、当時キャンペーンの一環も兼ねて単独パーソナリティを務めたラジオ『ANN-C』からは演歌活動に対する不満がひしひしと伝わってきた。また「黙ってたら怖い、喋ったらうるさい言われて、どーしたらいいのわたし?」とはっきりと現状の行き詰まり感、閉塞感への不満を口にしている。姐さんの頭には10円ハゲができた。

「やることやらないと先に進めない世界。そんな中で知らない間に我慢したり、無理したり……きっとその積み重ねがあの10円ハゲを生んだんだ」(『ずっと後ろから見てきた』より)


カオリと姐さん以外のメンバーはどうだっただろう。
彩っぺはこの頃すでに「タンポポはアーティストだから」と強い意識を持ってことにあたっていたし、明日香との約束の「マイペースでいく」ことを実践していたからそんなには尖っていなかった。真矢との交際がいつから始まっていたのかは分からないが、明日香の脱退によって再び自分の道について考え始めていたのは間違いないだろう。『LOVEマシーン』のPV撮影時にはすでに辞めることを決めていたので、ちょうどこの頃が進退について悩んでいた時期だと思われる。自宅の冷蔵庫を黄色のペンキで塗りたくったというエピソードが残っているが、これはシングル『タンポポ』を意識してのことだったのだろうか。

圭ちゃんは明日香のパートを引き継ぐことになり、それが重圧になっていた。明日香は歌唱力もさることながら、リズム感において歌を引っぱっていたから、いきなりそれを継いで前に立つことになった圭ちゃんはプレッシャーも強く感じたことだろう。(余談だが明日香は父親の影響もあって小学生の頃にドラムをいじっていた。またリズム感については『DHM』のラップ部分や『未来の扉』のライブ映像を見てもらえれば分かると思う) しかし、元から明日香パートの継承を強く意識していた圭ちゃんであったから、それなりの満足感は得ていたと思う、現状のパート割りには不満があったにせよ。

紗耶香は「ビッグになる」約束を果たすべく、徐々に一皮剥けだしている最中だった。『真夏の光線』においてその片鱗を見せ始め、徐々にその存在も周囲に認知されていく。ASAYAN収録中に岡村が骨折して急遽アシスタントを娘。からたてることになったが、選ばれたのは中澤姐さんと紗耶香だった。また、表情も以前に比べて明るくなり、この時期に一番前を向いていたのは紗耶香だったと、自分は思っている。困難を自ら切り開こうとしていた紗耶香だった。

矢口は正直なところ一番分からない。後の時代の回想を調べてみても言動に統一性がなく、時系列が混乱してしまっている部分も見受けられるので、なんとも言い難い。ただ、カオリの暴走を食い止める役割をこなし、それで逆になっちとの関係が深まっていった部分もあり、調整役という点では後の時代の中間管理職をすでにこの頃から担っていたと言ってもいいだろう。彼女の「場の雰囲気に合わせる」能力はこのときに培われた、と言っては言い過ぎか…

最後になっちである。明日香が抜けたことによって一人っきりのメインとなり周囲からのプレッシャーは強くなった。メンバーからの風当たりの強さも増し、ストレスは増える一方だった。この時期には明日香と紗耶香と一緒に遊びにいっていたという話も残っているが、「他の人には言えないことも相談できた」という明日香が抜けてしまったことは、彼女にとって大きな精神的な打撃になった。ポジションを同じくしていた明日香だからこそ、分かりあえることも多々あったのである。年下だけど妙に大人びていて一歩引いた感じがあり、また原理主義的な部分も合わせ持ち、聞き役に回れるだけの冷静さを持つ明日香はなっちには貴重な存在だった。けっきょくその存在はりんねと仲良くなるまで埋められることはないのだが。


前年なくなったかに思われたモーニング娘。の解散話はいまだくすぶっていた。くすぶっていたというよりもASAYANとの密接な関係が続く限り、それは逃れられない運命だったのである。ASAYANにおけるモーニング娘。の企画の全権をUFが握っていたわけではないのだ。ASAYANスタッフ、吉本SSM、電通、それにスポンサーであるエイベックス、いろんなしがらみの中にモーニング娘。は存在している。有象無象に翻弄され、出ては消え、売れれば即解散していったグループはASAYANには山ほどあった。ましてや企画としての「解散」にも魅力がある状況である。人気が下降線に向かうことで、「解散」はASAYANに関わる人たちが必ず脳裏に思い浮かべるものであったのだ。

6thシングルは解散後のなっちのソロ活動を意識してのものだったのだろうか? すでにこの時分、なっちの仕事にはソロ活動が入ってきていた。代表的なものとしてテレビ雑誌B.L.T.のグラビア仕事がある(5月下旬発売だから撮影は5月上旬頃か)。単独で表紙を飾ったこの雑誌を始め「安倍なつみ」の「個」が売れだしてきていたのである。その流れの中でつんくの元に「次のシングルは安倍だけをメインで歌わせるかたちで」という発注がいったのではないかと思う。解散するかしないかはともかく、どっちに転んでもいいように保険をかけたのだ。すでになっちのソロ活動に関してはエーダッシュプロモーションが扱うことが決まっていたし、保田・市井コンビにはハーモニープロモーションの影がちらついている。それなりの「手」は徐々に打ち始めていたのだ。

つんくはそれらの事情を分かった上で楽曲制作のプロデューサーとしてなっちをイメージした曲を作る。なっちのメンバー内での微妙なポジションも、娘。たちのおかれている複雑な環境も分かった上で、しかも和田さんに「口を出すな」と言いきった上での制作である。つんくの出した答えは「娘。たち、特に初期から頑張ってきた安倍を一度ふるさとに帰してあげたかった」だった。つんくの言う「ふるさと」とは何だったのだろう。もちろん単純に「出身地」の意味合いの「ふるさと」もある。しかしここでつんくが言いたかった「ふるさと」とは「モーニング娘。の出発点」「モーニング娘。そのもの」ということだったのではないだろうか。

歌への姿勢、芸能界で頑張る意味、家族たちに支えられて活動ができ、そして挫折を繰り返し、それでもまた頑張っていくという、メンバーたちが培ってきたモーニング娘。の原点こそ「ふるさと」なのだ。そして歌詞の中の「Mother」こそ「モーニング娘。」だったのだ。だから、この曲があったからこそ後々なっちはモーニング娘。の「Mother ship」たりえたのだ。これは周囲に翻弄され続ける娘。メンバーたちへのつんくからのメッセージだったのだと、今となっては思う。もし和田さんが口を出せる立場であったなら、こういう情に流された形でのビジネスは許さないだろうし、あるいはそういう形でいくならじっくりとプロモーション活動の時間をとれる余裕のある時にしか許さなかっただろう。つんくが和田さんに対立覚悟で外れてもらったのは、どうしてもここでそのメッセージを伝えておきたかったからだと、自分はそう解釈するようになった。

また、この曲は『Never Forget』のアンサーソング的な意味合いも込められていたと思う。この頃に娘。たち等身大の心象風景を描いていた曲はわずかしかなく、『Never Forget』も『ふるさと』もそのわずかな曲の中の一つだった。「東京で見る星も、ふるさとでの星も、同じだと教えてくれた」の部分の歌詞がとても好きだと言っていた明日香。そしてそれを教えてくれたのはメンバーたち(特になっち)だった。さらに『ふるさと』では、今度は「楽しい日があった あいつがいたから」「涙が止まらない」そして「流れ星を見たら何を祈ろうかな…」となっちが一人歌うのである。明日香から『Never Forget』を譲ると言われていたなっちがである。

ここに込められていた意味を思うと、旧メンたちがその後この曲にも特別な感情を持っていったことが良く分かる。そして紗耶香が復帰してきたときや、なっちが娘。から卒業していくとき、『ふるさと』が歌われたことは必然だったのだと、思いを馳せることができるのである…





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今日はここまで。
後半は妄想炸裂になってしまいましたが、どうだったでしょう?
なんとか『ふるさと』レコーディングに至るまでの背景や、そこまでの娘。の活動は振り返れたので、次回はそれ以降のスケジュールを追うと共に、なぜ『ふるさと』が対決の道具に使われてしまうことになったのか、それを探っていきたいと思う。