連載2回目です。
前回分はふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察(1)
随分と時間がかかってしまいました…



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多くの伝説と謎を残す99年の「モーニング娘。」。

様々な憶測が飛び、色々な噂が流されてきたが、それを論じるときに事務所全体の流れはお座なりにされてきたように感じられてならない。
松浦や藤本がデビューするときにはモーニング娘。で稼いだ資産が大量に使われたと言われている(単純な資金面のことからテレビへのバーター出演まで多岐に渡る)。また、五木ひろし氏や堀内孝雄氏のマネジメントでは娘。人気に便乗した策をいくつも取った。00年以降はそういったことがファンに知れ渡っているにもかかわらず、99年に関してはあまり振り返ってこなかった。そこで今回はあの頃のUFA所属のタレントたちはどういった芸能活動を歩んでいたいたのか、それを振り返ってみようと思う。


まず振り返るにあたって、当時のUFAにどういった人たちが所属していたのか一覧にしてみた。資料は97年くらいのものから引用しているが、99年の所属メンバーはそう変わってないと思う(知名度と話の関係で一部の方は除外)。ただし細かいところで99年とは事務所の名前が違う。芸能事務所としてのアップフロントエージェンシーの所属者がはっきりとしないのだが、おそらくモーニング娘。と相田翔子が所属していたくらいだと思う。100%正確ではなく推測も含まれているので資料として使う場合は御注意をいただきたい。自分が持っている資料は97年のものでその次は2001年の初めに飛んでしまうのでその間は推測するしかなくて…



1999年アップフロントエージェンシー所属タレント一覧(推定も含む)


エーダッシュプロモーション(A'Promotion)
KAN・シャ乱Q

ベータプロモーション(Beta Promotion)
堀内孝雄・高山厳・ばんばひろふみ・平山みき
松下里美・杉田二朗・斉藤慶子・因幡晃・京壮亮 (加川明)

クーリープロモーション(Coolie Promotion)
森高千里・加藤紀子・田中義剛・小俣雅子
有賀さつき・林マヤ・篠田潤子・あいざわ元気
建みさと・柳原尋美・平家みちよ

デニムプロモーション(Denim Promotion)
スターダスト☆レビュー・谷村有美
デュアルドリーム・TAMTAM

エンデバープロモーション(Endever Promotion)
羽野晶紀・長江健次・兵藤ゆき
円谷憂子・田仲玲子

ファブプロモーション(Fub Promotion)
古内東子

グリーンミュージックプロモーション(Green Music Promotion)
Something Else

ハーモニープロモーション(Harmony Promotion)
98年設立 所属者なし

インディゴハウス(Indigo Promotion)
吉村真貴子(マキ凛子)

アップフロントエージェンシー
相田翔子・モーニング娘。



これを見ると一目瞭然なのだが、当時のアップフロント(UF)内のマネジメント会社はアルファベットを頭文字にしてAから順番に並んでいた。1998年に「H」が欠番になっていたのでモーニング娘。のマネージャーをやっていた和田さんが「H」となるハーモニープロモーションを作ることをY社長(当時)から命じられる(推定)。その前の「H」は白井貴子・渡辺美里・谷村有美といった90年代前半のガールポップの全盛期を担った人たちが所属していたハートランドという事務所(ヤングジャパン系)。つんく氏のために2004年に作られた事務所もJ.P ROOMという「I」に続く「J」が頭文字の事務所であるし、それに続きUFのお笑い芸人たちが所属するケーアップも「K」である。

99年の後もアップフロント内の事務所の名前はころころと変わり、デニムがなくなった後にはデフプロモーション、グリーンがなくなった後にはギャラクシープロモーション、インディゴがなくなった後にはイッツプロモーションと変遷していき2004年の4月の芸能事業統合までその流れが続く。

和田さんがモーニング娘。の初期に深く関わるようになったのは、シャ乱Qの直接の担当を外れた直後にグループ内起業を求められたものの、そこで扱うタレントがいなくて手が空いていたからだとも考えられる。ハーモニープロモーションのアーティストとして初めて名前が見られるのは「プッチモニ」が最初であり、その翌年からEE JUMPや高野頼子、新堂敦士らが加わってくる。

つまり和田さんは97年末から99年末頃までは、グループ内にせよ依託というかたちでモーニング娘。のマネジメントを引き受けていた。また、99年のプッチモニのヒットが翌年からのハーモニープロモーションの活動資金になっていた可能性もあるわけで、和田さんがモーニング娘。の担当を外されたことを一概に「更迭」というようなニュアンスで扱うことは避けた方がいいように思う。和田さんが外れたことは、外した方・外された方、お互いのためであったとも言える。

これ以上の事務所の役職人事や統合の系譜などは詳しく書いている方が他にいらっしゃるので、そちらを参考に。


余談ながら、ハロプロ内のユニット名でもアルファベットの法則はあるらしく、

P-プッチモニ
Q-(シャ乱Q)
R-ROMANS
S-シェキドル
T-タンポポ
U-(UP-FRONT AGENCY)
V-美勇伝(v-u-den)
W-W(ダブルユー)
XYZ-ZYX
A-あぁ!
B-Berryz工房
C-℃-ute
DEF-DEF.DIVA
G-ガッタス・GAM
H-(Hello! Project)

と、こじつけに過ぎないが一応はアルファベットを埋めようとしているのではないかと考えられる。きら☆ぴかで「K」は埋まったので、近い内に「I」や「J」を頭文字にしたユニットが発表されたりして。


さて、ちょっとUF所属の方たちの補足説明をしておく(演歌・歌謡系の大御所は除く)。自分の頭の中を整理するのにも役立つので…

相田翔子…一時代を築いた笑わないアイドルWink。Wink解散後の96年からUFに所属。相方の鈴木早智子はASAYANの企画に参加。

加藤紀子…テレビ朝日の企画「桜っ子クラブさくら組」のアイドル。桜っ子クラブには菅野美穂や中谷美紀、ASAYANのL☆ISでも活躍した胡桃沢ひろ子が所属。90年代半ばに日テレ『マジカル頭脳パワー!!』で人気を得る。ハロプロのメンバーたちがヤンタンに登用される前のレギュラー。

建みさと…7代目リハウスガール(8代目池脇千鶴はASAYANのオーディションで選ばれる。加藤あいも同オーディション出身)。モーニング娘。とは『太陽娘と海』で共演。2001年に日テレの『進ぬ!電波少年<電波少年的15少女漂流記>』に参加するも途中リタイヤ。

羽野晶紀…劇団☆新感線の元看板女優。関西のCMクイーン「浪花の小泉今日子」の異名をとる。テレビ東京の深夜で富澤一誠(『Mの黙示録』でミカらハロメンと共演)と共に97年10月〜00年9月までの3年間『音楽通信TOP30』のMCを担当。現在は狂言師・和泉元彌と結婚し二児の母。ヤンタンの元レギュラー。

KAN…1990年に「愛は勝つ」が200万枚を超える大ヒット。1991年に日本レコード大賞を受賞。その後は地道な音楽活動を行いaikoや平井堅などミュージシャンにもファンは多い。つんくはシャ乱Qの事務所をKANがいるからという理由でUFに決めた。w-indsの橘慶太とは出身小学、中学が一緒。

Something Else…伊藤大介、大久保伸隆、今井千尋の3人で結成。千葉県柏市を本拠地にストリートライブを行い経験を積む(ちなみに、柏市の隣の流山市がY崎会長の出身であると言われている)。モーニング娘。とは『太陽娘と海』で共演するもCDは鳴かず飛ばず。が、日テレ『雷波少年』の企画で歌った『ラストチャンス』が大ヒット、一躍ヒットチャート上位の常連となる。伊藤大介はナベプロ傘下マニア・マニア(ハーモニーから移籍した高野頼子も在籍)所属の歌手・鈴里真帆と結婚。今井千尋は和田マネの盟友・榊マネージャーが手掛けた歌手・松本英子と結婚、最近はハロプロの楽曲制作にも参加している。Something Else自体は2005年1月にUFより独立、その後2006年8月に解散。




前置きはこれくらいにしてそろそろ本題に入ろう。

今ではアップフロントといえばモーニング娘。を始めとするハロプロの事務所として有名だが、当時はまだまだそんなことはなかった。モーニング娘。は売れたとはいえ駆け出しであり、他の人たちの活躍も馬鹿にできないものがあった。

98年〜99年頃まではガールポップブームの牽引者であった森高千里や谷村有美、それに大人の女性をターゲットにして独自の地位を築いた古内東子など、音楽面で主力を担う人材がまだ活躍しており、事務所がモーニング娘。に全力を注いでいたかといえば、実はそうでもない。

ドラマ『太陽娘と海』でモーニング娘。と共演したSomething ELseは98年の下半期から日テレのバラエティ番組『雷波少年』で「ラストチャンス」企画に入っており、98年末に発売したシングルは大ヒット、99年には早々にミリオンに達し、モーニング娘。以上のブレイクを果たしていた。

先日の『Never Forget×Memory 青春の光 再考』の中で、98年末から99年にかけての娘。関係のシングルがなぜか日テレ系にだけ版権を分けていないと書いたが、その理由は単純で、サムエルの『ラストチャンス』があったからではないかなと。

その後99年中はサムエルと日テレのタイアップ企画はずっと続き、娘。の版権に当時日テレが絡んでこなかったのはそういう事情があったのかなと。 『ラストチャンス』の後に出したシングル『さよならじゃない』は日テレ『'99劇空間プロ野球』のイメージソングとなり巨人戦の中継で毎日のように流されていたし、後の『お願いモーニング』や『モー。たいへんでした』と続く日テレとのコネクションはこの時に築かれたものだったのではないだろうか。


ここでわかりやすく振り返ってみるために、当時のことを年表にしてみる。


1994.01.25 森高千里 20th『ロックン・オムレツ』発売
        カバーイラストをリリー・フランキーが担当
        森高のファンクラブ会報にイラストを描いていたことがきっかけ
1996.05.21 古内東子 シングル『誰より好きなのに』発売
          同曲は後にソニンが『あすなろ銀河』のc/wでカバー (2005/1/13)
1996.11.  KAN 中国・広州で「広東国際広播音楽博覧会」に出場
        『愛は勝つ』を日本語と北京語で熱唱
1996-1997  円谷憂子 この時期に活躍。1999年に円谷プロ関係者と結婚

1997.02.21 古内東子 シングル『宝物』発売(石黒が福田卒業時に贈った曲)
1997夏   KAN ASKAの上海公演を観るために上海へ
1997.08.21 古内東子 アルバム『恋』発売。
        ダブルプラチナ、レコード大賞アルバム賞受賞

1998.01.01 KAN 上海で新春特別番組「我們共同的亜細亜'98亜州風」に出演
        『愛は勝つ』と『まゆみ』が中国全土に生放送される
1998.02.14 古内東子 アルバム『TOKO〜best selection』発売。ダブルプラチナ
1998.05.21 スタレビ 37th『ワイン恋物語』発売
       (テレ東ドラマ『ワイン娘恋物語』主題歌)
1998.08.19 古内東子 アルバム『魔法の手』発売。オリコン初登場第1位
1998.09.09 森高千里 アルバム『Sava Sava』発売

1998.09.14 Something ELse 日テレ「雷波少年」にて次のシングルがオリコンの初登場20位以内に入らなければバンドは解散、音楽業界から去らなければならないことを条件に「ラストチャンス」の合宿生活スタート
1998.09.  KAN 9年間担当した大阪FM802の『ミュージック・ガンボ』を降番
1998.10.01 森高千里 36th『冷たい月』発売
1998.12.02 中澤ゆうこ&高山厳『お台場ムーンライトセレナーデ』発売
1998.12.12 谷村有美 ベストアルバム『with III』リリース後、活動を休業
        自分を見つめ直す為に約2年間活動を休止
1998.12.23 Something ELse 6th『ラストチャンス』発売。
        翌年のオリコンで初登場2位、翌週には1位となりミリオンヒットを記録。
        99年には「紅白」や「レコード大賞」に出演



94年の事はリリー・フランキー氏との接点を覚えておきたかったので入れてみた。当時森高さんを担当していた和田さんとの接点はこの時からあるんだろうなと。10年以上も経ってから安めぐみさんとのコラボでその関係がクローズアップされると。
96年から98年で目立つことといえば、まずKAN氏が中国に何度も行っていること。中国での活動というとUFには谷村新司・堀内孝雄ラインがあって、古くはUFになる前のヤングジャパン時代の1981年から、向こうでの活動を行ってきている。2004年からは谷村新司氏が上海音楽学院で教授を務めたりしていて、いろいろとUFとの関係も探ってみたくなるのだが、それはまあ別の機会ということで。KAN氏が中国に行ったことには特別な意味は見出せなかった。KAN氏はその後ロシアに行ったりフランスに行ったりとなかなか自由な活動をさせてもらっているみたいである。

森高千里さんの活動は若干停滞気味といったところだろうか。もちろんそれまでの八面六臂の活躍と比べるからであって、それなりの売り上げは確保している。江口洋介氏との交際はすでに報じられており、一部には事務所に結婚を反対されてかなり不満が高まっているなどという噂もあった。98年9月9日に発売したアルバム『Sava Sava』(『抱いてHOLD ON ME!』と同日)が最後のオリジナルアルバムとなるのだが、この中にスガシカオ氏が作曲した曲がある。『たんぽぽの種』という曲で、時期的なことを考えるとユニット・タンポポの命名の由来を勘ぐってしまう。

ちなみにスガシカオ氏は1998年末の上海ライブでモーニング娘。と共演。リハーサルをさぼってカニを食べに行くという逸話が残っている。スガシカオ氏となっちは交流があるという話もあったけど、情報が少なすぎて真相かどうかは分からず。

古内東子さんはコンスタントに売り上げを記録しており、今では考えられないダブルプラチナ(50万枚超)を連発している。
同じような90年代非アイドル系ガールポップでスマッシュヒットした歌手に遊佐未森や田村直美、宇徳敬子らがいるが、同事務所の谷村有美さんはその代表的な人物だった。その谷村有美さんが98年末に休業に入っているのは注目どころ。90年代前半からテレビ露出をほとんどしないでライブ活動とラジオだけで売れていったのはUF(旧ヤングジャパン系)の売り方の典型と言えるだろう。LDやビデオでライブ映像を定期的に発売し、それなりの売り上げを誇っていたことも現在のUFの売り方に通じるものがある。

Something ELseは『太陽娘と海』でモーニング娘。と共演した半年後に日テレ『雷波少年』の企画に参加。当時の日テレは『ウリナリ』のポケットビスケッツ・ブラックビスケッツを始め、番組と連動したCD発売企画を繰り返していた時期。ASAYANも含めそういった企画がTV業界で流行していた時期だけにSomething ELseはモーニング娘。とよく似た道を歩んだといえよう。そもそもが都築浩氏やおちまさと氏、そーたに氏など、放送作家がほとんどかぶっているわけで、局が違っても似たような企画が増えるのは過去も現在も一緒。



1999.02.05 KAN シングル『Happy Time Happy Song』発売
1999.03.  カントリー娘。募集開始
1999.03.10 高山厳『海ほたる』発売
1999.03.16 つんく フジ系ドラマ『セミダブル』の制作発表
        栗原美和子がプロデュース
        つんく・浜崎あゆみのデュエットがテーマ曲に
        (シングルはゼティマ・avex別個にリリース)
1999.03.17 Something ELse アルバム『502』発売
1999.03.17 森高千里 37th『私のように』発売
        (キリンビバレッジCMソング。c/w『SPACE』)
1999.04.  KAN 97年のツアーに参加したバイオリニストの早稲田桜子と結婚
1999.04.  相田翔子 前年の旅レポートが好評でTBS『世界ウルルン滞在記』の司会に起用される(〜2006年4月2日)
1999.04.09 Something ELse 7th『さよならじゃない』発売
        日テレ系「'99劇空間プロ野球」イメージソングとしてシーズン終了までオンエア
1999.04.21 KAN アルバム『KREMLINMAN』発売
1999.05.19 森高千里 38th『まひるの星』発売(作曲:スガシカオ)
1999.05.31 森高千里 急性腸炎で緊急入院
1999.06.03 森高千里 江口洋介と共に入籍会見。妊娠2週間とも発表
1999.06.13 森高千里 TMCで『HEY!×3』の収録(5月30日収録分の振替、OAは28日)
1999.07.16 柳原尋美 交通事故により急逝
1999.07.28 Something ELse 8th『あいのうた/花火が消えるまで』発売
      「ルナパーク'99 雷波少年系遊園地 後ろ楽しいガーデン」イメージソング

1999.08.04 『team KIKCHY presents 帰ってきたLIVE CLAMPs III ライブ!! サマーナイトタウン99』(フジテレビ開局40周年記念『BANG PARK』、フジテレビ721で生中継 地上波OAは10日)7HOUSE・太シス・中澤・ココナッツ・三佳千夏・カントリー・タンポポ・サムエル・モーニング娘。ほか出演
1999.08.21 スタレビ 38th『どうして』発売
        (新富良野プリンスホテルCMソング)
1999.09.16 加藤紀子 日テレ『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー終了
        その後フランスへ語学留学
1999.09.  KAN 11年間担当した札幌STVラジオの『アタックヤング』を降番
       同局で新たなレギュラー番組『KANのスーパーミュージック』をスタート
1999.10.01 森高千里 39th『一度遊びに来てよ'99』発売
        (以降森高千里は新曲リリースなし)
1999.11.25 KAN シングル『今年もこうして二人でクリスマスを祝う』発売
        (以降KANは2001年になるまで楽曲リリースなし)
1999.12.01 古内東子 セルフプロデュースアルバム『winter star』発売
1999.12.31 Something ELse 「日本レコード大賞優秀作品賞」受賞



さて問題の99年である。

4月からのつんく氏のドラマは栗原美和子プロデュースで栗原美和子とはそれ以降も長い付き合いがある(男女の関係という意味ではない)。つんく氏が浜崎あゆみと組んだのはASAYANでavexとの折り合いが悪くなったことへの対策なのか?とも思う。ASAYANのスポンサーたるavexが番組内で自社アーティストが取り上げられないことについては不満があったはずであり、そのことへの対応の一環としてこのシングルが企画された可能性はある。これが後の『ふるさと』の謎とも関わってきそうなのだが、この話は次回以降。

5月に入ると娘。たちは『真夏の光線』のプロモーション活動をしていた時期であるが、UFでは月末に一大事件が発生していた。それが森高千里さんの妊娠発覚&結婚である。今となってはこれがUF側発信なのか、それとも結婚許可を出さないUFに森高さんが切れたのか(4年交際していたと言われている)、真相はさっぱり解らないが、事務所が仕掛けた発表時期ではないと思う。
妊娠2週間ということは、本人たちも入院してから妊娠に気付いた可能性が大であり、この件は本人も事務所にも突発的な出来事だったのではないだろうか。辻の時みたく9週間というのと訳が違う。相手もゴールデンの連ドラの主役を張る大物だった。事務所も対応に追われたことは想像に難くない。

Something ELseは『ラストチャンス』の後、日テレと組んで急速に露出を増やしていったが、それが急すぎたために飽きられたのも早かった。モーニング娘。はASAYANから第一次撤退(2000年春)した後、サムエルと交代するかのように日テレに進出した。そして現在日テレとのパイプは松浦が担っていて、そこは順次情勢に応じて対応しているらしい。

1999年7月には悲しい事故があったが、今回はそれには触れたくない。それもまた別の回で改めて。

年表を見るとわかるが1999年末にUF所属の芸能人たちが大きな転換点を迎えているのがわかる。1998年の谷村有美さんに続き森高千里さんが休業に入る。また加藤紀子さんもフランス留学という形で休業に入っている。古内東子さんは年末発売のアルバムでそれまでと異なりセルフプロデュースに移行している。

いったいこの時期に何があったというのだろうか? 自分はUFの芸能部門がそれまでのニューミュージック・ガールポップ路線からモーニング娘。を中心としたアイドル路線に大きく舵をきったのがこの頃だったと考えている。

だから加藤紀子さんや古内東子さんに自由が許されたわけだし、森高さんの休業も問題なくなった。そしてモーニング娘。の99年末解散もなくなった。また、モーニング娘。がUFの「主流」になったわけだから、依託されてマネジメントをしていた和田さんは外れることになった。それに伴いハーモニーがプッチモニのマネジメントを継続するのも難しくなった。

また「主流」になった以上、テレビ企画でモーニング娘。をすり減らすわけにもいかなくなり、それがASAYANで舞台裏を映すことを拒絶した理由でもあり、またASAYANとの関係が多少こじれていった原因であると思う。モーニング娘。の4期オーディションは「主流」になるべくして行われたといっても過言ではあるまい。2期までが傍流の「企画もの」だったのに対して、その印象は大きく変わっている。3期オーディションについては、実施当時から今日まで、どうしても自分はスッキリとした印象を持っていない。実施時期が非常に中途半端だったこともあるのだろう。これもまた機会をあらためて。

さて、2000年以降であるが、この際ざっと振り返ってしまいたい。これも流れをつかむ上で重要。



2000.01.  KAN 関テレ深夜の音楽番組『free beat』でなぜかハワイロケに行く
2000.03.08 Something ELse アルバム『ギターマン』発売
      シングル『ウソツキ』のヒット直後でプロモーション活動はこれがピーク。
2000.03.24 加藤紀子 フライデーにリリー・フランキーとの交際を報じられる
2000.05.17 スタレビ 39th『今夜だけきっと』発売
        c/w『ナチュラル〜抱きしめてこのままで〜』は映画『ピンチランナー』主題歌
        まこと・つんくが作詞、相田翔子がコーラスで参加
2000.07.16 谷村有美 大阪城ホールで行われた『Pacific Heaven 2000』に特別参加
        スタレビ、KAN、サムエル、相田翔子、田村直美らと共演
2000.08.27 T&Cボンバーの解散をASAYANで発表
2000.10.09 T&Cボンバー解散ライブ
        この後、稲葉貴子が大阪吉本からアップフロントに移籍
        ASAYANで稲葉貴子新ユニットメンバー募集開始(自然消滅)
2000.10.12 谷村有美 ゼティマに移籍し復帰第1弾シングル『A・RA・WA』発売
        本格的に活動を再開(作詞作曲はシャ乱Qまこととたいせー)

2001.09.26 アップフロントエージェンシー組織改編
        マネジメント部門を完全分離
        株式会社アップフロントグループに社名変更の上グループ統括本社となる
        分離したマネジメント部門は新たなUFAとして新会社設立
        ハチャマとピッコロタウンの新レーベルを立ち上げ
        一部所属タレントたちのグループ内事務所移動(カントリー娘。等)
        市井、再起への動き
2001末   加藤紀子 日テレ『マジカル頭脳パワー!!復活スペシャル』出演のためフランス留学から途中帰国

2002.01.01 スタレビ アルバム『Style』発売。アップフロントを離れてインディーズ展開
2002.01.  羽野晶紀 狂言師和泉元彌とデキ婚。芸能界を引退
2002.02.28 KAN フランス人になりたいと言う夢の実現の為住居をパリに移す
2002.03.  有賀さつきフジ解説委員の和田圭とデキ婚。月末をもってUFAとの契約を終了
2002春   加藤紀子 2002年春に芸能界復帰
2002.04.  谷村有美 原田泳幸(現・日本マクドナルド代表取締役会長CEO)と結婚
2002.08.08 Something ELseの伊藤大介と歌手の鈴里真帆がデキ婚
2002.08頃  UFの新たな本拠地、高栄麻布ビル完成
2002.09.09 28年ぶりのバンバン復活コンサート
2002.09.26 Something ELse 12th『国道16』発売
2002.10.07 アップフロントグループ、新築ビルに引っ越し
2003上半期 古内東子 レコード会社をポニーキャニオンへ移籍

2004.04.01 アップフロント組織改編 マネジメント・レコード・興行部門をそれぞれ1社に統一 
2004.07.20 KAN フランスより帰国。音楽活動再開
2004.10.  KAN 札幌STVラジオ『KANのロックボンソワ』スタート
2005.01.01 Something ELse UFAから独立
2005.01.  ばんばひろふみ、平山みきと協議離婚
2006.02.22 KAN 5年振りのニューシングル『カレーライス』を発表
2006.05.  KAN 初の中国公演を上海・新天地ARKにて行う
2006.07.06 Something ELseの今井千尋と歌手の松本英子が結婚
2006.10.22 Something ELse デビュー10周年の前日にツアー最終日をもって解散
2006.10.25 安めぐみとリリー・フランキーのユニット・リリメグがシングル『おやすみ』でデビュー。『新堂本兄弟』や『Mステ』に出演



自分的メモも兼ねているので一気に羅列してしまったが、2000年4期オーデから2001年の5期オーデの頃までは比較的動きは少ない。同時期がモーニング娘。にとって全盛期であることは異論の挟みようもなく、堂々とアップフロントの「主流」として活動している。流れが変わるのは2001年9月末のUFの組織改編。これが翌年のハロマゲドンの引き金になっていると思う(この話もまた次の機会に)。

この組織改編に原因するものかはわからないが、スタレビや羽野晶紀さん、有賀さつきさんが事務所を去り、KAN氏はフランスへ旅立った。それとは逆に加藤紀子さんがフランスから帰ってきている。
また、結婚・できちゃった結婚も多くUFらしいなあと感じる。谷村有美の結婚相手にはびっくりしたが。

なっち卒業直後の2004年4月の組織改編以降は芸能事務所としては目立った動きはなく、安定した展開をしていると感じる。ムーブメントを起こすことはないけれども、上手く芸能界を立ち回っているように見える。最近になってハローのメンバーたちのテレビ露出が増えてきたのが気になるが、それが継続的なことなのかわからないので、今は様子見といったところ。
ざっとこんなところだろうか。


とうわけで、最後の方は駆け足になってしまったけど、今回は事務所の流れを振り返ってみた。書いていていろいろと思い当たることも出てきてその都度確認する作業になり、予定より大幅に遅れてしまった。自分としては楽しいからいいのだけどね。

次回はもっとモーニング娘。を主とした妄想をする予定。
では。