『Never Forget』の再考についてはずっと追いかけてきたことでもあるので一気にやってしまったけど、今回の『ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察』についてはゆっくりやっていくので、ご了承を。今回はざっと娘。の歴史を振り返ってみる。



1999年の4月18日に明日香が脱退することになり、姐さんが『モーニング娘。は永遠に8人です』と言って古き良き青春時代のモーニング娘。はクライマックスを迎えた。あのときはメンバーたちもファンもモーニング娘。はずっと8人でやっていくのだろうなと思っていた。今のように脱退と加入が当たり前のグループではなかったから、増やすって聞いたときはかなり嫌だったことを覚えている。

当時のASAYANを見てみてもメンバーたちにオーディションの歓迎ムードなんてまったくなくて、「かかってこいや」くらいの勢いでみんなコメントしてた。姐さんも「コンサートでモーニング娘。はずっと8人ですって言い切っちゃったんですけどね」ってキレ気味に話していた。この頃が姐さんがストレスで10円ハゲができて、「何者かにモーニング娘。が押しつぶされそうとしていた」と話していた時期だった。

テレビにおいては1999年の1月から『アイさが』が始まり、4月からは『ガレージ』も始まり、娘。たちは徐々にASAYAN以外にも進出していく。『ガレージ』で故福田一郎氏と共演しているが、「プエルトリコのメヌードというグループを参考にしなさいと福田一郎氏に助言されてモーニング娘。のメンバーチェンジシステムを作った」という後付けの定義はこの頃にようやく見え隠れしてくる。

明日香卒業以降の娘。たちは各証言を見るまでもなく不協和音と停滞のまっただ中にいた。5月に『真夏の光線』を、7月に『ふるさと』と『セカンドモーニング』をリリースするのだが、各番組に出ているメンバーたちの表情にはどことなくみんな陰がある。特に6月27日放送のASAYANに出たときのなっちの表情は見ていていろいろと考えさせられる部分があった。もちろん他のメンバーたちも一様に何かを抱え込んでいる雰囲気があって、なっち、それと姐さん、カオリあたりはストレスがたまりにたまっている感じが見た目にもはっきりと分かる。この頃にはなっちとカオリの二人暮しも破綻して完全に冷戦状態に入っていた。うたばんで上記3人がやり合っている姿を思い出す方も多いことだろう。
ちなみに私的なことだけど、自分がビジュアル的に一番好きなのはこの時期のモーニング娘。で、『真夏の光線』のポスターとかPVとか今見てもホント好きだなと思う。

アップフロント自体もこの頃は揺れていて、モーニング娘。の前の稼ぎ頭である森高千里が5月末に急性腸炎で入院し6月3日に江口洋介との入籍記者会見をしていた時だった(妊娠2週間のデキ婚)。この件で『HEY!HEY!HEY!』の収録をキャンセルしたり、8月27日のコンサートには体調不良で出られなくなって、スタレビの根本要やKAN、サムエルといった面々が会場で土下座して観客に謝るという事態も招いたりしていた。
7月16日には柳原尋美さんの事故があり、それに伴う北海道グリュック王国との提携見直しや小林梓の脱退、『アイさが』の番組構成変更等、とにかくこの時期は事務所的に立続けに非常の事態が起きているので厳しい時期だった。

モーニング娘。は8月に入ると当初の予定通り後藤が合流してきて、『LOVEマシーン』の準備に入っている。この夏の「Hello!」には娘。とみっちゃんの他、太陽&シスコムーン、三佳千夏、ココナッツ娘、カントリー娘が合流してきており、同時期には後のメロン記念日の4人がオーディションを通過しコンサートでも紹介されている。また、早くも柳澤純子なる演歌系の人がハローに絡んできていた。昔コロンビアレコードからレコードを出していた人らしいので、Y崎社長の人脈関係なのだろう。

9月は『ラブマ』が大ヒットしてモーニング娘。が再ブレイクしていく時であるが、前年と同様におそらく戦略練り直しを謀っていた時期だと思われる。なっちのソロ計画、プッチモニの結成、何よりもモーニング娘。を存続させるか否かが検討されていたはずだ。そんな中で姐さんはただ一人10日間にも渡るオフをもらい、不安と焦燥感とを募らせる日々であった。

10月に入るとプッチモニ結成、なっちソロ写真集撮影、タンポポ4th『聖なる鐘がひびく夜』発売と続き、ラブマのヒットや年末賞レースで多々テレビ出演をこなし彩っぺの脱退に進んでいく。過去最高視聴率を記録した彩っぺ脱退報告のASAYAN、あの日自分は脱退するのはなっちだと思っていた。実際、12月になっちのシャンプーのソロCMが発表された際には、「ソロ曲のリリースは1月25日」とプレスリリースがまわっている。

その後1月に彩っぺ脱退、『恋のダンスサイト』リリース、シャッフルユニット、『ピンチランナー』撮影、4期オーディションと続いていくのだが、その過程の中で和田さんの離脱が決まり、紗耶香の脱退が決まり、ASAYANとの蜜月時代の終焉と、大きな人事的変化も経ることとなった。
そして5月21日、大きな謎を残し紗耶香が日本武道館で脱退することとなる。


ざっと振り返ってみたが、明日香卒業後から紗耶香卒業までというのはモーニング娘。の歴史を紐解くにあたって一連の流れで捉えた方が良さそうである。

その中で、
・『ふるさと』は仕組まれて売れなかったのか?
・和田さんとつんくの確執の果てが鈴木あみとの対決に繋がったのか?
・後藤の加入はいつから決まっていたのか?
・『LOVEマシーン』は背後で誰と誰が組んでヒットに繋がったのか?
・『21世紀』や『ダディドゥデドダディ』から連想される1999年末の解散はありえたのか?
・1999年後半の姐さん・彩っぺ・なっち・紗耶香の本人脱退意向は本当にあったのか?
・なっちのソロ計画はどこまで本気だった? また、頓挫した理由は?
・色シャッフルユニット企画はなぜ行われたのか?
  『黄色いお空で〜』…………太シス?
  『青いスポーツカー〜』……プッチモニ?
  『赤い日記帳』………………タンポポ?
・市井卒業の武道館コンサート。実は姐さん卒業のために準備していたものだった?
・『ハッピーサマーウェディング』、姐さんの卒業曲?

こういったことを次回から探っていってみたいと思う。
ちなみに先行するけど、『ふるさと』で散々言われていた「仕組んで売らない」ってことは絶対にないと思う。当人達に売る気がないんだったら仕組む必要がないもの。他人ならいざしらず。いろんなことが起きた結果として売れなかっただけだと思うな、自分は。


こんなところで、次の更新で書くかはわからないけど…まあそのうち。
何か貴重な情報を持っている方がいたら提供お願いいたします。