第4回となります。ようやく終わります。
これまでは曲の成立過程の謎に全然触れられなかったけど、ようやく到達しました。

また、この『Never Forget』話に興味ない方も、気が向いたら今日の更新の最後の方にある和田さんからの手紙には目を通してみてください。ずっと以前に聴いたことがある方も、聴いたことがない方も何か思うことが出来るのではないでしょうか。芸能人とスタッフとの関係…今いろいろ何かと話題になっているだけに、たまには過去を振り返って参考にしてみれば何かいいことが見つかるかもしれません。

さ、次はどうすんべかね。

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Never Forget×Memory 青春の光 再考(1)
Never Forget×Memory 青春の光 再考(2)
Never Forget×Memory 青春の光 再考(3)

上記3回の続き。



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さて。
10月下旬以降のモーニング娘。は週末にライブや学園祭をこなし、11月に入るとタンポポの活動が忙しくなり、それ以外のメンバーたちは『新春かくし芸大会』の「ハイパーちんどん」の練習に入っている。この「ハイパーちんどん」は実質的に篠原ともえがリーダー格だった。なっちと明日香は篠原ともえとのセッションが多く分け与えられており、それが99年お正月の『LOVE LOVEあいしてる』での3人で歌う『守ってあげたい』に繋がっていく。ただし、なっちと篠原ともえの仲はこの時に深まったわけではなく、ずっと後のことである。

4th発売のアナウンスは当初の12月発売予定から大幅に延期され、11月末頃に「99年2月10日発売」とタイトルは未定ながらも「1,020円」であることが流れる。この11月末の時点でモーニング娘。の活動存続は公式に決まって、現場のスタッフたちも含め各関係機関が動き出していたことになる。遅れに遅れた4thのレコーディングは11月の下旬になってようやく始まった。

12月8日の『お願いモーニングコール』の中でリスナーから「笑っていいともで『モーニング娘。』を答えにしたクイズが出されていた」という投稿があり、なっちと明日香は二人でその笑っていいともをレコーディングスタジオで見ていたという。「(二人のユニット)『銀杏』で笑っていいともに出たいね」なんて話をしていたのだが、このモーニング娘。がクイズの答えになった笑っていいともは11月24日のオンエア。しかし、この日は紅白出場が決定した日で、メンバーたちは午前中から事務所に待機状態。NHKから連絡が来たのが11時半過ぎ、歓喜の様子をASAYANのカメラが追いかけた後、NHKに向かって紅白初出場の記者会見を行ったので、レコーディングスタジオにいたのはどう考えてもこの日ではない。つまり二人がレコーディングしていたのは『笑っていいとも増刊号』を見ていた11月29日となる。ちなみに、この紅白の初出場の記者会見時の写真が、その後『BS中澤SP』で圭ちゃんから姐さんにプレゼントされた写真の内の一枚である。



ここで分かりやすいように、この時期の判明しているスケジュールをあげておく。


98.11.22 娘。・平家 京都・立命館大学学園祭ライブ
98.11.23 娘。・平家 福岡・第一経済大学学園祭ライブ
98.11.24 紅白出場が決定 会社の10階で聞かされる。紅白記者会見。
98.11.29 安倍・福田 4thのレコーディング中
98.11.末頃 4thは99年2月10日発売、1,020円と情報が流れる

98.12.03 フジ『98FNS歌謡祭』
98.12.05 中澤 池袋で『お台場ムーンライトセレナーデ』発売イベント
98.12.06 フジ『かくし芸大会』の本番収録
98.12.08 テレ東新番組『アイドルをさがせ』初収録 司会に平家・中澤
98.12.11 中国・上海入り? 4thのジャケット撮影
98.12.14 アジアライブドリームin上海
98.12.15 『うたばん』収録(99.01.12 OA)
     つんくwith 7HOUSE TMCで『LOVE LOVEあいしてる』の収録

98.12.16 しゅう(謹慎中)が女子大生に暴行したことが発覚し脱退、シャ乱Q活動自粛
98.12.17 神宮前スタジオで『ASAYAN』収録
     午後からテレ東『SUPER LIVE '98』収録
98.12.20前後 4thシングルの価格を1,121円に変更
98.12.21 『HEY!HEY!HEY!』生中継 寒風吹きすさぶ中、フジの大階段で歌う
98.12.24 『Memory青春の光』のレコーディング中
98.12.25 ベイNKホールから『MステSP SUPER LIVE 98』の公開生放送
98.12.31 日本レコード大賞にて最優秀新人賞受賞
     NHK紅白歌合戦に初出場
     つんく、徹夜で4thシングルのTD作業

99.01.02 『Hello!ハッピーニューイヤー'99』中野サンプラザ
99.01.03 『Hello!ハッピーニューイヤー'99』中野サンプラザ
99.01.04 ハローのメンバー一週間のオフ
      平家みちよ、グァム旅行
      安倍なつみ、室蘭に帰省
99.01.05 テレ東『アイドルをさがせ』放送開始
99.01.08 安倍 帰省中の室蘭で市長を訪問 市長から白鳥大橋開通記念帽子をプレゼントされる
99.01.13 メンバーに福田の脱退を発表(中澤は「最後」と聞いて解散の話をされると思っていた)

99.01.17 福田脱退が『ASAYAN』で放映される
99.01.20 タンポポ『誕生日の朝』レコーディング
     ゆずのANNで福田引退に関する感想を送るようリスナーに要請
99.01.21 TMCで『ASAYAN』収録 福田脱退特集
99.01.24 22時からTMCで『HEY!HEY!HEY!』の収録(99.02.08 OA)
99.01.28 『うたばん』収録(99.02.16 OA)飯田、初めてジョンソンと呼ばれる


この他に12月の『カウントダウンTV』と年明け放送の『さんまのまんま特番』『LOVE LOVEあいしてる』の収録があって、『CDTV』はわからないが、フジの2番組は12月初旬頃だと思われる。12月3日から6日あたりまではフジの番組の収録にかかりっきりだったのではないかな。だいたいきくちさんとの仕事は集中するので。



上記のスケジュールとは別に、4thに関するなっちと明日香のラジオ発言を拾って、これも一覧にしておく。以下。

『お願いモーニングコール』はTOKYO FM『ミリオンナイツ』内で98年10月から翌99年3月まで続いた安倍なつみと福田明日香、二人のラジオ。モーニング娘。で初めてのレギュラーラジオ番組である。放送時間は毎週月曜から木曜の22時半過ぎから約10分間の番組。
ラジオの収録日は判明してないが、話す内容とスケジュールを照らし合わせると一週間か二週間分の録りだめ。収録は水曜だと思っていたのだが、年が明けると違うみたいで、明日香脱退情報の漏洩を防ぐために月曜日録りの録って出しの可能性があるようだ。以下、収録日は推定。


12.03 [11.18収録]
明日香の「別れ」の推薦曲 ウルフルズ『ある日の事』

12.08 [12.02収録]
二人でレコーディング(11月29日と判明)

12.14 [12.02収録]
新曲の発売が来年2月上旬に決まったと言って、二人で『Never Forget』のサビの部分をホンのちょっとハミングして紹介する。レコーディングはまだ終わっていない。

12.17 [12.02収録]
明日香14歳の誕生日としてのオンエア。ブルーハーツ『TRAIN TRAIN』。リスナーからのハガキで小学生時の音楽の先生の話が出て涙ぐむ明日香。なっち「福ちゃんへのプレゼントは溢れる愛だよ、溢れる愛」

12.21 [12.16収録]
明日香、『抱いてHOLD ON ME!』発売前のダンスレッスンのときに自分に自信をなくして、帰りのタクシーの中で泣いてしまった話。「今まで言わなかったけど」

12.23 [12.16収録]
8人でオールナイトニッポンに出演したときに和田さんから手紙をもらって8人とも号泣してしまった話

01.07 [12.16収録]
自分が男だとしてモーニング娘。だったら誰を彼女にする? 「なっちは福ちゃんです。大好きです」

01.11 [01.11収録]
4thタイトルは『Memory 青春の光』に決定と告知。別れの曲で大人っぽいと紹介。そして二人で『Memory 青春の光』のサビ部分をハミング

01.12 [01.11収録]
『メモ青』の歌入れは年末にした。今までで一番難しかった。新曲は間奏明けのサビがぐっと盛り上がる。正月コンサートの後につんくがニューヨークに行って仕上げを行った。外人のラップやスクラッチが入っている。ジャケットは上海のいろんなところで撮った。衣装は2パターンあってどちらが使われているかわからない。再来週のラジオで新曲をかける予定

01.21 [01.18収録]
リスナーからの「新曲は今井美樹の『Pride』に似ていませんか?」というコメントを読み、明日香が『Never Forget』のサビを口ずさむ。実はこの曲はカップリングみたいな扱いで入っている曲だと明かす。新曲は来週の月曜にかける予定

01.25 [01.25収録]
『Memory 青春の光』初OA。いろいろと曲解説。この後のミリオンナイツで『Happy Night』もかかる

01.26 [01.25収録]
『Never Forget』初オンエア。明日香「レコーディングのときに『東京で見る星も、ふるさとでの星も、同じだと教えてくれた』『今度出会うときは必然』の歌詞がすごい好き


スケジュールとラジオの発言、さらっと並べてみたが、ここから読み取れることを検証してみよう。

まず、4thのレコーディングは11月の下旬から12月の頭にかけて『Never Forget』を、12月の下旬に『Memory 青春の光』と時期を分けて行われている。そして、そのレコーディングの合間に上海でCDジャケットの撮影を行っている。さらに『Memory 青春の光』のレコーディングに入る直前にはCDの値段が1,121円に値上げされることが発表された。

12月15日収録のつんくが出演した『LOVE LOVEあいしてる』で、つんくが篠原ともえに楽屋に突撃された際、『Memory 青春の光』の歌詞の断片をバラされるという事件があった。篠原ともえがつんくの手帳を盗み見たのだが、「メモリー私のメモリー」とそこには書いてあり、状況から考えるとまだその時点では『Memory 青春の光』の歌詞は完全には完成していなかったようだ。

ここまでで疑問なのが、『Memory 青春の光』がレコーディングもしておらず、曲すら未完成だったのに、上海でCDのジャケット撮影をしている点。100%とは言えないが、通常はレコーディングが済んでからジャケット撮影があり、プロモーションビデオの撮影に入っていくはずである。

また、12月14日のラジオでなっちと明日香、二人で『Never Forget』をハミングした際には、二人ともこの曲がシングルの表題曲であるかのような捉え方で紹介していた。しかし翌年の1月21日の放送では明日香一人がサビを口ずさみ、なっちが「この曲はカップリングみたいな感じ」で入っていると微妙な表現で紹介している。

さてこれがどういうことなのか。
4thの成立過程は、明日香卒業を聞いたつんくが明日香卒業のために『Never Forget』を付け足したというのが公式に言われていることであるが、スケジュールや言動を見ると本当の成立過程は実は違ったものだったのではないのだろうか? 公式な成立過程が本当ならば、値上げ発表の後にレコーディングされているのは『Never Forget』でなければならないはずである。

つまり、この4thの本当の発売予定は以下の通りだったといえるのではないだろうか。

12月始めの段階…
・明日香の脱退は家族の説得を除いて決定している
・4thはなっちと明日香がメイン。レコーディングは二人が先行
・ジャケット撮影はレコーディング終了後に上海で
CDの順番
1.『Never Forget』
2.『Happy Night』


12月中旬になると…
・上旬に明日香の家族の説得。Y社長「辞めちまえ。福田の卒業は伝説になる」
・『Never Forget』を明日香ソロ曲にまわすことになる
・つんくに急遽もう一曲発注。シングルの値段変更
CDの順番
1.『Memory 青春の光』
2.『Happy Night』
3.『Never Forget』

後から増えたのは『Never Forget』ではなく、『Memory 青春の光』であったというのは間違いなさそうである。何回もこの謎には取り組んできたが、今回の調査で自分はこれで大決定を下した。


また、曲のタイトルに関しても現在『Never Forget』と呼ばれている曲が本来は『Memory 青春の光』であったこともかなりの確立でありそうである。

明日香脱退を発表した1月17日放送のASAYANで4thのCDジャケット(表)が公開されており、画面を見る限り文字、色見ともに発売されたジャケットと相違点は見られず、この時点で表ジャケットは完全に完成していた。メンバーへ明日香の脱退が報告されたのが1月13日であり、編集の都合を考えると同日にはVTR編集スタッフにジャケットの画像が渡っていないとおかしい。つんくが4thの表題曲を『Memory 青春の光』と決めたのは大晦日だと言われているが、これだと年明け発注から印刷が上がってくるまで不可能ではないがギリギリのスケジュールである。

ここは素直に、ジャケット撮影が終わって使う写真を選び終わった12月20日あたりがジャケットを発注した時期だと考える方が自然ではないだろうか? そして、もしこの時点で当初の予定のまま発注していたとしたら『Never Forget』が表題曲となってしまい、公式にアナウンスしていたこと(『Never Forget』があとから付け足されたこと)と相違点が出てきてしまう。これつまりは元々『Never Forget』が『Memory 青春の光』だったということの証にならないだろうか?

また単純に現『Memory 青春の光』の仮タイトルが『ゾンビ』と呼ばれていたことや、歌詞の内容から考えても『Memory 青春の光』がタイトルになるのはおかしいと思う。歌詞の内容を考えればどちらが『Memory 青春の光』に相応しいかは一目瞭然である。つんくは12月中旬に急遽作っていた大人っぽい曲に「メモリー」という言葉をどうしても取り込まなければならなかったのである。

この曲が実はタンポポ用に作っていた曲という説もあるが、確かにそれはあり得る。99年1月20日、矢口の誕生日にタンポポ『誕生日の朝』をレコーディングしていたという有名な話があるが、それを考えれば12月の後半はつんくは本来タンポポのアルバムの準備をしていたはずなのである。その当時は狂ったような楽曲の量産はしていなかったので、時系列を考えれば充分あり得るが、この件についてはこれ以上掘り下げても何も出なさそうなのでやめておく。メンバーたちの気持ちともまったく関係のない話だ。

ただ、つんく自身も『Memory 青春の光』のデキには相当満足していたみたいなので、最初はタンポポで予定していたけど、「8人のコーラスで作ってみたかった」というのも案外一曲増えた理由かもしれない。明日香の声があるうちに8人のハーモニーを完璧に作ってみせたかったというのなら考えられるな。声フェチのつんくだけに。

ちなみに、つんくは大晦日に紅白を見ながら徹夜で『Memory 青春の光』のトラックダウン作業をしているが、その完成の喜び様はかなりのものがあったようである。

お笑い芸人 アンバランスの日記
ttp://www006.upp.so-net.ne.jp/kurokin/thunku-watching010.htm

徹夜明けのつんくが取り巻きの芸人たちを電話でかき集め、さんざん酔っぱらったあげく完成したばかりの『Memory 青春の光』を聴かせちゃうあたりなんか、普段のハロプロ仕様のつんくには見られない感情の出しっぷりで、なかなか楽しいし、暖かい気持ちになった。よほど『Memory 青春の光』の完成がうれしかったのだろうなと。つんくはこの後娘。たちの新春コンサートが終わるとニューヨークへ飛び『Memory 青春の光』を仕上げた。


その後の娘。たちは『Memory 青春の光』でテレビに出つつ初の全国ツアーを回っていく。明日香卒業を取り上げたあちこちの番組で涙を流し、『Never Forget』を歌い、かけがえのない時間を過ごしたモーニング娘。のメンバーたち。

一番涙を流していたのは姐さんだっただろう。
明日香のことを『もう知らん』とまで言って怒ったクロワッサン事件。それから一年が経ち年齢差も気にならないほど明日香のことを理解できるようになった。姐さんがリーダーらしさを発揮してきたのはこの頃からじゃなかったかな。自分の立ち位置を見つけメンバー全体を見渡すようになっていったのは…

紗耶香は明日香と「ビックになる」ことを約束してた。…そういえばもうすぐ紗耶香がモーニング娘。を去ってから7年が経つ。彼女は今幸せなのだろうか。反骨精神たっぷりだった紗耶香、今はビックなママになっているのだろうか…

歌う心を大事にしていた明日香を愛したなっち。「強くなる」って約束は明日香と交わしたものだった。数々のいろんな波に翻弄され、流され続け、今に至る。でも決して芯にあるものは曲げなかった。それが今のポジションに繋がる…強くなった彼女が次に求めるものは何なのだろう。去っていた者たちのココロを知る彼女が、次に起こすことは何なのだろう。

彩っぺも、カオリも、圭ちゃんも、矢口も、

何がこの先起こっても「永遠の8人」は変わらない。
あのとき、あそこに立っていた8人は自分の心の中でずっと輝いています。




ここまで『Never Forget』と『Memory 青春の光』の成立過程の謎を紐解いてきたけど、メンバーたちが現在ある『ネバフォゲ』と『メモ青』を愛していることには変わりはなく、また自分がこの曲たちに特別な思い入れを抱いていることにも変わりはなく、この先一生付き合っていくのだろうなという意識はずっと変わらないと思う。

それなら掘り下げることに何の意味もないじゃないかと思われるかもしれないけど、自分は知りたいんだよね。当時のメンバーたちが何を考え、何に立ち向かって生きていたのかを。必死になって走っていた「永遠の8人」がずっと好きなんでね。どうしようもない懐古主義者だということもわかっているのだけど。




最後に余談を二つばかり。
『お願いモーニングコール』の放送内容表のところでこっそり入れておいた、12月3日
放送の明日香の「別れ」の推薦曲として流したウルフルズ『ある日の事』という曲。収録は『Never Forget』レコーディング前なのだけど、当時の明日香の心象風景をこの曲は表していたのではないかと思った。
ttp://www.utamap.com/showkasi.php?surl=T00122
「ポッカリ穴があいた心」で『Never Forget』を聞き、明日香が肩をふるわせる姿が想像できた、、、

もう一つ。98年9月11日にモーニング娘。8人がパーソナリティーを務めたオールナイトニッポンで放送の最後に和田さんから貰った手紙。これを聴いて8人は号泣してしまうのだけど、これを書き起こして終わりにしたい。本編とは関係ないラジオだが和田さんと旧メンたちとの深いつながりがわかるのではないだろうか。いい機会なので書き起こしてみた。


和田さんからの手紙 1998.09.11
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モーニング娘。のみんな約2時間の放送おつかれさま。マネージャーの和田です。初めての、それもオールナイトニッポンでのDJ、どうでしたか?

僕が5人のメンバーに会ってから早いものでもう一年以上が過ぎますね。はじめは一人一人別々でASAYANのオーディションを受け、グランプリを目指し、頑張っていましたよね。その後グランプリを取り逃がし、一度は夢破れ、その頃はみんなきっと普通の平穏な生活に戻ると思っていたはずです。しかしその後つんくや僕たちスタッフたちの思いつきで5人のメンバーが集められ、モーニング娘。が誕生しました。そして大変な思いをして5万枚を完売させ、見事にデビューをしましたね。

でも、その頃5人はきっと、自分の夢の理想と現実とのギャップにたぶん相当苦しんでいたはずです。その上セカンドシングルでは追加メンバーが加わることになり、きっと僕はまったく信用されてなかったんじゃないかと思います。そして追加メンバーに加わった3人も先輩のメンバーへの気遣いや歌・ダンスでのチカラの差に、言葉にこそは出さなかったけれども「追加メンバーにならなければよかったのに」その頃はそう思ったことがあるはずです。

そんなモーニング娘。も8人になってからサマーナイトタウンも順調に売れ、昨日3rdシングルを発売することができましたね。今回のシングル、出だしは好調です。みんな頑張った甲斐がありましたね。本当にうれしいです。

僕は以前ある番組で一度シャ乱Qに手紙を書いたことがあります。そのとき書いた言葉で、君たちにぜひ伝えたい言葉があります。

それは「売れてからが本当のスタートライン」という言葉です。
これは曲が一曲売れたということではなく、世の中がちゃんと認めてからがスタートという意味です。僕から君たちを見ていると今まさにそのスタートラインにつこうとしているところだと思います。
これから長いマラソンになるのか、短距離走で終わるのかは君たち一人一人が決めることです。でもこれからの道も決して平坦ではないことは確かです。でもそんな中、自分の夢をかなえ、人に感動と勇気と安らぎを与えられるアーティストに一人一人が成長することを僕は望みます。

そして、この芸能界はとても厳しい世界だと僕は思います。一枚のシングルを出したきり二度と出せない人。最初はチカラをいれてもらっていたのに売れないと途中から全然チカラをいれてもらえなくなる人、決してすべてがアーティストの責任でもないのに、一番アーティストが責任をかぶります。そんな厳しい世界に君たちを引き込んだ一人として、常日頃責任感を感じています。時たま君たちに厳しい言葉を吐いたりもしますが、それも君たちに対する責任感のあらわれだと思って許してください。

たぶん君たちに僕が何のアドバイスもすることがなくなるくらい君たちが成長する時期が、いつかはやってくると思います。そのときは僕が森高やシャ乱Qの側を離れたときと同じように、僕が君たちの側を離れるときです。そのときが来るまで目一杯頑張りましょう。

つっぱっているときより素直な時の方が素敵な 中澤
もっと自分自身に自信を持った方がいい 石黒
いろんなことをどんどん吸収してほしい 安倍
夢中になるとまわりが見えなくなる 飯田
子供なのにいろんなことを考えすぎる 福田
いつもおどおどしている 保田
出たとこ勝負の 矢口
もう少し喋る前に考えた方がいい 市井

僕はこんな楽しいみんなと仕事が出来て幸せです。
それではこれからもよろしくお願いします。

                       和田 薫

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