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さて、今回で3回目の『Never Forget×Memory 青春の光』となる。今さらこんなことを書いていても、もはや需要がないとも思うが、これはまあ自己満足の部分もあるしね。もし読んでくれた方が、当時のことを思い出して、当時の物語を懐かしんでくれたりしたら、それはそれでうれしいです、はい。あ、あと左の画像には意味がないので(笑

今回は時間的な説明が多すぎて非常に分かりにくいかもしれないので、もし娘。年表とか持っている方がいたら見つつ読んだ方が分かるかも。なにしろ自分も年表とにらめっこしつつの更新作業なので。

それと…案の定3回で終わらなかった(汗


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Never Forget×Memory 青春の光 再考(1)
Never Forget×Memory 青春の光 再考(2)

上記2回の続き。



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つんくの元には4thシングルはモーニング娘。解散時にも使える曲として企画および発注が来ていたはずだ(9月頃)。普通に考えるとこの時期は3rd『抱いてHOLD ON ME!』がオリコン1位を取りその後の売り上げも順調に推移していたので解散という想定はほとんどしなくてもいい。ただ、『モーニング娘。×つんく♂』において「98年の紅白に出て解散する予定だった」とつんくが言っているので(真偽のほどは定かでないが、嘘ならわざわざ言及する必要性がないので、自分はこの説を信じる)、まだこの時点では確定していなかったといえる。なぜならモーニング娘。が紅白に出場するには『抱いてHOLD ON ME!』によるヒットと、それによる世間への浸透がまだ必要な時期だったからである。現在のように名前で出場できるようになるのはまだまだ先のことだ。4th企画段階の9月では解散を含んだ状況であったが、『抱いてHOLD ON ME!』のヒットが長続きして10月を迎え、ヒットによる紅白出場が見えてきた…10月下旬あたりが解散するかしないかの、事務所側の確定の時期だろう。つんくは紅白出場は解散への道と聞かされていたのかもしれないが、すでにこの10月下旬では事務所側にとって紅白出場が存続への道だったのかもしれない。

その理由として、事務所側がASAYANや関係各所との調整が終わったのが10月下旬頃だと捉えて考えてみる。ASAYANはタンポポの3人目のメンバーを選ぶというつなぎ企画が行われていた時期であり、UFAとしてはその後に太陽とシスコムーンのオーディションに入る。太シスのオーディションはDDIポケットのCMソングを歌うグループの募集だったが、これはASAYAN絡みの電通サイドが持ってきた企画だった(推定)。徐々に「つんくプロデュース」という名目が浸透し始め、それが商品価値を生みつつあった時代である。出る杭は叩かれないように、あるいは得た利益を分配してさらに利益を出せるように、そういった各所との関係の再構築をこの時期UFAは行っていたのではないか。もっといえば、どうにかしてモーニング娘。の主導権をUFAに取り戻そうとしていたとも言える。

調べていて非常に分かりやすいことを見つけた。
つんくプロデュースのモーニング娘。の楽曲の版権は、作詞作曲者であるつんく、それとアップフロント音楽出版、それからテレビ東京ミュージックの三者が持ってることがほとんどである。これがほぼ確定したのが『ハッピーサマーウェディング』以降のこと。例えば面白いことに『愛の種』や『モーニングコーヒー』はアップフロント音楽出版が版権を持っていないし、初期のイベント等で歌われた佳曲『未来の扉』も同様で東京エフエム音楽出版が持っていたりする。それでもほとんどの曲は先のつんく・UFA・テレ東で分け合っているし、シングルに関していえば2nd、3rd、5thも同様である。

さてそれ以外はどうだったのか、この時期のソロ活動への準備かもしれなかった楽曲たちを振り返ってみる。

中澤裕子『カラスの女房』
作詞 荒木とよひさ
作曲 堀内孝雄
公編 川村栄二
出版者 テレビ朝日ミュージック

タンポポ『ラスト・キッス』
作詞 つんく
作曲 つんく
出版者 日音

4th『Memory 青春の光』
作詞 つんく
作曲 つんく
出版者 アップフロント音楽出版
出版者 電通ミュージック・アンド・エンタテインメント

タンポポ『MOTTO』
作詞 つんく
作曲 つんく
出版者 アップフロント音楽出版
出版者 東京エフエム音楽出版 株式会社

98年後半に作られた楽曲だけ通常のパターンで版権が分けられていないものが多い。このあと99年の後半にも吉本音楽出版が絡んでくるパターンが出てくるのだが、JASRACで版権を調べていると、ちょうどいろいろと噂のある時期と版権が通常パターンにならない時期とがかぶるので、やはり何かあるのかなと想像せずにはいられない。『ラストキッス』の日音というのは100%TBSの子会社で、とすると、うまくテレビ局で分けたものだなと。ただ、フジは元々コネクションがあるから問題ないとしても日テレは?という疑問は残る。その辺は電通と日テレの微妙な関係があるらしいが、自分は業界人ではないので深く掘り下げられない。どちらにせよ、この時期に各所と調整を行っていたというのは間違いなさそうだ。


話を戻して。
つんくが明日香のところに連絡した10月16日、つんくは自分のところに来ていない情報を探ろうとして電話したのではないか?そんな考えがふっと浮かんでしまった。その日のミュージックステーションのパフォーマンスを誉めるというのはたまたまであって、現場のスタッフの様子、メンバーの様子を探って、何か動いていないかを聞きだそうとしたのではないのだろうか。「一番冷静にモーニング娘。を見ていた」とつんく自身が語ったように、しかし13歳の女の子とあって与し易いと考えたのでは。

これはもう本当に妄想の範囲でしかないが、楽曲プロデューサーとはいえなぜ13歳の女の子のところに29の男がこんな時間に電話したかがずっと疑問だっただけに、その理由が気になっていたのである。事務所で会う機会はいくらでもあるだろうし、メンバーには手を出さないと言っているつんくがなぜこうした行動をとったのか? ましてや10月の始めにはシャ乱Qのメンバーが女子高生と問題を起こして謹慎処分になっているのである。そんな中、電話で直接連絡するというのは、つんくに余程の理由があったのだろう。解散するかしないのか、どう4thを作ればいいのか、情報が少なくやきもきしていたつんく像が自分の中では浮かび上がってきた。

この時点での電話が嘘だという憶測も成り立つが、それだとやはり嘘をつく必要性が見つけられないので、それはないように思う。細かくなるので詳しくは書かないが、この日に電話があったと考えなければ、その後の明日香やつんくや和田さんの言動すべてがおかしくなってくるし、メンバーがこの曲を愛した意味も分からなくなってきてしまう。そういう意味では、内容はともかくつんくから明日香への連絡はあったと捉えて間違いなさそうである。


事務所やASAYAN側、つんく、和田さん、メンバーたちの置かれた状況をここまでざっと振り返ってきたが、いよいよ4thの制作段階に突入する。旧メンたちがこだわり続けた4th『Memory 青春の光』である。ここでは以前から支持している4thシングルは本当は『Never Forget』で、本来はその曲のタイトルが『Memory 青春の光』だったという説に基づいて話を進めていく、ただし以前と微妙に自分の解釈は変わった。大筋では変わらないけど、微妙な時系列の間違い等があったことに気付いたもので。

改めてここまでの4thシングル作成開始(10月中旬)頃までの過程をまとめると、
・9月企画段階では、可能性としてモーニング娘。解散含み
・本体の歌に関してはなっちと明日香が中心(彩っぺの発言や姐さんの回顧録による)
・カオリ・彩っぺはユニット、姐さんはソロ、UFAは4th後の展開をすでに模索している
・つんくの元へは4thは解散含みの曲で企画提案(以上9月)
・つんくが4th制作に入ろうとした段階で、すでに明日香の脱退意志をつんくは知っている
・事務所を通した明日香脱退の正式決定は12月上旬(ASAYANの和田さん発言による。ただし『5+3-1』を読むと11月にほぼ決まっていたのは確かなようだ。明日香脱退を反対していた明日香の家族への説得は事務所が行っている)なので、現場関係のスタッフたちは10月中旬の段階では9月に決定した計画で動いていると思われる
といったところだろうか。


さて、明日香は1999年4月18日の最後のコンサートの時に「つんくさんが、卒業する私と、卒業を見届けるメンバーの気持ちを詞とメロディーにのせて作ってくれた」と言って『Never Forget』を紹介している。『もうひとりの明日香』の中では「わたしにとっては特別な、大事な歌なんですよ。ここまで、自分の置かれている状況とか気持ちにピッタリの曲は初めてだし。モーニング娘。にとっても、そうじゃないかと思うんですよね」と語っている。

つんくが10月下旬あたりから作り始めたこの曲は、つんくの中では解散を想定した曲ではなかった。求められていたのは解散に使える曲であったが、つんくはそれをうまく利用して明日香脱退のための卒業曲を作ったのである。逆に曲作りのアイデアとして明日香の脱退を使ったともいえる。これはどちらが先ということでもなく、方向性が一致したのだから問題はないだろう。自分が以前書いた説では、この時点でつんくは解散用の曲を作っただけだと書いたが、それだとこの曲を明日香が愛し、メンバーたちが大切にしていた気持ちに対して、曲の応える気持ちが弱いなという気がしていた。解散向けの曲という体裁を取りつつも、明日香の脱退のために言葉を選んで作ったからこそ、歌われたときにメンバーたちもみんな気持ちがこめて歌うことができたのではないだろうか。矢口や姐さんはこの曲のイントロが流れ始めただけで泣いていたっけ…

この曲でずっと気になっている歌詞がある。

「東京で見る星も
 ふるさとでの星も
 同じだと教えてくれた」

これを書いている時点でつんくは明日香の辞める意志を知っている。でもこの曲が明日香のソロになる予定は制作段階ではない。しかしこの部分の歌詞は間違いなく明日香個人へ向けて書かれたものである。東京に暮らしていた明日香と地方から出てきたメンバーたちの交流を描いているのだ。

この時点での4thはなっちと明日香がメインになる予定だったことは何回も書いた。姐さんの『ずっと後ろから見てきた』では「いつもと雰囲気が違う感じがする。どうも『一斉スタート』ではないような……。“あれ、あの子もしかしたら先に音もらってた? 先に別の日に歌入れした?”みたいな」と4thレコーディングを振り返っている。また、タンポポがASAYANに初めて登場した時にも彩っぺが「モーニング娘。のメインは、なっちと明日香」と言っているので、モーニング娘。本体の音作りの基本部分というのはこの4thでは「なっちと明日香である」と制作前から衆目の一致するところであった。

つんくはビジュアル的な想像もしながら曲を作っていたはずだ。この歌詞を明日香が歌っているときに横に立って歌っている人影も想像しながら書いているはずである。当然そこにはなっちの姿があるのだが、調べていると10月8日のラジオ『お願いモーニングコール』の中でなっちは明日香に「室蘭は星とか月がきれいなんだよ〜」と話しかけていたことがあった。これを聞いて、この部分の歌詞が明日香からなっちへ向けた言葉として書かれたものなんだと改めて思った。明日香が辞めるにあたってなっちに『Never Forget』を今後はなっちに譲ると言ったことも、ずっと後になって2001年のベストアルバムに『Never Forget』が収録された際、この曲の歌詞カードのページになっちと明日香二人の顔写真が飾られたことも、さらに圭ちゃんが卒業するときに最初この曲を歌うことを躊躇ったのも、コンサートでなっちから圭ちゃんに「圭ちゃん頼んだよ」と託されたことも、すべて曲が作られた時の背景があったからなのだ。

ちなみに、1999年4月18日のコンサートが終わったあと、抜け殻のようになってしまったなっちを見たからなのか「ふるさとに帰してあげたい」と6thの制作に繋がっていくのはまた別の話。また、なっちがその後「星」や「月」に特別な意味を持たせていくのも、それもまたずっと後の話。









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今回はここまで。
次回ようやく4thレコーディングに入れます。
日をおいて、また。