何か新発見と見落としはないものかと思いなっちと明日香の『お願いモーニングコール』を聞き直している。しかし新発見はあったものの回数多過ぎて聞き終わらず。
それにしてもこのラジオは面白いな。微笑ましいラジオで。生意気明日香とそれに翻弄されるなっちのコンビネーションが懐かしい。回を重ねるごとに息が合っていくのがわかるからそれも楽しい。
それにしても「抱きしめてあげようか」だの「結婚しようっか」だの「家においでよ」だの、なっちの明日香への誘いっぷりが萌える(笑 一時期のなちまりっぷりも真っ青。

ラジオを聞いていて気になったことがあったのだが。
1998年11月24日の『お願いモーニングコール』の中で「感謝状」という企画があって、なっちは矢口への感謝状を読んでいるのだが、明日香はマネージャーの木村さんという人への感謝状を読み上げていた。この木村さん(当時38、9歳。明日香言)の正体は誰だろうなあとアップフロントの人事を調べていたら、木村守利という方にぶちあたる。
アップフロントグループの株式会社ワンボイス(平成16年4月1日株式会社アップフロントプランニングに事業統合)の取締役を務めていた方だが、この人が当時の木村マネージャーなのだろうか? 木村守利氏は市井復帰時のFOLK SONGにもペドラー代表(アップフロントグループのコンサート・イベント制作会社)として名を列ねた人で、俄然興味をおぼえる。さらに調べていくと、この木村氏は昔にスターダストレビューのマネージャーもしていたらしく、98年11月5日に発売されたスタレビのアルバム『Moody Blues』(発売当時スタレビはアップフロントのデニムプロモーション所属)に彩っぺが参加したのはここいらへんの事情も加味して良いのかなと。

スタレビは翌99年8月に『どうして』という曲を発売しているが、これは新富良野プリンスホテルのCMソングだった。CMでこの曲がいつから流れ始めたかは不明だが、発売時期を考えると99年初夏頃だったと考えられ、時期的には『ふるさと』のPVが美瑛の丘で撮影されたときと一致する。あの周辺で芸能関係者が使う宿泊施設はほぼ新富良野プリンスホテルしか考えられないし、99年のあの事故の前のカントリー娘。と花畑牧場、それとぜんりんのグリュック王国・フェーリエンドルフとの関係を見たりすると北海道で何らかの事業展開をアップフロントはしようとしていたのでは?と疑いたくなってきた。ハロー内に北海道出身者が多いのも、それならうなずけることなのではないかと。ハワイでのハローの活動とコーヒー園の事業展開の連動性と同様のことを北海道でやろうとしていたのではないか? カントリー娘。とココナッツ娘。を同時期に立ち上げたのも、芸能活動とは別の事業展開の一環であったのかもしれない。そのあたり、その後の花畑牧場やりんねの去就とも関係がありそうでもう一度探ってみようと思う。2002年にグリュック王国が危機的状況に陥り翌2003年に閉園に追い込まれていること、またぜんりん地所建設と不動産業を営むと言われているりんねの父親との関係、りんねがポーランドを訪れていることがあるからオーディションに受かったのか?など(グリュック王国は隣国ドイツのテーマパーク)、気になることはたくさんある。

そういえば。
里田が帯広出身という情報が最初の頃出回っていて、これの出所がよく分からない。今では札幌出身で落ち着いていると思うのだが、なにしろ里田のカントリー娘。オーディション時の映像は消してしまったので確認しようもなく… あれ?5期オーデの方に里田の映像はあるんだっけか?(4期オーデの映像は見たけど特に気になる点はなし) 会長曰くの「里田は愛人のイメージ」(byヤンタン02.03.23)の真意がいまだわからないので悩む。まあほとんどあの方の言動は自分にはわからないけど。

自分的メモでもう一点。里田を採用したカントリー娘。のオーディションは2001年の10月くらいに始められたものだと記憶しているが、同時期にカントリー娘。の所属が田中義剛を擁するクーリープロモーションからギャラクシープロモーションに移動しているのは何か関係があるのか? この先どんどんクーリー所属のタレントは減っていって田中義剛だけになるが、この01年の10月というのはりんねが悩み始めた時期でもあり、アップフロントエージェンシーからアップフロントグループへの組織改編があったときでもあるので、何かあるのかなあと疑問を持つ。そうそう有賀さつきって2002年の3月31日まで所属してたんだなクーリープロモーションに。退職と同時にデキ婚。同時期に里田が加入。イメージねえ…うーん(謎 あ、変な意味はないよ、念のため。理解不能の「うーん」なんで。


とりとめもなく妄想炸裂でございました。また。