今日は5月5日からの続きなので、前回の更新を知りたい方はこちらからどうぞ。

今日も相変わらず脱線ばかりで本編になかなか入れず終わらない。
自分的には新しい発見もあったりして、ゆっくりとしながらも楽しい作業になっているのだけど。

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この時期からモーニング娘。はソロ活動も多くなっていくのだが、これが解散に向けての準備だったのかは想像の範囲でしかない。姐さんは演歌活動があり、カオリは8月下旬にユニットデビューを伝えられ、一人で『ラストキッス』のレコーディングも行っている。明日香はなぜか名古屋ローカルのテレビ番組にソロで出演したりしていた。9月に入ると明日香のCDでーたへの連載、なっちと明日香のラジオ、タンポポのユニット活動等の仕事が続々と決まってもいる。12月に4thシングルを出すことも同時期の決定と思われるので、これが解散(かもしれない)のためのシングルだったという可能性は充分にある。

現在はまだ検討中and調査中なのだが1998年9月でもってASAYANの打ち切りという可能性もあった。これと解散との連動性を考えているのだが、これはまだ頭の中でまとまっていない。 この年の10月から12月末まで、それまでASAYANのアシスタント務めていた永作博美に代わって中澤・安倍・福田・矢口が交替交替でアシスタントを務めていくのだが、これがどうも腑に落ちない。永作博美の降番理由が「10月以降の予定が入っていたから」というが、これは番組終了が決まっていたからスケジュールを押さえられなかったのか、それともモーニング娘。のメンバーにアシスタント活動させるために永作博美に降りてもらったのか、そこいら辺が時期が時期だけに微妙なところだ。ただ、その後ASAYANで娘。たちがアシスタントを務めたのは岡村が番組収録中に骨折した時だけだから(姐さんと市井)、ASAYAN側が無理して娘。メンバーをアシスタントとして使いたかったというわけではないのだろう。となると1999年から中山エミリが登板するまでの3ヶ月間のアシスタントをきちんと決めなかったという疑問はどうしても残る。

「いいんですか!?…いいんです!」でお馴染みの川平慈英がナレーターを努めたのは1998年の春までで、その後松尾貴史にバトンタッチする。松尾氏が登用されたのは、前年にシャ乱Qが主演した映画『演歌の花道』に出演したこと、ASAYANの構成作家・鮫肌文殊氏との関係があるからだと思われる(鮫肌文殊は松尾貴史に勧められて1990年に上京している)。小室哲哉との関係も含め、1998年のASAYANの内情は微妙な時期であった。元来が寄り合い所帯で、電通や吉本との関係も不明瞭なASAYANである。吉本興行(製作)―小室哲哉―AVEX(スポンサー)というラインとモーニング娘。に本格的に関わっていきたいアップフロントとは微妙な駆け引きがあったはずである。元々が小室哲哉の休養期間の代替企画として行われたロックボーカリストオーディションであるから、ブームを巻き起こしたモーニング娘。の商品価値が高まるにつれ、関係各所同士の調整は複雑さを増していった。先のことを書いておくと、1999年中頃からモーニング娘。を取り巻くUFA、ASAYAN、吉本、電通の関係は急速に悪化していき、2000年3月に破綻をおこすというのが定説となっている。また、石黒・市井の脱退やなっちのソロ活動計画中止はこの件との因果関係があると今となっては思われる。

スタッフのことを調べていて一つ思い出したことがあったのでさらに脱線する。
ASAYANのディレクターを務め、その独特なテロップの入れ方で強い印象を残したタカハタ秀太氏。『LOVEマシーン』のPVのディレクターを務めたり、姐さん卒業時の名番組『BS中澤SP』を作ったことでも有名だが、このタカハタ秀太氏、結婚相手は元C.C.ガールズの藤原理恵だった。藤原理恵といえばASAYANでは『文句があるなら来なさい!』でお馴染みのRie ScrAmbleである。そんなに大ヒットしたわけでもなかったのに、ASAYANでこの曲が多用されたのは、ここいらへんの男女関係があるのかもしれない。この曲は彩っぺが札幌のオーディションで歌い、スタジオ審査の第二段階では青木朗子、高口梓、平家充代の3名が歌っている。

1997年ロックボーカリストオーディション時の選曲についてもう少し。先のRie ScrAmbleの他に頻繁にあらわれるのが工藤静香の曲である。これは当時シャ乱Qのはたけが工藤静香に楽曲提供を行っていたからだと思われる。スタジオ審査の第一段階では彩っぺがはたけ作曲で発売されたばかりの『Blue Velvet』を歌っている。また、はたけ作曲ではないもののスタジオ審査第二段階で明日香が『激情』を、姐さんが『めちゃくちゃに泣いてしまいたい』を歌っている。ただ元々明日香の得意な曲として『激情』が入っていたので、これは偶然で思惑が一致したのであろう。姐さんはスタジオで歌いたい曲、得意としている曲をアンケートで複数回答しているが、唯一と言っていいほどそれらの楽曲を歌わされていない。松たかこの『明日、春が来たら』を唄いたいと書いたのは姐さんであるのに、実際にスタジオで唄ったのはカオリだった。

1997年の8月30日にシャ乱Qが主演する映画『演歌の花道』が公開されるが、この制作はフジテレビであった。この時分のシャ乱Qの活動は当然、フジ絡みのものが多くなるのだが、この映画がクレイジーーキャッツの映画を連想させる作品であるのは、前述のナベプロとの関係が何かあるのだろうか。また、オーディション進行時にはこの映画の撮影期間でもあったが、同時期のフジテレビは『ひとつ屋根の下2』の高視聴率にわいていた。このドラマの挿入歌『ひだまりの詩』は彩っぺがスタジオ審査の第二段階で歌い、主題歌の『サボテンの花』は99年の7月にメンバー全員で歌っている。

その昔、自分が尊敬している方が書いた妄想小説の中に、彩っぺが裏でASAYANスタッフの指示を受けつつモーニング娘。の流れを作り出す役柄を演じていたものがあったが、オーディション時に歌った彩っぺの楽曲を考えると、どうもASAYANの裏の意向が見えかくれして、その妄想小説の設定も強ちあり得ない話ではないと思った。ASAYANで始まりASAYANで終わると晴れ晴れとした顔で言った彩っぺの真意はどこにあったのであろうか。先述のASAYAN内部での混迷が極まっていた時期だけに、彩っぺとASAYAN、その後のUFAと彩っぺの関係を考えると面白いものがある。

フジテレビの一部スタッフとの関係は和田さんとのつながりがあったとはいえ、菊地さんが『LOVEマシーン』のPVに出たりするほどまでのASAYANとの蜜月理由がいまいちわからなかった。が、いたって単純なことに気がつく。ASAYANとフジの主だった音楽番組の収録はスタジオが一緒だったのだ。東京都世田谷区砧にある東京メディアシティでASAYAN―K-1スタジオ、フジテレビ―A-1スタジオという違いはあるものの、スタッフ同士が情報を交換しあったり、食事を一緒にしたりする機会は多々あったはずだ。ましてやHEY!HEY!HEY!の制作には吉本も関わっている。初期の頃のフジとモーニング娘。の友好関係の謎がようやく解けた気がする。ちょっと考えればわかることだった…


話は戻って。
1998年10月中旬、4thシングルは年末だと情報が流れる中、10月16日を迎える。この日の明日香とつんくは2時間近く話していたという。Mステ終了後のことだから、明日香が自宅に帰ってからの電話だとすると12時は超えたであろう。「社会科の勉強がしたい」ということだけがクローズアップされて一人歩きしてしまっているけれど、このとき明日香はけっこうきついことをつんくに言ったのではないか。もちろんつんくはある程度の大人であるから受け流すことは出来ただろうが、このときのことを思い出して話すつんくの言葉の歯切れがいまいち悪いのは、明日香との会話にかなり言いづらいことも含まれていたからではないかと思う。ASAYANの中でこのときの会話の中に「音楽とはなんぞや」という内容があったことをつんくが証しているが、明日香の数々の発言を考えると相当原理主義的なことを言いそうなので、つんくにとっては耳の痛いことだったのではないだろうか。

「オーディションを受けてたときの気持ちを、忘れてるような気がしたんですよ。デビューを前にして5人で頑張ってたこととか音楽を好きだっていう気持ちが、なんだか全部なくなっているような気がして」

『愛の種』の手売りに入る直前、不安を抱えながら毎週末に活動していた5人がつんくに呼び出されたことがあった。プロデュースの約束をしておきながら、レコーディングには一切顔も見せず、名目だけのプロデューサーだったつんくであるのに、その時コトもあろうにメンバーたちに説教を始めたのである。髪を切ったことを「それがなに?」と言われ、全部ASAYANのため、モーニング娘。のために捨てる覚悟で臨んでいた姐さんは内心ぶちきれいてたと随分後になって明かしている。それまで素人の自分たちのために必死になって動いている大人たちを見てきて、罪悪感や不安感を抱えていたメンバーたち。目の前で大仰に足を組み片ひじをつき、それまでのいきさつを一切知りもせずに偉そうに説教をしている人間を見て、普通の人間はどう思うだろう? VTRを見返してみるとメンバーたちの表情がすべてを物語っている。

つんくはつんくで自分から説教をしたかったわけではなく、番組の演出上仕方なかったのだろう。適当に喋っていただけあって、今改めてあのシーンを見返してもつんくの言っていることは半分も理解出来ないし納得もできない。泉正隆氏のダメ出しとは言葉の重さが違うのだ。ただ、つんくの説教の後半部分には自分の言葉で喋っているなと思える部分があった。

「流されていく。流れにのっていく。自分を捨てる。様子を伺う。(これらは)つい自分の意志が出てしまうから難しい」

これは生き方の一つとしてはやり通せれば充分尊敬できるし、実際つんくは現在までそうしてきていて、それはそれでケチをつける気もない。人間は社会で生きていくために妥協は必要だ。ただ、先のような考えを持っていた明日香に、つんくは説得できるだけの言葉を持ち合わせていたのだろうか? 明日香の求めていたことは理想論に過ぎない。が、その理想を求めていた13歳の女のコに彼は何と答えたのだろうか。明日香は社会科の勉強を求めていたわけではない。理想と現実のギャップの大きさに精神的な限界を覚え、普通の13歳のコが学ぶ普通の社会生活の勉強をしたくなったのだ。辞めた後に忙しいメンバーたちに会って、自分は逃げた人間だからと罪悪感を感じたのも、こういった背景があったからだと思う。

つんくは『もうひとりの明日香』の中でこう語っている。

「福田はほめられてもあまり喜ばないし、怒られたからといってガックリへこむわけでもない。確かに、これは当たり前の反応ではないかもしれない。でも、あいつは『自分の中の満足感はどこにあるのか』ということを突き止めていたのだ。だから、自分が満足していないのに誉められてもそれは喜びではないし、怒られたとしても自分が納得して出来ならば決して動じることはない。福田はそういう自分を好きだし、そういう自分でしか生きられない。俺は途中からあいつにあまり口を出すことをしなくなった」

この発言が10月16日の二人の会話を現しているように見える。仕事ではなく、生き方が決して理解し合えないことを二人は分かっていた。しかしその関係を二人は好きだった。「音楽を一緒にやる仲なんだから、普段の会話で盛り上がらなくってもいいじゃん」という考え方の持ち主だった明日香だから、つんくはそれなら従来通り音楽プロデューサーとしての期待に応えるのが自分の果たすべき役割なのだと考えたのではないか。それが明日香への最良の返事である、と思い4thシングルの制作に取りかかっていくことになる。









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今回はここまでで。
2回で終わらせる予定だったのにどんどん伸びてく(笑
次回はようやく4thに入れるな。