吉本興業SSMブログ 『燃えろ!番組制作部』

泉正隆氏が先日のさいたまスーパーアリーナを訪れていたようで。

「やっぱりちょっと寂しいわぁ〜。もう俺のことを知ってるメンバーが誰もおらんくなったし・・・。」

このブログだと泉氏はASAYANのプロデューサーとしか紹介されていないが、モーニング娘。はこの人がいなければ誕生しなかったといっても過言ではないことを今はどれだけの人が知っているのだろう。ちょうど今調べていることと重なったので気持ちが入り込んでしまっているが、97年や98年にアップフロントが本腰を乗り出す前にモーニング娘。を作り出していたのは泉氏やタカハタ氏をはじめとするASAYANスタッフ、それに電通のグループ、アップフロント社長から起業を命じられ新たにハーモニープロモーションの立ち上げ準備をしていた和田さんであったのだ。

泉氏というと、『愛の種』の全国PRキャンペーンで北海道のローカル番組の告知が終わったメンバーに痛烈なダメ出しをしたことで知られる人物である。そう、なっち卒業時のハロモニ特集で、VTRの泉氏の発言になっちが大きくうなずいたシーンを思い出す方もいるだろう。このときの泉氏は和田さんもついていかなかった札幌-福岡-大阪と回る『愛の種』PRキャンペーンに同行して、モーニング娘。を監修し指導していた。また、『愛の種』のレコーディング時、姐さんをスタジオの裏に呼び出してソロがなくなるかもしれないときつい言い渡しをし、髪を切るきっかけを作った人でもある。

姐さんは「モーニング娘。中澤裕子として頑張る」出発点であると言っていた。

「あの歌は自分たちのことを書いてもらっている歌だから、あの詞の中の女の子になりたかった」

サエキけんぞう氏によれば、『愛の種』はレコーディング中のスタジオでもたびたび歌詞を直して大変だったらしい。これが泉氏の指示だったのかそれとも和田さんの指示だったのかその辺はわからないが、スタッフたちの苦労も見えるから、それが心苦しくてなんとか応えたいという思いがあった故の行動なのだろう。

そういった初期の事情、いや、和田さんにロックボーカリストオーディションの企画を持ち込んだ96年頃末頃からのすべての事情を知っている人が訪れて、こう語ったのである。

初期の功労者がこうして見届けてくれたことに自分は感謝したい。
ただその気持ちでいっぱいである。