Submarine Dog

2007年05月

小湊さんがブログでサンフランシスコ行きを宣言しているようで。
「メンバーと行きたいなあ」って泣けてくるね。
http://kominato.jugem.jp/

小湊さんはASAYANのビデオを持っていないそうで、実は太シス関係のVTRは自分のところにもない(汗 もちろん当時は全部見てたし録ってたけど、その後2000年後半あたりにいろいろあってASAYANは全部失っているのでね、、、 りんねがカントリーのオーディションを受けてたときの『アイさが』とかも全部失っているんでねえ、全ては記憶頼りなんだな。

りんねは自分の出てた“牧場”での『アイさが』は全部持っていたと言ってたが、やっぱりこういうのは基本的に家族も含め自分自身で録画しないとダメなのかな? …とすると、旧8人たちもASAYANのVTRは持ってないのかもしれないな。もちろん家族は録っているだろうけど、本人たちは所持してないっぽい。

プレゼントとかでこの頃のVTRを渡したら喜ばれるだろうね。写真とかも。とりあえず小湊さんがとっても喜んでくれるのは間違いない。



99年ネタ。

・太陽とシスコムーンオーディション。
サンフランシスコでのチーム分け「サンフラン」と「シスコムーン」。オーディションの途中でチーム替えをしているのだが、それを「シャッフル」と呼んでいる。これが後のシャッフルユニットのネタ元か?

・太陽&シスコムーンのデビュー曲「月と太陽」。
「月」??? つんく、太シスで宇宙関係の発言多し。

・太シスのメンバー選出は稲葉・小湊・信田が先行。後からルルが追加。これが中国進出計画の先がけ? 前年12月のモーニング娘。の上海行きと関連性は?

・99年初夏から夏にかけての姐さんの10円ハゲとストレス。稲葉のあっちゃんの演歌キャンペーン帯同も理由か?



(妄想)

99年の事務所の北海道・ハワイ・中国進出計画は概ね芳しい成果をあげることが出来ず破綻する(ハワイに関してはコーヒー園の事業は落ち着いているが)。芸能活動によって各方面での事業展開に役立てようとしたが、芸能活動での結果がUFGの理想的な方向に行かなかった。カントリーもココナッツも太シスもメンバーとの思惑がズレ過ぎていて、結果としてメンバーほとんど辞めることになっている。

最近になり、花畑牧場は事業拡大が成功し売り上げ増が顕著に現れている。ハワイ関連ではハワイツアーによる旅行会社や現地企業とのタイアップが成功し、以前より格段に現地との結びつきが強まった。また、キャシー中島のハワイアンショップも順調に国内で店舗数を増やしている。中国関連では最近中国人二人がモーニング娘。に加入し、これから何かしらの動きが見えそうである。99年に短絡的な考えで出発した事業拡大計画は紆余曲折を経て、8年経ってようやく軌道に乗ったようだ。

ファンとメンバーにとって必要性のあった他のユニットがあっけなく終わっていく中、カントリー娘。とココナッツ娘。は一人になってもユニット名が存続し続けた。解散させずに今なお続く理由、それが最近ようやくわかってきた気がする。「名」だけは残しておかなくちゃならなかったんだなと。「実」はなんだって良かったんだろうな、きっと。だから今ひとりぼっちになったアヤカと里田はすごく事務所にとっちゃ重要なんじゃないだろうか? アヤカが芸能活動を続けられている理由ってのも少しづつ見えてきた。里田が北海道での仕事を増やしているのもなんとなく「ああ」と納得出来る。「カントリー」と「ココナッツ」はこの先いつでも使えるようにしておくために続けなくちゃならないんだなと。

それと、これに付け加えて、ハロマゲドンの意味も少しづつ分かってきたというか… あれの目的ってのは長らく謎のままだったと思う。99年に成功しなかった事業展開を、その後ASAYANと吉本と電通あたりとの癒着状態を断ち切って権利関係の整理を行い、再チャレンジしようとしたのがあの時期ではなかったのかなと。もちろん他にも複雑に理由は絡み合っているだろうけど。

理由の一つとして、アイドルの寿命が長くないってことはUFGだってよくわかっていることだし、人気に左右されないでタレントたちが安定した収入を得る方法をUFGは模索していたのではないかということがある。興行を増やして稼ぐやり方はヤンジャ時代からのUFAの伝統ではあるけど、それが出来るのは若い人たちだけでしかも客を呼べなければ意味がないんだから、自ずとそのやり方の限界は見えてくる。コンサートやグッズの売り上げとは別に比較的安定した収入をタレントたちにもたらすには、現在行っているような会場やレストランと提携した地道な活動が重要なのだろうなと。

また、UFGの料理関係の店をハローのメンバーで使ったりテレビで宣伝したりしていたのは料理店側だけじゃなく、タレント側にもメリットのあることなんだなと。UFGが狙っていたのは相互依存ってカタチなのだろう。そうすればタレントの囲い込みもできるし、宣伝がタダでできて事業拡大もしやすいし、メリットが多い。

いろんな意味で安定した事業にしようとのUFGの思惑があったのだとしたら、一発勝負を好み不安定なテレビ業界とコネが多い和田さんが外されたことや、「ビックになりたい」と言っていた紗耶香のコトの顛末や、素朴な牧場にこだわり続けたりんねの離脱というのは当然の結果だったと言えるのかもしれない。



ちょっとまだ頭の中でいろいろとまとまってなくて見切り発車で書いてしまったのだけど、ここをいまだに訪れている方たちには伝わったのだろうか? 変な文章で申し訳ない。また日を改めてまとめますので、今日はこれくらいで。

岩佐真悠子と長谷部優って、加護と大沢あかねくらい似てません? と、しょーもないことから始めてみる。


〈金曜日〉の件は読んでみたけど、どうも反応のしようもなく。男女関係に関しては流れていた通りのキャラであったわけだし、組織が一大事ってときに、それをそっちのけで個人プレイに走れるのも、まあ言われていたまんまの行動であったわけで…そこいらへん、6年くらいの芸能生活の中で何も変わらないでいられるってある意味すごいよなと。ああ、これは嫌味に聞こえるかな…

まあでも、相手に関しては「よりによって」って感じで。相手の本当の性格や思いってのは知る由もないけど、芸能界って目で見れば「何で自らの商品価値を下げるの?」としか思えない相手なんで。今まで数々の噂があるからねえ… そういう噂と同列に扱われる道を彼女自ら選んだってことだからね。そういう覚悟を持って自分の性格を貫き通し、幸せになってなってくださいまし。

UFA的には相手が吉本ってのは今の時期かなりきついだろうなと。UFA側から強くは出れないだろうなあ。ボスたちの苦悩が想像できるけど、意外とこれで交渉を重ねているうちにコネクションが出来て、不自然にハロメンのテレビ露出が増えたりするかもしれない(笑) そういえば、最近ハローのメンバーの日テレ系番組へのゲスト出演決定が続いていて、かなり疑問がある。不思議だなあって感覚でしかないので、今はまだそれが何とは言えないのだけど。

まああとは、個人でやっている人たちはともかく、グループでやっているメンバーたちには何か目標を持たせてあげたら?ということ。たぶん以前にも似たようなことを書いていると思うけど、自分たちがなんのために頑張っているのか、なんのために歌やダンスの技術を磨いたり、ストレスの多い仕事を続けているのか、そういったことを考えられる仕事を入れてみた方がいいのではないだろうか? きっと、ただ目の前にある課題をクリアすることに必死で、そればっかりの毎日で、そういった先の見えない生活ってのは逃げ出したくなるんじゃないのかな。それで何かにすがりたくなってしまう気持ちは分かるし。何か具体的な目標を持って臨んでみるのは悪いことじゃないと思うのだけど。

ガキさんなんか「手売り5万枚」の課題とか出したら「死ぬ気でやります!」とか言いそうだけどなあ。ハロモニで街をぶらぶらしているだけだったら、街中に出て手売りしている姿を追いかけた方がよっぽど面白いと思うのだけど。ま、電波少年やASAYANみたいなノリを自分が好きなだけとも言える。



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今日の1999年ネタ。本編には入れない妄想。

1999年の4月1日に、姐さんが当時のメンバーたちに「つんくが結婚する」という嘘をつかれて、なぜか泣いてしまったという事件がある。

それは姐さんがつんくから「俺はお前らの面倒を見終わるまで結婚しない」と聞かされていたからであった。「つんくが結婚する」ということは自分たちの面倒が見終わる、つまりモーニング娘。は解散するのだと、瞬時に思ってしまったからだった。あるいは裏切られたと思ったからだった。そのくらい危ういモーニング娘。の立場は続いていたのである。

時が経った2005年、矢口の脱退をもって当時のメンバーたち全員の脱退を見終えたつんくは結婚を決意し交際を始めたのであった。こういうところは筋を通す義理堅い人物像が見えてくる。

はい、まったくの妄想話。

テレビ東京『ソロモン流』で田中義剛の特集を見る。

内容としては氏のブログで書いていることとほとんど変わらないので特に触れないが、この番組の制作に電通が関わっていることがわかって、ちょっと怪しむ。もちろん電通はいろんな番組に関わっているから「変」ってわけでもないのだけど、メインスポンサーがキリンビバレッジだったのがちょっとね。アップフロントとはもうかなり長いおつき合いをしているCMが番組内で流れていた。

番組内容も最終的には北海道のお土産会社BIG3に追いつけ追い越せってことが強調されていて、花畑牧場の積極的な事業展開というのは田中義剛個人の思惑だけじゃなくて、何か裏にあるのではないかなと勘繰ってしまう。

番組の中で積極的に売り出そうとしていた「生キャラメル」は、ニュージーランドから蜂蜜を仕入れて作るそうだ。で、ピンとくる。「花畑牧場」って命名はY崎会長が「ニュージーランドのガーデニングをイメージして」つけたそうだが、ニュージーランドにこだわった理由はこれだなと。そのうちハローのメンバー達が何かの企画でニュージーランドへ行くなんてこともあるかもしれないな。

花畑牧場の事を調べていると何もかも胡散臭く感じてしまうようになったのは、自分の心が荒んでいるからなのか… 番組の中で映っていた花畑牧場にはカントリー娘。の面影はなく、ただの観光地としてしか自分の目には映らなかった。

ちなみに、田中義剛がニュージーランドに行ったのは4月18〜20日あたり。5月9日の全国紙にでかでかと掲載されたUFGの企業広告の撮影はこの時期だな。MYMのブログを見ると17、18日の日記が抜けてるから、ここかな。合成写真ではないと思うのだけど、あの顔ぶれが一ケ所に集まっていたかと思うと、そこで交わされた挨拶とかすごく気になってくる(笑 そういえば、あの大広告を見るとUFA内の序列がだいたい見えてくるのだけど、長江健次の位置が疑問だったな。辻を矢口とシンメトリーの位置に持っていきたかった事情はわかるけど、その外側ってのは驚きだった。昔は長江健次のバーターで森高千里がドラマ出ていたくらいだったのに。


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何やら金曜日が騒がしくなっているみたいだけど、まだモノを見てないのでなんとも。

『Never Forget』の再考についてはずっと追いかけてきたことでもあるので一気にやってしまったけど、今回の『ふるさと×LOVEマシーン×ハピサマ 考察』についてはゆっくりやっていくので、ご了承を。今回はざっと娘。の歴史を振り返ってみる。



1999年の4月18日に明日香が脱退することになり、姐さんが『モーニング娘。は永遠に8人です』と言って古き良き青春時代のモーニング娘。はクライマックスを迎えた。あのときはメンバーたちもファンもモーニング娘。はずっと8人でやっていくのだろうなと思っていた。今のように脱退と加入が当たり前のグループではなかったから、増やすって聞いたときはかなり嫌だったことを覚えている。

当時のASAYANを見てみてもメンバーたちにオーディションの歓迎ムードなんてまったくなくて、「かかってこいや」くらいの勢いでみんなコメントしてた。姐さんも「コンサートでモーニング娘。はずっと8人ですって言い切っちゃったんですけどね」ってキレ気味に話していた。この頃が姐さんがストレスで10円ハゲができて、「何者かにモーニング娘。が押しつぶされそうとしていた」と話していた時期だった。

テレビにおいては1999年の1月から『アイさが』が始まり、4月からは『ガレージ』も始まり、娘。たちは徐々にASAYAN以外にも進出していく。『ガレージ』で故福田一郎氏と共演しているが、「プエルトリコのメヌードというグループを参考にしなさいと福田一郎氏に助言されてモーニング娘。のメンバーチェンジシステムを作った」という後付けの定義はこの頃にようやく見え隠れしてくる。

明日香卒業以降の娘。たちは各証言を見るまでもなく不協和音と停滞のまっただ中にいた。5月に『真夏の光線』を、7月に『ふるさと』と『セカンドモーニング』をリリースするのだが、各番組に出ているメンバーたちの表情にはどことなくみんな陰がある。特に6月27日放送のASAYANに出たときのなっちの表情は見ていていろいろと考えさせられる部分があった。もちろん他のメンバーたちも一様に何かを抱え込んでいる雰囲気があって、なっち、それと姐さん、カオリあたりはストレスがたまりにたまっている感じが見た目にもはっきりと分かる。この頃にはなっちとカオリの二人暮しも破綻して完全に冷戦状態に入っていた。うたばんで上記3人がやり合っている姿を思い出す方も多いことだろう。
ちなみに私的なことだけど、自分がビジュアル的に一番好きなのはこの時期のモーニング娘。で、『真夏の光線』のポスターとかPVとか今見てもホント好きだなと思う。

アップフロント自体もこの頃は揺れていて、モーニング娘。の前の稼ぎ頭である森高千里が5月末に急性腸炎で入院し6月3日に江口洋介との入籍記者会見をしていた時だった(妊娠2週間のデキ婚)。この件で『HEY!HEY!HEY!』の収録をキャンセルしたり、8月27日のコンサートには体調不良で出られなくなって、スタレビの根本要やKAN、サムエルといった面々が会場で土下座して観客に謝るという事態も招いたりしていた。
7月16日には柳原尋美さんの事故があり、それに伴う北海道グリュック王国との提携見直しや小林梓の脱退、『アイさが』の番組構成変更等、とにかくこの時期は事務所的に立続けに非常の事態が起きているので厳しい時期だった。

モーニング娘。は8月に入ると当初の予定通り後藤が合流してきて、『LOVEマシーン』の準備に入っている。この夏の「Hello!」には娘。とみっちゃんの他、太陽&シスコムーン、三佳千夏、ココナッツ娘、カントリー娘が合流してきており、同時期には後のメロン記念日の4人がオーディションを通過しコンサートでも紹介されている。また、早くも柳澤純子なる演歌系の人がハローに絡んできていた。昔コロンビアレコードからレコードを出していた人らしいので、Y崎社長の人脈関係なのだろう。

9月は『ラブマ』が大ヒットしてモーニング娘。が再ブレイクしていく時であるが、前年と同様におそらく戦略練り直しを謀っていた時期だと思われる。なっちのソロ計画、プッチモニの結成、何よりもモーニング娘。を存続させるか否かが検討されていたはずだ。そんな中で姐さんはただ一人10日間にも渡るオフをもらい、不安と焦燥感とを募らせる日々であった。

10月に入るとプッチモニ結成、なっちソロ写真集撮影、タンポポ4th『聖なる鐘がひびく夜』発売と続き、ラブマのヒットや年末賞レースで多々テレビ出演をこなし彩っぺの脱退に進んでいく。過去最高視聴率を記録した彩っぺ脱退報告のASAYAN、あの日自分は脱退するのはなっちだと思っていた。実際、12月になっちのシャンプーのソロCMが発表された際には、「ソロ曲のリリースは1月25日」とプレスリリースがまわっている。

その後1月に彩っぺ脱退、『恋のダンスサイト』リリース、シャッフルユニット、『ピンチランナー』撮影、4期オーディションと続いていくのだが、その過程の中で和田さんの離脱が決まり、紗耶香の脱退が決まり、ASAYANとの蜜月時代の終焉と、大きな人事的変化も経ることとなった。
そして5月21日、大きな謎を残し紗耶香が日本武道館で脱退することとなる。


ざっと振り返ってみたが、明日香卒業後から紗耶香卒業までというのはモーニング娘。の歴史を紐解くにあたって一連の流れで捉えた方が良さそうである。

その中で、
・『ふるさと』は仕組まれて売れなかったのか?
・和田さんとつんくの確執の果てが鈴木あみとの対決に繋がったのか?
・後藤の加入はいつから決まっていたのか?
・『LOVEマシーン』は背後で誰と誰が組んでヒットに繋がったのか?
・『21世紀』や『ダディドゥデドダディ』から連想される1999年末の解散はありえたのか?
・1999年後半の姐さん・彩っぺ・なっち・紗耶香の本人脱退意向は本当にあったのか?
・なっちのソロ計画はどこまで本気だった? また、頓挫した理由は?
・色シャッフルユニット企画はなぜ行われたのか?
  『黄色いお空で〜』…………太シス?
  『青いスポーツカー〜』……プッチモニ?
  『赤い日記帳』………………タンポポ?
・市井卒業の武道館コンサート。実は姐さん卒業のために準備していたものだった?
・『ハッピーサマーウェディング』、姐さんの卒業曲?

こういったことを次回から探っていってみたいと思う。
ちなみに先行するけど、『ふるさと』で散々言われていた「仕組んで売らない」ってことは絶対にないと思う。当人達に売る気がないんだったら仕組む必要がないもの。他人ならいざしらず。いろんなことが起きた結果として売れなかっただけだと思うな、自分は。


こんなところで、次の更新で書くかはわからないけど…まあそのうち。
何か貴重な情報を持っている方がいたら提供お願いいたします。

『Never Forget×Memory 青春の光』の再考を終えて。
このシングルだけに限らず、98年に起こったモーニング娘。の出来事の流れは自分なりにかなりつかめた。いや、つかみ直したといった方がいいのだろうか。

当時はメンバーも少ないし、メンバーが目指す目標もハッキリと見えていたし、スタッフたちも事情があるといっても今より遥かに関係が単純なので、調べているといろんなことが分かってきて面白かった。それと、関係していた人たちみんなの前を向いていた気持ちが自分の心に清風を送り込んでくれた。

タンポポ『ラストキッス』が発売されたときに、明日香は頼まれたわけでもないのに個人的に〈ゆうせん〉にリクエストを入れていたらしいが、そういう話を聞くとやっぱり感じてしまうものがある。明日香は自分達には下積みの経験がないからって、「そんくらい当たり前でしょ」って、しれっとしていたんだろうけど。

何かにつけオーディションから明日香の卒業までってのは青春くさいんだよな。みんなで長い長い文化祭をしていた感じ。いや、部活動って感じかな…
厳しい練習に耐え、時にはけんかをし、時には仲良くなり、新しい仲間を迎え、ポジション争いをし、お互いに良い所も悪い所も認め合いながら成長し、一つのチームとして成り立っていく。顧問の先生は厳しいことを言うけれどそれはチームのためを思ってくれてのことであり、またその先生を見返してやろうという反骨の精神が向上心を磨いていくわけであり…なんかね、ホント青春だなと。
そうそう、頑張ってみんなで1位を取るとなぜか校長先生が自分の手柄のように出てくるという、そんなところも部活動っぽい(笑)

そういえば今日彩っぺがテレビに出て娘。時代のことを話していたそうだけど、概ね明らかになっていたことばかりだったので、特に驚くこともなく。まあ昔を知らない人には刺激があって良かったんでないのかなと。

一つ気になったことといえば、彩っぺが「CMに出ないのは戦略だった」と言っていたこと。話自体はかなり昔に和田さんも言っていたことなので驚きはないのだけど、メンバーたちもこの件は知っていたのだなと… 今はまだ話の筋が見えていないので書かないけど、ここいらへんの話は紗耶香の脱退とも関係してきそうなので興味深い。このCM戦略も含んでいるのだけど、ちょうど98年の考察が終わったので99年の娘。を洗い直してみようかなと。前からやりたいと言っていたのでね。

メンバーも楽曲も物語も、愛して止まない1999年のモーニング娘。をもう一度見つめ直してみたい。資料は相当揃っているものの、まとめる作業は難航を極めそうだけど。



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「マメ」の続き。
矢口の『おいら』を読み返していたら、先日書いた「マメ」のあだ名の話が出ていた。姐さんとの対談でその話が出てくるんだけど、矢口はすっかり忘れていたみたいで。
回想話すると矢口はけっこう記憶がいい加減なところ多いんだよなー。なっちやカオリは正確な部分が多い方だけど、実は姐さんもところどころ時系列がごっちゃになっている部分がある。99年の話でそういった部分が多いのだけど、あの時分はいろいろ混乱してたから仕方ないのかなあと。立場によって見方もがらっと変わるし、聞かされていたことも違うだろうしね。


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>あおさん
長くなったのでこちらで。

姐さんの『ずっと後ろから見てきた』の書き方だとすると『Never Forget』ではなく確実に『メモ青』ですよね。書いた説だとすると98年の12月下旬がレコーディング時期なんですが、自分は姐さんが「先に音もらっていた?」と疑問を感じたのは明日香のことではないような気がしています。それとなっちも。理由としては、その頃は彩っぺも姐さんもモーニング娘。のメインがなっちと明日香であるということを理解していたからです。音をもらっていたのがその二人だったとするならば違和感は感じないのではないのかなと。なっちと明日香ならわざわざ言及する必要もないし、言及するならしたで名前を隠す必要がないんじゃないかと。その後の『ふるさと』あたりはけっこうなっちとの立場の違いの話もかなりぶっちゃけてますし。

姐さんの記憶違いでないとするならば、自分の推論は一つ。先にもらっていたのは「彩っぺ・カオリ・矢口」なのではないかなと。当初予定の4th『Never Forget』のレコーディングは終わっていたのだから、タンポポ2nd『ゾンビ(仮)』をレコーディングしようとしていた可能性は充分あります。『メモ青』の曲調がタンポポチックであるというのは、なっちと明日香も認めていたし、自分もそう思います。まあ妄想に過ぎませんけどね、つんくもこの曲を8声で作りたくなったんじゃないかなあ、なんて。あ、それと、出だし部分の高音ハモは当時の矢口以外には不可能だと思うので、それもタンポポの曲であったのではないかという妄想材料になりました。自分の考えはこんなところです。何か新しい材料持ってません?

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話題ついでに。
タンポポの曲ってのはいろいろと複雑な扱いをしていることがけっこうあるなあと。『I&YOU&I&YOU&I』がシングルで出される可能性もあったわけだし、『赤い日記帳』が彩っぺが在籍してたら本当はタンポポ5thシングルだったなんて説もあった。タンポポは元々ASAYANの繋ぎ企画で始まった側面もあったからバックもないし、いろいろ運命に翻弄されたんだろうなと(妄想)。

第4回となります。ようやく終わります。
これまでは曲の成立過程の謎に全然触れられなかったけど、ようやく到達しました。

また、この『Never Forget』話に興味ない方も、気が向いたら今日の更新の最後の方にある和田さんからの手紙には目を通してみてください。ずっと以前に聴いたことがある方も、聴いたことがない方も何か思うことが出来るのではないでしょうか。芸能人とスタッフとの関係…今いろいろ何かと話題になっているだけに、たまには過去を振り返って参考にしてみれば何かいいことが見つかるかもしれません。

さ、次はどうすんべかね。

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Never Forget×Memory 青春の光 再考(1)
Never Forget×Memory 青春の光 再考(2)
Never Forget×Memory 青春の光 再考(3)

上記3回の続き。



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さて。
10月下旬以降のモーニング娘。は週末にライブや学園祭をこなし、11月に入るとタンポポの活動が忙しくなり、それ以外のメンバーたちは『新春かくし芸大会』の「ハイパーちんどん」の練習に入っている。この「ハイパーちんどん」は実質的に篠原ともえがリーダー格だった。なっちと明日香は篠原ともえとのセッションが多く分け与えられており、それが99年お正月の『LOVE LOVEあいしてる』での3人で歌う『守ってあげたい』に繋がっていく。ただし、なっちと篠原ともえの仲はこの時に深まったわけではなく、ずっと後のことである。

4th発売のアナウンスは当初の12月発売予定から大幅に延期され、11月末頃に「99年2月10日発売」とタイトルは未定ながらも「1,020円」であることが流れる。この11月末の時点でモーニング娘。の活動存続は公式に決まって、現場のスタッフたちも含め各関係機関が動き出していたことになる。遅れに遅れた4thのレコーディングは11月の下旬になってようやく始まった。

12月8日の『お願いモーニングコール』の中でリスナーから「笑っていいともで『モーニング娘。』を答えにしたクイズが出されていた」という投稿があり、なっちと明日香は二人でその笑っていいともをレコーディングスタジオで見ていたという。「(二人のユニット)『銀杏』で笑っていいともに出たいね」なんて話をしていたのだが、このモーニング娘。がクイズの答えになった笑っていいともは11月24日のオンエア。しかし、この日は紅白出場が決定した日で、メンバーたちは午前中から事務所に待機状態。NHKから連絡が来たのが11時半過ぎ、歓喜の様子をASAYANのカメラが追いかけた後、NHKに向かって紅白初出場の記者会見を行ったので、レコーディングスタジオにいたのはどう考えてもこの日ではない。つまり二人がレコーディングしていたのは『笑っていいとも増刊号』を見ていた11月29日となる。ちなみに、この紅白の初出場の記者会見時の写真が、その後『BS中澤SP』で圭ちゃんから姐さんにプレゼントされた写真の内の一枚である。



ここで分かりやすいように、この時期の判明しているスケジュールをあげておく。


98.11.22 娘。・平家 京都・立命館大学学園祭ライブ
98.11.23 娘。・平家 福岡・第一経済大学学園祭ライブ
98.11.24 紅白出場が決定 会社の10階で聞かされる。紅白記者会見。
98.11.29 安倍・福田 4thのレコーディング中
98.11.末頃 4thは99年2月10日発売、1,020円と情報が流れる

98.12.03 フジ『98FNS歌謡祭』
98.12.05 中澤 池袋で『お台場ムーンライトセレナーデ』発売イベント
98.12.06 フジ『かくし芸大会』の本番収録
98.12.08 テレ東新番組『アイドルをさがせ』初収録 司会に平家・中澤
98.12.11 中国・上海入り? 4thのジャケット撮影
98.12.14 アジアライブドリームin上海
98.12.15 『うたばん』収録(99.01.12 OA)
     つんくwith 7HOUSE TMCで『LOVE LOVEあいしてる』の収録

98.12.16 しゅう(謹慎中)が女子大生に暴行したことが発覚し脱退、シャ乱Q活動自粛
98.12.17 神宮前スタジオで『ASAYAN』収録
     午後からテレ東『SUPER LIVE '98』収録
98.12.20前後 4thシングルの価格を1,121円に変更
98.12.21 『HEY!HEY!HEY!』生中継 寒風吹きすさぶ中、フジの大階段で歌う
98.12.24 『Memory青春の光』のレコーディング中
98.12.25 ベイNKホールから『MステSP SUPER LIVE 98』の公開生放送
98.12.31 日本レコード大賞にて最優秀新人賞受賞
     NHK紅白歌合戦に初出場
     つんく、徹夜で4thシングルのTD作業

99.01.02 『Hello!ハッピーニューイヤー'99』中野サンプラザ
99.01.03 『Hello!ハッピーニューイヤー'99』中野サンプラザ
99.01.04 ハローのメンバー一週間のオフ
      平家みちよ、グァム旅行
      安倍なつみ、室蘭に帰省
99.01.05 テレ東『アイドルをさがせ』放送開始
99.01.08 安倍 帰省中の室蘭で市長を訪問 市長から白鳥大橋開通記念帽子をプレゼントされる
99.01.13 メンバーに福田の脱退を発表(中澤は「最後」と聞いて解散の話をされると思っていた)

99.01.17 福田脱退が『ASAYAN』で放映される
99.01.20 タンポポ『誕生日の朝』レコーディング
     ゆずのANNで福田引退に関する感想を送るようリスナーに要請
99.01.21 TMCで『ASAYAN』収録 福田脱退特集
99.01.24 22時からTMCで『HEY!HEY!HEY!』の収録(99.02.08 OA)
99.01.28 『うたばん』収録(99.02.16 OA)飯田、初めてジョンソンと呼ばれる


この他に12月の『カウントダウンTV』と年明け放送の『さんまのまんま特番』『LOVE LOVEあいしてる』の収録があって、『CDTV』はわからないが、フジの2番組は12月初旬頃だと思われる。12月3日から6日あたりまではフジの番組の収録にかかりっきりだったのではないかな。だいたいきくちさんとの仕事は集中するので。



上記のスケジュールとは別に、4thに関するなっちと明日香のラジオ発言を拾って、これも一覧にしておく。以下。

『お願いモーニングコール』はTOKYO FM『ミリオンナイツ』内で98年10月から翌99年3月まで続いた安倍なつみと福田明日香、二人のラジオ。モーニング娘。で初めてのレギュラーラジオ番組である。放送時間は毎週月曜から木曜の22時半過ぎから約10分間の番組。
ラジオの収録日は判明してないが、話す内容とスケジュールを照らし合わせると一週間か二週間分の録りだめ。収録は水曜だと思っていたのだが、年が明けると違うみたいで、明日香脱退情報の漏洩を防ぐために月曜日録りの録って出しの可能性があるようだ。以下、収録日は推定。


12.03 [11.18収録]
明日香の「別れ」の推薦曲 ウルフルズ『ある日の事』

12.08 [12.02収録]
二人でレコーディング(11月29日と判明)

12.14 [12.02収録]
新曲の発売が来年2月上旬に決まったと言って、二人で『Never Forget』のサビの部分をホンのちょっとハミングして紹介する。レコーディングはまだ終わっていない。

12.17 [12.02収録]
明日香14歳の誕生日としてのオンエア。ブルーハーツ『TRAIN TRAIN』。リスナーからのハガキで小学生時の音楽の先生の話が出て涙ぐむ明日香。なっち「福ちゃんへのプレゼントは溢れる愛だよ、溢れる愛」

12.21 [12.16収録]
明日香、『抱いてHOLD ON ME!』発売前のダンスレッスンのときに自分に自信をなくして、帰りのタクシーの中で泣いてしまった話。「今まで言わなかったけど」

12.23 [12.16収録]
8人でオールナイトニッポンに出演したときに和田さんから手紙をもらって8人とも号泣してしまった話

01.07 [12.16収録]
自分が男だとしてモーニング娘。だったら誰を彼女にする? 「なっちは福ちゃんです。大好きです」

01.11 [01.11収録]
4thタイトルは『Memory 青春の光』に決定と告知。別れの曲で大人っぽいと紹介。そして二人で『Memory 青春の光』のサビ部分をハミング

01.12 [01.11収録]
『メモ青』の歌入れは年末にした。今までで一番難しかった。新曲は間奏明けのサビがぐっと盛り上がる。正月コンサートの後につんくがニューヨークに行って仕上げを行った。外人のラップやスクラッチが入っている。ジャケットは上海のいろんなところで撮った。衣装は2パターンあってどちらが使われているかわからない。再来週のラジオで新曲をかける予定

01.21 [01.18収録]
リスナーからの「新曲は今井美樹の『Pride』に似ていませんか?」というコメントを読み、明日香が『Never Forget』のサビを口ずさむ。実はこの曲はカップリングみたいな扱いで入っている曲だと明かす。新曲は来週の月曜にかける予定

01.25 [01.25収録]
『Memory 青春の光』初OA。いろいろと曲解説。この後のミリオンナイツで『Happy Night』もかかる

01.26 [01.25収録]
『Never Forget』初オンエア。明日香「レコーディングのときに『東京で見る星も、ふるさとでの星も、同じだと教えてくれた』『今度出会うときは必然』の歌詞がすごい好き


スケジュールとラジオの発言、さらっと並べてみたが、ここから読み取れることを検証してみよう。

まず、4thのレコーディングは11月の下旬から12月の頭にかけて『Never Forget』を、12月の下旬に『Memory 青春の光』と時期を分けて行われている。そして、そのレコーディングの合間に上海でCDジャケットの撮影を行っている。さらに『Memory 青春の光』のレコーディングに入る直前にはCDの値段が1,121円に値上げされることが発表された。

12月15日収録のつんくが出演した『LOVE LOVEあいしてる』で、つんくが篠原ともえに楽屋に突撃された際、『Memory 青春の光』の歌詞の断片をバラされるという事件があった。篠原ともえがつんくの手帳を盗み見たのだが、「メモリー私のメモリー」とそこには書いてあり、状況から考えるとまだその時点では『Memory 青春の光』の歌詞は完全には完成していなかったようだ。

ここまでで疑問なのが、『Memory 青春の光』がレコーディングもしておらず、曲すら未完成だったのに、上海でCDのジャケット撮影をしている点。100%とは言えないが、通常はレコーディングが済んでからジャケット撮影があり、プロモーションビデオの撮影に入っていくはずである。

また、12月14日のラジオでなっちと明日香、二人で『Never Forget』をハミングした際には、二人ともこの曲がシングルの表題曲であるかのような捉え方で紹介していた。しかし翌年の1月21日の放送では明日香一人がサビを口ずさみ、なっちが「この曲はカップリングみたいな感じ」で入っていると微妙な表現で紹介している。

さてこれがどういうことなのか。
4thの成立過程は、明日香卒業を聞いたつんくが明日香卒業のために『Never Forget』を付け足したというのが公式に言われていることであるが、スケジュールや言動を見ると本当の成立過程は実は違ったものだったのではないのだろうか? 公式な成立過程が本当ならば、値上げ発表の後にレコーディングされているのは『Never Forget』でなければならないはずである。

つまり、この4thの本当の発売予定は以下の通りだったといえるのではないだろうか。

12月始めの段階…
・明日香の脱退は家族の説得を除いて決定している
・4thはなっちと明日香がメイン。レコーディングは二人が先行
・ジャケット撮影はレコーディング終了後に上海で
CDの順番
1.『Never Forget』
2.『Happy Night』


12月中旬になると…
・上旬に明日香の家族の説得。Y社長「辞めちまえ。福田の卒業は伝説になる」
・『Never Forget』を明日香ソロ曲にまわすことになる
・つんくに急遽もう一曲発注。シングルの値段変更
CDの順番
1.『Memory 青春の光』
2.『Happy Night』
3.『Never Forget』

後から増えたのは『Never Forget』ではなく、『Memory 青春の光』であったというのは間違いなさそうである。何回もこの謎には取り組んできたが、今回の調査で自分はこれで大決定を下した。


また、曲のタイトルに関しても現在『Never Forget』と呼ばれている曲が本来は『Memory 青春の光』であったこともかなりの確立でありそうである。

明日香脱退を発表した1月17日放送のASAYANで4thのCDジャケット(表)が公開されており、画面を見る限り文字、色見ともに発売されたジャケットと相違点は見られず、この時点で表ジャケットは完全に完成していた。メンバーへ明日香の脱退が報告されたのが1月13日であり、編集の都合を考えると同日にはVTR編集スタッフにジャケットの画像が渡っていないとおかしい。つんくが4thの表題曲を『Memory 青春の光』と決めたのは大晦日だと言われているが、これだと年明け発注から印刷が上がってくるまで不可能ではないがギリギリのスケジュールである。

ここは素直に、ジャケット撮影が終わって使う写真を選び終わった12月20日あたりがジャケットを発注した時期だと考える方が自然ではないだろうか? そして、もしこの時点で当初の予定のまま発注していたとしたら『Never Forget』が表題曲となってしまい、公式にアナウンスしていたこと(『Never Forget』があとから付け足されたこと)と相違点が出てきてしまう。これつまりは元々『Never Forget』が『Memory 青春の光』だったということの証にならないだろうか?

また単純に現『Memory 青春の光』の仮タイトルが『ゾンビ』と呼ばれていたことや、歌詞の内容から考えても『Memory 青春の光』がタイトルになるのはおかしいと思う。歌詞の内容を考えればどちらが『Memory 青春の光』に相応しいかは一目瞭然である。つんくは12月中旬に急遽作っていた大人っぽい曲に「メモリー」という言葉をどうしても取り込まなければならなかったのである。

この曲が実はタンポポ用に作っていた曲という説もあるが、確かにそれはあり得る。99年1月20日、矢口の誕生日にタンポポ『誕生日の朝』をレコーディングしていたという有名な話があるが、それを考えれば12月の後半はつんくは本来タンポポのアルバムの準備をしていたはずなのである。その当時は狂ったような楽曲の量産はしていなかったので、時系列を考えれば充分あり得るが、この件についてはこれ以上掘り下げても何も出なさそうなのでやめておく。メンバーたちの気持ちともまったく関係のない話だ。

ただ、つんく自身も『Memory 青春の光』のデキには相当満足していたみたいなので、最初はタンポポで予定していたけど、「8人のコーラスで作ってみたかった」というのも案外一曲増えた理由かもしれない。明日香の声があるうちに8人のハーモニーを完璧に作ってみせたかったというのなら考えられるな。声フェチのつんくだけに。

ちなみに、つんくは大晦日に紅白を見ながら徹夜で『Memory 青春の光』のトラックダウン作業をしているが、その完成の喜び様はかなりのものがあったようである。

お笑い芸人 アンバランスの日記
ttp://www006.upp.so-net.ne.jp/kurokin/thunku-watching010.htm

徹夜明けのつんくが取り巻きの芸人たちを電話でかき集め、さんざん酔っぱらったあげく完成したばかりの『Memory 青春の光』を聴かせちゃうあたりなんか、普段のハロプロ仕様のつんくには見られない感情の出しっぷりで、なかなか楽しいし、暖かい気持ちになった。よほど『Memory 青春の光』の完成がうれしかったのだろうなと。つんくはこの後娘。たちの新春コンサートが終わるとニューヨークへ飛び『Memory 青春の光』を仕上げた。


その後の娘。たちは『Memory 青春の光』でテレビに出つつ初の全国ツアーを回っていく。明日香卒業を取り上げたあちこちの番組で涙を流し、『Never Forget』を歌い、かけがえのない時間を過ごしたモーニング娘。のメンバーたち。

一番涙を流していたのは姐さんだっただろう。
明日香のことを『もう知らん』とまで言って怒ったクロワッサン事件。それから一年が経ち年齢差も気にならないほど明日香のことを理解できるようになった。姐さんがリーダーらしさを発揮してきたのはこの頃からじゃなかったかな。自分の立ち位置を見つけメンバー全体を見渡すようになっていったのは…

紗耶香は明日香と「ビックになる」ことを約束してた。…そういえばもうすぐ紗耶香がモーニング娘。を去ってから7年が経つ。彼女は今幸せなのだろうか。反骨精神たっぷりだった紗耶香、今はビックなママになっているのだろうか…

歌う心を大事にしていた明日香を愛したなっち。「強くなる」って約束は明日香と交わしたものだった。数々のいろんな波に翻弄され、流され続け、今に至る。でも決して芯にあるものは曲げなかった。それが今のポジションに繋がる…強くなった彼女が次に求めるものは何なのだろう。去っていた者たちのココロを知る彼女が、次に起こすことは何なのだろう。

彩っぺも、カオリも、圭ちゃんも、矢口も、

何がこの先起こっても「永遠の8人」は変わらない。
あのとき、あそこに立っていた8人は自分の心の中でずっと輝いています。




ここまで『Never Forget』と『Memory 青春の光』の成立過程の謎を紐解いてきたけど、メンバーたちが現在ある『ネバフォゲ』と『メモ青』を愛していることには変わりはなく、また自分がこの曲たちに特別な思い入れを抱いていることにも変わりはなく、この先一生付き合っていくのだろうなという意識はずっと変わらないと思う。

それなら掘り下げることに何の意味もないじゃないかと思われるかもしれないけど、自分は知りたいんだよね。当時のメンバーたちが何を考え、何に立ち向かって生きていたのかを。必死になって走っていた「永遠の8人」がずっと好きなんでね。どうしようもない懐古主義者だということもわかっているのだけど。




最後に余談を二つばかり。
『お願いモーニングコール』の放送内容表のところでこっそり入れておいた、12月3日
放送の明日香の「別れ」の推薦曲として流したウルフルズ『ある日の事』という曲。収録は『Never Forget』レコーディング前なのだけど、当時の明日香の心象風景をこの曲は表していたのではないかと思った。
ttp://www.utamap.com/showkasi.php?surl=T00122
「ポッカリ穴があいた心」で『Never Forget』を聞き、明日香が肩をふるわせる姿が想像できた、、、

もう一つ。98年9月11日にモーニング娘。8人がパーソナリティーを務めたオールナイトニッポンで放送の最後に和田さんから貰った手紙。これを聴いて8人は号泣してしまうのだけど、これを書き起こして終わりにしたい。本編とは関係ないラジオだが和田さんと旧メンたちとの深いつながりがわかるのではないだろうか。いい機会なので書き起こしてみた。


和田さんからの手紙 1998.09.11
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モーニング娘。のみんな約2時間の放送おつかれさま。マネージャーの和田です。初めての、それもオールナイトニッポンでのDJ、どうでしたか?

僕が5人のメンバーに会ってから早いものでもう一年以上が過ぎますね。はじめは一人一人別々でASAYANのオーディションを受け、グランプリを目指し、頑張っていましたよね。その後グランプリを取り逃がし、一度は夢破れ、その頃はみんなきっと普通の平穏な生活に戻ると思っていたはずです。しかしその後つんくや僕たちスタッフたちの思いつきで5人のメンバーが集められ、モーニング娘。が誕生しました。そして大変な思いをして5万枚を完売させ、見事にデビューをしましたね。

でも、その頃5人はきっと、自分の夢の理想と現実とのギャップにたぶん相当苦しんでいたはずです。その上セカンドシングルでは追加メンバーが加わることになり、きっと僕はまったく信用されてなかったんじゃないかと思います。そして追加メンバーに加わった3人も先輩のメンバーへの気遣いや歌・ダンスでのチカラの差に、言葉にこそは出さなかったけれども「追加メンバーにならなければよかったのに」その頃はそう思ったことがあるはずです。

そんなモーニング娘。も8人になってからサマーナイトタウンも順調に売れ、昨日3rdシングルを発売することができましたね。今回のシングル、出だしは好調です。みんな頑張った甲斐がありましたね。本当にうれしいです。

僕は以前ある番組で一度シャ乱Qに手紙を書いたことがあります。そのとき書いた言葉で、君たちにぜひ伝えたい言葉があります。

それは「売れてからが本当のスタートライン」という言葉です。
これは曲が一曲売れたということではなく、世の中がちゃんと認めてからがスタートという意味です。僕から君たちを見ていると今まさにそのスタートラインにつこうとしているところだと思います。
これから長いマラソンになるのか、短距離走で終わるのかは君たち一人一人が決めることです。でもこれからの道も決して平坦ではないことは確かです。でもそんな中、自分の夢をかなえ、人に感動と勇気と安らぎを与えられるアーティストに一人一人が成長することを僕は望みます。

そして、この芸能界はとても厳しい世界だと僕は思います。一枚のシングルを出したきり二度と出せない人。最初はチカラをいれてもらっていたのに売れないと途中から全然チカラをいれてもらえなくなる人、決してすべてがアーティストの責任でもないのに、一番アーティストが責任をかぶります。そんな厳しい世界に君たちを引き込んだ一人として、常日頃責任感を感じています。時たま君たちに厳しい言葉を吐いたりもしますが、それも君たちに対する責任感のあらわれだと思って許してください。

たぶん君たちに僕が何のアドバイスもすることがなくなるくらい君たちが成長する時期が、いつかはやってくると思います。そのときは僕が森高やシャ乱Qの側を離れたときと同じように、僕が君たちの側を離れるときです。そのときが来るまで目一杯頑張りましょう。

つっぱっているときより素直な時の方が素敵な 中澤
もっと自分自身に自信を持った方がいい 石黒
いろんなことをどんどん吸収してほしい 安倍
夢中になるとまわりが見えなくなる 飯田
子供なのにいろんなことを考えすぎる 福田
いつもおどおどしている 保田
出たとこ勝負の 矢口
もう少し喋る前に考えた方がいい 市井

僕はこんな楽しいみんなと仕事が出来て幸せです。
それではこれからもよろしくお願いします。

                       和田 薫

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今日新聞を見ていたらとある遊園地で事故が起きてけが人が出たそうで、昨日の更新の画像に出ていたカタカナと名前がまったく一緒だったみたいで、明日香ということの他に他意はありませんので、もしお気を悪くされた方がいたら申し訳ありません。

もう一点。昨日の更新で『悲しみトワイライト』の版権からテレ東が抜けてると書きましたが、更新後にJASRACに確認しにいったら、きちんとテレ東入っていました。最初はミスで抜けていたみたいですね。今日のテレ東の社長の交替が関係しているのかは分かりませんが、とりあえず娘。にとっては不安材料がなくなりました。



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ずっと『お願いモーニングコール』を聴いていると見落としていたことが多いなあと気付く。また以前参考にしたとある方の説にもところどころ間違いがあったことがわかって、鵜呑みにしていた自分に反省することしきり。

あ、それと、『Never Forget』を初オンエアした直後に明日香が『東京で見る星も、ふるさとでの星も、同じだと教えてくれた』の部分の歌詞がすごく好きだと言っていたのを聞いて、感じたことは間違ってなかったのだなと実感した。この曲の成立過程はホント面白い。今振り返るとこんなに謎が解けてくるなんて。当時は各所が混乱していたみたいだけど、モーニング娘。そのものは上向きで走り続けてるから活気があるんだよなあ、調べてると。

小ネタ。
98年11月9日オンエアのラジオで矢口がつんくに「プチ」だとか「マメ」と呼ばれているという話があった。ガキさんに矢口はなんで「おまめちゃん」って付けたんだろうなあ、なんてね。ちょっとした疑問。


その矢口だけど、mixiがバレてお祭り騒ぎになっていたみたいで。
ちょうど某巨大掲示板を覗いていたときに祭になったのでしばらく見ていたのだけど、100%の断定は無理にせよ、あれはほぼ黒に近いものだなと自分は感じた。別に誰と付き合っていようが、誰と友だち付き合いがあろうが、それは構わないけど、それをバレる可能性がある状態にしておく危機意識の低さには疑問を持たざるを得ない。見ている方は演じている部分に乗っかって楽しんでいることもあるんだから、バレちゃいけないことがバレちゃうのはいかんと思う。ましてや今回のは付け回したわけでもなく、彼女がちょっと気をつけていれば済んだだけの話だし。加護・辻と事件が続いた中でなんであの状態で放置しておいたかは理解出来んなー。自分の首を絞めただけだし、あれで友人関係も壊れちゃうでしょ、きっと。誰かこういったことを指導できる人が側にいないのかな? お詫びコメントとして出る「再指導」ってのはいったい何をしているの?

まあこのmixiバレが仕組まれた可能性もあるけど、そうだとしたらエラい大きな力が潰そうとして動いてますな。

なんだろなー、気が抜けちゃったのかな、、、

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