Submarine Dog

最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

このブログは2002年から続いているものです。
書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

とある7人が去り行く1人ために贈った曲。
あなたは7人がどんな思いで送り出し、なぜこの曲を選んだか考えたことありますか?

『M』プリンセスプリンセス



『Rainning』Cocco



『宝物』古内東子



『青春の輝き』カーペンターズ



『終わりなき旅』Mr.Children



『想い出がいっぱい』H2O



『My Revolution』渡辺美里



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「あなた」はどう捉えてもらってもけっこうです。

20年を超える月日が経てばいろいろと人生も変わる。
と思ったが。

2007年9月9日に書いた「ASAYAN大追跡。
2013年10月8日に書いた「ASAYAN後日譚

を参考にしてその後を追ってみた。

制作陣に関してはそんなに変わることなく仕事をされている。
吉本の泉さんやタカハタ・都築氏らのASAYANの中心メンバーは変わらず業界にいらっしゃるし、和田薫マネや夏まゆみ先生もまた然り。

アーティストの側もそんなに変わらなかった。
情報ない人はないままだし積極的に活動されているのも松澤さんのままだった。


ただ御一方、シャ乱Qロックボーカリストオーディションでボイストレーナを務めた笠木新一先生は鬼籍に入られたようだ。2019年11月20日。

オーディションでは厳しい言葉が多くどちらかと言えば「鬼トレーナー」のイメージが強かった笠木先生。
しかし2010年にモーニング娘。1期メンバーのイベントの特典映像の中で見せた再会を喜んだ顔は忘れられない。メンバーたちもあのときの厳しい言葉が本当に親身な言葉だということが分かっていたから笑顔で再会できたのだと思う。
こちらのエピソードを読んでも笠木先生のお人柄が偲ばれる。
https://ameblo.jp/miemie-pink-sweets/entry-12568766846.html

数年前にお母様を亡くされて、御本人は高島平団地でひっそりと亡くなられたと聞いて、ちょっと素直になれない本当は優しい方だったんじゃないかなと、あのオーディションを思い出す。

『いつか来た道』第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話

歌とは誰かに伝えようとするその思い。
番組を見ていた若かった頃は分からなかったけれど、今なら笠木先生が言いたかったことがよく分かる。

モーニング娘。はよき先生に巡り合えましたね。

合掌。

今日数年ぶりにこのサイトに自分でスマホからアクセスしてみて、「こんな風に見えていたのか!」と驚いた。
拍手ボタンとか、更新があったらLINEから通知とか、そんな機能付いてたのね。

ちなみにこのサイト、初期の頃はこのライブドアのブログは使っていなくて、コメントは掲示板をレンタルして使っていたので、その頃のコメントは失ってしまっている。初期のアクセスの多かった頃のテキストにコメントがないのはそれが理由。

掲示板でも話を展開していたから取っておきたかったんだけど、サービス終了でどうしようもなかったからなあ。テキストそのものは移管できたので2回ほど別レンタルに移籍している。

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さてさて。

『抱いてHOLD ON ME!』




を見ていたら『Memory 青春の光』も見たくなって。



この動画のコメント欄見ていたらなんだか泣けてきた。

当時はあまり評価されなかったこの曲が20年以上の時を経て評価されているのを見て。

今見ても思うよ、彼女たちが成長してさらに実力をつけてこの歌を歌ったらどうなったんだろうって。

もし『LOVEマシーン』で完全なアイドル路線にシフトしなかったら、増員しないで解散の道を選んで、ときたま集まるグループになっていたら、そんなことを考えるけど、今の世界こそが収まるところに収まった形でもあると思うので・・・

まあでも思い出すんだよね、この曲が完成してはしゃぎまくって新年会で仲間芸人に自慢しまくったつんく氏のエピソードとか、安倍さん(なっち)がずっとこの曲を好きで『LOVEマシーン』以降の世界線になってもこの時のコンサートが好きと言っていたことや、そんなことをね。

自分も「アイドル的な」という括りで言えば、この曲より好きな曲はないな。
楽曲そのものの完成度(何しろこの曲だけ向こうのバックミュージシャン使ってニューヨークでトラックダウンしたりしている)、メンバーの思い入れ、そして最後の生バンドライブ、いろんな感情が重なってこの曲への思いを作っている。

あれから20年経っても1999年に発売された
モーニング娘。『セカンドモーニング』
タンポポ『TANPOPO 1』
太陽とシスコムーン『Taiyo & Ciscomoon 1』
の3作品は色褪せない名盤だね。
この年のつんく氏は本当に凄かった・・・


今回は思いっきり主観で楽曲の思い出話でした。また。

前回から続いて。


第一は福田さんの帰りを待っていたからなんだろうな。
いつか『Memory青春の光』の頃の8人で歌う日を。
ずっとそれを夢見ていたから。

他にも待っていた方もいたし、一応初期8人に特化して書いてる点では界隈の中ではそれなりに自負もあったので閉めるわけにはいかないなという思いもあった。

それは現状にも近いものがあるかもしれない。
おそらくこのブログを閉じると失われる情報はかなりあると思っている。
断片的に拾っていけるかもしれないけど、まとめてあるのはほとんどない。
そしてそれらを今さら繋げていく作業はもう出来ない。
当時徹底的に得られる情報拾ってまとめ上げたが、それはもう無理な話だと思う。

ま、失われたところで大したことないよと言われればそうなのだが、歴史修正主義宜しくあの頃の歴史を今に都合の良い様に使われるのは許せないので資料として残しておきたい。いわば当時のままの「一次資料」なので。

表向きはこの「福田さん待ち」と「資料残し」の2点が続けた理由だろう。


じゃあ裏向きはといえば・・・

たぶん自分の中で「いけだや」という人格が息抜きになっていったのだと思う。
自分はオタバレしないで一般生活を送っていたので、思ったことを書ける「いけだや」という存在が自分の中で楽だった。
例えば先に挙げた資料整理的なことは興味ない人にはまったく理解されないこと。しかし「いけだや」としてはそれを必要とする人に出会える。

無であるものが無でなくなる喜び。心の内はそういうことなんだろうなと。


それから、長年書き続けたことで、だいたいの性格・思考・嗜好を前提として理解してもらえている「いけだや」を消す勇気が自分にはなかったな。
名前を変えて、また一からというのは面倒でもあった。

それがこのブログと「いけだや」を続けた裏の理由だと思う。

まあ、まさかさ、『ASAYAN』のシャ乱Qロックボーカリストオーディション(モーニング娘。オリジナルメンバー5人を輩出したオーディションね)の最終予選の寺合宿の近所にあったお団子屋さんの名前で20年も続けるとは思わなかったけどね 笑

最初は本当に書き捨てのつもりでこの名前使ったから、まさかこんな付き合いになるとはね。

近年だとライブ行く時でもこの名前を使っているので、もう今さら変えられないだろうな。もはや屋号みたいなもの。
何かお店でもやりますか 笑

このサイトを開いてから20年。
更新もめっきりしなくなりました。
なんとか細々と生きております、いけだやです。

コメントも久しぶりにカキコがあって、ちょっと書く気が盛り上がりました。
過去の様にシリーズものとはいかないと思いますが、せっかくですから何でもいいから今月は書いておこうかと思います。

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改めて自己紹介っぽいもの。

このサイトはモーニング娘。のテキストサイトの生き残り。
界隈の端っこで細々とやっていて、回りがどんどんいなくなり結果として残ってしまった、そんな場所。

始めた頃のモーニング娘。テキストサイトの界隈は、サブカルに強く、あちこちから猛者が集い、清濁併せ持ち、時には大きなうねりを、時には荒れたり、今となって振り返ってみればとても面白い世界だったと思う。

テキスト界隈+巨大掲示板+大手サイト+ASAYAN掲示板+個人ファンサイト
この5つに多くの人が集まり、モーニング娘。以外の話も夜な夜な繰り広げられていた。2002年前後の話*1

自分も巨大掲示板の方から流れて他で書いたり、とある物語を数本書いたり、そんな中でのこのサイトの開設だった。

当時は「ブログ」という言葉もなかった。
ただ単に「日記」とかテキストとか、そんなんだったんじゃないかな。

そもそもがSNSという概念もなくて、ブログという提供ツールもなくて、自分でサイトを組み上げて、今よりも投稿のハードルが格段に高かった。そこを超えてもやりたい人たちが集まっていたのだから、そりゃ面白いはずだよなと。

当時からウチは懐古厨扱いだった(笑)
『LOVEマシーン』以降の黄金期ブームに乗らず、それ以前の『Memory青春の光』を始めとしたコーラス重視の音楽を求めていたので、そりゃ煙たく感じる人も多かったと思う。

まあでもはっきりと音楽的な好みは出していたので、所謂アイドル本位というよりは楽曲本位の方たちとの交流は楽しかったな。
楽曲の見方はこの頃に培われたといってもいいくらい。編曲に注目して見るようになったのは間違いなくこの頃の影響。

数年経った頃にはどこかで「楽曲派」というレッテルを貼られることにもなった(笑)
今では「楽曲派」がどういう扱いになっているのか分からないが、当時はマイナスなイメージも強かった。

そりゃモーニング娘。を全肯定で応援している人たちにとってみれば、気に入らない楽曲だと「ああだこうだ」言っているのはイチャモンつけているようにしか感じないだろうなと。

えぇ、当時の方々スミマセン。
あの頃はけっこう好き放題言わせていただきました(笑)

安倍なつみさんが卒業する2004年くらいが自分の更新意欲的にもアクセス数的にもピークだったのかな。
安倍さん卒業前後くらいはカウンターが1万/日くらい動いててちょっと怖かったことを覚えている。いやいやウチは端っこですからって。これで有名どころだったらどれくらい動いてたのよ。

マザーシップと言われた安倍さんが抜けて、彼女をなんとなく物語の中心として見ていた*2自分も少し燃え尽きたのかな。
好きだったサイトの方もどんどん更新休止されてね、最初の頃の楽しさというのは正直失いつつあったと思う。

でも自分は辞めなかったんだよな、なんでだか分からないけど。



それを考えつつ、長くなったのでこのまま次回へ続ける・・・

マジで取って出し更新なので(笑)


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*1 2001年くらいから2005年くらいが盛り上がりの中心ですかね?
*2 福田さんが抜けた後のね。

9月18日。

渋谷の宇田川町にあるライブハウス・Starloungeへ犬塚ヒカリさんを見に行く。

ここはライブハウスが複数入ったビルで、過去にはPEACE$TONEや大谷雅恵さんもやったMilkywayが入っているビルと言えばこのブログでは分かりやすいだろうか。

犬塚さんは普段はギター弾き語りのスタイルで、それが2015年、高校1年の頃からだから、かれこれ7年以上やってきたことになる。

立ち弾きから、座りのスタイルに変更したのが4年ほど前。
楽曲はそれまでのフォークや歌謡的な要素が抜け、R&Bやヒップホップ色の強いものになった。

最初はリズム的な部分でどうなるかと心配していたが、数年続けた結果、劇的に進化、歌い回し、フェイクの入れ方、緩急の付け方、堂に入った感じになってきたと思う。

このまましばらくはこの感じで続くんだろうなと思っていたところ・・・



さて、その前に、自分は基本的にギター弾き語りとピアノ弾き語りだったらギター弾き語りの方が好き。

遥か以前は意識していなかったのだが、年を経るにつれ、自分の傾向が分かってきた。

もちろん上手くて惹きこむ方もたくさんいらっしゃるのだが、ピアノ弾き語りだと伴奏感が強くて全体として「のっぺり」感を感じてしまうことが多かった。ギターの方が強弱やメリハリを感じやすい。もちろんこれは人それぞれの好みの部分ではあると思うけれども。

バンドを見る場合でも本当にたまたまキーボードが入っていない編成が多くて、ちょっと自分の中で最近ピアノ・キーボードへの意識が薄くなっていたと思う。



前置きが長くなったが、この日の犬塚さんは、初めてギターを持たずステージへ。
ピアノサポートでtatsuyaさんという方が入って、完全に歌唱のみのスタイル。

正直に言うと、ピアノのサポートと聞いて上記のイメージがあったのと、けっこうな雨予報が出ていたので、行くの迷ってた。どうしよっかなーって。

でも、たまたま前日もライブを見に行ってて、お目当てだった方が2年数ヵ月ぶりのステージで、そこでやはりライブは一期一会、見られる時に見なければ後悔するなと思い、犬塚さんのライブに行くことを決めた。

で、行って大正解。行かなくて状況知らなかったらとても後悔していたと思う。迷っていたことゴメンナサイ。

1曲目『愛を形容』2曲目『PATAPURIKE』はジャジーな要素強く、会場の雰囲気と犬塚さんの黒のドレスと相まってとても大人な空間。ここはジャズバーかと、そんなことを考える(そんな行ったことないんだけども 笑)

3曲目『初夏と神様』は、CD収録に近い形でオルタナ感を再現。
ギターでは再現しきれなかった部分がピアノアレンジだとバッチリ決まるんだなぁと、聴いていてうれしくなった。
個人的にオルタナ好きなので、「あぁ〜」と沁み込んできた。


4曲目『チャプター』。初披露時からずっと好きな曲。
今日ピアノサポートで見てて、ここで景色が一気に広がったんだよね。
歌詞の意味合い的にもそうだけど、犬塚さんが歌っていくステージの景色が広がったとでもいうか。

彼女の声は楽器の音に負けない力強さを持っているので、以前からバンド編成を熱望していたんだけど、この『チャプター』をやっているのを見て、ドラムが入った音とか、ベースが入った音とか、想像が脳内にどんどん再現されてきて。

このピアノサポートの意味というか、一つの完成形が見えてきた感じがした。それくらい気持ち的に「ぱぁっ」と開けた感じだったんだな。


最後の『overlap』もギター弾き語りとはまったく趣きが違って。
犬塚さんも盛り上がったのかフェイクも気持ちよく入り、『overlap』ではこのアレンジが一番好きかも。


と、まあここに長文を書くくらい今日は気持ち入ったし、とても書くことの多いライブだったのだ。

(書かないライブが気持ち入ってないって意味ではなく、やっぱり書ける要素が多いってのは長年の付き合いの蓄積でもあるんで・・・ 初めて見て「すごい」「ヤバい」「カワイイ」の感想じゃ仕方ないでしょとでもいうか 笑)

改めて思うのは、犬塚さんの声の強さ。どの楽器にも負けず映える声。
それからアレンジマニア(そこまでではないけど)としては、アレンジによってこれだけ変わるということを再認識できたこと。
イントロや間奏の取り方一つでこれだけ可能性広がるんだということを見せつけられたね。

いや、ホント良かった。良いライブだった。
ピアノアレンジ、調べ直しますね・・・


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140字に慣れてしまったせいか、長文しっくりこない。
まあ、もう長文でもブログという時代でもないだろうからいいのだけど、このまま筆力衰えていくのもヤダなーと少し思う。語彙力とかも落ちていくしね。

もし昔ながらの方、あるいはたまたまここを見た方、何か面白いネタあったら教えてくださいね。

2年ぶりの更新。
たぶん誰も見てないだろうから(まあいまだにカウンターは回ってるんだけども)、さらっと書く。

今日はカントリー娘。柳原尋美さんの23回目の命日。

ここ数年思うことだが、随分と遠くへ来たものだ。
こんな風に23年も経って書き続けることがいいことなのか、それともそっとしておくべきことなのか、悩んだ時期もあったが、もうそれすらも超えた遠くにきたように思う。

尋美さんが旅立つまでの数か月暮らした北海道中札内のフェーリエンドルフも、最近のキャンプブームに合わせ今では「グランピングリゾート」として営業している。
いつか行ってみたいものだな、彼女たちが青春を過ごしたコテージへ。

あそこの建物はバブル期の十勝地方の観光開発の関係でドイツ風に建てられていた。
もう30年ほど経つので、そろそろ建て替えとかもあるかもしれないな・・・

そういえば中札内に行ったのももう21年前になる。
富良野で『ふるさと』のロケ地を巡ったりもしてね。
懐かしいなあ。いろんなことが思い出の中。

時代は流れている。
でも自分は覚えていようと思う。
それがこのブログが動いていた20年前ですら「懐古厨」と言われていたこのサイトの運命なのかもしれない。

でも好きなもの、好きなことをずっと好きでいられるってのは幸せなことだと思う。

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