Submarine Dog

最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

昔書いたものの中に2002年当時のモーニング娘。関係のスケジュールを書き出したものがあったので、一時的にアップしておく。

今日(3月13日)のソニンさんが出演していた『しくじり先生』を見ていて、ふとブログのアクセス解析を見てみた。するとウチの過去記事にアクセスしている方がいて、その記事を見たらたまたまソニンさんがしくじりを語っていた当時のスケジュールを見つけたのだ。

自分で書いたものなのにね、けっこう忘れてる。

当時を知っていれば面白いかもしれないし、あるいは知らないとどういう風に見えるのか逆に聞いてみたい、などと思ったり。

やっぱり1999年と2002年は調べると面白いな。当事者たちにとっては大変だったのだろうけど、心の揺れ動きが垣間見えることがこの両年は本当に多い。


キャバクラ事件が報道される前日に早々にレコード会社はEE JUMPのアルバム発売中止を決めてたんだなー。完全に忘れてた。

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2001.10.  アップフロント組織改編
      UFグループ関連会社に税務調査
2001.10.06 市井紗耶香復帰
2001.10.25 つんく 志村けん&研ナオコのデュエットプロデュースを発表(翌年のミニモニに繋がる)
2001秋   カントリー娘。オーディション→里田加入(会長のカントリー改革の最初)
2001.11上旬 ワイズビジョンに東京国税局の調査
2001.11.02 フジ『13人がかりのクリスマス』の打ち合せ・収録がスタート
2001.11.18 娘。コンサート 沖縄 ライブ後年上メンバーたちは獅子座流星群を見る
      石川 生まれて初めて流れ星を見る
      飯田・矢口・保田・平家は一緒の部屋で流星群を見た
      安倍・りんねが一緒か?
2001.11.20 緑山スタジオでドラマ収録中に加護が倒れる(加護、精神的限界の噂)
2001.11.23 市井 FACTORY出演
2001.11.27 タンポポ『王子様と雪の夜』で初めてオリコン1位になる
2001.12.  日テレ『AX music file モーニング狼。』突然打ち切りされる
2001.12.05 シェキドルがメジャーデビュー
2001.12.06 保田 圭誕生会 藤原紀香らが参加
2001.12.10 市井紗耶香復活コンサートwith中澤裕子 in SHIBUYA-AX
      平家みちよ・きくちP観覧、きくちPと明日香2年半ぶりの再会
2001.12.16 藤本美貴の来年3月のメジャーデビューが発表される
2001.12.17 UFグループの飲食店「ベールヴティユ」が「グッディークラブ」にリニューアル
      これ以前は「花畑牧場」として営業
      「グッディークラブ」になった後も花畑牧場製品とカントリー娘。は関与
2002.01.  正月ハロコンに藤本・里田・石井リカが初参加
2002.01.03 中澤、飯田、稲葉 食事会
2002.01中旬 『モーニングコーヒー2002』レコーディング 旧メンたち高まる不満
2002.01.24 テレビ東京が『ASAYAN』の3月打ち切りを発表
2002.01.27 矢口 プライベート写真流出騒動
2002.01.28 安倍 ラジオで『モーニングコーヒー』を語り、涙
      EE JUMP ユウキ復帰宣言
      シェキドル解散
2002.02.01 飯田 OH-SO-RO収録で故郷からの旅立ち、メンバーとの別れのことを語る
      『モー。たいへんでした』打ち切り決定
2002.02.05 飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみで『うたばん』収録
      年下メンバーは大阪USJで『HEY!×3』収録
2002.02上旬 安倍 きくちさんからFACTORYのオファー
      ワイズビジョンの白岩久弥(タカハタグループ離脱後のASAYAN演出)が解雇される
2002.02.09-10 花畑牧場で犬ぞりレース大会 あさみ優勝
2002.02.11 市井がラジオで新ユニットデビューは4月下旬と発言
      市井にたいせーから作詞のテーマ「卒業」と「遠距離恋愛」が言い渡される
      それでも名目は娘。時代の払拭
2002.02.15 テレ東『muSix!』の枠移動が決定(4月から火曜日22時)
2002.02.17 「Hello! Project 2002〜今年もすごいぞ〜」横浜アリーナ
      ココナッツ娘。レファ脱退 きくちP観覧
2002.02.20 キリンビバレッジ『キリンきりりす〜なオレンジ』CM発表
       飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみ出演
2002.02.24 保田、ビビアン・スーらと熱海の温泉に女4人新幹線で行く
2002.02.28 『muSix!』「Angel Hearts」の収録スタート
2002.03上旬 藤本の大々的なデビューキャンペーン
2002.03.04 EE JUMP アルバム『EE JUMPコレクション1』の5月9日発売を発表
2002.03.17 ハロプロキッズオーディションの募集開始
      モーニング娘。 TMCで『HEY!×3』の収録
2002.03.24 渋谷センター街が『4thいきまっしょい!』の宣伝一色に
      テレ東『ASAYAN』最終回
2002.03.26 矢口 自宅で大号泣 カーペンターズ『青春の輝き』『ふるさと』
      TMCで『堂本兄弟』収録 安倍 吉澤 石川 紺野
2002.03.28 安倍 『エアモニ』収録 人生を語る「自分は何を残せるのか」『21世紀』
2002.03.31 より子。 タワーレコード渋谷店でミニライブ
2002.04.04 『muSix!』収録直後に矢口倒れる バカ殿様とミニモニ。姫
2002.04.10 トイズファクトリーが5月のEE JUMPのアルバム発売中止を決定
2002.04.11 『フライデー』にEE JUMPユウキのキャバクラ写真が掲載される
2002.04.12 矢口 韓国へ石焼きビビンバを食べに行く(さくらももこ企画)
2002.04.13-14 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」大阪城ホール
        14日の音源流出(メンバーたちの不満)
2002.04.18 シャッフルユニットの7月3日発売を記者発表
2002.04.19 安倍 フジ『FACTORY』収録 ブルーハーツ『チェインギャング』をカバー
2002.04.20 市井 金髪に染める
2002.04.23 31年にも及んだ五木ひろしと徳間ジャパンとの契約が満了
2002.04.26 OH-SO-ROバスツアー 涙のフリーペーパー
2002.04.27-28 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」さいたまスーパーアリーナ
        2日目に志村けん登場 両日ともきくちP観覧
2002.04末〜05初頃 福田 ライブでGO!GO!7188をコピー、数曲を歌う
2002.05.04 表参道FAB より子。ライブ きくちP観覧
2002.05.06 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.05.10 一部量販店で娘。の15thシングルが7月31日に発売されることが告知
2002.05.11-12 東京ビッグサイトでハロープロジェクトキッズオーディション1次審査
2002.05.15 ハロプロと高木ブーのコラボレーション企画が発表される(ハワイ企画)
2002.05中旬 飯田 ソニンと仲良くなる。和田組宣言
2002.05.25 ハロープロジェクトキッズオーディション2次審査
2002.05.27 『EE JUMPのラジオでいいじゃん』打ち切り
2002.05.30 青山劇場『モーニング・タウン』公演 初日
       劇場内でカントリー娘。チョコレート『いちご色の恋』販売
2002.06.01 フジ『めちゃイケ』エンディング曲がより子。の曲に
2002.06.02 フジ『天使の歌声〜小児病棟の奇跡〜』制作発表
       より子。自伝を松浦亜弥主演で実写化
       より子。、アルバム『Aizenaha』で7月下旬にインディーズデビューが決定
        アルバムには「Thanks to 福田明日香」
2002.06.06 高木ブーとのコラボの詳細が告知される
       娘。・ココナッツ・藤本・石井でメドレーを新録
2002.06.08  松浦 FACTORYオープニングアクト 本編出演のより子。と対談
      より子。の歌収録部分はドラマのエンディングで使われる
2002.06.09 ハロープロジェクトキッズオーディション3次審査
2002.06上旬 矢口 中澤卒業の大阪城のDVDを観て泣いた
2002.06.11 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.13 ソニン ソロシングル『カレーライスの女』の8月21日発売が決定
2002.06.15 TBS『うたばん』『深夜の星』のスタッフ付でソニンが高知〜釜山間560kmマラソンに出発
      ユウキが通っていたキャバクラ「NOW」を経営していた新宿の「メディア」社が新宿署に摘発される
2002.06.17 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.19 日テレの娘。新番組タイトル『ティンティンTOWN!』と7月5日スタートがリークされる
2002.06.22 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.06.23 『モーニング・タウン』最終日 きくちP観覧
2002.06.27 東京国税局が元ワイズビジョンの白岩久弥、ハイムーンの白岩直弥を東京地検特捜部に告発
      娘。新曲タイトルが発表 『Do It Now !』 発売日も7月24日に確定
2002.06.30 テレ東『ハロモニ』生放送特番でハロプロキッズ最終選考者15人が全員合格
2002.07.06 『Do it! Now』PV撮影 安倍、メンバー全員が帰ったあとの楽屋で一人でデジカム収録
       娘。の思い出、今の娘。への思い、これからの自分の夢をこっそり収録する(いまだに未発表)
      ソニンが韓国・釜山に到着
2002.07.07 お台場 studio DREAM MAKERで『Do it! Now』初披露
       「キダム」の記者発表
      平家みちよの松浦ツアー不参加が決定
      中澤新曲に続き、後藤ソロ、タンポポ・プッチのベスト盤の8月下旬リリースが告知される



で、この後、7月中により子。と姐さんがラジオで会ったり(和田さんも)、りんねにいろんなことが起こったりして、7月下旬のハロプロ大改編発表を迎えると。





2006年6月に書いたものの再掲です。補足説明も足しました(むしろ補足説明かなり書きました 笑)

故柳原尋美さんの誕生日(2005年10月19日)に、石垣島の友人から尋美さんの御両親へバースデーカードが届いていたということ。
そのときは「送ってきたのは、りんね(推定)」みたいな書き方をしたのですが、その後資料をひっくり返していて確定的なこととして書いて良いのではないかと思うようになりました。

りんねがカントリー娘。を辞める頃の状況とモーニング娘。の置かれた状況、2002年に行われたハロープロジェクトの改編(いわゆるハロマゲドン)、それとりんねと安倍さん(なっち)の関係を交えつつ振り返ってみようかと思います。



りんねは芸能界引退までに何回か石垣島を訪れているのですが、これは父親が石垣島に住んでいるからです。不動産屋をセミリタイアした父親が年に半年くらい滞在しているそうです。ほったて小屋みたいなところを改造して自炊して畑耕して・・・そんな暮らしぶりなのだそうです。さすがりんねの父親というか、この父があってこそのりんねというか、正直ちょっとうらやましいです。

カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)私設記念館さんのヤンタン書き起こしに父親の自然体な暮らし振りが紹介されています。
りんねが2年ぶりの休暇を使って沖縄を訪れたのが2001年のゴールデンウィーク明けなので、ちょうどモーニング娘。初のミュージカル『LOVEセンチュリー』が始まった頃です。2年ぶりの休暇ということはりんねが牧場デビューしてから初めての休暇ということになります。いろんなことを乗り越えてきてメジャーデビューに至り、初めてゆっくりできた時間だったのではないでしょうか。

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2001年10月、<カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)>が新曲『恋人は心の応援団』をリリース。
りんねはデビュー曲『二人の北海道』から自分のCDをずーっと聴き直しています。

「そしたら、いろんなこと想い出したよ。曲って不思議で、メロディー聴くだけでそのころ感じた色とか想いとか全部よみがえるんだよね。「想い出だ」って思ってたことがリアルに感じるの。みんなが思うりんねってどんな子なんだろう?
 りんねは、カントリー娘。になってから3年近いけど、友達に「変わったよね」って言われるの。少し『女の子』っぽくなったって(笑)。確かに、CDの声も変わってきてるんだよ。
 最初は、「りんね変わった」って言われるのちょっとイヤだったんだ。「昔のりんねじゃない」って言われてるみたいでね。でもさ、高校生のころと今とじゃまわりの環境とかが全然違うし、その「違い」に合わせて変わっていくことは「成長する」ってことなんだと思うんだ。その場所によって「いろんな幸せ」を感じるために、人って変わるんだと思う。
 りんねは割と、自分の好きなこととか、物とかこだわっちゃうタイプだから、変わるのがちょっと怖かったんだけど、今は全然変われるよ。でもね、不思議とそう思えた時から、前よりもっと「好きな物」とか「好きなこと」がわかってきたの。あー、「りんねってこういうの好きなんだね」って自分に言ってること、よくあるもん」(「りんねのしっぽ」第47回より)

この後の11月18日、カントリー娘。はモーニング娘。と一緒に沖縄でライブを行いました。その日の夜、ホテルの部屋でカオリは矢口・圭ちゃん・みっちゃんと、多摩川の河川敷では明日香が、そしてりんねはなっちと一緒に夜空を見上げていました。その日は近年最大の獅子座流星群が見られると言われていた夜。

沖縄の夜空の下、りんねはハロプロの中で一番親しかったなっちといったいどんな会話をかわしていたのでしょう。なっちとの関係は10人祭(2001年のシャッフルユニット)の活動以降急速に深まったようですが、この時期から2人の発言はところどころ共通性が見られるようになります。

2001年末、『アイドルをさがせ』*1 DVD特典のためのコメント撮りがあります。デビュー当時を振り返ってのコメントでした。分かりやすいように少し補足してありますが、以下ほぼそのままの書き起こしです。

「…初めてのコンサートの時に姐さん(中澤)たちにコーラスしてもらったこと
 今でも忘れられないんだ…
 本当は3人(あずさ・ひろみ・りんね)でやる予定だったコーラスをやってもらって…
 始まる前に姐さん(中澤)に言われたんだ…
 『りんねはカントリーで一人でも、モーニングのみんなが仲間なんだから頑張んなさい』って。
 あの言葉、泣きそうなくらいうれしかった…」

「あのとき弱音は絶対吐けなかったから…
 肩ひじ張って、すごい力んで生きてるときで、
 だからモーニングの楽屋にいるときもすっごい緊張してて…」

「今のわたしが見ても、あの頃のりんねに『もっとリラックスしていいんだよ』
 って言ってあげたくなる…
 でも…すっごい頑張ってたなあって思う……」

『カントリーの歴史は全部アイさがが映してて…
 アイさがのスタッフがカメラを持って牧場にいることがあたり前だったから、
 それが牧場の一つの風景になってて…
 とにかく全部映像に残ってるから、もうちょっと時間が経ったら残ってるフィルムを
 全部見直してみたいなあって思います…』

(2014年補足追加)
1999年7月16日にカントリー娘。のメンバーである柳原尋美さんが交通事故により急逝。尋美さんは1998年の深夜ドラマ『太陽娘と海』の頃からモーニング娘。とは度々共演するアップフロント所属のタレントであった。

歌手を夢見ていた尋美さんが1998年の深夜ドラマ『風の娘たち』で花畑牧場を訪れたことをきっかけに北海道との関係性が始まり、翌年にはカントリー娘。の募集を開始。花畑牧場でのオーディションで選ばれた小林梓・柳原尋美・戸田鈴音の3人で活動をすることになる。

3人は花畑牧場に隣接するフェーリエンドルフのコテージで共同生活をし、時には喧嘩し、時には慰めあいながらデビューの日を夢見てレッスンと牧場仕事に精を出していた。が、7月23日のデビュー日を目前に先の事故が起こり、またその事故を受けてメンバーの一人あずさも心労により休業。先行きが見えないまま、残ったりんねが8月1日に北海道上ノ国でコンサートを行うモーニング娘。のステージに立つことになった。

メンバーを失ったカントリー娘。のステージにはモーニング娘。のメンバーがコーラスとして代わりに立った。また、それ以降柳原尋美さんや小林梓さんの思いも背負ってりんねはステージに立つことになる。

上記のりんねのコメント・回想はそれらを受けての発言。
2014年には残った二人が沖縄で再会。旧交を温めている。(追記ここまで)


そして、年が明けて新春ハロープロジェクトののコンサートが終わると、りんねは再び石垣島に向かいます。3日間、特に何もせずひたすらネコと一緒にボーッとしていたそうです。ネコはりんねが沖縄で一人で暮らす父親のためにプレゼントしたもの。そこでりんねがつくづく感じたこと、それは「自然はイイ」ってこと。りんねのエッセイは「春になったら牧場の自然に埋もれに来てねん!」としめくくられています。

2002年2月6日。りんね21歳の誕生日は半年ぶりの故郷・札幌で迎えました。
しかも、中学生の頃から寮生活をしていたりんねにとって10年ぶりの札幌雪まつりです。りんねは幼馴染みと雪まつりにくり出したそうです。この日東京から帯広に帰らず札幌で自分の時間を大切にしたりんね。走り続けて3年近くが過ぎ、いろいろと見つめ直す時期に来ていたのでしょうか。

また、この雪まつりには2月6日にりんねの小学生の時の出身劇団である「札幌こどもミュージカル」がうたのコンサートで参加しています。おそらく幼馴染みとはこの劇団で一緒だった人なのでしょう。りんねは自身の誕生日に自身の出身劇団のコンサートを昔の仲間と見るために故郷・札幌を訪れたのです。


2002年3月、りんねはまた石垣島に向かうチャンスがありました。それはTV番組『アイドルをさがせ』の最終回を石垣島で収録することになっていたからです。しかしこれは会長命令でストップがかかって、行くことが出来ませんでした。

りんねにはラジオ『ヤンタン』に出ることを優先させたため、ストップがかかったのです。ちなみにこの3月30日放送の『ヤンタン』でなっち・圭ちゃん・りんねの3人組の1年3ヶ月に渡るレギュラー出演が終わりでした。

この経緯を説明したヤンタンを聞いているとさんま氏が勘違いして話しているのでわかりにくいですが、なっちとりんねの話を抜いていくと話はちょっと違う風に見えてきます。りんねやなっちは時間的にもっと長い話をしていますよね。(やんどふぁんさいとさんの3月30日ヤンタン書き起こし

最初はりんねも『アイさが』のロケで石垣島に行くスケジュールが組まれていました。それが突然キャンセルされます。そりゃあ父親にも石垣島を訪れる旨を伝えていたでしょうし、りんねの大好きな場所に世話になってきた中澤さんや平家さんと一緒に行けることはりんねにとって何よりの喜びだったのではないでしょうか? なにしろ「姐さんが卒業してコンサートで一緒の楽屋になってうれしい」と言っていたりんねですから。

りんねは「なんでですか?」とマネージャーに食い下がります。マネージャーは「その日はヤンタンがあるでしょ!」とヤンタンを理由にキャンセルになったように言いました。りんねは「ヤンタンの方がやっぱ大事なんだなぁー」と自らを納得させます。石垣島に行けないのは心残りだったのでしょうが、りんね自身ヤンタンの仕事は好きですし、なっちや圭ちゃんとのつながりもあるのでそこは引いたのでしょう。コトはそれで収まるはずでした。

一方、なっちと圭ちゃんはヤンタンの卒業を通常の業務連絡の中で知らされます。モーニング娘。13人揃っている中で「えっと。ヤンタンとりあえず、えっと保田と安倍卒業だから」と。なっちと圭ちゃんは顔を見合わせます。2人の中でショックだったにもかかわらず、マネージャーは意に介することなく事務的に「明日のスケジュールは・・・」と続け出してしまいました。
なっちと圭ちゃんはかなり頭にきたようです。本体付きのマネージャーではなく、普段ヤンタンに一緒に来るマネージャーに苦情を訴えます(この辺の一連の流れはラジオ内容からの引用)。

2人は「微妙な抵抗」と言っていますが、けっこうきつい言い方をしたのではないでしょうか? それに、交替で入ってくるのが松浦さんだったことも2人の堪にさわったのかもしれません。この時期に流出した音源を一つ引用します。
  2002.04.14 モーニング娘。大阪城ホールコンサート流出音源。
    加護?「わー」
    その他「おーい」
    保田「大阪だっぜー」
    矢口「一回目でももりあがろーぜー」
    保田「もうかってまっかー」
    矢口「あー、もうかってませーん ハハハ」
    保田「ぼちぼちでんなー」
    矢口「会社にぼったくられてまーす」
    (周囲笑い)
    矢口「松浦のライブに使われてマース」
    加護「おー、そだよー」
    吉澤「そおやー」
    矢口「それでもがんばりまっす」
    保田「おーし」
    その他「おーし、おーし」
    加護「うぉ!」
    保田「がんばるぞ」
    スタッフ「本番です」

この当時の松浦さんへの認識にはこういうものがありました(もちろん個人的な憎悪とかいう話ではなく、仕事上での意味合いです)。2001年に松浦さんの宣伝に投資した莫大な資金の出所はメンバーだってわかっているでしょうから*2、こう思うのは普通のことだと思います。そういう認識があったから、松浦さんへレギュラー交替することに反発する心が芽生えたのではないかと思います。*3

その後なっちは不満を抱えたまま、どうにか自分を納得させたりんねと焼き鳥屋に食事に行きます。当然なっちはりんねもヤンタン卒業の件を知っていると思い、そのことを話します。りんねにとって衝撃事実でした。「えぇ!!!」「ちょっと待って!なっち!何?今の?」「聞いてないよ!」と取り乱します。りんねは自分にとってヤンタンは大事な仕事だと思っていたし、今後のためにもマネージャーがヤンタンを選んだのだから…と納得したのに、事実はその週の収録でヤンタンは最後でした。

りんねは現場のマネージャーのところに電話します。「今日なっちから聞いたんですけど…」と伝えると明らかに相手は動揺しています。動揺して「社長と話す!」と言ったので待ったものの社長までが動揺していたそうです。先になっちと圭ちゃんから苦情が上がり、今またりんねから上がってきたとなると、古参メンバーたちが結託していると思ったのかもしれません。「社長までが動揺」(瀬戸さんか山崎さんか分かりませんが)ってのはちょっとした騒動になっていたんじゃないでしょうか。

この時期は先述の松浦さんの件はもちろんのこと、『モーニングコーヒー2002』の件、楽曲的な不満*4 、市井さんの扱い等、「中澤さんがいなきゃ押さえる人いないだろ!」てくらい古参メンバーたちの不満が高まっていた時で、メンバーの動向には事務所側もけっこう敏感だったのではないでしょうか。

古参メンバーたちはラジオで意味深な発言を繰り返していましたし、矢口の自宅号泣事件や『青春の輝き』話*5 もこの頃のことです。中澤さんの4月7日オンエアのラジオでは「気分がどうもこう元気になれない時期。いつも不安で、私は一人なんじゃないかなとか、これからどうなるんだろうって思っている時期」と言い、そして「改心」したとなっています。

なっち・りんね共に言うところによると「次の日に大きいことになっちゃった…」。結局、なっちと圭ちゃんは月1回の出演を、りんねはカントリー娘。で持ち回りで一人ずつという準レギュラーの条件を引き出したのですが、この件はりんねのその後の去就に多大な影響を与えた一件だったのではないでしょうか。今から考えてみると、後のハロマゲドンにこの事件は少なからず関係があるとも思えます。

レギュラーを離れる3人はさんま氏にお別れの手紙を書いてきたのですが、りんねはなっちと圭ちゃんにもこの日手紙を書いて渡しました(非公開)。この手紙、おそらく重要なこと(微妙な反抗に関して)が書いてあったと思うのですが、まあ、絶対に表には出てこないものなので、、、公開されているさんま氏への手紙を載せておきます。やっぱりりんねの手紙だけちょっと異質な感じが漂ってますね。(手紙は準レギュラー待遇決定前に書いたもの)


●安倍なつみ
 こうして改めて手紙を書くのはこの前のラブレター企画以来ですね。
「ヤンタンはとりあえず卒業だよ」って聞いた時には、正直本当にショックで悲しくて悲しくて 「なんで?どうして?」って気持ちでいっぱいでした。もうみんなで笑ったり言い合いしたりジョークで大爆笑したりできなくなるんだなぁって、そう思うとなんだか悲しくて、ショージさんの芸術っぽい絵や玉井さんのさり気ないツッコミ が近くで見たり聞いたりできなくなるんだなぁって。
でもやっぱりさんまさんと会えなくなって心のどこかで なっちの事が薄れていくんだなぁって考えるのが一番悲しかったです。 次のメンバーと楽しくトークしてる所をパッと思い浮かべるとなんだかとても嫌であはは。 仕方のない事ですね。でもそのくらい番組とヤンタンメンバーが大好きでした。
 最初はこんなに思い出のある番組になるなんて思っていなくって、でも気が付けば本当に大好きな大好きな 大切な場所になってました。
 ショージさん、玉井さん、りんね、圭ちゃん、スタッフの皆さん。
そして愛するさんまさん。本当に本当にありがとうございました。また必ず遊びに来ます。その時は成長した ギャグなんかを披露しちゃいますよ。
以上なっちでした。

●保田圭
 さんまさん、ショージさん、玉井さん。1年半ありがとうございました。 私はヤンタンが本当に大好きです。だからレギュラーを離れるのが寂しいなぁ。 あっという間の1年半でした。
最初は全然喋れなかった私も「ポテチン」と呼ばれ、そして今じゃおっさんキャラです。 あれは確か『保田です。6時です』から始まったんですよね。ほんと全てがいい思い出です。
 でも1つだけ心残りというか気がかりな事があります。それはなっちの事。 レギュラーを離れる事で終わってしまうんですか?私からのお願いです。なっちをよろしくお願いします。
それでは本当にありがとうございました。

● りんね
さんまさんへ
 1年間と3ヶ月本当にお世話になりました。考えてみるとヤンタンに出演し始めた頃は りんねはまだデビューもしていなくて、ただの牧場娘だったんですよね。 りんねにとってヤンタンは泣いたり笑ったりとっても忙しい番組でしたが、今まで芸能界でしたどんなお仕事よりも楽しかったし、なぜかすごく落ち着く空間でした。 皆さんほんとに温かくて優しくてりんねはラッキーですね。
 そんなりんねにはヤンタンレギュラーに決まった時から一つの野望がありました。それはりんねがこんなに愛してる牧場とか自然とか動物とかが、さんまさんはあんまり興味がない又は嫌いって聞いたからです。そして絶対さんまさんを自然派にしてみせるという事を目標にしました。 案の定1回目から「はぁ?牧場なんで好きなん?」とか「俺は大嫌いや!」と冷たく言い放たれましたが、りんねは負けずに、いやたまに負けて泣いちゃいましたが、今1年とちょっと経ってみて 「コーギーの赤ちゃんってボブスレーみてぇで可愛いなぁ」とか「お家で飼おうかなぁ」とか言っている さんまさんを見て、目標達成20%と思っています。でもりんねはこの後何年とか何十年後とかに、さんまさんが朝7時とかに起きて、ショージさんと二人朝の散歩兼鯉の餌やりをやっちゃうような素敵なおじ様になるまで頑張りますので、だからさんまさんもずっとたくさん笑っていっぱいの人を笑顔にしていっぱい焼肉を食べて元気にいてください。
 いつの日かそれにも飽きちゃったら昼間のピクニックとかに行きましょうね。りんねもメジャーデビューして1年を迎えだいぶ慣れてきました。この1年ヤンタンの影響はすごく大きくてほんとに感謝してます。ありがとうございました。これからもりんねを見守っていてください。いつまでも優しくて元気でちょっとお茶目なさんまさんでいてください。
それではりんねより



これが放送された前の週のヤンタンで「会長から『今年カントリー娘。は変化する。大改革を予定』と言われた」との発言もありました。里田まいさんが入っての新しい4月17日発売のシングルの内容も、当初は「新曲は春or初夏の感じ」(連載「りんねのしっぽ」より)だったのに、どうやら差し換えで『sexy baby』に替わっているようです。これは後のハロマゲドンに先行するモノだったのでしょうか? この時期からハロマゲドンに向けて少しづつ手を打っているのでしょうか?

「牧場を感じる歌を歌いたい」「石川梨華ちゃんにもう1曲だけ入ってもらって、4月17日に曲を出します」といった発売前のりんねの発言を見ると、りんねの求めていたものは牧場を舞台にしてPVを作っていた頃のカントリー娘。だったのでしょう。ただ、もちろんりんねは我慢することろは我慢しなければならないってことは、当然分かっていたと思います。

今までハロマゲドンは「モーニング娘。の枠組みをハロープロジェクトの枠組みに変更したい*7 。ユニットの枠組みをとっぱらいたい。客の囲い込みと各メンバーの人気の底上げを図りたい、事務所の思惑としてはそんな風じゃないのかなと捉えていました。それに後藤さんとユウキの件を絡めて考えていたのですが、それは断片の一部に過ぎず、意外とこのヤンタンの古参メンバー反抗事件は大きいことなのかもしれません。ハロマゲドンがきちんとマーケティングをした上で行ったとは到底思えないし、感情的・直感的に動いてしまった部分も多々あったと思えます。

和田さん*8 が独立させられた後(2004春)、アップフロントの事務所に入っていっても社員から挨拶されないなんて話がありました。思いつきですがモーニング娘。からの旧勢力の潜在的影響力の排除みたいな側面もあったのかもしれないなあ。市井さん復帰の際も旧メン勢が当初は支援していたにもかかわらず、そのあと音沙汰なしになったし、市井さんが復帰してきたときに和田さんや平家さんと行動を共にしていたこともあったのですが、そのメンツもなんだかね…*9

市井さんが正式再デビューした2002年4月あたりから後藤さん卒業あたりまでは収録が一緒になることもたびたびあったのですが、それ以降急速に減ったのも気なるところです。その頃(2002前期?)は「松浦殺すbyソニン」と和田さんが言っていましたが*10 、カオリがラジオで「和田組」を公言してたのもこの時期ですね。一時代を築いたASAYANが終わったのも同時期だったし、区切りをつけるときだったのかもしれません。人事刷新して組織替えというか、古い人たちにはそれなりのポジションに移ってもらって、命令系統の再確立って面もありそうな感じですね。


話を戻しましょう。仮定に仮定の話をこれ以上広げても仕方ありません。

さて、その後のりんねですが、調べていくと以前とあるところに書いた状況とはちょっと違うのかなあと思えてきました。もちろんハロマゲドン直後の牧場ロケでのりんねとなっちとのやり取りは妄想に過ぎませんし、福岡の一夜も妄想にしか過ぎませんが、りんね卒業後のなっちとの関わり方を見ると、それに近いことがあったのは間違いないんだろうなと今でも思っています。*11
しかし、りんねの発言や行動を追っていくと、もっとより深刻というか、自分の節を曲げなかったりんね像が浮かび上がってきます。それがどういう結末を生むか分かってて、りんねは自分の意志を貫くのに必死だったんじゃないのかなと……初志貫徹と妥協に悩まされる葛藤の毎日だったのではないでしょうか。


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長くて終わりません(汗
次回2002年4月以降のことをスケジュールと照らし合わせつつ振り返りたいと思います。



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(2017年2月補足説明追加)
*1 『アイドルをさがせ』は1999年1月から2002年3月までテレビ東京で放送されていたバラエティ番組。通称『アイさが』。モーニング娘。が所属するアップフロントエージェンシーの事実上の買い取り枠で、同事務所に所属するタレントが数多く出演していた。制作は『ASAYAN』を初期から中期にかけて作っていた吉本SSM。
*2 1999年の『LOVEマシーン』から始まり『恋のダンスサイト』『ハッピーサマーウエディング』『恋愛レボリューション21』の立て続けのミリオンヒット、それに付随するコンサートやグッズの収益、CM出演料等当時の収益は相当のものがあったと思われる。2001年デビューの同事務所の松浦さんには新人としては異例とも思える広告出稿量とテレビ出演が用意されていた。
*3 実際安倍さんと松浦さんはその後も距離は開いたままだったようで、その疎遠さは本人たちも認めるところだった(といっても「仲が悪い」というような類のものではない)。

*4 1999年以前から所属していたメンバーたちは初期のコーラス&ハーモニーを重視していた頃の楽曲への回帰への気持ちが強く、たびたび「ああいった曲を歌いたい」的な発言をしていた。
*5 矢口さんもこの頃、1年前の中澤さんの卒業DVDを見ては号泣、自分のミニモニでの活動姿を見ては落ち込んで泣いたりと、多忙すぎる生活と自身の思い描く活動とのギャップに悩まされていたようだ。『青春の輝き』はカーペンターズの曲で、矢口さんの好きなドラマで主題歌として使われていた曲。初心を思い出す曲として矢口さんの『オールナイトニッポン』でもかかっていた。福田明日香さんが卒業するときには彼女にこの曲を送った(福田さんもこのドラマが好きだった)。
*6 里田まいさんはカントリー娘。に2002年1月に加入、4月から本格活動を開始。

*7 当時はまだ「ハロー!プロジェクト」「ハロプロ」という枠組みは世間的にはメジャーな存在ではなく、カントリー娘。やメロン記念日といったグループも概ね「モーニング娘。でしょ?」という世間的なイメージがあったと思う。2002年夏のいわゆる「ハロマゲドン」以降、盛んに「ハロプロ」という単語が使われたため、その後普及していった。
*8 ハーモニープロモーション社長。シャ乱Qのチーフマネージャーの後、モーニング娘。初期のチーフマネージャー。『ASAYAN』でモーニング娘。企画を主導していた一人。1998年にアップフロントグループ内にハーモニープロモーションを立ち上げ、2004年に資本関係を解消。その後安めぐみ・優木まおみ・朝比奈彩らをブレイクに導く。
*9 平家さんのマネジメントを2002年初頭(時期記憶曖昧)に和田さんが申し出たことがあったが会長からは「考えがある」と却下された。また市井さんに関しても復帰後のマネジメントに疑問を呈す発言も見受けられた。

*10 和田さんが持っていたラジオで「ソニンが言っていた」という体にして松浦さんに毒づく発言が度々あった 笑
*11 ここいら辺の妄想は2002〜03年に書いたのですが、もう恥ずかしい過去なので 笑、どうしても知りたい方はこっそり聞いてね。

2月8日に私立恵比寿中学の松野莉奈さんが亡くなられました。
謹んで哀悼の意を表します。

18歳という若さで旅立ったこと、周囲の方々の心情を思うと言葉を失います。
そして松野さんの希望に満ちた未来を思うと・・・


自分は私立恵比寿中学と松野さんのことをよく知っているわけではありません。
時たま歌番組で得た知識がすべてといってもいいでしょう。

それでもこの訃報を聞いて苦しくなるほどに心が締め付けられたのは今から18年前に亡くなったあの子のことを思い出さずにはいられなかったからです。


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1999年7月16日。
北海道の中札内村で一人の女の子が旅立った。

彼女の名は柳原尋美。

カントリー娘。というユニットでCDデビューを1週間後に控えていた時の突然の事故だった。

カントリー娘。は尋美さんと小林梓さん・戸田鈴音(りんね)さんの3人組で、1999年の春に北海道中札内村にある花畑牧場で行われたオーディションで結成されたグループだ。

マネジメントはモーニング娘。(当時は『LOVEマシーン』での大ブレイク前で福田明日香さんが脱退の頃)が所属していたアップフロントグループで、プロデューサーも同事務所所属の田中義剛氏とされていた。

当時の花畑牧場も生キャラメルで全国的なブームを起こす前の借金にあえいでいた頃で、まだまだ牧歌的な雰囲気を残す牧場だった。


尋美さんはカントリー娘。になる以前にはデビューしたばかりの頃のモーニング娘。とたびたび共演。ドラマや映画の撮影で数多く行動を共にした。

中には1998年の春先の2週間あまり合宿しながら撮影したドラマ『太陽娘と海』のような例もあり、同世代だった当時のモーニング娘。のメンバーたちとは打ち解けて話すことも多かったようだ。

また同年には花畑牧場を舞台にしたドラマ『風の娘たち』にも出演しており、カントリー娘。結成以前から尋美さんは花畑牧場に出入りしていた。


カントリー娘。が結成されて以降、3人は花畑牧場に隣接する宿泊施設フェーリエンドルフにあるコテージを1棟借り共同生活をしていた。

時にはレッスンを行い、時には花畑牧場で牧場仕事の手伝いをし、時にはフェーリエンドルフ内にあるレストランでアルバイトをしながらの共同生活。時として喧嘩もあっただろうし、たくさんの試練があったに違いない。

一緒に暮らした濃密な3カ月余り。
そう、たった3カ月ほどのことだったのだが、その生活は突然の終止符によって(あえて言うならば)かけがえのないものとなった。

モーニング娘。のメンバーたちが先に述べた『太陽娘と海』での2週間あまりの合宿の出来事を後々まで覚えていたように、カントリー娘。に残された2人にとって尋美さんと過ごした3カ月は心の中でとても大きいものになったのだと思う。


訃報の後、1999年夏に予定されていたモーニング娘。とカントリー娘。の合同コンサート*1、尋美さんの御両親の意向によりパンフレットにはそのまま彼女の写真が掲載されていた。

ドラマで共演していたモーニング娘。のメンバーたちと同じステージで歌えることを尋美さんはそれは楽しみにしていたという。

しかしそれは叶わぬ思いとなった。

事故直後には心労で小林さんが抜け、ステージには数々の思いを背負ったりんねがただ一人残った。



りんねは(あえて親しみを込めて敬称略で書かせていただく)当時18歳で札幌出身。
騎乗ライセンスを持ち、子供の頃はミュージカル劇団に所属してポーランド公演に出演したこともある。

またキリスト教系の学校に学び高校時代は広島で寮生活、海外青年協力隊としてマレーシアに行ったこともあった。父親が40歳を過ぎてからのお子さんで、その父親は北海道と石垣島を行ったり来たりしているような方だったという。りんねの言葉によれば半自給自足の生活をしているような方だとか。

そうした環境に育ってきたりんねが尋美さんの旅立ちをどう受け止めたか。

それはもちろん彼女自身にしか分からないことではあるが、ある時期を超えて事務所から尋美さんの発言を止められたこと、また彼女が一つの決心をしたと思われる2002年の言動・行動から察するに、とても重きを置いていたのではないかと思う。



2002年10月にりんねは花畑牧場からもカントリー娘。からも去る。
その夏の発表でカントリー娘。は活動拠点を北海道から東京に移すと決まっていた。

りんねが1999年から一人で守り通し見せてきたものは、そこで終わったのだと思う。
それから先は彼女と彼女の気持ちを汲んだ周囲の人たちの中で思い出が生き続けたのだと思う。


その後。

尋美さんの誕生日にはバースデーカードがご両親の元へ石垣島から届いた。

尋美さんの命日近くには安倍さん(なっち)の元へ石垣島から野菜が届けられた。*2

尋美さんの誕生日の頃、小林さんが沖縄まで行ってかつての旧交を温めた。


歌を歌いたいと言っていた尋美さんの思い出とその活動の記憶、それらをずっと大事に胸にしまって生きている方たちが18年経った今でもいる。

そして自分はおそらくそうした思いを汲める範囲では拾えてきたのではないかと思う。*3

『太陽娘と海』や『風の娘たち』の太田監督からもたくさんの話と知らないことを伺えたし、時に思わぬ出会いがあったりもした。

そんな18年積み重ねたいろんなことが思い出されて、最近の訃報を聞いた時に胸がキュッとなったのですよ・・・


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*1 他には平家みちよ・太陽とシスコムーン・ココナッツ娘らが出演
*2 りんねと安倍さんはりんねが辞める頃とてもプライベートで親しくしていた。その後も安倍さんからりんねの話を聞くことが度々あった。
*3 とんだ勘違い野郎なのかもしれないが。

〇玲里さん

彼女のライブは万人にお薦めできる完成度の高いライブ! いつ見ても圧倒されて、こんなにいろんな才能溢れている人が世の中にいるのだと感嘆してしまう。
玲里さんはギターとピアノ両刀使い、ライブ中にポジション換えてどちらも見事な演奏を披露。時にはエレキギターも弾くしカズーやシェイカーも器用に使いこなす姿がカッコいい。

玲里さんの楽曲と歌声と演奏もさることながら、いつも難波弘之さんがピアノサポートに入っていてライブを楽しませてくれる。

難波さんは山下達郎バンドにも名を連ねる方で、ご両親も音楽家であり、時には大学で音楽講師を務め、時にはSF小説を発表したりと、これまた多才であり造詣が深い方。音楽界での横の繋がりも広く、そのため玲里さんのことを子供の頃から知っているミュージシャンの方たちもたくさんいらっしゃるようだ。

あ、玲里さんは難波さんの娘さんでして。
そういう訳で彼女のアルバムには錚々たるアーティストたちが参加しているし、またそういった方たちに囲まれて育ってきたそのバックボーンとでもいうか、玲里さんのライブを見ていると音楽の広がりと奥行きの果てしなさを感じる。

幼少期の頃から「こんな音楽が聴きたい」とか好みを言うと、音楽家であるお爺ちゃんお祖母ちゃんが「じゃあ、これを」とすぐに見合ったレコードやCDを出せるような環境で育ってきたことは計り知れない音楽的才能を培っているのだなあと。

自分は音楽的な専門知識は持ち合わせていない素人なので抽象的な説明になってしまったが、ホント見られるうちに見ておいた方がいいですよと。達郎さん周辺ということで、メディア露出に関してはそんなに積極的ではないだろうし、ぜしライブで!(「ぜし」は彼女のお決まりの言い回し)

たまにフリューゲルホルンのYUHKIさんという方がサポートに入る時があり、玲里さんの歌声とのマッチングがたまらないので、そこもまたぜし!

玲里 New Album 『OPEN WORLD』試聴

<参加ミュージシャン>
難波弘之 / 土屋昌巳 / 織田哲郎 / 北島健二 / 佐橋佳幸 / 吉良知彦 / 日下部 Burny 正則 / 徳永暁人 / 安部一城 / 宮里陽太 / YUHKI / 忍田耕一 / 伊藤広規 / 小室和幸 / 松本慎二 / 根岸孝旨 / そうる透 / 屋敷豪太 / 高橋 Roger 和久 / 森信行 / 小笠原拓海 / 飯尾芳史 他



〇マリモキウチさん

サポートを入れてのバンドライブ、エレキギター弾きマリモさん。
去年初めて音源を聴いて一発で好きになる。記憶に残る声質、メチャ好みです。
高いところで通す無機質ながら可愛い声が魅力的!と思いつつ、低音もエッジが効いていて高音域の無機質な感じにプラスされ複雑な声質を作る。

楽曲はロックを意識した作りであり、また自分としては耳に馴染んだ古くはレベッカ、最近ではチャットモンチーあたりを彷彿とさせテンションが上がる。

ライブは対バンの持ち時間に目一杯楽曲を詰め込み、MCは必要最低限(gee-geのライブで7曲詰め込んだことも!)。バンドメンバーたちとほぼほぼノンストップで走り続けるのもまた嬉しい。一転ステージを降りると、笑顔柔らかく人懐っこい感じもあってそのギャップに驚きます。

実は日本最高学府に通い(通っていた?)、帰国子女で英語も余裕という彼女。ヴァイオリンやピアノも弾けたりもしちゃうとかなんとか(他にもいろいろ出来るのかもしれない)。歌詞は詩的であり、また難しい単語は使わずどこか硬質で抽象的な表現もあったり、自分はとても好きな世界観。

ミニアルバム『ヘッドホンを外して』のプロデューサーとMixは明石昌夫氏。初期のB'zやZARDなどビーイング系のアーティストの編曲やプロデュースを多く手がけた方。

明石さんはMANISHやMi-Keの複数曲、キタキマユさんの『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』なども手掛けていたというから、それらが好きだった自分としてはそりゃマリモさんのアルバム気に入るわけだわ、と妙に納得。しばらくこのアルバムばかりリピートしていた。

ライブのサポートメンバーもみんな若いけど気さくでイイ感じ。若いバンドマンにありがちなツンケンしてスカしてる感じもなく音楽好きな感じが出ていて楽しそう。

マリモキウチ『トケル』




〇はらかなこさん

ピアノインスト・はらかなこさん。
こんなに楽しそうなピアノを弾く方を見て、初めてピアノインストを聴く楽しさを知る。「歌うピアノ」とも称されるその演奏は流れるようでポップでさらに情景まで伝わってくる。はらさんもいつも笑顔で弾いていて、サポートの方たちとの呼吸の合わせ方ややりとりも楽しい。

とにかく「楽しい」のだ。2時間超えのワンマンを聴いていても全然飽きない。ピアノインストでだよ!

ベースとなっているのはクラシックの世界とのことだが、実は以前はサザンオールスターズのコピーバンド・いとしのエリーズでピアノを弾いていたとか。いとしのエリーズの「リアル原坊」としてご活躍とのこと。

サポートにはドラムやベースのサポートが入っていることも多く、ジャズ的な要素を感じることも多い。はらさんもピアノの他にドラムやトランペット、トロンボーンなども弾けちゃったりして、その多才ぶりに驚く。

たぶんこの先ピアノインストというジャンルを一変させていくのではないかと、そんな期待を感じさせてくれる彼女。昨年はところどころで催し物のオープニングアクトを務めていらして、「OAはピアノインストのはらかなこ!」という流れもこの先できそうな感じ

Brand new day


Rydeen / YMO cover




〇犬塚ヒカリさん

現在高校2年生のギター弾き語りシンガーソングライター。

なんといっても彼女の声のインパクトは強い。まずその力強さに驚き、そして低音の響き、高音の繊細さ、そして最近では全体としての柔らかさもある。

ライブはオリジナルオンリーでその世界観も独特。時に幕末の遊郭を感じさせるような曲もあり、時に地中海の海岸線を感じさせるような曲もあり、また聴いているこちらがドキッとしてしまうような大人っぽい曲もあり、最近の同年代の子たちが作っている曲とは方向性が違う(もちろん身近なことを題材にするときもあるが)。

好きな歴史上の人物を佐々木只三郎(幕末・京都見廻組の武士、一説には坂本龍馬の暗殺犯)と言っちゃうあたり、また行きたかった場所が銀山温泉(大正の風情漂う山形の温泉)だったりと、その感性は本当に面白い。

彼女もまたピアノやトランペットといった複数楽器を出来るとのこと。まだ披露したことはないけど、いずれ見てみたいものだ。

ワニ好きな犬塚さん、いいなあと思うのはお客に媚びないこと。同年代のSSWたちは自分アピールが強くファン(お客)にあれしてこれしてというお願いが多くちょっと引くこともあるけど(もちろんそういう姿勢も必要だが)、彼女は例えばバースデーワンマンとか話として出すと「プレゼント催促してるみたいで恥ずかしい」的な反応なので、その辺の感覚がホントいいと思う。芯というか筋がピシッと一本通っているというか。

なんかこう濁ってきた自分の感性の清涼剤的な感じでもあるのかな。ぶれない真っすぐさが清々しい。ちょっと話しても本質の部分を的確についてくるしね。

いつも実年齢より上に見られることをちょっと気にしてるけど(小学5年のときに大学生に間違えられたらしい)、それこそ大学生の頃にはバランスのとれた素敵な女性になってる気がする。そしてその頃には大きな飛躍が待っていそうな気配もビンビンと。

犬塚ヒカリ『東京の果て』




ちょっと時間の都合でこれ以上書けなくなったけど、

やはり歌声が特徴的でエッジの効いたハイトーンボイスと、記憶に残るメロディーラインが秀逸な「福永実咲」さん。

名古屋を地盤に活動してこれまた声質が特徴的でキャッチーな楽曲、昨年末にはZepp Nagoyaでもやった「こんどうゆみか」さん。

やはり愛知出身、今年メジャーデビューを果たしてテレビでもたびたび見かけたハッカドロップスのマイさん。

いつもニコニコ、ベイスターズ好き、相撲好き、サポートバンドもいつも楽しい綺麗なお姉さんSSW「Ruca」さん。

根底にはR&Bがあるというボーカルminaさんと、編曲やってニュース映像風な週刊番組まで作ってしまう器用なベース・akkiy3からなるメロメロキュンキュンmusicな二人組「Lxenta」。

キュートな歌声・図司純子(Vo/Pf/Key)さんと超絶ギターテクの河嶋晃一(Gt)さんの2ピースバンド「Eidy」。

いつも明るく元気をくれる別名コミュニケーションモンスターこと「一ノ瀬愛実」さん。

個性豊かな楽曲とステージング、時にポップ、時にデス!、誰にも真似できない独特な世界観を展開するマキアダチさん!


他にもまだまだいっぱいいらっしゃいますが、楽しいライブをみなさんしてくださって感謝感謝でございます。

あ、今年はPEACE$TONEはどうなるんでしょね〜
TERRAさんの喉の調子も気になるし、福田のasukaさんも歌うのか気になるし、3人組(という表現でいいのかw)がどういうかたちで融合していくかは今年にかかってるだろうし、やまんchangのサッカーユニホームも気になるし(え?w)、AIさんはキーボードで参加するのか?とかねえ。

今日はこのサイトを立ち上げてから14年ということで、特にお題はないもののつらつらと書いていこうかなと思います。


・娘。さん界隈

初期の8人とその8人が関わったメンバーたちを見ている自分は最近は特に動きはありません。結婚や出産といった報告はめでたいと思うものの、正直プライベートなことに特別関心があるわけでもなく、またゴシップ的なことも「それで?」としか思わないので、<待ち状態>でしょうかね。

来年の20周年に向けて資料整理をぼちぼちと、またあの時代をリアルに見た一人として一次資料の維持と拡散、後世からの都合のいい史観と捏造に歯止めをかけるものを少しでも残せればいいかなと思っています。

あとは、20周年でどれくらい再集結できるかが一番の関心事になるかな。
最も愛しその後の展開に夢を抱かせてくれた『Memory青春の光』がオリジナルに近い形で再現されることが自分の18年来の望みなので・・・


・PEACE$TONE

娘。さんの20周年に関してやっぱり切り離せないのは福田さんの話しだと思います(彼女本人がどう捉えているかはまた別の話として)。

ブログの更新が止まったり、いつPEACE$TONEに歌いに戻ってくるか分からない所はマイペースな彼女らしいんですが(笑)、まあそこは子育てに奮闘している真っ最中でしょうからまた気長に待ちたいと思います。

今年はPEACE$TONEのブログの「歌の成り立ち」シリーズで知ることの出来なかった時代が少し見えたので嬉しかったですね。

グループとしてはボーカルのTERRAさんが倒れたことが心配です。TERRA&ASUKAの二人の声ありきで見てきたので、現状二人の声が共に未知の領域にあることは正直やきもきというか、声渇望性とでもいった感じです。

去年グループに入ったayumi・えっちゃん・ayaの3人が今年はずっと路上ライブ等を行って練習を積んできたので、いざ6人揃ったときにどうなるか楽しみですね。

新たな音源も制作中とのことなのでそれもこの1年中に出るんじゃないかなと待ちわびています。


・カントリー娘。

『太陽娘と海』から18年、尋美さんが亡くなってから17年、りんねが牧場から去って14年の歳月が過ぎました。

彼女たちのその後というのは小林さんから聞くか、あるいは太田監督から思い出話を伺うかといったことに情報は限られます。

それでも一昨年にはりんねと小林さんの再会もありましたし、彼女たちの心の交流が続いていることがなによりも嬉しいです。彼女たちもいつかまた!ですね。

『太陽娘と海』や『モーニング刑事。』で娘。や尋美さんと仕事をされた太田監督も精力的に活動中。このブログやツイッターでは極力政治的な発言はしないと決めているので(いけだや名義ではやらない)なかなかコメントをする機会がありませんが、情熱が衰えるどころかますます燃え盛っていて次回作への期待も高まります。

太田監督の作品に出るとブレイクする説、前作『向日葵の丘』で主演された芳根京子さんでまたまた証明されました! 芳根さん、今クールは朝ドラの主演です!


・音楽あれこれ

ここ数年はけっこうな数のライブを見てきて、いろんなアーティストの方々を知ることが出来ました。

自分の好みは自分でも分からないと思っていたんですが、楽曲・声質・ステージング・スタンス+歌詞&ビジュアル(容姿というよりも雰囲気)の微妙なバランスなのかなと自分勝手に思っています(笑)

ステージは緊張感を感じさせつつ真摯に向き合う感じ、スタンスは媚びすぎず適度な距離、歌詞は湿っぽい恋愛ソング&妬み嫉みソングばかり歌うのは勘弁してほしい、ってなところは基本ですかね。

その上で楽曲だったり声質の個人的な好みで「イイ!」と思うアーティストが決まってくるんじゃないかなと。

ここ最近のお薦めは
犬塚ヒカリさん、Eidy、はらかなこさん、福永実咲さん、マリモキウチさん、玲里さん、Lxenta・・・
他にも一ノ瀬愛実さん、こんどうゆみかさん、由利華さん、Rucaさん・・・

挙げていったらキリがないので止めておきます(笑)

まあ20年前のGirl Popブームが自分の中で再来しているようなもので、気持ち的に盛り上がってるのは間違いないです。


・Girl Popブーム

20年くらい前のブームの時は(だいたい1995年前後か)安室さんが出て、続くSPEEDの登場によって女性シンガーとアイドルの境界線がより曖昧になっていったような記憶があります。

98年デビューの初期のモーニング娘。もアーティストとアイドルの境界線をまたいでいるような状態だったと思います。当時のメンバーたちは「アーティストでありたい」と思っていたのは間違いないでしょうが。

昨今のアイドルとアーティストの線引きが曖昧になってきているのも似たようなものなのかもしれませんね。

どちらかの界隈のブレイクと衰退によって音楽業界のお金や人の流れが変わるでしょうから、それによって似たようなサイクルが生まれてくるのでしょうか・・・

この話、掘り下げていけば面白くなるかもしれないので、少し調べてまとめてみます。


・また長くなってしまった(笑)

飲みながら書いていたら長くなってしまったのでこの辺で。

来年の15周年の頃にはいよいよあちらが20周年。

面白く且つ感慨深い時になればいいですね・・・

少し前の小岩での刺傷事件、コトの是非は論じるまでもないのだが、マスコミや音楽業界、さらにはサブカル界隈まで、それぞれに都合のいい解釈や逆に自らの界隈を必要以上に自虐する話もあって少し辟易していた。ちょっと落ち着いてきたので、シンガーソングライターのライブを主に改めて少し考えてみる。

まず事件で被害にあわれた方の肩書き、最初はアイドルとして報道されていたかと思えば、後になってシンガーソングライターやタレント活動している女子大生等、初期報道に対する批判からその表現が徐々に変わっていった。

報道としては「アイドルとその狂信的ファン」という図式に落とした方が視聴者の興味を煽りやすいのか、間違いなく先入観を持って取材をしているように感じられた。ろくに実態を調べもしないで初期報道され、それを鵜のみにして自称TVコメンテーターたちが訳知り顔で「ああだこうだ」述べておられた。

マスコミの取材不足や先だっての海老蔵氏の奥さんの件に見られるようなモラル低下を嘆く向きもあるようだが、自分としては以前からこの程度のものだと思っているので、目くじら立てて怒る気にもならない。「芸能人と芸能マスコミは持ちつ持たれつ」などと言って自己正当化している方たちに倫理観や綿密な基礎取材など求めても彼らは笑って流すだけだろう。

むしろ今は一億総評論家の時代なので、批判が表立ってくるだけ以前よりマシな気がする。少なくとも彼らは自分たちと違う倫理観を持った人種がいることくらいは理解できるだろうから。肩書きの報道の変化はその表れだと考えている。


さて、被害者の方がアイドルだったか、シンガーソングライター(以下SSW)だったか、はたまたさらに違うのか、事件の途中からそれが問題視されていたが、果たしてその肩書き論争は重要だったのだろうか?

今回の事件はアイドルやSSWの世界に限らず、スポーツ選手や演劇の世界にだって十分起こり得ること。さらにいえば、ごく普通の一般的な生活にだってこれは潜んでいる問題だ。応援をはき違えたストーカー的疑似恋愛、事件にはならなくともけっこう身近に潜んでいる。

部活やサークルの現役生にまとわりつくOB、女性タクシードライバーに執着するサラリーマン、カリスマ美容師のほめ言葉を真に受ける人・・・ 片や仕事だったり組織の中に身を置いている人たちと、片やそこにプライベートを持ち込もうとする人たち。

事件への遭遇確率*1 という差はあるだろうが、要はそこの公私の違いをどう理解し、させていくかが問題だ。根本的なところは加害者側の精神的な問題にあるのは間違いないが。

アイドルやSSW界隈でいえば、大きな組織にいてスタッフが多数回りにいるような人はごくわずかだ。多くのタレント・アーティストが1対1に近い形でお客さんと向き合うのが現状だ。

大きな盾を望めない以上は一部のコメンテーターと同じ話になってしまうが、普段の防衛アンテナを鋭くする必要はあると思う。

話しかけてくる内容であったり、観覧態度だったり、あるいは最近でいえばSNSの内容をチェックしてみるのもいい。*2


そういえば最近こんなことがあった。

あちこちのSSWのライブに足を運んでいるある人の話。
ツイッターで「誰それのライブに何回足を運んだ」とかやたら回数の話、感想は「凄かった」とか「良かった」ばかり。なんだかなあ・・・
ある対バンライブで前にいる人がしょっちゅう後ろを向いて物販席にいるアーティストをちらちらチラ見、落ち着きがない。気が散るなあ・・・
ライブ終わりに物販ブースでもその人が近くにいて、聞こえてきた名前はその回数自慢の方だった。

音楽を聴きに行っているはずなのに違う事が目的になってしまっている人がSSW界隈にはいっぱいいる。アイドルは「会う」ことが最初から目的になってる部分もあるので最初からその対応を求められるが、SSW界隈は「歌を聴く」ことが会うことへの免罪符みたいになっている人もいるのでむしろ性質が悪い。

もちろん物販に寄ったり、アーティストと交流を持つことは、SSW界隈のライブ要素の一つではあるが、音楽という肝心な部分が音楽以外への「手段」になってしまっている人がけっこういるのが現状だと思う。

また「物販命」になっている様なSSWもいる。都合が悪くなるとアイドルを装って発言し、時にはSSWを名乗ってサブカル界隈に食い込みイベンターを気どっているようなタレントさんまでいる。商魂逞しいといえばそれまでなのだが、こういった方たちのなりふり構わぬ戦術は純粋に歌が好きで話すことが苦手なSSWたちにとっては対バン上かなり迷惑だと思う。

客層が違いすぎるし、物販より歌を聴いてほしいと思っている人もいるし、アイドル的対応を求められることに苦慮する人もいる。またお客の方もグッズや複数枚のCDの購入に興味を持たない人もいるし、ライブが終わったらサッと帰ってしまう人もけっこういる。

このようにお客とアーティスト、それぞれの目的や思惑が相当異なっている中で行われているのが現状の対バンSSWライブだと思う。

ひとくくりにSSW界隈といってもアイドルライブと一緒で一概に表すことはできないフリ幅の広い世界。それをライブハウスに足を運んだこともない方たちがテレビで知ったようにあれこれ言っているのは滑稽としか言いようがない。

もちろん自分の知っている範囲もごく狭い一部分でしかない。
また、ライブ終わりにサインを求めている自分も他人様のことは言えないと思う(笑)*3

でも少なくともあの事件が報道された時には、いろんなことがちぐはぐで的を射た話を見かけなかった。けっきょくあれ以降もライブ現場は何も変わっていないし、セキュリティ上何が強化されるという話も聞かない。

被害者の方が意識が回復されたということが救いだが、今後どうしていけばいいのかは先が見えていない。現状維持でいけばいいのか、枠組み作りが必要なのか、それは音楽という「芸術」の世界の事でもあるので「型はめ」には慎重になるべきだが、どうしていけば楽しい世界になるのか答えは出てこない・・・


思いつきで言うならば「棲み分け」は強くするべきなのかなと。
よく対バンのブッキングで疑問をもつことがあるのだが・・・
ブッキング担当者がアーティストのライブへの考え方や曲内容、客層等をきちんと把握してアーティストにメリットのある形でライブを組むだけでも、少しはお客からのリスクは軽減するかなと。新規開拓が減る可能性はあるが、それ以上に意図しない(歓迎できない)お客がつく可能性もあるので。

また、各アーティストの持つ要注意人物の情報を共有できるようになれば、それもリスク軽減にはなるのかなと。これはアイドル・SSW界隈問わず、ライブ会場での迷惑行為を繰り返す輩の把握にも繋がるので意味は大きいような気がする。それをどうセキュリティに生かしていくかは考えなくてはならないが。

ここまで色々と考えてみたが考えまとまらず・・・
まあここは自分が意図しない客にならないよう戒めて、もう少し考えてみることとしよう・・・


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*1 不特定多数の人と接する機会に差があるので
*2 先日の事件の被害者の方は危険を察知して警察に相談されていたという。警察対応に関してはまた別角度の検討が必要だと思うが今回は界隈の話で
*3 ライブに取り置きで行くとチケットがない場合が多いので、セットリストも書いて頂いて後の記念と記憶になるようにしている。まあ話しかけるの苦手なので、一つのきっかけ作りの側面もある(汗

hiromi1


1999年の7月16日から17年。

思えば彼女がこの世で過ごした時間と変わらない年月がもうすぐ経とうとしている。

遠い記憶と変わらぬ思い。

今年も雨は降らず、帰りがけには日差しが差し込んできた。


今日はあの頃の仲間が歌っているとのこと。

17年目にしてこの日に歌うのは初めてだとか。

歌うことを夢見ていた彼女が笑っている姿がふと浮かんだ。



また1年が過ぎていきます。

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