Submarine Dog

最近はほぼほぼツイッターでのつぶやきに移行してます。
https://twitter.com/ikedaya1298
@ikedaya1298

このブログは2002年から続いているものです。
書いた当時の気持ちや考え方は今は変化した部分はありますが
当時の情勢や空気感を残しておくためにそのままにしてあります。
その辺ご理解の上お読みいただければと思います。

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察
第12回>モーニング娘。命名とその謎、活動開始と生活激変




    < 13 >                (敬称略)


9月23日、5万枚という条件のためのCD『愛の種』のレコーディングが始まる。

このCD制作にあたっては後にモーニング娘。のプロデューサーとなるつんくの姿はない。

ASAYANのタカハタ氏ら制作陣とそれに和田マネらが調整して各布陣を整えていった。


楽曲打ち合わせ中の和田マネとアップフロントからのレコーディングディレクター・橋本慎。


ボイストレーニングにはロックボーカリストオーディションの寺合宿で厳しい指導を行った笠木新一を再び起用。指導は変わらず厳しかったが再会を喜び笑みを見せる場面もあった。


作曲とプロデューサーには桜井鉄太郎(右端)。楽曲はキャンディーズ『春一番』のイメージでビブラートを極力使わないように徹底指導してレコーディングをした。桜井によれば当時は華原朋美が流行っていて、その華原的な歌い方のクセがどもメンバーにも出ていて、それはこの曲に合わないと判断したからだった。

桜井鉄太郎はロックボーカリストオーディションにおいてメンバー選考の粗選り段階でも関与。安倍と福田をメインにすることを提唱するなど、ユニットコンセプトへも関わっていた。つんくはこの段階では「プロデュースは未知の領域でシャ乱Q以外に曲を提供するのもまだ自分が踏み込んでいける領域ではない」と述べ、本格的に関わることに躊躇いがある状態だった。

『愛の種』にはレコーディング中に歌詞が大幅変更されたという話が残っている。またサエキけんぞう(『愛の種』作詞担当)は曲タイトルをティアーズフォーフィアーズのシングルタイトルから受けて『シーズ・オブ・ラブ』と最初につけていたが「『愛の種』でいい!」とスタッフに言われ(ASAYANスタッフか?)決定した。サエキによれば「『面白い方がいい』という精神が感じられた」とのこと。

(けっこうメジャーな曲なのでご存知の方も多いと思うが参考までに)
Tears For Fears『Sowing The Seeds Of Love』


モーニング娘。が1st・2ndシングルを経てファーストアルバムをリリースする際、桜井鉄太郎やサエキけんぞうも何曲か関わることになっていたらしいが、それは立ち消えになり、以降はつんくのみの作品でプロデュースされることになる。







中澤はレコーディングで上手くいかず、気持ちを一新するために断髪。

「髪を切って 夢をみがく
 好きな空をめざすために」

『愛の種』の歌詞そのままに行動したわけだが、長髪で撮っていたジャケット写真を撮り直すことにもなり、それで迷惑をかけることになった。

・・・とASAYAN上の映像にはなっているが、実際には中澤が髪を切ったのはASAYANのスタッフにやんわりと髪を切ることを勧められたからである。それなのにつんくに「髪を切ったからって、そんなことたいしたことじゃない」と言われて相当頭にきたらしい。

その後歌割りが発表され、中澤はたった2か所しかソロパートを与えられなかった。視聴直後、中澤は号泣。悔しさの涙だと誰もが思ったが、たった2か所でもソロパートがあって良かったという嬉し涙だった。

この頃の中澤は泣いているか怒っているかのどちらかだった。そのおかげで精神的に鍛えられ少々のことではへこたれなくなった。強くなくては生きていけない・・・中澤が座右の銘とする「弱肉強食」はこれらの過程から抱くようになっていったものだった。


10月に入ると『愛の種』のプロモーションビデオの撮影が待っていた。

富士山のふもと、静岡県朝霧高原のとある牧草地と都内各所でそれは行われた。

朝霧高原では年上のメンバーが年下メンバーの化粧を手伝ってあげたという。服装もスタイリストは用意されず、自分たちの私服を着て撮影に臨んでいた。

また夕方に撮ったというコスモス畑のシーンでは周囲の牧場からの臭いがきつく、なかなか大変だったようだ。



静岡からの帰りがけにはほうとう屋で食事(中央道経由での帰路か?)。メンバーみんながほうとうを頼む中、福田だけピザを頼んで笑いを誘った。


『愛の種』はモーニング娘。が大きくなっていく中で徐々に封印され、頻繁に歌われていたのは最初の1年くらいである。

2001年に中澤裕子が卒業する際にNHKのスペシャル番組(この番組を作ったのはタカハタ秀太ら旧ASAYANのスタッフだった)で、また10周年の記念イベントの時にもオリジナルメンバーだけで歌っている。それは歌うメンバーの涙と共に、見ている側にも涙を誘うものだった。

また各メンバーが持つラジオ番組でも、節目となる時、意味を持たせたい時にこの曲がかけられ、最初の頃を思い出す曲としてメンバー自身が望み選んでかけることがあった。

『愛の種』はこうしてメンバーたちにとって大切な曲となっていくのである。


(2017年4月には福田明日香が『愛の種』を約19年ぶりに歌い、個人的に思い溢れる瞬間だった→Youtube-STONE Project asukaの気まぐれラジオ session4で検索。8:15から)

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集
第11回>5人の顔合わせと夢への切符とその考察




    < 12 >                (敬称略)


1997年8月30日。

この日、シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションに落選した5人組がユニットとして初めてのスタジオ収録に臨んだ。

収録はお馴染みの東京メディアシティ(TMC)。ここで初めて5人組に対してつんくから「モーニング娘」という名前が提示された。
つんくによれば「モーニングセットのようなお得感のあるグループを」と説明があったが・・・



その名前が決まったとき、メンバーたちは好きになれず苦笑いしていた。もっとカッコいい名前が付くと想像していたらしい。

また「モーニング娘」の「。」に関しても、当時のASAYANはどんなテロップにも「。」を打つことを特徴としており、本来は「モーニング娘」のままでも良かったのだが、これもまたナインティナインの悪ふざけにより矢部浩之の一言で「モーニング娘。」が正式な名前となった。



一人だけ「漢字も『。』もついてお得だな」と言って受け入れていたがそれは少数派で、他のメンバーは最初の内はこの名前に抵抗を感じていたという。その時はまだこの名前が20年も続き、アイドル史に特別な意味を持つ名前になるとは誰も思っていなかった。

つんくの悪ふざけともとれるこの命名、アップフロントグループが6月に解散させたモーニング・グロウ・オーディション社の名がその元となっているのではないかと自分は考えている(同社については前回参照)。

これはアップフロントグループは(というよりもY会長{当時は社長・以降Y会長で統一})名前の使いまわしをたびたび行うので、直前に解散したオーディション部門の名前をメジャーデビュー前の新人に流用することは大いにありうるなと思うのだ。

例えば「花畑牧場」は同社が東京で営むレストランの名前でもあったし、「グランブルー」や「パシフィックヘブン」といった名もところどころで使っている。「モーニング娘。」と決まって以降も「カントリー娘。」や「ココナッツ娘。」と名前の流用は頻繁に見られる。飯田・石黒・矢口のユニット・タンポポという名もアップフロント所属の加藤紀子が1999年まで使っていたファンクラブの名称でもあった。

またY会長が大好きなハワイで営むコーヒー園の名も当初(モーニング娘。が出来る以前から)はモーニング・グロウ社という名前だった(その後アップフロントハワイ社に)。

Y会長の「モーニング娘。の事実上のプロデューサーは自分」という発言なども考慮すると、その意向を受けたつんくが悪ふざけを装ってASAYANで命名したのかなとも考えられる。ただこれは想像の域を出ず、仮にこれが本当だったとしても真相は明かされることはないと思うので、一つの妄想として捉えていただきたい。

ただ、後ににメンバーたちが自身の略称を世間で使われていた「モー娘。(モームス)」ではなく「モーニング」と呼んでいたことなども考えると、社内では「モーニング」というワードがメイン扱いだったのかなと思う。和田マネや夏先生も「モーニング」呼びだったように記憶している。


さて、これで名前が決まったモーニング娘。たち。

この日以降、彼女たちの生活は一変し、駆け足で走り続けることになっていく。

9月に入り、モーニング娘。の活動に専念するために石黒は服飾の短期大学を退学した。通学のことも考慮に入れ家族でこの年の4月に引っ越しをした石黒にとっては大きな覚悟と決心だった。

また北海道から通う飯田・安倍も学校は辞めざるを得ず、また東京在住とはいえ義務教育中だった福田は学業との両立という中学1年にしては重たい宿命を背負わされることになった。

当時は18歳以下の芸能タレントの深夜労働に関しての自主規律が緩く(厳しくなったのは1999年の大森玲子さんの件以降の事)、レッスンやレコーディングが夜遅くなることや朝までかかることも度々だった。

「前は帰ってきてごはん食べて、テレビを見たらすぐ寝てたんです。大晦日でも12時ぐらいにはもうバテて、除夜の鐘を聞けなかったのが(笑)、今は平気で朝の3時、4時まで仕事してますから。」(オリコン誌1998年5月18日号の安倍なつみの発言より)

このため福田は学校生活に支障を来たし、時には学校の先輩に目を付けられ、時には学校の友人たちと距離を感じるようになり、「普通の中学生」の生活は送れなくなっていった。

しかしそんな中での彼女たちの決心やひた向きさがまわりの人たちの心を動かし、やがて大きなうねりとなっていったのは多くの方が知っての通りだろう。

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち
第10回>落選者たちのその後と5人のメンバーの再招集



    < 11 >                (敬称略)


1997年8月20日。

中澤・石黒・飯田・安倍・福田の5人が東京に呼び集められた。











会議室にはシャ乱Qの5人と和田マネが待ち受けていた。

そこに時間差で呼びこまれるメンバーたち。

福田や中澤の緊張は半端なものではなく、何をやらされるのか不安と期待が入り交じり複雑な表情だった。

北海道組の飯田と安倍はお互いに連絡を取り合っていたが、上京することはお互いに話さず顔を合わせて気まずかったという。また石黒は飯田に上京のことを話していたが、飯田は話さなかったので、会議室で顔を合わせてさらに気まずかった。











5人が集まって告げられた話。

5日間でCDを5万枚売るというチャレンジをしてみませんか?ということだった。

この8月20日の時点では完売したからといってメジャーデビューが確約されていたわけではない。このチャレンジを頑張ってみて、5万枚完売させたら何か動きだすかもしれないよという類のものだった(テロップには「デビュー」と出ていたが、話の内容は「デビューもありうる」というものだった)。

それが5人でのメジャーデビューだったのか、あるいは一部メンバーはどこかの事務所・レコード会社から声がかかるかもしれないといったことだったのか、はたまた一部メンバーだけでのユニットデビューを見据えていたのか、つんくの説明は曖昧なままであくまでも「進行中の話」という域を出なかった。

ただし、ASAYANでは8月5日にSay a Little Prayer(以下セイア)が1万枚を1店舗のみの販売で2日間で完売させてメジャーデビューの道を掴んでおり(第9回参照)、5万枚完売という条件もセイアの結果から出されたものであり、セイアはそれによってデビューに至ったので、再召集の5人も完売でメジャーデビューという路線にはなっていたように思う。


一方、和田マネやシャ乱Qが所属するアップフロントエージェンシーは、6月下旬にグループ内のオーディション業務を再編。前年10月に設立したアーティストオーディション専門のモーニング・グロウ・オーディション社を解散させている。

これは見方によっては、自社オーディションからの選抜を打ち切り、ASAYANからのタレントの卵の供給を期待していたという風にも見ることが出来るだろう。現にオーディション優勝者の平家みちよはアップフロントグループのクーリープロモーションと契約しているし、その後のアップフロントの新人発掘もしばらくはASAYANあるいはテレ東と組んだモーニング娘。関係のオーディションにほぼほぼ限定されている。

この企画は5人にとってのチャレンジであると共に、アップフロントの今後の事務所としてのタレントオーディション・スカウト・育成といった点での試験的運用の意味合いもあったのではないかと思う。

アップフロントのY会長の「事実上のプロデューサーは自分」「(モーニング娘。の立ち上げ時)月に500万かかっていた(育成費用や地方組の滞在費・上京費などかと思われる)」という発言からもそうしたことが伺える(時期的にははっきりとしないが運転資金はASAYAN持ちではなく、アップフロント持ちだったのではないかということ)。


突然の呼び出し、そして上京。
自分たちの置かれた状況は判然としないものがあったが、CD手売りの話を聞かされてその場で5人全員が「やります」と決意を述べた。自分たちがオーディション落選者であり、これが最後のチャンスになるかもしれないということは痛いほど分かっていたのかもしれない。

ただ拭いきれない不安は全員が持っていた。
中澤と石黒、安倍と飯田はその日泊まったそれぞれのホテルの部屋で今後について朝まで話し込んだという。中澤の手元にはビールの缶が転がっていた。

今日は自由が丘へは行けず。
福田さんのジャズソロ聴いてみたかったが残念。
ライブ模様がなにか1曲でも配信されると有難いなあ。

さてさて、これで終わるのもなんなので。


今年の初めくらいにインディーズ系のアーティストの最近のお気に入りみたいなテキストを書いた。アイドル系の楽曲でも書きたいなと思っていて伸び伸びになっていたのだが、ここ1カ月くらいで良い曲に出会うことが度々あって意欲が湧く。

まあ細かいところは抜きにして、ここ最近から1年くらい遡って良いなあと思った曲をちょっとだけ羅列しておく。数年経って見た時に、「この時期はこんな曲聴いてたのか」と思い出せるしね。

というわけで、さっそく。



BiSH『オーケストラ』2016.10.05発売
作詞:松隈ケンタ、JxSxK 作曲:松隈ケンタ 編曲:SCRAMBLES

なんと言ってもアイナ・ジ・エンドさんの声質!
存在感は圧倒的で、すべてのイメージを制するだけの力が。振り付けもされているとか。


スピカの夜『22文字のラブレター』2017.02.22発売

島ゆいか(ex. 可憐Girl's)と飯田來麗(ex. さくら学院)の実力派ユニット。元グループの活動同期にはBABYMEATLの中元すず香さん。サウンドプロデュースはチップチューンの代表的アーティスト・ヒゲドライバー氏。

(参考)ヒゲドライバー『ukigumo』

(参考記事)ヒゲドライバー氏の苦悩の歴史がBABYMETALに導いたものとは?(その1)


私立恵比寿中学『なないろ』2017.05.31発売
作詞・作曲:池田貴史 編曲:池田貴史、山口寛雄

(参考記事)天国の彼女に思いを込めて。エビ中の新曲「なないろ」に隠された秘密に泣きそう
2月に急逝された松野莉奈さんさんの誕生日が7月16日。だから「なないろ」。
思いが詰まりすぎて涙を誘う歌詞だが、それをこらえて満面の笑みで歌いきるエビ中がカッコ良かった。彼女たちの背負った覚悟が垣間見えた。
そしてこのサイト的には7月16日とはカントリー娘。・柳原尋美さんが亡くなった日であり、そして20年近く経った今でもそれを忘れずに過ごしているりんねと小林さんを思い起こさずにはいられなかった。


amiinA『Atlas』2016.10.26発売
作詞:Shuichi Saito 作曲:Ai Fujimoto 編曲:nanoline

壮大なスケール感と高揚感に尽きる。ボーカル的にはまだ幼さが残るものの、逆にそれが楽曲との対比から印象的であり、また将来的な変化への期待も持たせてくれる。


大阪☆春夏秋冬『New Me』
作詞:韻シスト 作曲:ジェンソン・ヴォーン

自分の好みとはちょっと違うのだがこのリズム感は楽しいなと。ここもボーカル・MAINAさん上手いですなー。


欅坂46『二人セゾン』2016.11.30発売
作詞:秋元康 作曲:SoichiroK、Nozomu.S 編曲:Soulife

作曲・編曲に名を連ねる佐々木望氏はLittle Glee Monsterのライブでギターを弾いていた方。

(参考)Little Glee Monster 『好きだ。』(2:00過ぎに登場するギターの方が佐々木望氏)


(参考)こちらも作曲はSoichiroKとNozomu.Sさん。
サーフミュージック期待の星・Leolaさんのデビューシングル『Rainbow』


(参考)Leolaさんのセカンドシングル『Let it fly』を作詞作曲しているのは上記amiinAの『Atlas』を作曲した藤本藍さん。藤本さんはLeolaさんのサポートピアノとしてもライブ等に出演している。


作詞・作曲・編曲も見ていくと所々繋がってきて面白い。
見ているとこの人は他にどんな曲を作ってるのかなと気にしてしまって、どんどん時間が経ってしまうのだけどね(笑)

ちょっと立て込んでてライブに行けてない分、こんなことで楽しんでいる感じです。

いつか来た道


<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで
第9回>優勝者決定と落選者たち




    < 10 >                (敬称略)


平家がグランプリを獲得して、落選者たちはそれぞれの生活に帰って行った。

石黒は札幌に戻ると合宿でダンスが出来なかったことを反省しすぐにダンスの教室を探し始める。またバンド活動で「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル」(10代を対象にした誰でも参加できる音楽イベント。全国で行われる予選を勝ち抜いた本戦出場者にはメジャーデビューのチャンスがある)に向けて新たな曲作りも始めていた。さらに、オーディションの悔しさから毎日走っていたという。

室蘭に戻った安倍は落ち込む日が続いていたが、帰るとすぐに彼女の元には芸能事務所から「うちからデビューしませんか?」と電話がかかってきていた。大手の事務所だったらしいがASAYANスタッフから事務所に入ったり、新しいオーディションを受けることを安倍は止められていたという。

ASAYANスタッフにそのことを連絡し「まだ返事してないよね?」「また連絡しますから」と言われた安倍はASAYANを信じて待つことに決めた。この時にASAYANを信じた理由を「番組上としてじゃなくて、一人の人間としてちゃんとケアしてくれていた。そういう人たちがいたから…」と安倍は語っている。ASAYANのスタッフは過酷な試練を彼女たちに与え続けたが、根本の部分での優しさは忘れることなく彼女たちと接していたようだった。

また、福岡に戻った松本弓枝は同時期に日本音楽事業者協会によって行われていたザ・ジャパン・オーディションにも並行して参加しており、その放送でも姿を見ることが出来た。同オーディションの歌手部門には島谷ひとみや八反安未果らが参加、俳優部門には後に飯田圭織の友人となる木内晶子もいた(女優の田中麗奈と3人で仲が良いので結婚式等にも顔を出していた)。

東京オーディションの河村理沙は1996年にはアイドルグループ・pinoのメンバーとしてCDデビューしていた。97年のASAYANオーディション落選後も芸能活動・歌手活動を続け2010年代になっても活動を続けている。

福岡オーディションの高口梓もその後芸能活動を続けたようで(彼女もASAYAN以前に埼玉県川口市でアイドル活動をしていた)、時として他の芸能人のブログ等に登場することもあった。


中澤の元にASAYANのスタッフから電話がかかってきたのは、大阪の仲間と一緒に徳島の海に遊びに出かけちょうど海岸に着いた時だった。仲間たちがオーディションが終わった中澤を励まそうと、みんなでこの日海を渡って出かけてきたのだ。

一番になれなかったけれども、生まれて初めて一生懸命になれたことに満足してオーディションから帰った中澤。
ずいぶん会社にも迷惑かけたし、これからのこともちゃんと考えないといけないけど、その前にこの残り少ない夏を満喫しよう…そう思って出かけた海への旅行だった。

そこにかかってきた電話。
「何も聞かず、何も言わず、もう一度東京へ来てください」
そう言われた中澤は涙が止まらなくなってしまう。周りの仲間たちが心配するくらい中澤は泣いていたのだ。
「なんでまた東京?」
「もしかして、まだチャンス残ってた?」

中澤はこのときに自分が一番になれなくて悔しかった本当の自分の気持ちに気がついた。満足していたのは自分が落ちたことを納得させるためだったと気付いたのだ。自分はまだ終わってない…そう思ったら涙が止まらなくなったのだった。

中澤は何も分からないまま再び東京に向かう新幹線に飛び乗った。

そして石黒と安倍、飯田と福田の元にもそれぞれ電話がかかり、何が待つかも分からない東京に5人が集う。

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選
第4回>1997年5月、中澤裕子と大阪予選
第5回>1997年6月、石黒彩と飯田圭織の札幌予選
第6回>安倍のオーディションとその選曲にまつわる話
第7回>寺合宿開始とASAYAN制作裏話
第8回>最終審査と平家みちよのこれまで


    < 9 >                (敬称略)


最終審査が行われた翌日の8月4日。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが盛り上がっている中で、『ASAYAN』はもう一つの盛り上がりをみせていた。

第1回で書いたデビュー予備軍・AISでデビューを勝ち取れなかった田口理恵・片桐華子・大櫛江里加の3人で結成したSay a Little Prayerが、インディーズCDを1店舗10日間で1万枚売ったらレコード会社と契約できるという企画にこの日から挑んでいたのだ。

Say a Little Prayer『小さな星』


タワーレコード渋谷店で手売りを行った3人は初日に約7000枚を売り、翌5日午後8時半頃に1万枚完売を達成。10日予定のところを2日で売り切り見事メジャーデビューの夢を勝ち取った。

この記録は1店舗における1日のCD売り上げ枚数の世界記録だったが、その記録は3カ月後にあっさりと抜かれてしまうこととなる・・・


そして1997年8月14日。

最終審査が終わってから10日あまり、再び11人は東京に集められた。シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションの優勝者がついにこの日発表されるのだ。

予選会場に足を運んで1次審査を受けた参加者約9900人。4ヵ月にわたって繰り広げられたオーディションもようやく終わりを迎えようとしていた。

安倍は即キープで最終審査に進んだこともあって「もしかすると」という期待を胸に上京していた。前日から泊まり込んでいたホテルでは飯田と同室だったが、飯田が「優勝は平家さんかなあ」と言っている横で期待の膨らみ過ぎた安倍の鼓動は高まるばかりだったという。

しかしこの時の合宿メンバーの仲間内の予想では「ロックボーカリスト」という募集で開催された以上、平家か石黒のどちらかだろうという予想に概ね落ち着いていた。安倍はナインティナイン岡村から「実写版綾波レイ」と言われるほどビジュアルとしてはアイドルに寄っていたし、福田は抜群の歌唱力を誇るとはいえ最終審査の歌審査直前のフラフラの状態を知られていたことや年齢からいっても予想の中には入らなかった。

グランプリの栄冠は歌で安定した力を見せ、合宿生活にもダンスにも必死に取り組んだ平家みちよの頭上に輝くことになる。即戦力を求めていたはたけの要望とも合致していたし(11月のシャ乱Q武道館ライブに立たせることになっていた)、周囲の参加者からもその実力を認められた栄冠となった。オーディション開始時から自分のことを「凡人」と言い続けた平家が凡人でなくなった瞬間だった。



落選を受けて後のモーニング娘。となる5人は最後の心境をこう述べている。



「ちっちゃい頃からずっと歌が好きで、何時間歌っても飽きないんですよ。だから私には歌しかないなと思って。売れなくても自分が好きな音楽をやっていけたらって思ってます」(福田)



「とりあえず、今の生活からは抜け出したいんで……。これからも人生冒険します」(中澤)



「ASAYANしかないから、オーディションって。だからASAYAN……また受けます」(安倍)



「やっと終わったって感じ……。(平家には)おめでとう、って。ホント嬉しかったし」(飯田)



「歌も頑張ってたし、ダンスも頑張ってたし、平家さんは自分より全部上だったんで、認められます」(石黒)

<コメント部『モーニング娘。5+3-1』より抜粋>

こうしてオーディションは終わり最終予選で敗れたメンバーたちもそれぞれの地元に帰って行くのだが、安倍は室蘭の自宅に帰るまで…いや帰ってからも泣き続けた。

どん底まで落ち込んで泣いていた安倍のところには飛行機のスチュワーデスまでが慰めにやってきたという。機内で配るお菓子を差し入れ「これ食べて元気出して」と、まるで子供をあやすようだった。この後何十回と羽田と千歳を往復することになる安倍はこのスチュワーデスの方と再会したという。

また、関西に向かう新幹線組の二人は平家が中澤に「整形した?」と最後の質問をしていた。もちろんこれは二人の中での笑い話なのだが、こちらは札幌組とはうって変わって明るい帰路となったようだった。

これでオーディションはすべて終了、誰もがそう思っていたがこの後事態は急展開を迎えることになる。

5月20日。STONE Project主催ライブ「大人の休日倶楽部vol.3」へ。会場は自分はお初、蒲田music bar CODA。蒲田は電車やクルマで通過することはあっても、駅に降り立つのも初めて。

今日はSTONE Projectから3組、ギターインストお一人の計4組の対バンライブ。barというだけあって地下のこじんまりとした空間ながら雰囲気もなかなか良く、ステージに集中して見やすい。音響も空間に合っていて聴きやすかった。


1組目はNOVAS。

PEACE$TONEのayumiさんとSTONE Projectのエマさんが組んだ2人組ユニット。
そういえばなんとなく似ている部分があるなと思ったり。ダンスの振り付けを見てWINKやったら面白いかもなどと考える。

2曲目の『party time』。「お、これイイね」と思う。二人の声の相性的にアップテンポで押し出すのが似合うような気がした。明るい素直な曲調が良き良き。

最後のカバー曲『愛唄』は選曲理由なんかをMCに挟むと良いかも。PEACE$TONEのイメージカラーが緑だからGReeeeNではないですよね? 笑


2組目は山内美空さん。

青森出身、仙台在住のピアノ弾き語りシンガー。
自己紹介の時に青森の三内丸山遺跡のことを思い出したが、「やまうちと書いて山内(さんない)です」との説明に「あ、関係ないのか」と分かる。名前をお聴きして勝手に縄文式の住居と青空の遺跡の風景を思い浮かべていたので 笑

青森県の歌という『青い森のメッセージ』をYoutubeで聴いて掴んでいたイメージよりも、生で聴いた声は低めで良い意味で雑味のある声だった。自分が言うのもおこがましいが、歌手らしい声とでもいうか。

通しで聞いていると、もう少し高めで歌うところが欲しいかなと思う。ここいらは好みの問題ですかね。今日は初見だったので、次の機会に見た時にイメージは変わるかも。そんな期待を感じさせてくれるステージでした。


3組目にPEACE$TONE。
TERRAさんと福田さんの2人での出演。そしてピアノサポートに麻衣さん。

今日はオケを使わずに生音のみのアコースティックな構成。
2ndアルバム後編からの楽曲で物語を紡ぐ。

いつもはオケで電子的な印象の強かった『プロローグ』を生音・生声でやった時点で、「これまでと違うぞ!」と昂ぶる。PEACE$TONEのサウンドはバンドとして耳に馴染んできたので、ドラムレスでアコ編成の今日の音はとても新鮮。しかもこんなにピアノとマッチするとは。

曲順がアルバム通りのままだったか自信がなかったのだが、セットリストを見るとどうやらアルバム『Door's〜時の旅人〜』のままやったようだ。今日は二人の声がよりハッキリと聞こえてじっくり聴き入ることが出来た。改めて二人の声の相性良いんだなと納得。どちらがメインを取ってもハモにまわっても気持ちよく聴こえてくる。

後半の『いちょう並木通りのある街』『みんな旅人』はより気持ちが入っていてグッときた。福田さんもこみ上げるものがあったようで、いい歌でしたね。

今日はピアノのアレンジもまた素晴らしく。CDとはまったく違う音の世界に魅了される。あまりにも良かったので、帰り際にこのアコースティックバージョンでCD作ってとTERRAさんに言ってしまった 笑 ただの伴奏ではなく、ピアノの存在が曲に寄り添って広げている感じでしたね。

終わりの『エピローグ』も生歌・生演奏で(これも大所帯バンド時代はオケで流していたものなので)、音の世界観として連続性があって、オケよりもエピローグ感が出ていた。
「あぁ、これで終わりか」という寂寥感を感じさせ、また次の機会の『プロローグ』を聴きたくなる、そんな終わり方でした。


ラストにギターインストゥルメンタルの石川巧馬さん。

セッティングやチューニングしている段階で、これは面白そうだなと期待感高まる。
ギターインストでやるだけあって、その流れるようなギター捌きに見入ってしまう。たぶんお客さんの目線はみんな手元に集中 笑

楽曲はよく知るメジャーな曲をアレンジしたものからオリジナルまで。
その中でもオリジナルの『スリップストリーム』をよく覚えている 笑 ゆっくりよりもこの曲のような早めで疾走感ある方が好き。MCでモータースポーツの話にいくかと思ったらミニ4駆の話にいったので「そっちか!」と心の中でツッコミ。

贅沢を言うならば個人的にはもう少し音が生音っぽい方が好みかも。すごい数のエフェクターを持ち込んでいらっしゃったので、相当こだわって辿り着いた音だろうと想像できるけども。個人的好みです 笑


全体を通して見ると、「大人の休日倶楽部」というコンセプトがより明確になってきた感じ。PEACE$TONEで言えば毎回ガラッとイメージが変わって、多角的に見れるのが面白い。見ている側に意外性や新しい興味ポイントを提供してくれている。ふり幅の広さとその自由さが大人の休日倶楽部とも言えるのかなと。

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