Submarine Dog

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4月22日は再びSTONE Projectの合同ライブへ。
「大人の休日倶楽部vol.2」at 自由が丘マルディグラ。

今年に入ってから山手線の円周の外へはライブを見に行かないと秘かに決めていたのに、早くも4月で2回か(色々とやることもたまってるし、諸々事情がありまして、ライブ本数自体絞っている最中)。

この日は
PEACE$TONEのTERRAさんにayumi&えっちゃんの3人でやった1部。
八戸出身のギター弾き語りSSW・大石啓太さん。
そしてTERRAさんとasukaさん(以下福田さん)にギターとピアノサポートを加えての2部。
の3ステージ構成。

1部は前回に引き続いて手話を取り入れた振り付けをみんなでやったり、また客席とのやりとりもアットホームな雰囲気。一昨年くらいの大人数バンド編成から一転、客席は座りで距離感の近い少人数編成でのライブが増えているが、徐々にその場の雰囲気が醸成されてきている感じ。お約束が増えすぎるのは良くないけど、やはりその場でしか味わえない空気感とでもいうか、「お、これこれ」と思えることがあるのは楽しいよねと。

1部の目玉はなんといっても『ONE』。
2年くらい前に初披露された時はこれがニューアルバムの顔になる曲だと思った盛り上がり必至のキラーチューン。
アルバムには収録されなくて、また曲自体の披露も久々だったので(たぶん一昨年の横田かよみうりランド)うれしくなる。
この曲で「タオル回しましょう!」ってなってたのはすっかり忘れてた 笑(まあ今は座りライブなのでカバンにマフラーもタオルも入れてないんですが)

2部では福田さんがビートルズの『Let It Be』に自身で歌詞を作って初お披露目。
内容は書きません。知りたきゃライブに行きましょーと 笑 今日もMCも曲説明もガンガンやってくれたんで!

今日の福田さん、花粉症の症状も出ず調子が良いそうで(ってか前回あれで調子悪かったのかい!)、「今日は歌います!」の宣言通りモリモリ歌ってくれる。ビートルズはTERRAさんの音楽的なルーツにもなっているので、PEACE$TONEのライブとしてはこの選曲はぴったりなのかな。

キーはちょっと上げてもいいかなと思ったけど、どうだったんだろ。他の曲で高いところがメチャ気持ちよく聴こえたので、自分がそう思っただけかな。うむ、いらぬ心配 笑

2部はギターとピアノのサポートが入ってボサノバ的な感じに。休日の午後、まったりとお酒飲みながら聴いているなんて、こりゃなんて素敵な空間。

ギターのサポートは久々のノザワさん。
前述の大人数編成の時には必ず入っていた愛すべきいじられキャラ。
今日はキャラ封印して、そのギターフレーズでイイ雰囲気作ってくれました。ステージの配置上ピアノの方が他のメンバーの方向を向けないので、ノザワさんが呼吸を合わせているのが好印象だったな。頼もしやー。

TERRAさんがどのステージにも積極的に絡んで、全体として話がまとまっていた印象。大石さんの登場もあって「東北・八戸」との関りと今後への展開や、メンバーとの関係性がさらによく見えてきた回だったと思う。

ただ!もう少し長く歌って!と注文を。
2時間座っていたらお尻痛くなりそうだけどね 笑

公式サイトのライブ感想は以下へアクセス!
http://ameblo.jp/peacestoneofficial/entry-12267977014.html
http://ameblo.jp/peacestoneofficial/entry-12267985632.html
http://ameblo.jp/asukafukuda-official/

<第1回>ASAYAN、1997年までの経過とオーディションの歴史
第2回>1996年のモーニング娘。たち
第3回>1997年4月オーディション開始、福田明日香と東京予選


    < 4 >                (敬称略)


中澤裕子がロックボーカリストオーディションの大阪予選に参加したのは1997年5月24日のこと。

テレビで福岡予選の映像を見ている時に流れた大阪予選の告知に心を鷲掴みにされてオーディションへの参加を決意する。京都の福知山から上阪して6年、同じことの繰り返しのOL生活に息苦しさを覚え、ちょっと前に始めた北新地での夜のバイトに精神的な開放を感じていた頃の出来事だった。

しかし23歳という年齢でオーディションを受けることに戸惑いを覚え、本当に受けていいものかどうか迷い、彼女はオーディション当日に一つの賭けをする。

それは方向音痴である彼女が時間に余裕を持たずに出発し、オーディションの集合時間までに着けたら参加しようというものだった。住んでいる京橋のマンションからオーディション会場の大阪ビジネスパークまでは歩いて20分の距離。もし迷わずに時間通りに着けたなら「神様がオーディションを受けなさいと言っているのだ」と思うことにしたという。

そして中澤は時間通りに着く、いや自らの思いに反して着いてしまったのかもしれない。
会場には3000人の参加者が集っていた。

中学生や高校生に混じって並ぶこと数時間。
気持ち悪くなるほどの緊張感の中、1次審査はたったの数秒で終了。
99パーセント受かる自信はなかったという。
しかし…中澤は1パーセントの可能性をものにする。大阪予選ではその日のうちに会場で予選通過者が発表されたのだが、中澤はその中に残っていた。

翌日に行われた2次の歌審査。
一番良い恰好でとスタッフに言われ、後につんくから「サイズが合ってない」と揶揄された大きめの黒いスーツ姿で審査に臨む。
この時と東京スタジオ審査に進んでから歌ったのが大黒摩季の『ら・ら・ら』である。東京の審査にはスーツの失敗を反省し慎重に衣装を選んで行った。





その後『ら・ら・ら』は中澤にとってとても大事な曲となり、節目というときには必ずといっていいほど自分のライブなどで歌っている。2010年には大黒摩季と対面、感激のあまり泣いてしまったという(→中澤ブログ2010年10月16日)。

時にはメンバーが中澤のために歌ったこともあった。


スタジオ審査が終わった後には「東京に来た記念に」とスタッフがお台場のフジテレビに連れて行ってくれた。1997年、フジテレビ本社屋はこの年にお台場に移転してきたばかり。お台場はドラマ『踊る大捜査線』(1997.1〜1997.3放送)でも分かるようにまだまだ空地の目立つ時代だった。しかしフジテレビ社屋に代表されるように近未来感が漂い若者が集う流行りのスポットでもあった。翌年にはお台場を舞台として『モーニングコーヒー』のプロモーションビデオも撮影される。

中澤が大阪に戻って数日、「説得力のあるバラードで」と番組から要望が出され、さらに中澤のオーディションは続いた。大阪予選に参加した3000人はすでにこのとき3人になっていた。

会社の有給を使い上京する中澤。こっそり誰にも言わずに受けたオーディションだったが、日に日に周囲からはそういう目で見られるようになり、中澤にはそれもプレッシャーになっていった。

この日のオーディションの後、大阪から来た3人は用意されたホテルに泊まった。
ホテルに入った3人は夜遅くまで語り合ったという。

それは中澤裕子と平家充代の初めての語らい。このときは二人ともこれで会うのが最後だと思っていた。しかしこの二人の関係は後々まで続いた。

一緒にバラエティ番組のMCをしたり、ハロープロジェクトの年長者としてみんなを共に引っ張っる立場になっていく。2002年には中澤がラジオでハロープロジェクトからの平家の卒業の話をしていて落涙してしまうこともあった。

このホテルでの語らいはその二人の関わり合いの原点となるものだった。

中澤はその後大阪に戻り、友人や会社の人たちに応援されながら、最終予選を待つことになる。

オーディションが進むものの自分に自信を持てずにいた中澤は、地元・大阪の友人たちと飲むたびに涙を流していたという…

<第1回>http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52656671.html
<第2回>http://blog.livedoor.jp/m-16_67297/archives/52657082.html

    < 3 >                (敬称略)


『ASAYAN』にてシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションが告知されたのは1997年4月初めのこと。

最初はシャ乱Qがプロデュースすることは伏せられていた。小室哲哉、MAX松浦に次ぐ第3弾のボーカリストオーディションとしてのみ告知されたのである。募集画面には「ロック魂。」と大きく映し出されていた。

告知を行ったのは後にモーニング娘。の名物マネージャーとして有名になる当時はシャ乱Qのチーフマネージャーを務めていた和田薫であった(以下「和田マネ」)。

当時のシャ乱Qは94年から96年にかけてのブレイクが一段落し次の展開を模索している最中で、97年には派生ユニット・スーパー!?テンションズを結成したり主演映画『シャ乱Qの演歌の花道』が公開されたりと、今までと違った形で仕事をしている。

これは96年に2500万円するとされる衣装が盗難にあったことも影響しているかもしれない。当時のシャ乱Qはシャネルに衣装を発注することで知られており、2500万円もの被害の影響は少なからずあったのではないかと思う(盗難保険がどうなっていたかは知る由もないが)。

また和田マネは97年にはシャ乱Q→スーパー!?テンションズ→モーニング娘。と徐々にマネージャ業務の中心をシフトしており、98年にはシャ乱Qの所属事務所であるアップフロントグループ内に自分の事務所であるハーモニープロモーションを設立した(実際には会長命令により立ち上げさせられたと言った方がいいかもしれない)。

ハーモニープロモーションはその後99年にプッチモニのマネジメントをした後、新堂敦士・EE JUMP・より子。・THETAと音楽系中心のマネジメントをしていたが、その後は徐々にグラビアやアナウンサーなどの少し大人の女性をメインとしたマネジメントにシフト。安めぐみや優木まおみ、橋本マナミや朝比奈彩といった面々をブレイクに導いている。

そのシャ乱Qの和田マネが夏頃にデビューする女性ロックボーカリストを求めているとASAYANで告知したのだ。当然和田マネが何者なのか当時は分からなかったので「誰がプロデューサーなのか」と、番組として期待を煽った面もあった。





4月27日、スタジオにシャ乱Qが登場した時に、はたけが責任者、しゅうが衣装担当ということが判明。シャ乱Qのメンバーは番組とオーディションのことをよく分かっていない感じで、和田マネが取ってきた仕事の内の一つという感じだったように思う。

4月13日には福岡オーディションが始まっているので、シャ乱Qプロデュースということは分からないままオーディションに参加していた人も多数いた。5月3日には東京オーディションに福田明日香が参加している。

この春に中学に進学した福田、部活はブラスバンド部に入りドラムを叩いて新たな学生生活が軌道に乗り始めた頃だった。このオーディションの申し込みで書いた履歴書、これに載せる写真のためにした化粧が福田が自分で初めてしたメイクだった。ロックの雰囲気で仕上げたという。鏡の中の自分を見て「あぁ、これで矢は放たれた」と福田は思ったそうだ。

シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションには事前の書類審査がなく、東京オーディションの会場には5000人の女性が詰めかけていた。福田によるとテレビ東京に向かう電車の中はそれらしい人でいっぱいだったらしい。会場では和田マネが来場者を食い入るように物色していた。

当時のオーディションは高校生から20歳前後の女の子が中心で、これを書いている2017年ほど低年齢化が進んでいなかった。その中で中学1年生だった福田のまわりは(彼女からすれば)大人ばかりで少々圧倒された面もあったようだ。

福田のところにはその日の夜のうちにASAYANのスタッフから電話がかかってきて、一次審査の合格と初めての歌審査が5月5日に行われるということが伝えられた。福田は家のカラオケで練習を積み、父親に英語の発音をアドバイスされたりしながら、その日を迎えることになった。





ここからが福田明日香伝説の始まりで、2次審査の相川七瀬『BREAK OUT』、スタジオ審査で歌った安室奈美恵『Body Feels EXIT』、工藤静香『激情』で鮮烈な印象を残していく。

また、本人は「緊張していただけ」と言うかもしれないが、ちょっとぶっきらぼうな話し方で愛想のない姿勢は彼女をとても大人に見せていた。『BREAK OUT』を歌った2次審査の時も「ホントに12歳なの?」とスタッフから何度も聞かれている。

このオーディション当時の福田の心境は語り下ろしの書籍『もうひとりの明日香』に載っているが、この時のオーディションに対する捉え方、取り組み方にものすごく彼女独特の感性が出ていて面白い。後に安倍なつみが『ALBUM1998-2003』で触れているスカートコンプレックスのことや、自分をアイドルとして見ることへの疑問が率直な気持ちで書かれている。

…そして東京予選で福田は「つんく一推し」の評価を得て、河村理沙・兜森雅代と共に最終予選へとコマを進めることになる。

ちなみに東京予選の2次審査に後にチェキッ娘として活動する藤岡麻美(ディーン・フジオカの妹)がいたという話もあるが、それはまだ確認できていない。

4月8日、STONE Projectの合同ライブ「大人の休日倶楽部vol.1」at 自由が丘マルディグラ。
ここに書くということで、ブログに訪れる方の需要を考え福田さん成分多めの記述に 笑

この日はPEACE$TONE含めSTONE Project所属メンバーたちのソロステージの連続という今までにない試み。今まで聴いたことがなかったメンバーのソロの声を聴けたりもして新鮮だった。


1番手、福田さんは産休から復帰後の初ライブということで、約2年ぶりのステージ。
2年は長いようであっという間。まあ11年待ったことに比べればたいしたことないかという気も 笑

ステージはやはりさすがという感じ。伸ばしたときの声の響きが違うわ。
その伸びと声質とのバランスもちょうど良く。
やっぱり好きなんだな、福田さんの声、と再認識。

歌い方は少し柔らかくなったかなと思った。丁寧ともまた違い、「滑らか」になったというか。これはバンド形式かソロで歌うかという違いもあるのかもしれないが。
あ、でもよくよく考えたら福田さんが単独で歌っているのを聴くのは初めてだ。それこそオーディション時の『BODY FEELS EXIT』や『激情』まで遡るかも 笑

TERRAさんと久々にやったオリジナル曲『不死鳥〜フェニックス〜』。
やっぱりこの二人の声の相性に慣れ親しんできたから安心して聴ける。二人で『歓喜の響き』の話もしていたので、これもぜひやって欲しかった。

『不死鳥〜フェニックス〜』は「リハなんていらない」とぶっつけでやったとのこと。しかし2年ぶりにやったはずなのにそれを感じさせない完成度。こういう阿吽の呼吸的な感じ、素晴らしい。

今日はバービーボーイズのカバーも披露。ここあまり詳しくないんで原曲を知らずに聴いたけど、最初これが新しいソロ曲かと思う。これ良かったんだよなー、また聞きたい。

BARBEE BOYS『チャンス到来』


そういえばオケはどうしたんだろう。オケのアレンジがイイなと思って聴いていたので。原曲のサックスの部分、オケだと微妙にサックス音じゃなかったような気もするけどどうなんだろ。やはりこれはまたやってもらうしかないな(笑)

今日の福田さんは、自分の出番が終わった後も他の演者さんのMCにかけ声かけたり、なんだかとてもアグレッシブ・アクティブ。今までにない経験で「おぉ」という感じで楽しく見てました。


2番手はTERRAさんとえっちゃん。

えっちゃんが出ると思っていなかったので、開場前に衣装を着たえっちゃんを見かけて思わず「今日出るの?」と聞いてしまった 笑

えっちゃんの声を単体で長めに聴いたのは初かも。顔に緊張が出るのは相変わらずですが 笑、声聴いて「おっ!」と思った。意外と圧力ある感じなんだなあと。面で押してくるとでもいうか。今度自分の最も得意とするカバーを聴いてみたい。

今回のライブではTERRAさんのみアコギ生演奏での出演。
ソニンさんに提供した『ジグソーパズル』、これは今日とても印象に残った。
ちょっと尖っている曲と歌詞でギター1本の弾き語りというのもこの曲に相応しいような気がする。

こちらはソニンさんバージョンの『ジグソーパズル』

このPV、竹石渉さん作品なのね。

TERRAさんの弾き語りは好きですね。若手の男性の弾き語りは自分感の押し出しが強いことが多くてあまり好みではないことが多いけど、TERRAさんの弾き語りは気負い少なく、年相応の落ち着きと渋みも加わって感情とのバランス取れててイイ!

TERRAさんの出演は新曲含めた3曲とちょっと少な目。もう少し聴きたかったな。
逆に少ないと喉大丈夫?と心配になってしまう(病気の話もしてたしね)。


3番手はEMAさん。
「和」なテイスト漂う雰囲気と楽曲。
ちょっと緊張がまだ抜けないかなー。忌憚なく書くならばもう少し場慣れが必要かなと思う。楽曲とステージコンセプトは面白いと思うので、もったいない! アニソン的な楽曲と「和」の組み合わせは需要が多いので、ステージでの落ち着きと客席との呼吸が合わせられればいい方向に行くのかなあと。

もうすぐ赤城山に千本桜が咲くよと伝えようと思っててすっかり忘れる。時間があるなら宣材写真に「千本桜」と今日の衣装でどうですか?と 笑


トリはayumiさん。

えっちゃんと同じく歌声を単体で長めに聴いたのは初かも。
私見ですがユニゾンやコーラスよりもいいかもしれない。

正直2期生たちの声はハーモニーという部分では相乗効果が薄いと思っていたので(声の区別がつかなくなってしまうとでもいうか、埋もれてしまうことが多い様に感じていたので)、今回ソロを聴いて素直に「こっちの方がいいんでない?」と思ったのだ。

『はやぶさは想いを乗せて』の手話の説明もなかなかで、観客みんなに振り付けをさせたのはお見事!
ソロ曲も「これキャス配信している時歌えばいいじゃん」と思う。この辺伝わってくるものがあった。


今日からSTONE Projectのライブではスタンプカードを発行。
さっそく1つ押してもらいました。

ただ、特典の10回というのはなかなか厳しいかな。
同じアーティストのライブに年に10回足を運ぶのは、ライブマニアか、単推しに近い形で通ってる人、日程など条件を気にしないでいつでもライブ行けるような人だけだと思うので。(カードは1年期限ではないですけどね)

かくいう自分も、同じアーティストの所に足を運んだのはたぶん1番多い年でも10回行くか行かないか。
浦和レッズの観戦に一番行けてた頃でも(ライブ参戦なく、観戦だけしてた頃)年20試合行けていたかどうかなので、他の趣味がありつつの年10回は厳しいかな。

1年で貯まらないポイントカードはけっこう忘れられがちなので、10回で1回タダはいらないので5回で何かの方がうれしいかも。5回は望みがあって「もうすぐ貯まる」という期待感も持てそう。貧乏性でスミマセン。でも時間とお金の問題でもあるので、自分としての感覚はこんな感じですね。

ちなみにとあるアーティストが、1回行くたびにピックをくれて5枚たまったら好きな曲を1曲CDに焼いてくれるという特典をやっていた。こういうのけっこう好き。

(賛否)ということだったので、ちょっと書きにくいことも書きつつここまでと。

あとこういうSTONE Projectのイベントが続くなら、STONE Projectとして1曲あってもいいのかな。セッションというよりも、何か最後に全体で歌うオリジナル曲があればライブの締めとして楽しそう。


全体を振り返るといいライブでしたね。演者に緊張感はありましたが、全体で見ればリラックスムードだったと思うし、アットホームな感じでもありましたね。この日は「春の訪れの柔らかさ」とでも言いましょうか・・・

また再見ということで!

    < 2 >                (敬称略)


1997年4月初頭に『ASAYAN』で告知された「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」は、その後のアイドル界にとって重要な歴史の転機である。

90年代前半のアイドル冬の時代、その後の小室全盛期、沖縄アクターズスクールの躍進の流れはこのオーディションをきっかけに変わったと言っても過言ではない。

芸能プロダクションや芸能スクールでレッスンを積んで、レコード会社に宣伝してもらってソロに近い形でデビューするというそれまでのメインストリームはここから変わっていったように思う。

もちろんこれ以前にもおニャン子クラブや乙女塾といった素人的な部分を売りにしたアイドルグループはあったがそれは一過性に過ぎず、また沖縄アクターズスクール勢にしても全面的にアイドルとして活動しているわけではなかった。

その後「アイドル戦国時代」と言われるグループアイドルの隆盛はこの「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」に端を発していると言ってもいいのではないだろうか。

そう、言わずもがなだが、このオーディションからモーニング娘。の歴史が始まるのである。ただし、あくまでもこのオーディションは一人のロックボーカリストを求めて始まったのだということは改めて記しておく。

後にモーニング娘。になるメンバーたちは決してアイドルになることを目標にオーディションを受けたわけではなかった。


さて、「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」を振り返る前に1996年のことをもう少し振り返っておこう。

このオーディションを受けた主要メンバーたちは1996年には何をしていたのか。
なぜ彼女たちはオーディションを受けることになったのか、その背景を探っていこうと思う。

1996年4月の時点でのモーニング娘。のオリジナルメンバー5人の年齢は以下の通り(シャ乱Qロックボーカリストオーディションは97年)。

中澤裕子(22) OL
石黒彩(17)  高校3年生
飯田圭織(14) 中学3年生
安倍なつみ(14)中学3年生
福田明日香(11)小学6年生

中澤裕子は大阪でOLとして働き始めて5回目の春。
上阪後の寮生活を経て一人暮らしにも慣れ、徐々に敷かれたレールが見えてきてしまい違う世界への冒険を夢見る日々。

石黒彩は高校1年の時にベースを買ってもらって以来バンド活動まっしぐら。しかもビジュアル系。札幌市内のライブハウスで歌っていたこともある。
5月にASAYANの札幌オーディションに参加して予選を突破、東京のスタジオ審査にまで進んだものの落選。落選後、自分が写るASAYANの放送を見てダイエットを決意する。(おそらくこのオーディションはAISの佐々木祐子が勝ち進んだときのもの)

飯田圭織は7月のASAYAN札幌予選に参加。『Body Feels EXIT』を歌う。
「小室さんの彼女にしてください」の迷言を残すも東京での本戦出場はならず。95年にはSONYのアルカリ乾電池のパッケージのモデルを務めたりもしたので、芸能界への志向は元々かなり強かったのではないかと思われる。

安倍なつみは中1の頃にイジメられた経験があったという。
その時ラジオから流れてきたJUDY AND MARYの『小さな頃』を聴いて救われてからは歌手を夢見る少女となる。オーディションに参加するのは高校生になってからと親から言われ、そのときを待ち望む日々。
96年のASAYANに参加しなかったのは結果論からすればすごく幸運だったと言えるかもしれない。私見ながら、96年に参加していたらそれなりに上位に勝ち進んでAISやSay a Little Prayerとしての活動が待っていたかもしれなかった。

福田明日香は家のカラオケで歌いこむ毎日と、モダンバレエを習ったりする日々。この年に劇団に所属するものの目立った活動は見えず、翌年のASAYANオーディションを迎える。家出経験があったり友達の家で裏○○○を見たり、なかなかやんちゃな一面もあったようだ。当時の流行もあり、デビューしたばかりのKinki Kidsが好きだったこともあったとか。

平家充代は高校2年生。中華料理店でアルバイトをしていた。
ロックボーカリストオーディションの前にもASAYANのオーディションを数回受けていたというから、おそらくは96年のいずれかの大阪か名古屋の予選に参加している。

またモーニング娘。の2期メンバーである市井紗耶香も中学1年生だった96年からASAYANオーディションを受けていたが書類選考の段階であえなく落選。

矢口真里は中学2年生。
96年4月期のドラマ『みにくいアヒルの子』のオーディション(ASAYANとは関係ない)に小学生役で受けるも落選。このドラマの岸谷五朗演じる主人公が自らのことを「おいら」と呼んでいたことから、後に矢口も自分のことを「おいら」と呼ぶようになる。

高校1年生だった保田圭はおそらくこの頃はコンビニで週5日のバイトをこなしていた。
メッシュ、カラコン、ルーズソックスのコギャルファッション。
その後モーニング娘。加入までにヨーカドー→CASA→マクドナルドとバイトを渡り歩いたらしく、けっこういまどきな感じのする高校生だった。

その他、モーニング娘。以外のメンバーでは、カントリー娘。の戸田鈴音は広島の高校で、ソニンは神戸の中学でそれぞれ寮生活しており、親元を離れた厳しい環境で学生生活を送っている。

公に芸能活動していたのは稲葉貴子が大阪パフォーマンスドールとして活動していたくらいで、この時点では大部分がレッスンも受けていない素人ばかりだった。


シャ乱Qロックボーカリストオーディションが始まる前の、つまりハロープロジェクトの歴史が始まる前の1996年とはこんな時代だった。

当然今に繋がるモーニング娘。やハロプロが出来るなどと思うはずもなく、つんくがプロデューサーとして名前を轟かすとも誰も思っていなかった時代。

振り返ってみると、ASAYANそのものが求心力を持って時代と共に歩んでいたんだなと思う。「夢のオーディションバラエティ」とは言い得て妙で、そこに人が集まるべくして集まってきたとでもいうか・・・

Submarine Dog的モーニング娘。20周年企画『いつか来た道』
〜世紀末のオーディション番組とモーニング娘。を振り返る〜


2008年に書いたシリーズものを加筆修正して再構築。
2017年のモーニング娘。20周年にあたって当時の事を振り返っていこうと思います。

ゆっくり更新。一応『愛の種』完売のところまでを目標としていますが、なにぶん遅筆&面倒くさがりなので叱咤激励してください(笑)

とりあえず活動の始まった1997年4月に合わせて1本目。
ASAYANを中心に振り返る予定なのでまずは97年4月にたどり着くまでの前史です。
ここがないとあのオーディションの本質が見えてこないと思うので・・・

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    < 1 >                (敬称略)


1999年に地球が滅びるというノストラダムスの大予言。

そんな都市伝説が巷で話題になっていた90年代中ごろ、日本はバブル崩壊でお先真っ暗の超就職氷河期の真っ只中。
「地球が滅びるなんて・・・」と思いつつも、どこか終末思想的な考えを少なからず持っていたあの頃。

そんな時代に芸能界という華やかな世界を目指すための一つの番組があった。

世の中の不況はどこ吹く風、音楽業界は毎年のようにCD売り上げを伸ばしミリオンヒット連発、まさに沸騰している状況であった。その活況を呈している音楽業界、引いては芸能界を目指すオーディション番組があったのである。

1995年10月に始まったテレビ東京の『ASAYAN』。

20年が経った現在でもこの番組に携わった人たちが今なお多く活躍している伝説のオーディション番組である。



『ASAYAN』は1992年にスタートした『浅草橋ヤング洋品店』を前身としており、1995年に始まった段階では番組前半部が従来の『浅草橋ヤング洋品店』を受け継いだバラエティー色の強いコーナー、後半部が『コムロギャルソン』という小室哲哉がプロデュースするオーディションコーナーとなっていた。

その『コムロギャルソン』のコーナーを拡大し、1996年4月に「夢のオーディションバラエティー」として1時間番組としてリニューアルしたものが我々のよく知る『ASAYAN』という番組である。

司会にはナインティナインと永作博美を起用。
世田谷区の砧にある東京メディアシティ(TMC)で行われる公開収録には女性を多く観覧に入れ、制服姿の女子高生もかなり見受けられた。

始まった当初は観覧席の中にナレーションブースを設け、当時『ニュースステーション』内のサッカーニュースで人気を博していた川平慈英が「いいんですか?いいんです!」と実況していた。

ナインティナインにしても1996年にフジ『めちゃ2イケてるッ!』が始まったばかり。
永作博美もアイドルグループ終了後の女優活動が軌道にのってきた時期であり、まさに時流に乗った勢いのある布陣だった。

オーディションプロデュースを行う小室哲哉もミリオンヒットを連発していた全盛期で、彼の音楽を耳にしない日はないというほど彼の音楽が流れていた頃である。



最初に行ったオーディションはdosを輩出したオーディションで、このオーディションから他には松澤由美が後に活躍する。

dosはtaeco(元アイドル西野妙子)・asami(ダンスグループL.S.Dより抜擢、後に小室哲哉とユニットTRUE KiSS DESTiNATiONを結成、小室と結婚後離婚)・kaba(振付師、小室哲哉により抜擢、後にカミングアウトしKABA.ちゃんとして活動)の3人で結成されたダンスボーカルユニットでデビュー曲『Baby baby baby』はオリコン初登場4位を記録した。

dos『Baby Baby Baby』



また当時は小室哲哉が多忙で、小室のサウンドチームの一員である久保こーじがオーディションを担当することもあった。

同時並行的にJリーガーオーディションやCM出場権をかけたオーディションも行われており、まさに『ASAYAN』は華やかな世界への「夢のオーディションバラエティ」となりつつあった。

三井のリハウスのCM出場権をかけたオーディションでは池脇千鶴がその座を射止め、その後瞬く間に女優としての階段も駆け登っている。同オーディションにはまだ無名の頃の加藤あいも参加している。




1996年8月にL☆ISという15人グループをデビューさせたことはオーディションの一つの転機となった。

惜しいところまで勝ち抜いてデビューを掴めなかった人たち、ダンスの実力はあるものの・・・という人たちを一つの大所帯のグループとしてデビューさせることにしたのだ。

L☆IS『Running On』



プロデューサーは久保こーじが務め、デビュー曲は小室のヒット曲をメドレーにしたものでオリコン初登場13位を獲得(当時は今と違って10位以下でも5万枚超えが珍しくない時代)、グループとしても個々としてもそれなりの人気を得ていたものの、デビュー後わずか2カ月で解散。

久保氏によれば元々1曲と決まっていたという話だったが、グループとしての統一性のなさ、悪く言えば勝手が過ぎ見放されたという噂もあった。

現にメンバーの二人は某男性グループアイドル二人との写真を報じられており、全員がそうというわけではないのだろうが、グループ内でロリータチーム、アダルトチーム、ダンスチームとはっきりと分けてしまっていたことも方向性の不一致に拍車をかけていたかもしれない。

しかしこのソロデビューの座を掴めなかった人たちに一つの可能性を感じさせたことは後のこの番組にとって重要なファクターとなっていく。


L☆ISの後には「レコード会社争奪オーディション」で12社からの指名を受けた亜波根綾乃がデビューした。彼女は沖縄タレントアカデミー出身で、同時期に所属していた仲間由紀恵以上の逸材と呼ぶ声もあったほどだった。

亜波根綾乃『ひこうき雲の空の下』CM


この「レコード会社争奪オーディション」ではデビュー予備軍・AISが結成される。
AISはそれまでのオーディションでの有力者を小室プロデュースでは無理なので他のレコード会社に選んでもらってデビューしてもらおうというものだった。

そして華原朋美の再来と言われた佐々木祐子や、後にshelaとしてスマッシュヒットを飛ばす大泉めぐみ、太陽とシスコムーンのオーディションにも参加しハロー!プロジェクトの番組にも出演していた小林優美などがソロデビューの栄冠をつかみ取っている。

佐々木ゆう子『Mr. Policeman』


このAISに所属していたもののレコード会社からのデビューに至らなかった田口理恵、AISに所属していたものの学校の都合でオーディションを受けなかった片桐華子・そしてオーディションをスタジオ観覧に来ていた女子高生・大櫛江里加の3名で結成したのがSay a Little Prayerである。

彼女たちはインディーズCDを1店舗10日間で1万枚売ったらレコード会社と契約できるという企画に挑み、見事わずか2日間で1万枚の手売りを果たしメジャーデビューに至った。

LUNA SEAの河村隆一のプロデュースを受け、良曲にも恵まれたが1999年に解散している。

ちなみにAISの一部メンバーたちの交流は後々まで続き、時に食事したり、結婚を祝ったりする姿がブログ等で確認できる。

また1996年当時の小室オーディションには後にモーニング娘。のメンバーとなる石黒彩・飯田圭織・市井紗耶香らも参加していたが、デビューに至らず落選している。


これに並行して1996年秋から6カ月に亘ってavexのMAX松浦がプロデュースする「乱発オーディション」も開催。YURIMARIらを輩出し、後にmoveを結成するyuriや瀬戸カトリーヌらも参加していたが、こちらは大きなムーブメントとはならなかった。

これらの経過から『ASAYAN』の作りはオーディションの結果そのものよりも、オーディションを勝ち抜いていく過程を面白く見せる方向にシフトしていったように思う。

多人数を見せておき、グランプリや落選者と共に視聴者が一喜一憂する。
放送初期と比べ参加者への視聴者の思い入れが強くなったのは間違いない。
オーディションとしての番組が始まって約1年半、作りとしてもちょうど円熟期を迎えていたように思う。

そしてSay a Little PrayerがCD手売り企画に挑み始めた最中の1997年4月、『ASAYAN』を伝説の番組へと変えるオーディションが始まるのである。


Say a Little Prayer『a day』1998

昔書いたものの中に2002年当時のモーニング娘。関係のスケジュールを書き出したものがあったので、一時的にアップしておく。

今日(3月13日)のソニンさんが出演していた『しくじり先生』を見ていて、ふとブログのアクセス解析を見てみた。するとウチの過去記事にアクセスしている方がいて、その記事を見たらたまたまソニンさんがしくじりを語っていた当時のスケジュールを見つけたのだ。

自分で書いたものなのにね、けっこう忘れてる。

当時を知っていれば面白いかもしれないし、あるいは知らないとどういう風に見えるのか逆に聞いてみたい、などと思ったり。

やっぱり1999年と2002年は調べると面白いな。当事者たちにとっては大変だったのだろうけど、心の揺れ動きが垣間見えることがこの両年は本当に多い。


キャバクラ事件が報道される前日に早々にレコード会社はEE JUMPのアルバム発売中止を決めてたんだなー。完全に忘れてた。

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2001.10.  アップフロント組織改編
      UFグループ関連会社に税務調査
2001.10.06 市井紗耶香復帰
2001.10.25 つんく 志村けん&研ナオコのデュエットプロデュースを発表(翌年のミニモニに繋がる)
2001秋   カントリー娘。オーディション→里田加入(会長のカントリー改革の最初)
2001.11上旬 ワイズビジョンに東京国税局の調査
2001.11.02 フジ『13人がかりのクリスマス』の打ち合せ・収録がスタート
2001.11.18 娘。コンサート 沖縄 ライブ後年上メンバーたちは獅子座流星群を見る
      石川 生まれて初めて流れ星を見る
      飯田・矢口・保田・平家は一緒の部屋で流星群を見た
      安倍・りんねが一緒か?
2001.11.20 緑山スタジオでドラマ収録中に加護が倒れる(加護、精神的限界の噂)
2001.11.23 市井 FACTORY出演
2001.11.27 タンポポ『王子様と雪の夜』で初めてオリコン1位になる
2001.12.  日テレ『AX music file モーニング狼。』突然打ち切りされる
2001.12.05 シェキドルがメジャーデビュー
2001.12.06 保田 圭誕生会 藤原紀香らが参加
2001.12.10 市井紗耶香復活コンサートwith中澤裕子 in SHIBUYA-AX
      平家みちよ・きくちP観覧、きくちPと明日香2年半ぶりの再会
2001.12.16 藤本美貴の来年3月のメジャーデビューが発表される
2001.12.17 UFグループの飲食店「ベールヴティユ」が「グッディークラブ」にリニューアル
      これ以前は「花畑牧場」として営業
      「グッディークラブ」になった後も花畑牧場製品とカントリー娘。は関与
2002.01.  正月ハロコンに藤本・里田・石井リカが初参加
2002.01.03 中澤、飯田、稲葉 食事会
2002.01中旬 『モーニングコーヒー2002』レコーディング 旧メンたち高まる不満
2002.01.24 テレビ東京が『ASAYAN』の3月打ち切りを発表
2002.01.27 矢口 プライベート写真流出騒動
2002.01.28 安倍 ラジオで『モーニングコーヒー』を語り、涙
      EE JUMP ユウキ復帰宣言
      シェキドル解散
2002.02.01 飯田 OH-SO-RO収録で故郷からの旅立ち、メンバーとの別れのことを語る
      『モー。たいへんでした』打ち切り決定
2002.02.05 飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみで『うたばん』収録
      年下メンバーは大阪USJで『HEY!×3』収録
2002.02上旬 安倍 きくちさんからFACTORYのオファー
      ワイズビジョンの白岩久弥(タカハタグループ離脱後のASAYAN演出)が解雇される
2002.02.09-10 花畑牧場で犬ぞりレース大会 あさみ優勝
2002.02.11 市井がラジオで新ユニットデビューは4月下旬と発言
      市井にたいせーから作詞のテーマ「卒業」と「遠距離恋愛」が言い渡される
      それでも名目は娘。時代の払拭
2002.02.15 テレ東『muSix!』の枠移動が決定(4月から火曜日22時)
2002.02.17 「Hello! Project 2002〜今年もすごいぞ〜」横浜アリーナ
      ココナッツ娘。レファ脱退 きくちP観覧
2002.02.20 キリンビバレッジ『キリンきりりす〜なオレンジ』CM発表
       飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤のみ出演
2002.02.24 保田、ビビアン・スーらと熱海の温泉に女4人新幹線で行く
2002.02.28 『muSix!』「Angel Hearts」の収録スタート
2002.03上旬 藤本の大々的なデビューキャンペーン
2002.03.04 EE JUMP アルバム『EE JUMPコレクション1』の5月9日発売を発表
2002.03.17 ハロプロキッズオーディションの募集開始
      モーニング娘。 TMCで『HEY!×3』の収録
2002.03.24 渋谷センター街が『4thいきまっしょい!』の宣伝一色に
      テレ東『ASAYAN』最終回
2002.03.26 矢口 自宅で大号泣 カーペンターズ『青春の輝き』『ふるさと』
      TMCで『堂本兄弟』収録 安倍 吉澤 石川 紺野
2002.03.28 安倍 『エアモニ』収録 人生を語る「自分は何を残せるのか」『21世紀』
2002.03.31 より子。 タワーレコード渋谷店でミニライブ
2002.04.04 『muSix!』収録直後に矢口倒れる バカ殿様とミニモニ。姫
2002.04.10 トイズファクトリーが5月のEE JUMPのアルバム発売中止を決定
2002.04.11 『フライデー』にEE JUMPユウキのキャバクラ写真が掲載される
2002.04.12 矢口 韓国へ石焼きビビンバを食べに行く(さくらももこ企画)
2002.04.13-14 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」大阪城ホール
        14日の音源流出(メンバーたちの不満)
2002.04.18 シャッフルユニットの7月3日発売を記者発表
2002.04.19 安倍 フジ『FACTORY』収録 ブルーハーツ『チェインギャング』をカバー
2002.04.20 市井 金髪に染める
2002.04.23 31年にも及んだ五木ひろしと徳間ジャパンとの契約が満了
2002.04.26 OH-SO-ROバスツアー 涙のフリーペーパー
2002.04.27-28 娘。「ツアー2002 春 LOVE IS ALIVE!」さいたまスーパーアリーナ
        2日目に志村けん登場 両日ともきくちP観覧
2002.04末〜05初頃 福田 ライブでGO!GO!7188をコピー、数曲を歌う
2002.05.04 表参道FAB より子。ライブ きくちP観覧
2002.05.06 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.05.10 一部量販店で娘。の15thシングルが7月31日に発売されることが告知
2002.05.11-12 東京ビッグサイトでハロープロジェクトキッズオーディション1次審査
2002.05.15 ハロプロと高木ブーのコラボレーション企画が発表される(ハワイ企画)
2002.05中旬 飯田 ソニンと仲良くなる。和田組宣言
2002.05.25 ハロープロジェクトキッズオーディション2次審査
2002.05.27 『EE JUMPのラジオでいいじゃん』打ち切り
2002.05.30 青山劇場『モーニング・タウン』公演 初日
       劇場内でカントリー娘。チョコレート『いちご色の恋』販売
2002.06.01 フジ『めちゃイケ』エンディング曲がより子。の曲に
2002.06.02 フジ『天使の歌声〜小児病棟の奇跡〜』制作発表
       より子。自伝を松浦亜弥主演で実写化
       より子。、アルバム『Aizenaha』で7月下旬にインディーズデビューが決定
        アルバムには「Thanks to 福田明日香」
2002.06.06 高木ブーとのコラボの詳細が告知される
       娘。・ココナッツ・藤本・石井でメドレーを新録
2002.06.08  松浦 FACTORYオープニングアクト 本編出演のより子。と対談
      より子。の歌収録部分はドラマのエンディングで使われる
2002.06.09 ハロープロジェクトキッズオーディション3次審査
2002.06上旬 矢口 中澤卒業の大阪城のDVDを観て泣いた
2002.06.11 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.13 ソニン ソロシングル『カレーライスの女』の8月21日発売が決定
2002.06.15 TBS『うたばん』『深夜の星』のスタッフ付でソニンが高知〜釜山間560kmマラソンに出発
      ユウキが通っていたキャバクラ「NOW」を経営していた新宿の「メディア」社が新宿署に摘発される
2002.06.17 『モーニング・タウン』きくちP観覧
2002.06.19 日テレの娘。新番組タイトル『ティンティンTOWN!』と7月5日スタートがリークされる
2002.06.22 赤坂BLITZで市井紗耶香 in Cubic Crossのライブ きくちP観覧
2002.06.23 『モーニング・タウン』最終日 きくちP観覧
2002.06.27 東京国税局が元ワイズビジョンの白岩久弥、ハイムーンの白岩直弥を東京地検特捜部に告発
      娘。新曲タイトルが発表 『Do It Now !』 発売日も7月24日に確定
2002.06.30 テレ東『ハロモニ』生放送特番でハロプロキッズ最終選考者15人が全員合格
2002.07.06 『Do it! Now』PV撮影 安倍、メンバー全員が帰ったあとの楽屋で一人でデジカム収録
       娘。の思い出、今の娘。への思い、これからの自分の夢をこっそり収録する(いまだに未発表)
      ソニンが韓国・釜山に到着
2002.07.07 お台場 studio DREAM MAKERで『Do it! Now』初披露
       「キダム」の記者発表
      平家みちよの松浦ツアー不参加が決定
      中澤新曲に続き、後藤ソロ、タンポポ・プッチのベスト盤の8月下旬リリースが告知される



で、この後、7月中により子。と姐さんがラジオで会ったり(和田さんも)、りんねにいろんなことが起こったりして、7月下旬のハロプロ大改編発表を迎えると。

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